プロレタリア文学世代は何処に向かうか
文芸同志会が発足してから13年になるのだろうか。当初は「文芸研究月報」という月刊会員制情報紙を発行していた。同人制の文芸情報紙であった。会員が少ないうちは、ぼちぼちとやっていれば良かった。会合はなく、文学フリマで顔を合わせるくらい。月報の印刷を頼んでいたところから、そこの編集担当をしたり、原稿頼まれたりしているうちに、月報の発送作業が煩雑になった。そこで月報をやめた。読者会員がいなくなった。そのかわりにネット情報にしたが、ネット公開でも会員になって読むという人もいた。が、活動は停滞していた。ただ、主宰者の伊藤は、紙媒体で12年間フリーライターをしてきた。
外狩雅巳氏が文芸同志会に参加してから、「詩人回廊」の活動の活性化している。到着同人誌が増えている。事務所帰りのかばんが重い。外狩氏参加効果としか思えない。それだけ、同人誌層にはアクション不足があったということになる。ただ、当会の文芸同人誌の世界というのは文学フリマを中心としたフリーマーケット層全体のことである。4月28日の「超文学フリマ」では、販売数にこだわる。それが作品の評価である。合評会はあまりしない。「超文学フリマ」の参加者の中には、いくら動員が多くても買ってくれなきゃ仕方がない。予想はしていたが、結果は良くなかった」という人が、かなりいた。
「詩人回廊・外狩雅巳の庭」を読むと文学好きで、プロレタリアート的な社会の底辺を這う境遇の類似性に驚く。自分も工場労働者をしたし、十九歳の時に工場の組合結成に参加したが、成年でないので活動員はならなかったことがある。
自己流で、萩原朔太郎に傾倒していた自分は、共産党宣言を読んだ時、これを社会の歴史をブルジョワジーが作ってきたことを示す「壮大な叙事詩」として感受していた。
私はマルクス経済学を通じて革命研究に専念した。革命家ではなく革命研究という学問である。当時にの法政大学には、大学は学問の道筋を学ぶところで、あとは自主的に研究すべきという路線があり、それぞれ独自に研究テーマを行っていたのである。デモに参加しないと、迫害された経験をもつ。歴史をも理論も知らないで、よく行動できるとあきれてた。日当が出るので行くというのは、理解できた。
私から見ると外狩雅巳氏は政治活動としての所得分配の世界の体験者である。文芸におけるそれぞれの体験の交流を通して、行くべき道をさぐって行きたい。
■関連情報
文芸同志会運営Newes「暮らしのノートPJ・ITO文芸」
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