« 【文芸月評】(3月5日・読売新聞)生の「臭さ」引き受ける | トップページ | 同人誌「小説と詩と評論」332号(東京) »

2013年3月11日 (月)

詩の紹介 「聖なる丘」上野菊江

聖なる丘 作者・上野菊江

はじめも おわりもない/ノッペラボーの「時」が流れ流れて/その尖端に突き刺された星のような/聖なる丘が揺れている
「時」がどってぱらのまんなかを/激しく突きあげてくるので/聖なる丘は憂欝です
ことさら憂欝な金曜日/アザーンに促され集まる礼拝の群れ/午後は ピア・ドロローサ 聖なるみちゆき/暮れれば聖夜 シャバット/嘆きの壁にささげる聖地の祈り など
悔しいけれど これ みんな/永遠 無限のノッペラボーよ/存在するとも しないとも 決め手がない
“神は死せり”  どっかで聞いた言葉だけれど/――そんな/金輪際 神は死にはしないのです
神の命の値段知ってる?/――だから買収されたのです
神は ほのかな影だけをのこし/売られて消えて行ったのでした/それにしても だれが仲介したのかしら・・・・・
(幻竜 第17号により 2013年3月 川口市 幻竜舎)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
「神は死にはしないが売られて消えて行ったのでした」イエスは裏切られ売られ、死に堕ちての復活のイメ-ジを資本主義の儲け主義に対比させています。祈りと嘆きは、目鼻のない永遠無限のノッペラボーよという。ニーチェの「神は死んだ」という言葉にも、消えて行った神の存在は否めないのだと示唆します。九十三歳になる作者のますます力強い作品です。


|

« 【文芸月評】(3月5日・読売新聞)生の「臭さ」引き受ける | トップページ | 同人誌「小説と詩と評論」332号(東京) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 【文芸月評】(3月5日・読売新聞)生の「臭さ」引き受ける | トップページ | 同人誌「小説と詩と評論」332号(東京) »