憂楽帳:同人誌(毎日新聞3月22日)と最近の同人誌の現実
新聞社に送られる同人誌のことが出ていた。古い記事かと思っていたら、2013年の3月の記事で最近のものであった。
先日、同人誌即売会「文学フリマ」の参加者と話をしたが、そこの東京流通センターでの参加者は680店で、今月大阪でやる「文学フリマ」は、300店が出店するそうである。そのうち80店は東京から大阪に出店にゆく同人誌グループだそうである。同人誌は若者の方がアクティブで多いのだ。そして作った本の合評会などは、あまりしないと言っていた。要するにフリーマーケットで売れたか売れないかが、基準で、「売れたのだからこれは面白いのであろうと」判断するらしい。
それでも「どうも同人雑誌のひとは保守的でおとなしいですね。いけいけどんどん、という勢いが少ないな。」と嘆いていた。わたしは「憂楽帳」の最初を読んで、10年前の記事が残っているのか、と貴重な資料をみつけたと思ったものだ。
憂楽帳:同人誌(毎日新聞3月22日) 「九州文学」「詩と真実」「季刊午前」……。新聞社にはかなりの数の小説同人誌が届けられる。同人誌とは、小説を志す仲間が集い、作品を批評しあって切磋琢磨(せっさたくま)する。その作品発表の舞台となる雑誌のことだ。掲載費用は自己負担。自腹を切って書くのだ。
大正・昭和は小説の全盛期であり、同人誌の隆盛期だった。現在、芥川賞にノミネートされるのは新潮社など五つの出版社の文芸誌に発表された短編がほとんどだが、以前は同人誌からよく候補になった。北九州市出身の火野葦平の芥川賞受賞作「糞尿譚」も久留米の同人誌に載った作品である。
読んでくれる人が身近にいる環境は貴重だ。しかし、現在、同人誌に参加する若者は少ない。切磋琢磨よりも新人賞でデビューした方が早いというわけだ。同人誌の高齢化は進む一方である。そんな折、75歳の黒田夏子さんの芥川賞受賞は朗報となった。「よし、書いたろうぜ、同人諸兄!」と勇み立つ雑誌も出てきた。
黒田さんにも同人誌経験がある。読んでくれる人は常に身近にいた。文芸は孤独に見えるがいつも人に支えられている。【米本浩二】
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コメント
同人誌は書く人は多いが読む人は少ないもの。
「まず読み手になれ」です。
地方でも書き手はいるが読み手は少ない。私は若い作家に次のように言っている。
「自分の作品読んでもらいたかったら、まず相手の作品を読むことだ。その上での読んで欲しいということ」
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月 2日 (火) 10時43分