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2013年3月30日 (土)

同人誌の組織団体性と作品の向上は対立条件か(4)

 文芸同人誌といえども、時代の産物であるから取り巻く状況の変化がある。戦後の敗戦から所得倍増計画が実施された1960年以降同人会「Kの会」は、癒しの同人誌であったにも関わらず、妙に清澄な文を書く女性もいて、純文学新人賞をとった人、婦人公論賞をとったりする人が出た。くだらない作品ばかりの中にでも、表現力がある人が出ると、そうなる。そこで、癒し派と作家志望派が内部にできた。その時に、後に「響」という会社を経営する川合氏が作家志望派で参加していた。彼が私に伊藤桂一教室の生徒になることを勧めてくれた。縁ができたのである。彼が亡くなったので、その間の事情を回顧録「文芸の友と生活」として、同人誌「グループ桂」に書いている。その筆名が北一郎なのは、グループ桂の指導者である伊藤桂一氏と当方の本名が一字違いなので、まぎらわしいためである。
 当時、私は癒し派であった。そのながに、生活の苦しいにKの会で元気をもらっていた事業家がいた。ずうっと後になって電車で声をかけられた。「きみKの会のあのときの…だろう」といわれてみれば、たしかに、私の短編を褒めて注目してくれた数少ないひとの一人だった。「いや、あれから偶然に映画撮影用の道具を頼まれて作ったら、ハリウッドの映画製作者が、これを欲しいというので、アメリカで大ヒットさ。子供たちは全員アメリカ留学させている。恩返したいけど、主宰者の先生は?」「いや、もう引退して手を引いているんです」というと、残念がって私に御馳走と酒を奢ってくれた。これこそ、Kの会の先生が望んでいたことなのだろうと思ったものだ。物をかくことで、気分転換になり、生活への元気づけになれば、それでいいのである。
 それがなまじ作家の真似をしようとか、作家になろとか大それた目標を持つから、一般人の関心と異なるので、人々の共感を得にくくなる。作家登竜門を狙う同人誌は、そういう人が自分一人では同人誌を出すと資金が大変なので、同じ仲間を集めて出しやすくする。それだけのことである。最近、多摩川の河原を意識的に散歩しているが、そこでトランペットの練習をしている人がいる。孤独な修練をしているのだ。通りがかりの私はそれ足を止めて聴くことはない。でも、本当に心を打たれるようであれば、足を止めて聴こうとするであろう。足を止めないのはそれなりのことであるからだ。

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西日本文学展望「西日本新聞」2013年03月29日(金)朝刊・長野秀樹氏

題「二つのメルヘン」
曽原紀子さん「ひとさし指にセロリの匂い」(「しゃりんばい」35号、宮崎市)、同氏作「声のゆくえ」が第43回九州芸術祭文学賞佳作として「文学界」4月号掲載。
上原輪さん「夜の足型」(「照葉樹」2期3号、福岡市)、同誌より水木怜さん「エブリホームの女たち」
第7期「九州文学」21号(福岡県中間市)より吉岡紋さん「雪蛍」・由比和子さん「出立」・笠置英昭さん「秋月の朝霧」・小川龍二さん「伝・九州相良妖猫始末」・野見山悠紀彦さん「柳雪暗闇草子 残日の抄」
「季刊午前」48号(福岡市)より西田宣子さん「いつもの賀茂駅で」・中川由記子さん「飛ぶ顔」・よしのあざ丸さん「境界」
「から末」32号(福岡県春日市)より渡部正治さん「どくとるマンボウからの手紙」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年3月29日 (金)

文芸時評3月(東京新聞3月28日)沼野充義氏

藤野可織「爪と目」女児語り手にした意欲作
林京子「再びルイへ。」実人生が語る核の悲惨
≪対象作品≫批評・佐々木敦「新しい小説のために」(群像)/新鋭9人短編集・滝口悠生「かまち」(群像)/小山田浩子「うらぎゅう」(同)/片瀬チヲル「コメコビト」(同)/岡本学「高田山は、勝った」(同)/今村有紀「バスチオン公園の馬鹿たち」(同)/澤西祐典「砂糖で満ちてゆく」(同)/藤野可織「爪と目」(新潮)/林京子「再びルイへ。」(群像)/キルメン・ウリベ「沖縄の洞窟」(金子奈美訳)。

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2013年3月28日 (木)

「全国同人雑誌評」全国同人雑誌振興会/東谷貞夫氏

(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)
「文芸思潮」ウェーブ第50号(2013春)2013年3月25日発行を戴きました。感謝を込めて評を書き込みます。
「全国同人雑誌評」全国同人雑誌振興会/東谷貞夫
●『長崎文学』71号(長崎県)より「黄金蝶事件」(江口宣)●『飛行船』12号(徳島県)より「なんまいだ心中」(佐滝幻太)、「水羊羹と青い風」(竹内菊世)●『あるかいど』48号(大阪府)より「一対」(小畠千佳)●『野火』29号(兵庫県)より「緑陰の人」(水嶋元)●『きなり』75号(愛知県)より「石蕗(つわぶき)」(石川好子)、「暗渠 XIX」(近藤重郎)●『創』7号(愛知県)より「曲がりの角の先」(朝岡明美)●『R&W』13号(愛知県)より「迷羊(ストレイシープ)」(渡辺勝彦)●『周炎』50号(福岡県)より「想像力の行く手は阻めない」(川村道行)●『じゅん文学』74号(愛知県)より「脱皮する虫」(堀田明日香)、「土下座-町人清吉の村奉公(一)」(大倉克己)●『弦』92号(愛知県)より「嫁が島伝説」(白井康)●『雪嶺文学』48号(石川県)より「青い狐」(吉村まど)、「武州染井板橋界隈 噺し家棒八捕り物ばなし」(劍秀一郎)●『風土』12号(高知県)より「やまあいの風」(宮地たえこ)●『出現』5号(長野県)より「寄る辺」(内村和)●『小説家』137号(千葉県)より「泡沫のキリスト」(関谷雄孝)●『槙』35号(千葉県)より「ここはジパング-第一章 天正少年使節」(岸本静江)●『個性』38号(神奈川県)より「六区のお浪」(柳修二)●『溯行』130号(長野県)より「もうひとつの松代-大本営地下壕をめぐって-」(里村りえ子)、「大島博光記念館とフランス」(滝澤忠義)●『澪』創刊号(神奈川県)より「暗渠」(大城定)●『湧水』53号(東京都)より「白線流し」(飛田一歩)、「あまんじゃく」(亜木康子)●『文芸復興」25・26号(東京都)より「五十年」(丸山修身)、「冬のシリウス」(多門昭)、「山妖記」(森下征二)、「菅原道真と美作菅家-我が幻の祖先たち(一)」(堀江朋子)●『季刊遠近』48号(東京都)より「絆」(島有子)●『銀座線』18号(東京都)より「いつか晴れた日に」(石原恵子)、「エコー」(矢口樹)●『仙台文学』81号(宮城県)より「谷」(笠原千衣)
今季の推薦作品
●推薦作
「黄金蝶事件」(江口宣/「長崎文学71号)
「やまあいの風」(宮地たえこ/「風土」12号)
「泡沫のキリスト」(関谷雄孝/「小説家」137号)
「山妖記」(森下征二/「文芸復興」26号)
「谷」(笠原千衣/「仙台文学」81号)
●準推薦作
「想像力の行く手は阻めない」(川村道行/「周炎」50号)
「なんまいだ心中」(佐滝幻太/「飛行船」12号)
「一対」(小畠千佳/「あるかいど」48号)
「迷羊(ストレイシープ)」(渡辺勝彦/「R&W」13号)
「脱皮する虫」(堀田明日香/「じゅん文学」74号)
「冬のシリウス」(多門昭/「文芸復興25号)
「エコー」(矢口樹/「銀座線」18号)

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2013年3月27日 (水)

【エンタメ小説】3月評(読売新聞3月25日)

江戸川乱歩賞を巡っては昨年の江戸川乱歩賞を巡っては議論もあった。SFで実績のあるベテラン、高野史緒(ふみお)さんが、ステップアップを狙っての応募で、ミステリーの登竜門的新人賞をさらってしまったからだ。
≪対象作品≫高野史緒『カラマーゾフの妹』に続く新刊『ヴェネツィアの恋人』(河出書房新社)/小説すばる新人賞は、応募1400を超す最難関級の新人賞。最新の受賞作の一つ、行成(ゆきなり)薫『名も無き世界のエンドロール』(集英社)も読ませる/窪美澄『アニバーサリー』(新潮社、22日発売)は、母性の混迷を考えさせる/真保裕一『ローカル線で行こう!』(講談社)は、廃線の危機にある赤字鉄道の再建ストーリー。新社長に選ばれたのは、経営は素人ながら、新幹線の車内販売員として抜群の売り上げを残した31歳の女性だった。地場産業が廃れ、人口が減り、街が寂れる地方都市の負のスパイラルは、今の日本の縮図である。では、どうすれば元気を取り戻せるか。答えは、恋もミステリーも満載の、この小説の中にある。(文化部 佐藤憲一)

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2013年3月26日 (火)

同人誌時評(図書新聞・3月30日号)」志村有弘氏

関東文芸同人誌交流会の掲示板」より。
●●「同人誌時評」志村有弘(図書新聞・3月30日号) 投稿者:東谷貞夫 投稿日:2013年 3月23日(土)
取り上げられた作品。
 小説
 ●周防凜太郎「蕎麦打ち侍」(ガランス20号)
 ●本興寺更「峠越え」(文芸中部92号)
 ●登芳久「余斎乞食が来るぞ」(空とぶ鯨13号)
 ●佐多玲「未だ、時来たらず――藤井右門伝」(渤海65号)
 ●森下征二「山妖記」(文芸復興26号)
 ●伊達次郎「花のあとさき」(風姿7号)
 ●菅野敏光「生霊」(季刊作家79号)
 短歌
 ●片柳之保(荒拷39号)
 ●黒住嘉輝(塔697号)
 ●渡利杏(さつき3号)
 エッセイ
 ●村川良子「二風谷の秋」(法螺67号)
 ●島尾伸三「島尾敏雄と写真」
  岩谷征捷「島尾敏雄と少女」
  若松丈太郎「島尾敏雄と<いなか>」 (Myaku15号)
 ●花野うたい「考察 柳原白蓮事件」(層117号)
 ●中西洋子「焼跡に芽ぶく木のあり――柳原白蓮の後半生と歌の展開(十)」(相聞48号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


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2013年3月25日 (月)

同人誌の組織団体性と作品の向上は対立条件か(3)

同人誌の話として、よそのことはよく知りませんので、(そのために同人誌作品紹介を作って片手間に状況を把握していたわけです)自分の体験からの事例にします。
 Kの会の同人誌は、書き手の表現をお互いに理解し、共感し合えれば良い。気持ちが伝わるように書いてあれば、会員の多くの人に理解されるので、優れているという評価になります。つまり癒しとしての表現の場で簡潔していたわけです。そこで伝達力のある文章がよい文章ということになります。人生の過程での癒しですね。
 対象的なのが「グループ桂」です。ここは講談社の小説教室でしたので、純文学で文壇に出ることを最初からめざしています。これはかつて雑誌「文学界」で実施していたような、「同人誌評」にも共通する作家志望者のためのグループです。「グループ桂」は伊藤桂一氏に指導を受けるために提出された作品を印刷・製本したもので、したがって基本は教材テキストであり、未発表作品となるわけです。自分が過去に「グループ桂」に掲載し、同人仲間から悪評をされた作品を市販の雑誌社に売り込んだのも、こうした未発表作品としての持ちこみでした。それが採用されたり、たまたま雑誌の常連の作家が作品を出さず、穴があいたので、書いてみないかと言われて、1週間で40枚ほどを書いたのもあります。たいして努力はしませんでした。ただし、以降の作品については、いろいろ商業誌志向の努力するように言われたものです。
 偶然、わたしは方向性が極端にちがう、同人誌に所属していることになるのでしょう。ただ多くの同人雑誌は、この二つの性格を曖昧な形でかかえているようです。
 できれば、組織を拡大維持しながら、作品の質を高めようというのです。同人誌「砂」は、癒しが主ですから、くだらない作品が多いです。
 かつては、それでも「わかる、わかる。こういうくだらないのを書きたくなるのはわかりますよ」といえば、「そうでしょう。そうなんですよ」となり、万々歳なのです。「こんなくだらないことを長々と書ける人はいないよ。まさに紙のむだだよ。普通じゃできない。なかなかできない。偉いねえ」「そうなんですよ。大変だったんです。わかるでしょう」と盛りあがったものです。
それなりに意義があったのですが、最近は書いて癒しにする層は若いひとたちで、年寄りは旅行や別のサークル活動でそれを満たすらしく同人は減っています。
 

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2013年3月23日 (土)

凋落傾向続く文芸書=日販2012年度調査

 日販の「分類別売上げ調査2012」(1月~12月)の分類別売上調査の年間集計によると、全体の平均売上げは前年比5.0%減で、8年連続のマイナス成長。とくに、「文芸書」は同16.5%減、「書籍コミック」は同9.9%減と落ち込み幅が大きかった。
 「雑誌」全体は同4.4%減。ジャンル別でも「一般誌」(同5.8%減)、「コミック」(同2.7%減)、「ムック」(同3.9%減)と軒並みマイナスに。「書籍」全体は同5.6%減で、全ジャンルで前年割れとなった。月別では、同7%減の7月が、「規模・立地別」では同6.9%減の「商店街」の落ち込みが最大だった。

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2013年3月22日 (金)

同人誌の組織団体性と作品の向上は対立条件か(2)

 文芸を通じて、地域文化の向上を図ろうとする活動は、日本の文化的な特長を示す現象で私は重要視しています。根保さんのように「ご近所つきあいは大切である、という程度のことはあるわけで…」という「程度の意識」では、市民文芸家を正しく評価をしていないと思います。
 地域の文化人、郷土史家の地域的な存在性の尊厳を傷つけるのではないでしょうか。『北越雪譜』(鈴木牧之)の背後には、何十万句を作り続けた表現者の存在があります。ほとんど無名人です。そして地域の文化人、文人です。歴史にうずもれることを自覚して、なお生き生きと生きる。これこそ日本人の原点、精神だと思います。
 話がそれました。-私の所属している「砂」という同人誌は、その前のK(現在、同名の同人誌が存在するのですが、関係のない偶然の産物ですので、実名はさけます)という文芸の会があって、300人ほどの全国会員がいました。主宰者は女性作家で、主旨は、「人間は人生のひと節ごとに、心に穴があくので、その空虚さはその気持ちを書いて表現することで、癒される」というようなニヒリズムからの脱却の手段でした。やがて、時代の空気が変わり、主宰者が意義を失い。その会を解散しました。日本の庶民の変化に愛想をつかした気配がありました。そのあと、、その会員たちが指導者をもたず会員合議制運営の「砂」をつくりました。私はKの会時代の教えをつなぎたいと、時代が変わっても「砂」に参加しています。

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2013年3月21日 (木)

関東同人誌交流会の会合に出席する

 3月20日の「関東同人誌交流会」に同人誌「砂」の同人として出席してきました。五十嵐勉氏、東谷貞夫氏が選んでおいた、同人誌掲載作品、4作品の合評会が主で、それらの意見を参考に雑誌「文芸思潮」の「まほろば賞」候補に推薦するそうです。時間的な余裕ができたので、こういうような会合にも出られるようになった。こうしたところでは、どういう視点で同人誌の作品を読むのかという点で参考になったと同時に、作品の完成度を見るのか、今後の将来性をみるのか、疑問をもったところもある。

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2013年3月20日 (水)

同人誌「孤帆」(こはん)vol.19

【「ネコババア」奥端秀彰】
 少ない年金生活でアパート住まいの高齢者、美津子は猫に餌をやっている。同じアパートに3年前から住んでいる30代の男が近所迷惑と文句をいう。美津子は男が気にいらず復讐心や殺意まで抱く。美津子の社会的な存在である男への悪意がやがて自分に向かい、それが刃物三昧にまで発展する。
 老婆も男もなんとなく、世間での存在意義を失った人間のように描く。それは現代という時代の気配でもある。宙ぶらりんで、誰もが自己存在の定位置が見えない時代の空気を切り取った短編のようだ。
【「道行く」淘山竜子】
 高之という喫茶店経営者のやりくりを通して世相の一面を描くーーというように読める。商売の大変さというか、商売に向き不向きの人柄の様子が、仕事ぶりが細かく描かれているので、それなりに現代商店の事情が読み取れる。小説としては、風俗小説的な側面が強いが、心理的な説明とストーリーを結びつける構造づくりが複雑なのか手薄なのか、小説の登場人物のイメージよりも、作者自身の倦怠感や閉そく感が随所ににじみ出ている感じだと、思った。

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2013年3月19日 (火)

同人誌の組織団体性と作品の向上は対立条件か(1)

 外狩さんの地域での市民文芸の振興の努力は、文芸を通して地域社会の文化性を高め貢献することに通じるものがある。その町で書店が栄えることは、町の文化性を示していた。さらに古書店があることは、もっと文化的であるとされたものである。根保さんによる北海道内地域の文芸性について言及も、同様の問題があるようだ。現在は、ネットの発展でその意義も変化してきていることであろう。
 そのなかで、同人誌の発展の目安というか、メルクマールには、組織拡大という側面と、雑誌の内容の文学的、質的な向上の2面性がある。
 同人誌活動は組織の面で見ると、閉鎖性を強める。会員を囲い込み離脱者防ぐという性質をもつ。しかし、質的な向上に視点を置くと、地域社会の外に出ないと優れた文章技術をもつ人や、高度な文学論議をする相手に出会う機会がない。そのためにいろいろな同人雑誌を渡り歩くようなことにもなる場合もある。組織会員の立場と、創作者個人として立場の狭間で、自分がなにを目指すか、渾然としてくるのではないだろうか。
 わたしの場合は、二つの対象的な同人誌に参加している。ひとつは自己表現の場としての同人誌「砂」と、文学的な価値を重視する作家・伊藤桂一氏に指導を受ける「グループ桂」である。

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2013年3月18日 (月)

詩の紹介 「カザグルマ」山崎夏代

カザグルマ  山崎夏代

回る 回っている 虹色の雲/くるくると 回っている 誇らしげに華やかに
/ 風と一心同体です/ 風を助け 風を起こしてもいるのです/ この風の渦が遠くに走り/ 嵐になっているかもしれない
いいえ ほんとうは 回されているのです 風に/風の一部だなんて 妄想です/風が止まれば 安物のプラステック/ピンクとブルーの飛べない翼は/ごみと埃に傷ついて/みじめったらしく 沈黙するのです/どこかが嵐であったとしても それは お前とかかわれないこと

(季刊 詩の現代 4号第二次により 2013年3月-群馬県富岡市 詩の現代の会Ⅱ)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
カザクルマの妄想というか「私」の儚い夢というか。見えない風の存在を際立たせています。
神社や寺の水子供養に飾られてある列の風車を思い起こされる。人としての人生が始まろうとして無残にも絶えられた水子、せめて人間世界の子供の玩具
に託して、たまに風とともにお墓に叩いて、風の行方と人生を偲ぶのでしょうか。

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2013年3月17日 (日)

著者メッセージ: 森村誠一さん 『人生の究極』

 エッセイ集『人生の究極』は、作家としてゴールなき永遠の途上にある私の究極の理念(ビジョン)でもある。作家にはゴールはない。創作という卵巣に蓄えた卵を作品として、卵巣が空になるまで産みつづけていく。前に産んだ卵を、次の卵は超えなければならない。
 作家に定年はない。生命ある限り、創作しつづけるのが作家の本来であるが、それに前作を超えなければならないという宿命を背負っている。
 加齢と共に作品が衰えたとしても、少なくとも前作に劣らぬ作品を産みたいという姿勢を保ちたい。
 定年は組織の制度の都合上考案された人生の区切り点であり、本人の意思によるものではない。年齢と共に知識や技術が蓄えられ、社会に十分貢献する能力が残っていても、強制的に区切り点を打つのは、能力の死刑ともいえよう。
 創作芸術は統率された組織や集団に所属することなく、作者の寿命と共に作品を発表できる。寿命は本人にとっても予測できない。
 となると、創作芸術に限らず、定年によって区切り点を打たれても、第二の人生に向かって可能性の限界を追求できる。医師の宣告があっても、的中するとは限らない。人生の未知数は定年の有無に係わりなく、平等にあたえられる。老、若にかかわらず、予測不明の寿命の途上、未知数を追いつづけることが究極である。
 究極のない人生は、単なる生存であり、そこに存在はしていても、存在感はなく、生きているとはいえない。
 このエッセイ集において、人生のさまざまな究極を追い、そして手(またはペン)の及ぶ限りを集めてみた。   (森村誠一)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年3月15日号より)
≪参考:暮らしのノートPJ・ITO 森村誠一講演「人生と小説」

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2013年3月16日 (土)

同人誌「文芸中部」第92号(東海市)

【「うさぎの椅子」西澤しのぶ】
 安アパートで独り暮らしをする井上隆に突然、東日本大震災の被災地から電話があり、姉一家が被災し、おぼろという姪だけが助かり、おぼろが親戚である井上のところに世話になりたいというので、引き受けて欲しいという。この辺から、この話の現実性なさが出ていて幻想小説という印象を与え始める。実際、かなり長い話が続き、書き手にとっても読み手にとっても、いわゆる癒しを主体とした小説形式。
 突然やってきた姪おぼろのために、いままでの自分の部屋を提供し、同じアパートの安い部屋に住む。隆の生活はおぼろの自律のために尽くすことに変る。二部屋分の家賃やおぼろへの生活支援のため、会社で禁じられている夜のアルバイトなどもする。猫や小鳥のペットを与えることで、なんとか幸せになって欲しいと、努力するがおぼろは彼の望まない道に進んでしまう。偶然やエピソードには、唐突さや通俗的な手法もあるが、重苦しく夢のない現実から逃れる時間を過ごす読み物になっている。
【狂言「御深井焼き」三田村博史】
 お宝なんでも鑑定団の影響で骨董ブームが続くが、これをそれを揶揄し、うんちくを楽しむ内容。名古屋弁がこんなに狂言に相性がいいとは、まった気がつかなかった。これを証明する発見的創作。
発行所=477-0032東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。
紹介者「詩人回廊」伊藤昭一。

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2013年3月14日 (木)

市民文芸愛好者の「文芸同人誌」の周辺(4)  外狩雅巳

 文芸評論家の根保様が閲覧精読し何度かコメントをいれてくれました。ありがとうございます。前回のコメントでは苫小牧市や札幌市の同人誌の状況も教えてもらえました。
 北海道は市民文芸の旺盛な処と感じました。良い場所にお住まいで結構な事ですね。
 創刊12年経過の相模文芸の周辺を語りましょう。徹底調査は致しました。延べ百人の会員出入りがありました。
 百人の会員が語るには相模文芸が唯一の市内同人雑誌だとの事です。図書館・公民館・市役所でも調査しました。
 会員は馴染みの喫茶店などに相模文芸を置きまわります。学園都市です。桜美林・青山・国学院等のキャンパスがあります。問い合わせても学園祭を見学しても見つけ出せませんでした。合同合評会等の企画も実現しません。把握していないだけかも知れませんが苫小牧市とは市民文芸の浸透状況は大差がありそうです。
 密やかな個人誌や友人誌があるとは思いますが市民文芸への影響力は少ない事でしょう。詩歌の自費出版者はかなり存在します。
 閉鎖的な結社での短歌活動者達は小説作品主体の相模文芸に連携して来ません。それで12年間の単独活動となっています。
 数年前までは市立図書館が一つしかありませんでした。大混雑でした。現在は市域に三館体制となり便利になりました。
 逆に公民館は二十館以上もある街です。相模野に点在する集落が発展し合併し町制施行し市制施行へと発展した歴史があります。
 地域ごとに公民館中心の市民文化を育ててきた歴史です。その文化の中で小説主体の文芸同人誌が生まれなかったのです。
 現在の相模文芸月例合評会が20名以上の盛会なのは市域各地からの参加者から構成されている事実でもわかります。
 掛け値なしの相模原市70万人の市民文学の体現なのです。会員もつわものぞろいであります。
 新日本文学学校の後身・文芸学校の講師がいます。文芸思潮誌で〔文豪の遺言〕を連載された方もいます。市民短歌会会長も居ます。
 男女比率は約半々ですが多くの専門部を女性会員が担っています。会計も編集も女性が多数を占めています。頼もしい限りです。
 盛大な活動から派生した仲良しグループの一つが相談しアンソロジー詩集〔ギフト〕を自費出版しました。
 文学街のネット担当者が見つけて動画化を請け負ってくれました。今月から詩と画像コラボでユーチューブでアップされています。
 独自に学集会・読書会を行う仲良しグループもあります。相模文芸で知り合った市民間の文芸企画は大いに発展中です。
 創作文学の空白地帯だった相模原市で生まれて12年。相模文芸はようやく爛熟期を迎えようとしています。
≪参照:作家・外狩雅巳のひろば

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2013年3月13日 (水)

文藝同人誌「なんじゃもんじゃ」第15号(千葉県)

 低コストで制作できている同人誌だと聞いているが、潤沢な資金で泥くさい同人誌があるなかで、いつも垢ぬけした粋な感じを与える。
【別荘団地自治会長・実記「意地」杵淵賢二】
 先号の15号では、番外編で新興宗教の信者が住民として紛れ込んで、大騒ぎになった顛末で大変面白かった。その後、指名手配中の信者が、自首したラり逮捕されたり、東京城南地区を騒がした。とくに川崎から多摩川を渡って大田区に来て捕まった男などは、かなり堂々と行動していて、見た見たという情報を警察に入れていた人が多かった。懸賞金がかると違うものだ。捕まったのは、それからしばらくしてからである。それをそのまま、小説にしたら、おそらくそんな行動をする犯人なんかいるものか、とリアリティがないとされるであろう。
 今回は会長の立場で総会を開催するが、対立勢力の動きに腹を立て、総会を済ましたあと辞任するというところで最終回。ちょっと説明不足のところがあるが、ドキュメンタリータッチの表現力に才気が感じられる。
【連作・S町コーヒー店(14)「桜の季節は…」坂本順子】
 コーヒーショップのお客の会話を横できくという定番スタイルで、人情話風のコントに仕上げる、。ほとんどプロの手腕である。文芸の芸が光る。桜の季節の詩情を俗世間の噂話を綺麗に並べ、身近なところを素材に見事な散文詩にしている。
【「私のヘルパー日記「君子さん」飯塚温子」】
 こういうのも、ひとそれぞれの晩年があり、人生があるのを実感させられる。
【エッセイ「お客さーん」島 麻吏】
 介護に疲れれて、食事をしたあと支払いをしないで店を出た時の恥ずかしい思い出を語る。お疲れさんです、という気持ちにさせる。
【「長明曼荼羅」小川禾人】
 鴨長明の心境を描く。俗に生き、世捨て人に生きる二面性を表現。小川式長明解釈。
発行所=〒286-0201富里市日吉台5-34-2、小川方。

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2013年3月12日 (火)

同人誌「小説と詩と評論」332号(東京)

【「桜桃」石川友也】
 父親の兄夫婦が亡くなって、その娘の菊江が引き取られてきた。和也より4歳上の小学6年生の従姉である。思春期に入る前の姉弟の楽しい交流が描かれる。そして、菊枝は自分の境遇に押しつぶされそうになり、体調を崩すが、少しばかり臥せっただけで、健気にも、その寂しさから立ち直るまでを和也の視点で描く。素直な筆致で詩情を漂わせて味わいが良い。
【「記憶」大川龍次】
 産みの母親を離縁し、後妻を娶った父親。やがて、私は他人の会社経営者のところに養子の出される。その後の生活の苦労を語る生活記録だが、私小説なのかフィクションなのか人生の一面を大雑把に描く。
発行所=123-0864東京都足立区鹿浜3‐4‐22、(株)のべる企画

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2013年3月11日 (月)

詩の紹介 「聖なる丘」上野菊江

聖なる丘 作者・上野菊江

はじめも おわりもない/ノッペラボーの「時」が流れ流れて/その尖端に突き刺された星のような/聖なる丘が揺れている
「時」がどってぱらのまんなかを/激しく突きあげてくるので/聖なる丘は憂欝です
ことさら憂欝な金曜日/アザーンに促され集まる礼拝の群れ/午後は ピア・ドロローサ 聖なるみちゆき/暮れれば聖夜 シャバット/嘆きの壁にささげる聖地の祈り など
悔しいけれど これ みんな/永遠 無限のノッペラボーよ/存在するとも しないとも 決め手がない
“神は死せり”  どっかで聞いた言葉だけれど/――そんな/金輪際 神は死にはしないのです
神の命の値段知ってる?/――だから買収されたのです
神は ほのかな影だけをのこし/売られて消えて行ったのでした/それにしても だれが仲介したのかしら・・・・・
(幻竜 第17号により 2013年3月 川口市 幻竜舎)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
「神は死にはしないが売られて消えて行ったのでした」イエスは裏切られ売られ、死に堕ちての復活のイメ-ジを資本主義の儲け主義に対比させています。祈りと嘆きは、目鼻のない永遠無限のノッペラボーよという。ニーチェの「神は死んだ」という言葉にも、消えて行った神の存在は否めないのだと示唆します。九十三歳になる作者のますます力強い作品です。


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2013年3月10日 (日)

【文芸月評】(3月5日・読売新聞)生の「臭さ」引き受ける

≪対象作品>青山七恵「快楽」(群像)/絲山秋子「忘れられたワルツ」・「神と増田喜十郎」(新潮)/阿部和重In A Large Room With No Light」(文学界)/綿矢りさ「大地のゲーム」(新潮)/山下澄人さん「歌え、牛に踏まれしもの」(群像)。

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2013年3月 7日 (木)

市民文芸愛好者の「文芸同人誌」の周辺(3)  外狩雅巳

③市民文化向上の一翼を
 行政等も文芸講演会や作文教室、市長賞と文化施策は行っています。税金の使途には注視し、参画して市民文化に寄与する必要があるでしょう。ライトノベル・短歌俳句・絵画・音楽と市民の文化趣味の中での位置付けや意味付けも考えましょう。
 知己の書店・馴染みの喫茶店・公民館の展示室。あらゆる場所に自分たちの作品集を置きましょう。大枚はたいて買ってくれる人もいるものです。文芸同人誌の会に参加して老後を生き生きと過ごしましょう。
 政令指定都市・相模原市の予算は約二千億円です。市民の為に使用して欲しいと思います。
 箱物行政は批判され是正されましたが市民の文化要求への予算配分は僅かです。近年は市民活動への助成もあります。NG0・NPOも盛んになっています。
 助成金制度もあり説明会に出た事もあります。同人会には十万円でも大金です。文芸講演会・学習会なども行政の支援があればと思います。
 支援され作家・沖藤則子氏の文芸講演会を行った事があります。出費も無く成功しました。利用規定が厳しく現金支援は要請していません。文化都市指向が市のスローガンです。文芸が市民の交流と生き甲斐だと行政当局が認識し支援を行ってくれる日を待っています。会員には〔浦和スポーツ文学賞〕に関係した者がいます。町興しの文学賞創設だそうです。同人誌を顕彰する〔富士正晴文学賞〕は四国の三好市が行っています。市民で創る文芸同人会です。市と共にある文化文芸として行動を考えた事もありました。活動が市内全域に周知され市長や行政も注目する会になる日もいつか来る事でしょう。
≪参照:作家・外狩雅巳のひろば

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2013年3月 6日 (水)

文芸時評2月(毎日新聞2月28日)田中和生氏

内容ある作品とは 革命的な「もしもし」よりも。
≪対象作品≫桐野夏生「ハピネス」(光文社)/青山七恵「快楽」(群像)/上村渉「あさぎり」(すばる)。

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2013年3月 5日 (火)

文芸同人誌「澪」MIO創刊号(横浜市)

【評論「ポーの美について(ノート)」柏山隆基】
 (詩の原理、コールリッジの影響、創作技法、詩作から小説へ、等)という副題がある。その通りで、ポーについての生活と作品の関係がよくわかる。小説の巧さと詩的な神秘主義者としか思っていなかったので大変参考になった。「詩の原理」は萩原朔太郎は読んでいたが、ポーに同名の書があるとは知らなかった。こういう理論は、朔太郎の場合、実作作品より良いとは思えなかったが、ポーの場合もそれほど良くないのかも知れないと思った。理論で創作のインスピレーションは明らかに出来ないのではないか、と思っている。
【「暗渠」大城定】
 教員が60歳になって故郷に帰り、知り合いの葬儀に出る。そこで、認知症のような、ホームレスのような老人に世話をすることになる。そこで、年老いた父親の最終的な時間を過ごした記憶がよみがえる。語りの手順に工夫があり、特に新しい手法とは思えないが、何といっても家族の現代の事情と、時代を超えて不変な親族愛が、同時に描かれて感銘を受けた。
【評論・映画監督のペルソナ「川島雄三論」石渡均】
 出版本になるはずだったものが、不運にもできなかった評論だとある。映画にはくわしくないが、著名な監督であったことはわかる。映画監督は、そいうものかと興味深く読んだ。
発行所=〒241-8021横浜市旭区中希望が丘154-3、多田方。
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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2013年3月 4日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」2月28日(木)朝刊/長野秀樹氏

題「創作意欲」
吉田真枝さん「無灯火」(「詩と真実」764号、熊本市)、水木怜さん『短編小説集』(花書院発行、福岡市)
「河床」33号(福岡県広川町)より山本友美さん「ちづこに負けない」・山川真一さん「ばばしゃんと4人の孫」、「みずかがみ」8号(福岡市)、「ひびき」(北九州市)は第6回北九州文学協会文学賞受賞作品集
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2013年3月 3日 (日)

同人誌「日曜作家」創刊号(大阪・茨木市)

 「日曜作家」という同人誌は以前からあるように思ったが、それは個人誌でその方が亡くなったことで、友人たちが同名の同人誌を発行したものとある。
【「優雅なるトマトケチャップ」①甲山羊二】
 1980年代の下宿暮らし大学生のキャンパスでの恋。恋した彼女には先生の彼氏がいた。それでも複雑なのが女子大生の女心。結果的に男心を翻弄する。そのいきさつが超ロマンティックな筆法できれいに描く。スイートメモリーそのもの。これで十分完成度が高いと思われるが、連作だという。
【「小説・編集後記」妻永二】
 なんのことかと思って読んだら、自らが参加している同人誌「北回帰線」についての散文であった。小説はどう書いてもいいというような考えがあるようだから、これも散文小説として面白い。作者は道路・橋梁設計事務所いて建設の専門家であるという。工学理論に詳しいが同人誌に掲載できないのが残念そう。こういうのが面白い。じつは私は、何年前かにタンカーや橋梁の設計に必要な荷重負荷バランスを計測する会社の動向記事を頼まれた。ある社長に取材したら、「あなたもご存じのように、地球上のエネルギーは6分力の方向にあるので、それが建造物にどう働くかがわからないと設計ができません」という。「ええっ、そうなんですか。知りませんよ」と聞いてびっくりしたことがある。
 文中に同人誌に「仕返し合評」があるどうだが、仕返しでもなんでも読んでいるのだから、いいのではないか。
【「雲流れる・連載一回」大原正義】
 山上憶良の遣唐使派遣員の話。貧乏と酒の歌は知っていても、歴史的な存在意義は知らなかったので、解説的歴史小説として楽しめた。
なお、「日曜作家」では、当誌掲載と副賞5万円の「日曜作家賞」を公募している。
発行所=〒567―0064大阪府茨木市上野町21-9、大原方。日曜作家編集部
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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2013年3月 2日 (土)

穂高健一講師の描写解説に関連した話

 文章教室の講師をしている穂高健一氏が「エッセイ教室」で描写の説明をしている。これはエッセイ論なので、もっぱら現実生活のなかの描写についてである。
 日本の場合、これが身近な生活から小説化する散文が多いので、散文小説にもあてはまる。純粋の想像力を駆使した創作でも、実体験で知ってることは簡単に書いて、想像したことは本当らしくするため、微に入り細に入り書く傾向にある。
 そこで、この現象を応用し、これはどこが事実でどこが想像かをクイズにしたのが、『北一郎「ある母親と息子たちに関する逸話」』である。
 ただ描写論も万能ではなく、通俗小説を書く場合によく当てはまる。純文学では、心理や観念のなかの現実性を追求する場合などは、描写はそれほど重要ではない。
 たとえば、芥川賞の「abさんご」などは、経験と記憶のなかで観念となったところのみでのリアリティが表現されている。読んでいるうちに自分の考えで、概念として記憶しているものが、間違っているのかも知れない、という発想のにとらわれ、自分自身の考え方を不安に感じた部分がある。簡単に片づけていたことが、必ずしもそうではないのか、と感じるのは不愉快な思いである。そういう面があるのが純文学でもある。  

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2013年3月 1日 (金)

文芸時評2月(東京新聞2月28日付)沼野充義氏

よしもとばなな「スナックちどり」現代の孤独の形示す
綿矢りさ「大地のゲーム」不穏なビジョンで力量
≪対象作品≫よしもとばなな「スナックちどり」(文学界)/上村渉「あさぎり」(すばる)/綿矢りさ「大地のゲーム」(新潮)/翻訳・ジュノ・ディアス(すばる)/同・ジュディ・パドニッツ(文学界)/テア・ブレヒト、ジョナサン・サフラン・フォア、S・クルジャノフスキィ(新潮)/「21世紀の海外文学を読もうーアメリカ文学編」。

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