文芸時評4月(産経新聞) 早稲田大学教授・石原千秋氏
「プロセスを小説にする」≪対象作品≫藤野可織「爪と目」(新潮)ほか。
そんな中で「コンピューター科学者、認知科学者」と紹介されるマービン・ミンスキーが、小説などつまらないと言っている。「たいていの小説は、まず人々の問題があり、彼らが陥った難しい状況というものがあって、それをどうやって解決するか、うまく解決できてハッピーエンドになるか、そうでなければ、うまくいかなくて罰を受けたり死んだりするか。一〇〇冊小説を読んだら、みんな同じなんですね」と。
さすが「認知科学者」だけあってパターン化するのがお好きだ。文体など関係ないのならなるほど面白くはないだろうといった感想を持つかもしれないが、これはすでに文学理論でも言われていることなのだ。フランスの記号学者ツヴェタン・トドロフが、物語とは「安定-不安定-安定」というパターン(型)を繰り返すものだという意味のことを言っている。だから、小説家は物語の型を裏切ろうとして、さまざまなことを試みるのである。
蓮實重彦がフローベール『ボヴァリー夫人』を例に、小説を読むことは現実を参照することではなく、現実を無視したかのようにして構築された「テクスト的な現実」を引き受けることだと論じている(「『かのように』のフィクション概念に関する批判的な考察」文学界)。藤野可織は「三歳の女の子」が語っているかのように思い込ませる「テクスト的な現実」を構築するプロセスそのものを小説にしたのである。それは美しいとさえ言える。「あなた」をさらに揺さぶって、多和田葉子の一歩先へという野心が頼もしい。
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