文芸同人誌の同人の姿勢(上)
こんどは「グループ桂」の話だが、67号に400字にして70枚になる散文を書いた。≪参照:グループ桂のひろば≫
もともとここは伊藤桂一師に指導を仰いで、文壇に打って出ようという目的があった。自分も、講談社の伊藤教室に通っていたころは、文体勝負の世界に挑んでみようと、かなり力をいれたが、ほとんど評価されなかった。酷評でもされれば、そうかと考えてまた次の作品を書こうという手掛かりになったとは思うが、秋山駿氏には「箸にも棒にもかからないものと言うほど悪くはない」とか、伊藤先生は「話のつなぎが下手なんだよ」とかで、題材の問題なのか技術の問題なのかわからなかった。
そのとき何となくわかったのは、純文学には「これは純文学である」ということを示すような文章力が必要だということと、意表をつくような感覚や精神が必要らしい、ということぐらいだ。
結局、どのようなものがいいのかはわかったが、これじゃ体質が違うし、感覚が平凡すぎて自分の文章では出番がないと困って教室から足が遠のいていた。そのうちに、教室がなくなり「グループ桂」で指導を受けることになっていった。その後、ここに発表した作品のうち2作は手直ししたら商業誌に売れた。ただ、掲載するまでの打ち合わせや試作が面倒で、つづかなかった。今はその雑誌は書店で見ないからなくなったのであろう。ただ、友人が「きみの筆名と作品名が表紙にでていたね。あれまずいよ。もう新人作家じゃなくなることだよ」といわた。それでも「そう」と気にしなかった。株式や商業経営者むけの取材記事のほうが簡単でニーズがあったからだった。
そこから同人誌には、世間の流れとは無関係に、自分だけの文学的な工夫をした文章を書く趣味の世界になった。
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