市民文芸愛好者の「文芸同人誌」の周辺(4) 外狩雅巳
文芸評論家の根保様が閲覧精読し何度かコメントをいれてくれました。ありがとうございます。前回のコメントでは苫小牧市や札幌市の同人誌の状況も教えてもらえました。
北海道は市民文芸の旺盛な処と感じました。良い場所にお住まいで結構な事ですね。
創刊12年経過の相模文芸の周辺を語りましょう。徹底調査は致しました。延べ百人の会員出入りがありました。
百人の会員が語るには相模文芸が唯一の市内同人雑誌だとの事です。図書館・公民館・市役所でも調査しました。
会員は馴染みの喫茶店などに相模文芸を置きまわります。学園都市です。桜美林・青山・国学院等のキャンパスがあります。問い合わせても学園祭を見学しても見つけ出せませんでした。合同合評会等の企画も実現しません。把握していないだけかも知れませんが苫小牧市とは市民文芸の浸透状況は大差がありそうです。
密やかな個人誌や友人誌があるとは思いますが市民文芸への影響力は少ない事でしょう。詩歌の自費出版者はかなり存在します。
閉鎖的な結社での短歌活動者達は小説作品主体の相模文芸に連携して来ません。それで12年間の単独活動となっています。
数年前までは市立図書館が一つしかありませんでした。大混雑でした。現在は市域に三館体制となり便利になりました。
逆に公民館は二十館以上もある街です。相模野に点在する集落が発展し合併し町制施行し市制施行へと発展した歴史があります。
地域ごとに公民館中心の市民文化を育ててきた歴史です。その文化の中で小説主体の文芸同人誌が生まれなかったのです。
現在の相模文芸月例合評会が20名以上の盛会なのは市域各地からの参加者から構成されている事実でもわかります。
掛け値なしの相模原市70万人の市民文学の体現なのです。会員もつわものぞろいであります。
新日本文学学校の後身・文芸学校の講師がいます。文芸思潮誌で〔文豪の遺言〕を連載された方もいます。市民短歌会会長も居ます。
男女比率は約半々ですが多くの専門部を女性会員が担っています。会計も編集も女性が多数を占めています。頼もしい限りです。
盛大な活動から派生した仲良しグループの一つが相談しアンソロジー詩集〔ギフト〕を自費出版しました。
文学街のネット担当者が見つけて動画化を請け負ってくれました。今月から詩と画像コラボでユーチューブでアップされています。
独自に学集会・読書会を行う仲良しグループもあります。相模文芸で知り合った市民間の文芸企画は大いに発展中です。
創作文学の空白地帯だった相模原市で生まれて12年。相模文芸はようやく爛熟期を迎えようとしています。
≪参照:作家・外狩雅巳のひろば≫
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コメント
昭和三十六年、朝日、読売、毎日の東京三紙が北海道で現地印刷を開始、それまで一日遅れの東京紙が即日読めるようになり、北海道の地元紙である北海道新聞、北海タイムスが苛烈な部数争奪戦にまきこまれました。
しかし、十年の後北海タイムスは消えましたが、北海道新聞は磐石で北海道人の支持を失いませんでした。
北海道人は独自文化を大切にする土地柄です。
それは本州で尾羽打ち枯らして流れた末新天地に落ち着いた道民の独立精神を繁栄するものの投影が独自文化の形成であったからです。
文学活動も独自の郷土文化として発展させるという官民総出の意欲があったわけです。
戦後東京から疎開してきた文化人が東京へ戻っていったとき、彼らの刺激により種まかれた文化活動は地元民の力で継続され、全国的にも珍しい繁栄をもたらしたのが「北方文藝」という月刊文芸誌の定着でした。
これは文学関係者による自主運営の半商業誌的文芸誌で、芥川賞、直木賞作家を続々生みました。
そのような歴史を体験している北海道の文学関係人は独自の風土文学理念をもっているわけです。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月17日 (日) 22時12分
北海道では数千人規模の町村にも官費による「町民文藝誌」があります。これは北海道の地域文化振興策の方針のもとでここ三十年に誕生したものです。
相模市は東京文化圏ですので、地域意識が低いのは当然で、文化水準が高いので東京へ出て活躍する人が大半でしょう。
実際に文学賞の応募は、相模市からもけっこう出ています。つまり、相模市の文化活動は、東京圏として捉える視野が必要でしょう。
北海道は東京文化と離れてますので辺境文化としての自立を余儀なくされてますので、独立した文化活動にならざるを得ず、地域文化に執着した活動が活発な要因がここにあると思います。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年3月16日 (土) 05時29分