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2013年3月22日 (金)

同人誌の組織団体性と作品の向上は対立条件か(2)

 文芸を通じて、地域文化の向上を図ろうとする活動は、日本の文化的な特長を示す現象で私は重要視しています。根保さんのように「ご近所つきあいは大切である、という程度のことはあるわけで…」という「程度の意識」では、市民文芸家を正しく評価をしていないと思います。
 地域の文化人、郷土史家の地域的な存在性の尊厳を傷つけるのではないでしょうか。『北越雪譜』(鈴木牧之)の背後には、何十万句を作り続けた表現者の存在があります。ほとんど無名人です。そして地域の文化人、文人です。歴史にうずもれることを自覚して、なお生き生きと生きる。これこそ日本人の原点、精神だと思います。
 話がそれました。-私の所属している「砂」という同人誌は、その前のK(現在、同名の同人誌が存在するのですが、関係のない偶然の産物ですので、実名はさけます)という文芸の会があって、300人ほどの全国会員がいました。主宰者は女性作家で、主旨は、「人間は人生のひと節ごとに、心に穴があくので、その空虚さはその気持ちを書いて表現することで、癒される」というようなニヒリズムからの脱却の手段でした。やがて、時代の空気が変わり、主宰者が意義を失い。その会を解散しました。日本の庶民の変化に愛想をつかした気配がありました。そのあと、、その会員たちが指導者をもたず会員合議制運営の「砂」をつくりました。私はKの会時代の教えをつなぎたいと、時代が変わっても「砂」に参加しています。

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コメント


   真剣であればすべてが許されるか?

文学が真剣か真剣でないか、それは作品が決めるもので、本人の姿勢がいかに真剣でも、あまり意味がないでしょう。作品の質の問題です。

誰だって相応に真剣なはずです。表現は違っても、です。
「オレは真剣だ。お前はふざけている」という者でも作品が駄目ならそれまでのこと。世間はそれほど甘くないということです。

「おれは真剣に勉強した」と言ったところで受験に失敗したら実も蓋もないでしょう。

文学活動は世間的に見れば、所詮は「遊び」です。
宗教でもなければ浮世離れの哲学でもありません。
真剣か真剣でないかよりも、良い作品か悪い作品かが決め手でしょう。

みな相応に真剣なものですが「お前は真剣でない」ということはナンセンスです。真剣な受験者でも受験に失敗すれば意味のないことです。

真剣であれば許される場は、文学の場にはないはずです。遊びの場と考えてもそれなりに皆真剣です。
所詮遊びであると認めた上で良い作品を生むことがささやかな結実の意味でしょう。そう私は考えますが、価値観は相対的なもので、上下に位つけるものではないはずです。


投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月22日 (金) 16時09分

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