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2013年4月30日 (火)

プロレタリア文学世代は何処に向かうか

 文芸同志会が発足してから13年になるのだろうか。当初は「文芸研究月報」という月刊会員制情報紙を発行していた。同人制の文芸情報紙であった。会員が少ないうちは、ぼちぼちとやっていれば良かった。会合はなく、文学フリマで顔を合わせるくらい。月報の印刷を頼んでいたところから、そこの編集担当をしたり、原稿頼まれたりしているうちに、月報の発送作業が煩雑になった。そこで月報をやめた。読者会員がいなくなった。そのかわりにネット情報にしたが、ネット公開でも会員になって読むという人もいた。が、活動は停滞していた。ただ、主宰者の伊藤は、紙媒体で12年間フリーライターをしてきた。
 外狩雅巳氏が文芸同志会に参加してから、「詩人回廊」の活動の活性化している。到着同人誌が増えている。事務所帰りのかばんが重い。外狩氏参加効果としか思えない。それだけ、同人誌層にはアクション不足があったということになる。ただ、当会の文芸同人誌の世界というのは文学フリマを中心としたフリーマーケット層全体のことである。4月28日の「超文学フリマ」では、販売数にこだわる。それが作品の評価である。合評会はあまりしない。「超文学フリマ」の参加者の中には、いくら動員が多くても買ってくれなきゃ仕方がない。予想はしていたが、結果は良くなかった」という人が、かなりいた。
詩人回廊・外狩雅巳の庭」を読むと文学好きで、プロレタリアート的な社会の底辺を這う境遇の類似性に驚く。自分も工場労働者をしたし、十九歳の時に工場の組合結成に参加したが、成年でないので活動員はならなかったことがある。
 自己流で、萩原朔太郎に傾倒していた自分は、共産党宣言を読んだ時、これを社会の歴史をブルジョワジーが作ってきたことを示す「壮大な叙事詩」として感受していた。
 私はマルクス経済学を通じて革命研究に専念した。革命家ではなく革命研究という学問である。当時にの法政大学には、大学は学問の道筋を学ぶところで、あとは自主的に研究すべきという路線があり、それぞれ独自に研究テーマを行っていたのである。デモに参加しないと、迫害された経験をもつ。歴史をも理論も知らないで、よく行動できるとあきれてた。日当が出るので行くというのは、理解できた。
 私から見ると外狩雅巳氏は政治活動としての所得分配の世界の体験者である。文芸におけるそれぞれの体験の交流を通して、行くべき道をさぐって行きたい。
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2013年4月29日 (月)

詩の紹介 「告別―秋のうたー」 門 炎理

告別―秋のうたー 門 炎理

きのう神と別れて 胸にさした 大輪の薔薇に・・・・・
草の乱れる野にいて/濡れたままの柔らかい土に/いくども数えた花/花 たくさんあった。ほんとうにたくさんあった。/いのちもかぞえた/いのちの種ひとつあった/いのちの種を土にまいた。/いのちの芽が出た。/それは かすかな罪に似ていた/菜の花が咲いて雨がやって来た。/白い衣装を脱ぎすてて/季節は還って行った。
本当は もう何も要らないけれど ふたつの家がある それにいっぱい雨を溜めて あるいてゆく
いったい 犯すことの他に/何が出来るのだろう。/野を犯し 花を犯し 人を犯し/ついに 酔うことを犯しはじめて
陽差しはとても明るい 芝生ですべて安らぎ 指を組み合わせて 空を視る。
いくら語っても誰も聴いていなかった/夕焼けの渦の中を鴉が翔んだ。/まつしぐらに北を目指して流れた。/突然に ひとが私に住んだ/その時も とてもたくさんの言葉で語った/広い家の中には誰もいなかったから/町や野にも誰もいなかったに違いない。
どんな日にも夜が来た。/雪明りの丘で/土を求めて掘るだけの/単調な永いいくにち/濡れた土は音なく現われ/首まで埋めてしまいそうにした。
誰をも待たなくなった。/少しずつ微笑を覚えた。/生きるということを/ひとつしか持たない貧しいひとが
薔薇を胸にさして 神と別れて来た午後の 秋。
(「交差点」第5号 1965年 10月東京都・交差点同人社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
雪国、四季がうつりかわり、高く積もった雪、除雪のひとり作業の明け暮れ。「突然に ひとが私に住んだ」そこから詩情が生み出たのだろう。誰もいない時こそ、神が沢山語りをしてくれます。
「いったい 犯すことの他に/何が出来るのだろう。犯すことは変哲もない日常であった。犯すことこそ、神の救い手があります。犯すことはなければ、人は神を必要としないだろう。
「薔薇を胸にさして 神と別れて来た午後の 秋。」格好良く、洒落な言葉で、群れにも帰ろうかと、誰をも待たなくなった。やはり、ひとり内心に神を求めつつでなくてはなりません。

 門 炎理(長野県の詩人・1970年頃より小説を執筆。作家・詩人・伊藤桂一氏門下、宇田本次郎にて「グループ桂」同人。
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2013年4月28日 (日)

超文学フリマ会場最新情報!27日8時過ぎ設営完了 風景

 文学フリマ超会議の文学フリマ超会議のカタログ静画無料配信中!=参照:文学フリマ公式サイト=--文フリ事務局の隣が見本誌コーナーです。-- ニコニコ超会議2の文学フリマ会場最新情報です。まだ誰もいません。設営完了したときの風景です。参照:暮らしのノートPJ.ITO文芸幕張メッセから帰りが大変だった。

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2013年4月26日 (金)

文学フリマin大阪の盛況のあと「超文学フリマ」4月28日(日)開催

 文学フリマin大阪は、約1600人の入場者があり盛況だったようだ。大阪では来年の開催も企画中だとか。その後スピンオフイベントとして、幕張メッセで「ニコニコ超会議2・超文学フリマ」が2013年4月28日(日)開催される。≪参照:暮らしのノート「文芸」
 文芸を通して時代の流れを読む情報交流活動の同志会であるが、今回は出店できず観察することになった。「会に入っても会合もなく、情報を得て自分でなんでもやるだけ」とよく言われる。しかし、情報を生かして飛躍した会員もいる。会員が自分の立ち位置をGPSで知るように、把握し飛び立っていった。おかげで自然衰退してもこれもまた自然である。今月は、これまでこのサイトと「詩人回廊」を読むのに、会員として参加意識をもって読みたいという会費だけ払っていた人から、病を得て退会の連絡があった。こういう読者から多くのことを学ばせてもらった。感謝にたえない。
 ネットの世界をリアルに体験しようという「ニコニコ超会議2」には、同時参加でSF大会部門、政党部門、自衛隊・米軍部門など、まさに現代の若者文化の総合交流になりそうだ。全国各地からのニコニコ超会議バスツアーもあって、幕張メッセ周辺のホテルは満員らしい。なんという時代であろう。
 会は第1回文フリは、文芸研究月報という情報紙で郵送方式なのに参加。文フリのの記念写真もバカチョンカメラのフィルムだった。それがデジカメになり、ネットのメールとHPが普及、そしてブログと、目まぐるしい変化である。その月報の実績から60歳からのジャーナリストになった。それはまさか、ここまでの激変に巻き込まれるというか、体験するとは想像だにしていなかった。

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2013年4月25日 (木)

文芸同人誌 「檣 マスト」第32号(京都府津川市)

【「そんなことは百も承知のはずだったけど」西野小枝子】
 律子と千尋は7年間同僚として働いた仲の良い教師仲間であった。千尋より二年早く退職した律子は、その後の女友達としての交際を続ける。旅行をしたり、お互いの娘の話や世相の政治談話など楽しく良い関係が続く。そのなかで千尋が難病の悪質な癌になってしまう。千尋の亡くなるまでの無念さや、律子のかけがえのない友人を失った喪失感が素直に描かれている。てらいのない身辺雑記的な、同人誌ならでは作風の読み物であるが、よくあるエピソードの細部が生きており、作者の気持ちが良く伝わってくる。ただ、これで文芸かというと、生活日誌と文芸との中間小説の感じがする。同人誌には多いパターン。
【「カンナの恋」眉山葉子】
 未亡人となっているカンナという中年女性が、自由さと人恋しさからか、漠然とした欲望を潜在させている。彼女に四人の家庭持ちの女友達と交際があって、お互いに潜在的な欲望を満たす話をし合ったりする。競争意識にも駆られて、カンナは粋な男性と交際を深めていくのだが……。女性のエロスへの欲求を軸に、小説となる場面や心理を描くのが巧みで、読者を惹きつける勧どころを心得ている。天性のストーリーテラーの才気を備えているように思えた。どんな作者であろうと、興味が湧いてあとがきを読むと、周囲の意見を取り入れ三年かけたという。そうなのかと思ったが、周囲の意見を素直に取り入れられ、自己流に難なく消化するのは、本来の創作に対する喜びをもっているからで、やはりそれは才能というべきであろう。職業作家なら当然のことであるが…。ラストは唐突に終わっているように読めるが、それを作者が気にしていないというのが良い。小説の構造上、3分の2が読みどころで、終わりのパターンは限られたものに決まっているからである。
 発行所=〒619-1127木津川市南加茂台14-8-1、大家方。マストの会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2013年4月24日 (水)

野尻抱介『南極点のピアピア動画』(早川書房) が大学読書人大賞に、

  東京・御茶ノ水の明治大学で4月21日、公開討論会が行われ 「大学読書人大賞」に獨協大学文芸部推薦の野尻抱介『南極点のピアピア動画』(早川書房)が選ばれた。
 同賞は、全国の大学文芸サークルによる投票と評論・議論によって、大学生に最も読んでほしい本を選ぶもの。主催は出版文化産業振興財団。
 今回は同書のほか、神林長平『いま集合的無意識を、』(早川書房)、高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』(新潮社)、伊藤計劃・円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社)、貴志祐介『ダークゾーン』(祥伝社)、皆川博子『倒立する塔の殺人』(PHP研究所)が候補に挙がっていた。



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2013年4月23日 (火)

詩の紹介 「蚊」 西村 啓子

蚊   西村 啓子

どこかですでに成果をあげた奴が/目の前をいったりきたり/ニヤリと笑って消えた/刺されたと気づいてから/反撃の行動に移るのに/時間がかかるのを承知のうえだ/暮れていく空の下で/花を植えていたからと言い訳してはいられない
明るい空のした/巡視船が警戒していても/威風堂々とくる隣国の船の数にはかなわない/翻る赤い旗が海を埋め尽くす/と思えば一隻ニ隻/歴史的時間をかけて/退いたり寄せたり/いつの日か占領した島に/高笑いを響かせるだろ
わたしは/おいたりといえど/秋の蚊ごときにと/両手をあけて待ち受ける
(流38により 2013年3月 川崎宮前区 宮前詩の会)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 攻撃についてじっくり観察してから行動に移るのは人間の頭脳の働きであるが、蚊には飢えの生物本能があり、血の匂いを掻きと、真っ直ぐに飛びつく。隣の大国はなにか飢えているのか、血が豊かの小さな隣人に時々刺しにくる。血に充満され、赤い旗はますます赤く見え、威嚇的な存在として映るのでしょう。不快さを耐えることも人生にはつきもの。相手も生き物ですから多少の血は提供しても、気にしない心がまえで過ごすのも人生でしょうね。

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2013年4月22日 (月)

村上春樹の人気の肝は、無党派的正論を謎めいた表現でまぶす?

 村上春樹人気はブームといってもよいであろう。その魅力については、2009年ごろから語りつくされている。その時点から、根底には無党派層的な、存在への無力感をもつ知識人ではあるが、そこから抜け出す知恵を求める人ったちの共感と安心感を与える効能が指摘されていた。それが、ここまで世界的に読者層を拡大するということは、ある程度生活に余裕が出来て、ふと気が付いてみたら何か空虚なものを感じるようになった人たちが増えたのではないだろうか。
 これが同人誌誌にものを書く人々は、書くことによる人生の充実感を得ているから、村上春樹の登場人物になじめないのではないか、と自分は想定する。従って、同人誌作家には、村上春樹を呼んでいる人は少ないであろう。自分は、村上作品を買ったことがなく、発売後3,4年すると地元の図書館が来館者に「自由にお持ちください」と廃棄扱いされるものを読んでいる。現在の新刊も再来年には、それで読めると思う。目下、興味があるのは、かれのマーケティングセンスの素晴らしさです。
 すでに2009年当時のネット評論には次のような感想と分析があった。
 「現代社会に生きる彷徨える人たち、とくにちょっとした心の病や、何かしらのコンプレックスを持った人や、消極的で行動に移せない人たちにとって、 行動しよう!運命に向かい合って生きていこう! 自分の運命から逃げてはいけない! みたいな、前向きなメッセージを、巧妙で不可思議な物語世界を用いて教えてくれる、現代人が今、最も必要とされる書」
「結局言いたいことは、自分の運命から逃げず、前を向いて歩いていけ、ということだけ。たったそれだけのことを言うために、音楽や文学のうんちくを聞かされ、クールな現代人の生活スタイル話を延々読まされ、人を煙に巻くような、 暗喩だかなんだか知らないけど、わかったようでちっともわからない、不思議な世界を延々語られ、結局は今の世の中でありもしない、 純愛のために生きると、遠回りしても自分自身に素直になれば、最終的には結ばれるみたいな、 そんなこと言わなくてもわかるよ!みたいな1点を聞かされるだけの、ディレッタンティズム的うんちく物語。 (※ディレッタンティズム:芸術や学問を趣味や道楽として愛好すること。)」
「ある種のファッションと捉えることもできる。おもしろい、つまらない関係なく、 村上春樹が何を書いているか、その知識を得るためだけに読むという読み方も、この作家の場合にはあり」
と、分析されている。
 いずれにしても、時代の空気を読む感性は、ほとんど霊能者の領域にあり、天才とも異能の作家とも言えるのではないか。
≪参照:暮らしのノートPJ・ITO文芸

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2013年4月21日 (日)

村上春樹さん「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」累計発行部数が100万部

 文芸春秋は18日、村上春樹さんの新作小説「色彩を持たない多崎(たざき)つくると、彼の巡礼の年」を20万部増刷することを決め、累計発行部数が100万部に達したと発表した。
 12日に発売されてから7日目。文芸春秋は「文芸作品では最速でのミリオン到達では」としている。村上さんの作品では前作「1Q84 BOOK3」が発売から12日目に100万部に到達している。
 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はネット書店での予約などが多かったことを受け、発売前から増刷を重ね、計50万部で売り出された。発売初日にも異例の10万部の増刷を決めたが、売り切れ店が続出。15日にも20万部の増刷を決め、6刷80万部に達していた。
≪参照:暮らしのノートPJ・ITO文芸

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2013年4月20日 (土)

文芸時評4月(産経新聞) 早稲田大学教授・石原千秋氏

「プロセスを小説にする」≪対象作品≫藤野可織「爪と目」(新潮)ほか。
そんな中で「コンピューター科学者、認知科学者」と紹介されるマービン・ミンスキーが、小説などつまらないと言っている。「たいていの小説は、まず人々の問題があり、彼らが陥った難しい状況というものがあって、それをどうやって解決するか、うまく解決できてハッピーエンドになるか、そうでなければ、うまくいかなくて罰を受けたり死んだりするか。一〇〇冊小説を読んだら、みんな同じなんですね」と。

 さすが「認知科学者」だけあってパターン化するのがお好きだ。文体など関係ないのならなるほど面白くはないだろうといった感想を持つかもしれないが、これはすでに文学理論でも言われていることなのだ。フランスの記号学者ツヴェタン・トドロフが、物語とは「安定-不安定-安定」というパターン(型)を繰り返すものだという意味のことを言っている。だから、小説家は物語の型を裏切ろうとして、さまざまなことを試みるのである。

蓮實重彦がフローベール『ボヴァリー夫人』を例に、小説を読むことは現実を参照することではなく、現実を無視したかのようにして構築された「テクスト的な現実」を引き受けることだと論じている(「『かのように』のフィクション概念に関する批判的な考察」文学界)。藤野可織は「三歳の女の子」が語っているかのように思い込ませる「テクスト的な現実」を構築するプロセスそのものを小説にしたのである。それは美しいとさえ言える。「あなた」をさらに揺さぶって、多和田葉子の一歩先へという野心が頼もしい。

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2013年4月19日 (金)

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏「三田文學」春季号・2013.05.01

《今号で取り上げられた作品》
加地慶子「橋」(「まくた」278号、横浜市)/塚越淑行「アメリカ帰りのおじさん」(「同上」)/田中聖「送る日の朝」(「飢餓祭」37号、奈良県奈良市)/紺谷猛「とうのみね」(「海」86号、三重県いなべ市)/文正夫「窓の向こうは」(「雑記囃」15号、兵庫県伊丹市)/高橋陽子「たべごろ」(「せる」91号、大阪府東大阪市)/よこやままさよ「ピース・オブ・ケーキ」(「同上」)/米沢朝子「魂魄」(「蒼空」17号、高知県高知市)/木村誠子「坂の上のアグリッパ」(「あるかいど」48号、大阪市阿倍野区)/池誠「舞台はまわる」(「同上」)/秋月ひろ子「残る桜」(「小説家」137号、東京都国分寺市)/和泉真矢子「林檎」(「メタセコイア」9号、兵庫県川西市)/飛田一歩「白線流し」(「湧水」53号、東京都練馬区)/木戸末栄「床の中」(「同上」)/田中重顕「古稀心中」(「文宴」118号、三重県松阪市)/三沢充男「あずき団子」(「こみゅにてぃ」87号、東京都千代田区)/向山宏「移民の顛末」(「函」64号、広島市)/本川さとみ「文箱」(「同上」)/林由香利「貯金箱」(「九州文学」20号、福岡県中間市)/一畑耕「その日、後日譚」(「播火」85号、兵庫県姫路市)/浅井梨恵子「小川」(「mon」1号、大阪市天王寺区)/佐藤和恵「鬼退治」(「創」7号、愛知県東海市)/朝岡明美「曲がり角の先」(「同上」)/大城定「暗渠」(「澪」1号、神奈川県横浜市)/大沢綾子「ふつふつと-」(「繋」7号、大阪府吹田市)/森沢周行「瓦礫のなかから」(「AMAZON」456号、兵庫県尼崎市)/大友章生「原発避難民の声」(「アピ」3号、茨城県笠間市)
●ベスト3
勝又氏:1.米沢朝子「魂魄」(「蒼空」)、2.高橋陽子「たべごろ」(「せる」)、3.加地慶子「橋」(「まくた」)
伊藤氏:1.高橋陽子「たべごろ」(「せる」)、2.米沢朝子「魂魄」(「蒼空」)、3.加地慶子「橋」(「まくた」)
●「文學界」推薦作
勝又氏:長野桃子「僕の足元にはうさぎがいる」(「法政文学」)
伊藤氏:参考作品として、米沢朝子「魂魄」(「蒼空」)、高橋陽子「たべごろ」(「せる」)、加地慶子「橋」(「まくた」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年4月18日 (木)

同人雑誌季評「季刊文科」2013年4月15日発行

◆松本道介氏「頭に残った小説」
宇江敏勝「千疋供養」(「VIKING」744号、高野町高野山)、秋月ひろ子「残る桜」(「小説家」137号、千葉県佐倉市)・山田直堯「暗い絵」(同)、森静泉「市松人形」(「狼」61号、高崎市)、天野いずみ「日曜日の雑木林」(「朝」32号、千葉県茂原市)、「火涼」65号斎藤緑雨の小特集より川原徳子「樋口一葉の晩年を彩った斎藤緑雨」・衣斐弘行『斎藤緑雨全集』未収録書簡・二通、そして清水信の斎藤緑雨13会、「青磁」(福井市)より中野重治にかかわる文章、立石富生の連作「五月晴れの日に」・「曇りのちくもり」(「火山地帯」171号、172号、鹿屋市)
◆勝又浩氏「今月の一冊」
「文芸復興」(26号、東京都)「創刊七十年記念特集号」より「現在の文学状況について」・七人の記念エッセイ・丸山修身「我が人生の一日」・堀江朋子「菅原道真と美作菅原--我が幻の祖先たち(一)」・「昭和文学の傷痕」から坂本満津夫「〈人民文庫〉と、その時代」、松田龍彦「報復」(「裸人」29号、高岡市)、「夫婦の来歴」(「關學文藝」45号、大阪市)・浅田厚美「誰もしらない」(同)、小関智弘「見知らぬ人からの℡-恩師久保田正文さんのことなど」(「塩分」54号、春日部市)、千田佳代「すこーし昔 あるところへ」(「朝」32号、茂原市)、神盛敬一「声」(「港の灯」5号、神戸市)・三浦保「オバチャンのいた現場」(同)、甲山洋二「THE KUCHIBASHI」(「半獣神」94号、高槻市)、河井友大「未来の山」(「銀座線」18、東京都)、「丁卯」(32号、沼津市)より伊庭高明「夜のかわせみ」・小堀文一「泉石残影」・栗原陽子「それぞれの葬儀」・興津喜四郎「笛吹川をさかのぼってみれば」
●「同人誌の現場から」投稿は以下
「地域の文学活動」堀利幸(「文学岩見沢の会」代表)
「松茸採り名人」古岡孝信(総合文芸個人誌「二十一」せいき)
「同人誌の未来は明るい」阿賀佐圭子(「九州文学」編集委員)
「『あるかいど』 文学の海に舟を漕ぐ」佐伯晋(「あるかいど」編集人)
「方言なるもの」芹沢ゆん(『メタセコイア』同人)
「同人雑誌の現場から」松村信人(『別冊關學文藝』同人・発行人)
「石川理紀之助翁のこと」岩谷征捷
「『とぽす』田能千世子さんのこと」長瀬葉子(「トポス」同人)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年4月17日 (水)

文芸同人誌「婦人文芸」93号(東京)

【「まだたりない悲しみ」北村順子】
 同人誌にはめずらしいた登場人物ごとの視点移動を多用した物語。構成にも気を配って、創作者としての意欲が伝わってくる。木村より子は離婚して、独身の年配者。さびしく人恋しい心を隠しているか、意識していない。堀部健介という男は、サラリーマンをしていたが、先輩社員が事業を起こすと誘われるが、結果的に出資金を騙しとられた形になり、人間不信をかかえて浄水器のセールスをしている。彼が女性関係を避けるために結婚しているように指輪を、周囲に家庭のあるように真に迫った架空の話をするのが面白い。さらに夫のある有閑婦人と密かに情を通じてもいる。
 3人の人物の登場で問題提起があり、それにどういう答えをだすか、その答え方を読者は味わうわけだが、この作品では3人の触れ合いの思い込みを別れというはかなさで、答えをだしているのに少々驚かされた。しかし、読者としては納得されられ、説得されたので、やはり巧みな筋運びという感じがする。

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2013年4月15日 (月)

文芸同人誌「北狄(ほくてき)」362号(青森市)

 本誌の後記「編集室」には、合評会では「結局は飲んで騒ぐだけ終わる。それでいいのか」という問題提起があって、かなり議論が弾んだとある。かつては名門同人誌として、評価される優秀作が多かったのに、近年は鳴かず飛ばずではないか、という。そこに、時代の変化があるのではないか、それでも三田文学の評には何度か取り上げられているのだが……という意見があったという。多くの同人誌に共通した課題ではないだろうか。ただ、傑作を目標にするなら、公募してみれば時代に合ったものなら、世にでるはず。また、スタンダールのように100年後にしか評価されないとわかっていて書く姿勢もある。多くの同人誌は共同で発表の場を作ることが目的なので、作品の質を問うのは二義的なことである。目先の評価は、書く上でのちょっとした彩りにすぎないであろう。
【「浮島のあかり」青柳隼人】
 家族娘と妻に先立たれ、自分も再起不能の病になった教授と知り合った水雲燈子の視点で書かれている。前半は燈子の母親の境遇との関係が述べられ後半は、教授の亡き家族との精霊との出会いを求める話になっている。筆致の様子から、作者は女性のようだ。全体に長く紙数を費やしている分、雰囲気がでている。が、内容が2分されているので、浸りきる気分が薄い感じもする。でも根気よく統一した雰囲気でまとめられている。
【「精三老人のねぶた」笹田隆志】
 ねぶた祭りの様子をテレビでみていて、あのような巨大な力強い大型提灯をどうやって作るのだろう、と疑問に思っていた。これを読むと、その様子が、よくわかる。昔は提灯づくりの人が、やっていたという。その家の子供の視点で散文小説風に町の風景から入る。ねぶたの伝統が、時代の流れの中で作り方や素材が変わってくる。ここでは少年が、父親のねぶた師の仕事の道に入らない。そういう時代背景があるからで、伝統的な製作法が失われることが、滅びゆく予感を感じさせるが、しかし時代の変化なかで、新しい伝統承継の形が生まれるのかも知れないと思わせる。
【「青年の階段の中で」秋村健二】
 高校生時代のすでに過去の時間のなかに埋もれてしまった出来ごと、情念を綴った散文。歌の詞に「青春時代は、迷ってばかり。青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの」というのもあるが、濃密な学生生活時間があったことに、羨ましいものがある。
 そのほかの短い散文を読んだが、それぞれマイペースの作風で充実している。とくに議論するほどのこともないのではないか。
発行所=青森市安田近野435-16、北狄社。

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2013年4月14日 (日)

鈴鹿市の文芸評論家、清水信(しん)さん(92)

 三重県の文芸評論家、清水信(しん)さん(92)は文芸同人雑誌の歩みを見つめ続けてきた。
 最盛期は月三百冊以上の文芸同人雑誌が自宅に送られてきた。今は月百二十~百五十冊程度。「昔は月刊が主流だったが、最近は季刊が多い」とも。高齢化の波は、同人雑誌の世界でも顕著だという。清水さんは現状を「若い人は書くことは書く。だが、読まない。読み手が同時に書き手の時代ではなくなった。何か書きたい、何か訴えたいことはあるけど、他の人の書いたものは読みたくないという人が多い。合評会でも自分の作品だけを何回も読んでくる。これでは合評にならない。同人雑誌は同人の仲間が一番の読者だが、それが若い人は嫌なのでしょう」(東京新聞2013年4月13日)同人雑誌の生き字引 清水信さん
 半世紀以上、同人雑誌を見続け、生き字引ともいえる存在の清水さん。同人雑誌の魅力とは何か。「一番は自由であること。商業雑誌は営業が前提だし、専門雑誌にもそれぞれ目的がある。当然編集権もあるので、その目的にかなわないものは除外する。しかし同人雑誌は何でも自由に書けるのが強み。もともと同人とは、同じ志を持っている人という意味。仲のいい人でやろうということだ。その中で雑誌ごとの特色が出てくる。郷土や地域性を濃厚に出すものもあれば、売り物になる小説、売れる作家を目標に置く雑誌もあった」と語る。最近は同人雑誌から、芥川賞などが出ることはほとんどなくなったが、以前は「同人雑誌に一生懸命書いて、もまれて、中央で認められて候補になった」と指摘する。
 一年ほど前から満杯になった書庫の整理を始めた。山積みになった同人雑誌の内容を確かめる。「九州から北海道まで、それぞれ特徴がある。同人雑誌だけで活躍して、そのまま歴史の中に消えていった人が多いが、それらの人への愛着があって、どれも捨てがたい」と振り返る。
 四百人以上の作家論を記した。新聞に連載する同人誌評のほか、常時五つほどの同人雑誌に寄稿するなど執筆意欲も旺盛だ。「本や雑誌を読まない日はないね」。積み重ねはとどまるところを知らない。これからも文芸の行く末を追う気概が目に宿っていた。 (石屋法道)

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2013年4月13日 (土)

書き手と読み手~同人誌における作品評の現実   外狩雅巳

 「こんな会社もう辞める」と同僚が言います。酒席で会社批判の上に退職をブチ上げます。が、一向に退職しません。
 サラリーマンの愚痴は仕事に集中しますね。不言実行,いやなら辞めるーーがモットーだった私は二十社以上も転職しました。
 堪え性の無い人間として評価され年金額も少ない現在です。変な正義感・わたしはこれで会社を辞めました。
 私の論考にコメントが来ました。(作品も下手な自分が)と前置きがありました。同人会の合評会でも(自分は書けないが)と前置きしてから発言する人が多くいます。感想発言後に「そんならお前が書いて見ろ」といわれた事もあり私も他人の作品は褒めます。
 作品と批評では作品が上位にあるような雰囲気の中での合評会は作者として居心地が良いので応募もせず会誌にのみ書き続けました。
 会誌には作品が多数掲載されていますが、文芸評論や作品評はほとんどありません。創作ばかり人気があります。人気作家なら何人も知っています。人気評論家はと聞かれても名前が浮かびません。
 しかし、内心では他人の作品への不満が多数あります。此処が悪いあそこが変だ、こんなのナシだよな。書けない私ですが、と前置きすれば安心して発言出来そうです。不言実行がちらつきます、書けなければ言うなと、もう一人の自分が抑えつけます。
 作品と批評は対等平等だと学んではいます。聞かれればそう答えます。でも実践出来ません。書店や図書館でも小説書のコーナーは広く文芸批評書のコーナー狭いですね。人気もなく売れ行きも無いのでしょう。読書家は創作が好きなのですね。皆知っています。
 読書は自分流に読み、楽しむからこそ生き甲斐にしているのだと思います。
 文学賞は選者の評があります。合格しなければ入選しません。作品を書かない評論家が選者でも世間は納得するのでしょうか。
 自作は下手でも他者を納得させる批評を会得し合評会で思い切り発言したいと考えています。
≪参照:「詩人回廊」外狩雅巳の庭

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2013年4月12日 (金)

詩の紹介 「存在と想像の限界」関 中子

存在と想像の限界   関 中子

人を集めて
人・人・人を三つほど書いて
なんと 読ませなかったのか
木を集めて
木・木・木を三つ木の形に書いて
森と読ませたのに
(詩歌文芸誌GANYMEDE57により 2013年4月 東京都練馬区 銅林社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
漢文字特有の性質をふまえた詩人のインスピレーションです。人間は自由の意志で行動する、人三人が集まると、どうしても二人がかたまり、一人が仲間外れされてしまうのはよく見られるものです。それぞれ意志のちがう集団は、気まぐれです。
しかし動けない植物は、好き嫌いは言えません。集まるほど力強く、森になるのです。

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2013年4月11日 (木)

著者メッセージ: 乙武洋匡さん 『自分を愛する力』

 最近、Twitterを通して、多くの方からメッセージや質問、悩みなどが寄せられます。
 「乙武さんがうらやましいです」 「乙武さんのように生きるには、どうしたらいいですか?」
 はじめは面食らいました。僕は生まれつき両手両足のない、重度の身体障害者。これまでなら、「かわいそうに」と上から目線を向けられてもおかしくない存在である僕のことを、けっして少なくない人々が、「うらやましい」と思っているようなのです。
 「みんな、生きづらいんだな……」そんなことを感じずにはいられません。さらにフォロワーのみなさんとやりとりを続けていると、その生きづらさの原因が「自己肯定感のなさ」にあることが透けて見えてきました。
 なるほど、そういうことか――。
 たしかに僕には手も足もありませんが、自己肯定感なら売るほどあります。そこで……売ることにしました!
 なぜ、両手両足のない僕が、自己肯定感に満ちあふれているのか。自己肯定感とは、どのようにして育まれていくのか。「自分を愛するためのコツ」を目いっぱい詰めこんでおきました。どうぞ、ご賞味あれ!(乙武洋匡)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年3月15日号より)

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2013年4月10日 (水)

文芸同人誌「淡路島文学」第8号(洲本市)

 淡路島ゆかりの地域文芸同人誌である。錚々たる面々というか、実績のあるひとたちの執筆陣。発行者の北原文夫氏の第7号に掲載作品「秋彼岸」が、「季刊文科」に転載された。同氏が今号の編集後記に、掲載作品の簡単な紹介をしている。親切でいいですね。
 そのなかで、同人のお孫さんで高校2年生の作品があるというので、読んでみた。
【「水車小屋」鈴木航】
 水車が好きで見たいという七歳の弟のために、彩子は弟の手を引いて川の上流に向かう。すると、どこからか老婆が現れ、やはり水車が好きという。弟の水車が好きという一途な心を大切にしなさい、とアドバイスしてくれる。帰りに気がついてみると、公園の時計は四時なのに、彩子の腕時計は六時を指している。タイムスリップの区域に入っていたらしいーーという話。弟の表現で行間に愛の満ちた良い調子があって、清々しい詩的散文である。この世代にしては、むずかしい理屈を言わないところは、詩人体質なのであろう。
 【「下宿を変わる話」宇津木洋】
 タイトルの通り、学生専門の下宿にいるエヌ君が、就職活動しはじめて、下宿を出る羽目になり、お寺に下宿を変えるまでのさまざまな出来事と、その気分を描く。小説というより、住民の雰囲気や風物をのびのびとした筆致で描く散文。散文小説主義をもつ私の好みかも知れないが、へんに作った小説より文学的である。とくに終章の崖崩れの描写などは、破壊の危機感とその風景の美の表現でじつに何かを感じさせる好いものがある。
 そのほかの作品は北原文夫氏が記した編集後記からの紹介ですーー。
【大鐘稔彦「父と子」】
 作者は医師・作家・歌人。ベストセラー「孤高のメス」(幻冬舎)の作者。新しい同人として歓迎し、「父と子」を巻頭にした。平家物語に造詣の深い方だが、平家の武士武将瀬尾太郎と小太郎父子を冷静な目で捉え、武士のありようを歴史のなかに位置づける筆力はさすがである。
【植木寛「最前線の軍医」】
 激戦のルソン島に樋口軍医のような人がいたのかと驚かされる。宣布医療のためであるが、現地住民の治療にあたって住民の信頼を得、米軍のパイロットを密かに治療する。兵団転戦のおり動けない傷病兵に自爆用手榴弾が配られるが、自爆をするな、捕虜になって手当てを受けよと説得し、洞窟入り口に赤十字のしるしを何枚も掲げ、アメリカ軍に手当の依頼を英文で書いて本体へ追いつこうとする描写は、はらはらとさせながらもさわやかである。(以下略)
発行所=〒656-0016兵庫県洲本市下内膳272-2、北原方、淡路島文学同人会。

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2013年4月 9日 (火)

第25回中部ペンクラブ賞の候補5作品が決まる

第25回中部ペンクラブ賞の候補5作品が決まった。(応募順)「風の訪れ」猿渡由美子「じゅん文学」(名古屋市)71号/「アトランティス号で見る夢」森盛大「じゅん文学」72号(名古屋市)/「冬の蛍」小森由美「弦」(名古屋市)/「それは石臼から始まった」朝岡朝美「文芸中部」(東海市)91号/「パレルモの海」横井八千代「胞山」(岐阜市御嵩町)24.25号。また同クラブは愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞している。≪参照:暮らしのノート「文芸」
 同クラブは、中京地域を拠点にしながら同人雑誌と文壇(最近は、らしきというか)をつなぐ文学的な地位を確立した稀有な団体。尾張の精神というか三田村博史会長の手腕と協力スタッフの存在があるのでしょう。文壇という形態が明確な形をうしないつつある時代において、中部ペンクラブは日本特有の文芸文化の底辺を支える今後の在り方を示しているのではないか。
 
 

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2013年4月 7日 (日)

「文芸同人誌案内」のひわきさんが大阪女性文芸賞入賞で授賞式出席

 ひわきさんが第30回大阪女性文芸賞授賞式に出席したという。掲示版にその様子が記されている。≪参照:文芸同人誌案内掲示版
 「ぜひこの賞への挑戦をお勧めします。最終候補の5編に残れば、選考委員の方に読んでもらえるし選評が出ます。今回、驚いたのは式後の懇親会。芥川賞作家3名を含む10名ほどの作家の方がたが次つぎに壇上へ。ほとんどの方が作品を読んでくれていて、感想を述べられました。それも評ではなく、同じ目線に立った暖かい励ましと感じる内容でした。」
 というから興味深い。東京ではあまりそういうことはない。長谷川竜生氏に詩の集いでお会いしているが、そういう話題は出なかった。
「文芸同人誌案内」は、記憶では日経新聞にも取り上げられた著名サイト。かつて文学フリマの参加で会場でお会いしただけであるが、意志強固というか根気強いというか、いつも感心させられている。

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2013年4月 6日 (土)

著者メッセージ: 川上未映子さん 『愛の夢とか』

 小説を書き始めて5年がまるっと終わり、まだ5年しか経ってないの、や、もう5年も経ってしまったの、という気持ちと、その両方が混ざりあった感覚でいるこの春に、はじめての短編小説集を刊行することになりました。
  何も起こらなかった今日。何も起こらない明日。おととしの三月の天変地異を経てさえ、あるいは個人的な、取り返しのつかない大きな出来事を体験したとしても、見ようと思えば日常はそんな気だるさと直線に塗りつぶされています。絶望にも、何もなさにも、気がつけばそんなのっぺりとした直線がひしめいてしまいます。けれどそんな中にも、何かが動く、ドライブのかかる瞬間があって、たぶん、その多くはとてもささやかなことで、他人にとっても、そして自分にとっても、おそらくはさしたる価値もないようなことばかり。そしてまた、少しの時間が経てばいつもの日常の運動のなかへもどってゆくのだけれど、でもそのとき何かが動いたことはたしかなことで、その瞬間の詳細を、手触りを、できるだけたくさんつくりたいのだなと、そして、読みたいたいのだなと、あらためてそう思い、「愛の夢とか」はそんな瞬間を7つの物語に光らせた、一冊になりました。 (「本」2013年4月号より抜粋)-講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年4月1日号より。.

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2013年4月 5日 (金)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2013年03月01日)白川正芳氏

冒頭、黒田夏子さん「abさんご」と早稲田文学新人賞、安部龍太郎氏と月刊同人誌「文海」(ふみの会)に言及。
八谷武子「ひと夜の宿」(「ガランス」20号)と自分史『セーフティ・ファースト』(梓書院)
木村久昭「震災日記(その二)」(「青森文学」81)
吉田達男「「物語の回復」-小林秀雄『本居宣長の世界』」(「静岡近代文学」27)
大原正義「雲、流れる」(「日曜作家」創刊号」)、和田伸一郎「ふりむいてときに笑顔だったらいいよね」(「クレーン」34号)、難場勇人「文学・おしり・かじり虫」(「仙台文学」81号)、北一郎「文芸の友と生活」(「グループ桂」67号)、山田梨花「揺れながら」(「とぽす」53号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年4月 4日 (木)

災害文学という新ジャンルに挑戦する穂高健一

 「戦争文学があるなら災害文学があってもいいのではないか」というのは、~小説3.11「海は憎まず」を刊行した作家・穂高健一氏である。≪参照:災害文学に市民権を~小説3・11「海は憎まず」を穂高健一氏が刊行
 穂高氏は、日本は災害列島である。「災害報道」と「災害文学」は両輪の輪である。ひとたび災害が起きれば、災害報道の写真や記事だけでなく、プロ作家、アマ(同人誌、学校文芸誌など)で、誰もが被災後の人々を描き、あらゆる角度、それぞれの立場で書き残す。こうした「災害文学」の機運を作りたいとしている。
 東日本大震災から2年。震災と原発事故に関する本の出版が相次いでいる。メディアで話題になっている災害文学には次のようなものもある。
 いとうせいこう「想像ラジオ」(「文藝」/杉山隆男『兵士は起(た)つ』(新潮社)/大西暢夫『津波の夜に』(小学館)/船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文芸春秋)/塩谷喜雄『「原発事故報告書」の真実とウソ』(文春新書)/森まゆみ『震災日録』(岩波新書)/山川徹『それでも彼女は生きていく』(双葉社)/石村博子『3・11 行方不明』(角川書店)/大鹿靖明『メルトダウン』(講談社文庫)。
 

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2013年4月 2日 (火)

文芸時評3月(毎日新聞3月28日)田中和生氏

安岡章太郎の死 私小説的な作品のあり方。
≪対象作品≫
 安岡章太郎追悼記事・坂上弘と湯川豊・対談「流離する『私』の文学(文学界)/同リービ英雄追悼文「対話の記憶」(群像)/佐伯一麦「還れぬ家」(新潮社)/山田詠美「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」(幻冬舎)/佐川光晴「おれたちの約束」(すばる)。
          ☆
 前文で、安岡章太郎は「第三の新人」という文学史上の潮流におさまる作家像ではなく、歴史小説において小林秀雄から高く評価され、文章は大江健三郎から信頼を受け、作品では村上春樹から親近感を抱かせている――とし、近代文学史上の重要な作家として読み直しが必要な作家と解説。

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2013年4月 1日 (月)

憂楽帳:同人誌(毎日新聞3月22日)と最近の同人誌の現実

 新聞社に送られる同人誌のことが出ていた。古い記事かと思っていたら、2013年の3月の記事で最近のものであった。
 先日、同人誌即売会「文学フリマ」の参加者と話をしたが、そこの東京流通センターでの参加者は680店で、今月大阪でやる「文学フリマ」は、300店が出店するそうである。そのうち80店は東京から大阪に出店にゆく同人誌グループだそうである。同人誌は若者の方がアクティブで多いのだ。そして作った本の合評会などは、あまりしないと言っていた。要するにフリーマーケットで売れたか売れないかが、基準で、「売れたのだからこれは面白いのであろうと」判断するらしい。
 それでも「どうも同人雑誌のひとは保守的でおとなしいですね。いけいけどんどん、という勢いが少ないな。」と嘆いていた。わたしは「憂楽帳」の最初を読んで、10年前の記事が残っているのか、と貴重な資料をみつけたと思ったものだ。
憂楽帳:同人誌(毎日新聞3月22日) 「九州文学」「詩と真実」「季刊午前」……。新聞社にはかなりの数の小説同人誌が届けられる。同人誌とは、小説を志す仲間が集い、作品を批評しあって切磋琢磨(せっさたくま)する。その作品発表の舞台となる雑誌のことだ。掲載費用は自己負担。自腹を切って書くのだ。
 大正・昭和は小説の全盛期であり、同人誌の隆盛期だった。現在、芥川賞にノミネートされるのは新潮社など五つの出版社の文芸誌に発表された短編がほとんどだが、以前は同人誌からよく候補になった。北九州市出身の火野葦平の芥川賞受賞作「糞尿譚」も久留米の同人誌に載った作品である。
 読んでくれる人が身近にいる環境は貴重だ。しかし、現在、同人誌に参加する若者は少ない。切磋琢磨よりも新人賞でデビューした方が早いというわけだ。同人誌の高齢化は進む一方である。そんな折、75歳の黒田夏子さんの芥川賞受賞は朗報となった。「よし、書いたろうぜ、同人諸兄!」と勇み立つ雑誌も出てきた。
 黒田さんにも同人誌経験がある。読んでくれる人は常に身近にいた。文芸は孤独に見えるがいつも人に支えられている。【米本浩二】

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