同人誌の組織団体性と作品の向上は対立条件か(1)
外狩さんの地域での市民文芸の振興の努力は、文芸を通して地域社会の文化性を高め貢献することに通じるものがある。その町で書店が栄えることは、町の文化性を示していた。さらに古書店があることは、もっと文化的であるとされたものである。根保さんによる北海道内地域の文芸性について言及も、同様の問題があるようだ。現在は、ネットの発展でその意義も変化してきていることであろう。
そのなかで、同人誌の発展の目安というか、メルクマールには、組織拡大という側面と、雑誌の内容の文学的、質的な向上の2面性がある。
同人誌活動は組織の面で見ると、閉鎖性を強める。会員を囲い込み離脱者防ぐという性質をもつ。しかし、質的な向上に視点を置くと、地域社会の外に出ないと優れた文章技術をもつ人や、高度な文学論議をする相手に出会う機会がない。そのためにいろいろな同人雑誌を渡り歩くようなことにもなる場合もある。組織会員の立場と、創作者個人として立場の狭間で、自分がなにを目指すか、渾然としてくるのではないだろうか。
わたしの場合は、二つの対象的な同人誌に参加している。ひとつは自己表現の場としての同人誌「砂」と、文学的な価値を重視する作家・伊藤桂一氏に指導を受ける「グループ桂」である。
| 固定リンク
コメント
文学活動と社会教育活動の接点は・・
伊藤さんは外狩さんの立場と私の立場を対立軸に受け取っておられるかに見えるのですが、それは誤解、または表層解釈でありましょう。
外狩さんも私も互いに文学活動と社会活動の違いと重複を理解した上での話であることです。
片や交流や振興を進め、片や自分の文学的足場を確保するという立場は伊藤さん同様外狩さんも私も同じでしょう。
その上での状況確認の細部の話であって、互いに対立軸をわけて論議しているわけではないのです。
「文芸思潮」「季刊文科」なども同人雑誌振興と作家の発表の場の両極を紙面に反映させているやりかたは当然のことでしょう。
私に言わせると、文学振興をことさら旗印にすることはないと思います。雑誌を少しでも売る目的なら振興策もいいでしょうが、そもそも文学は個の領域の問題であって、「民主文学」のように同じ方向を目指す文学運動ならともかく、巷の文学愛好者の層を厚くする運動など、社会運動ならともかく、そんなことをやるくらいなら良い作品でも書けといいたいところです。
ですがそういい切ったなら身も蓋もない話になるので互いにあえて言わないだけでしょう。
最低「互いの作品を読む」ことが必要なことで、時間をとられる底辺拡大運動は社会教育、生涯教育の範疇の話であって、文学の現場の話とはまた別問題になりましょう。ですが、地域社会に根ざして生きている限り、ご近所つきあいは大切である、という程度のことはあるわけで、それは外狩さんも先刻承知の上での論議でしょう。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月20日 (水) 03時45分