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2013年2月27日 (水)

小説で学んだ人生(下) 川合清二

 さて、この辺でテーマである「花盛りの小説教室」に移りたいと思います。
以上は前置きです。
 小説の流れとして、いちばん顕著なのは出版社──雑誌社の編集部の権力の増大があります。権力というと語弊があるかもしれません。支配力というか、影響力といったほうがいいかもしれません。
小説が売れなくなった。
これが最大の理由でしょう。
一方で出版社はますます肥大し、15年まえの講談社でグループ3万人と言っていました。電機業界ならば、さしづめ日立か東芝か、自動車業界ならばトヨタか日産か、といったところでしょうか。既にマンモス企業です。当時、カルチャーセンターに講演に来た重役は、
「皆さん売れる小説を書いてください。そうでないと、うちはやってゆけません。」印象的な言葉、──売れる条件として、強調したのが
「一に題材、二にストーリー、三、四、がなくて、五に文章という言葉です。」
 つい先日の金曜日、カルチャーセンターの教室に来た協会の先生は、
「皆さんはこれからますます世に出にくくなるでしょう」
と宣告しています。
 何故なら、ここ一、二年のうちに再販制度が変わり、本の書店買取制度が敷かれる可能性が高いだろうからというのです。
 つまり、いまは書店は軒を貸しているだけで、売れない本は出版社に返していました。
返本の山はありましたが、一応可能性を試してはもらえたのです。書店にリスクはありません。いや、リスクがないとは言えないかもしれません。売れない本が場所を占拠するわけですから。
 法律の改正でそれがなくなれば、書店は売れそうな本を選んで、買い取らなければなりません。
 誰が、有名作家の本より、あなた方、無名の、海のものとも山のものとも分らない人の本を、買って並べますか。すでに売れている人が断然有利になる。
 もっともです。
 にもかかわらず、教室は満員で八十人ちかい生徒が居ます。六本木のシナリオ教室でも満員の盛況と言うことです。
 熱気が溢れています。
 向上心が第三者にまで影響を及ぼしています。月謝は決して安くありません。砂の会費の約十倍します。
 話はとびますが、文化の日に著名作家の米寿の祝いの会がありました。
 元気の良いのは農民文学の方たちで、文学の道のみを研鑽されている方は、総じて弱々しい。
 健康と活力は文学の源です。
 そして、面白さは、文学の大事な要素であることを認識しなくてはなりません。広い意味での面白さが文学を生き続けさせる、と信じます。
(2006年「砂の会」創作研究会講話「小説にも顔がある」文芸同志会資料より)

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2013年2月26日 (火)

小説で学んだ人生(上) 川合清二

 個性的な顔もあれば、万人の中に隠れてしまうような平凡な顔もある。
 しかし、平凡な顔もよくよく見詰めていくうちに眉、目、鼻、頬、唇、顎、頭髪などに、独特の特徴を備えている顔もある。
 私の小説の先生は夏目漱石です。
 漱石は言いました。〔人生はすべて喜劇である。ただひとつ、<生と死>これだけは悲劇である。すると、ロンドンに留学した主人公の手紙が到着する──こっちは喜劇ばかりが流行っている〕
また、こういう事も言っています。
 哲学に帰納法と演繹法がある。ごく大雑把に言えばキリスト教やイスラム教など教義にのっとって、この世界が収められているとするのも帰納法的な世界の見方でありましょう。これに対して、演繹法の説明として、ひとは自分の眼で見、耳で聞くものしか本当には理解できない。とする見方。自分の見る世界というのは、ある種、平面体である。
 何百、何千人を相手にする場合、一人一人は考える葦であろうとも、遠くから眺める限り、ひとも羊も牛や馬も、熊、猿、ライオンも平面的にはただの顔に過ぎない。いや、カボチャやナスとさえ変わらない。
人間がそう見ないのは、遺伝子や体験などから、あらかじめ教えられた方法で世界を整理し、把握して視ている からなのです。
 自慢でも卑下でもありませんが、私は学校に一日も行っておりません。よく冗談に幼稚園中退と称しておりますが、ふつうの人たちより、固定観念にはとらわれていないと思います。そして、多くのことを小説から学びました。
 こどものころ、我が家の本棚に並んでいたのは、漱石全集と吉川英治全集でした。
 夏目漱石からは多くのことを学びましたが、吉川英治から学んだのは、ただひとつ<小説の面白さ>だけです。
 偶然も飛躍も手の内に丸め込んで、読む人をわくわく、どきどきさせる『われを忘れる面白さ』です。
ただ、すでに漱石の洗礼を受けていた私は、筋立てが単純で都合がよすぎる。人間の動きが自然でない、などと子供なりの批評を加えながら読んでいました。
 宮本武蔵が立派過ぎて、本井田又八が、かわいそうなほど惨めに描かれている。作者の策略が透けて視えていました。善と悪の片付け方も不満でした。
 私が何を言いたいのか、といいますと、純文学とエンターティメントの違いも、実はこの辺にあると思うからです。
小説の面白さには<われを忘れる面白さ>と<身につまされる面白さ>があるといいます。私はそれを、むかし、新潮文庫の黄帯にはいっていたフォスターの<小説の諸相>から学びました。
 その中に世界の十大小説として、ドストエフスキーやコンラッド、サマセット・モーム、白鯨のメルヴィルなどがはいっていました。
 特徴として、エンター性のある純文学です。
(2006年「砂の会」創作研究会講話「小説にも顔がある」文芸同志会資料より)

注)川合清二氏は故人となりました。当初ミステリー作家志望で、江戸川乱歩に認められ雑誌「宝石」に笹沢佐保の同期生として執筆していました。その後、作家・伊藤桂一の門下生となり、通常は川口青二という筆名で同人誌活動をしていました。最近、遺稿の中から本評論を発見したので、発表してみることにしました。川合氏の生活については、氏の自伝をもとにした≪一部「詩人回廊」に発表「文芸の友と生活」 ≫「グループ桂」に連載があります。

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2013年2月25日 (月)

吉川英治作品の著作権切れ「宮本武蔵」「三国志」が脚光

 吉川英治(1892~1962の没後50年が経過し、著作権保護期間が終わり、今年から出版が自由になった。吉川の代表作は、講談社の「吉川英治歴史時代文庫」(85冊)に遺族の意向で集められ、同社以外ではほぼ読めない状態だった。前身の「吉川英治文庫」(161冊)を合わせ3880万部を誇る人気の作品群が著作権フリーとなった。
 新潮社は代表作『三国志』全10巻、『宮本武蔵』全8巻を9月まで順次刊行。パソコンのゲームから歴史に興味を示す若い読者に関心を持ってもらおうと、表紙には「信長の野望」のゲームイラストで知られる長野剛さんの絵。読み物的な解説や地図、注釈にも力を入れた。
 宝島社文庫も3月から時代背景説明もつけた『新装版 宮本武蔵』の刊行を始める。
 講談社は、「他の代表作を読みたくなった読者の要望にもこたえられるし、落ち着いた装丁の本を所有する喜びも大きいはず」(担当編集者)とする。
 さらに安価な電子書籍も登場。出版社のゴマブックスが今年に入り、『三国志』の配信を始めた。現在100~150円。著作権の切れた本を無料公開している青空文庫でも、『私本太平記』に続き『宮本武蔵』の公開を始めた。(2013年2月22日 読売新聞)


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2013年2月23日 (土)

市民文芸愛好者の「文芸同人誌」の周辺(2)  外狩雅巳

(承前)② 作品評を待つ作者たち
 同人誌に書いて公表するのは読んで欲しいからです。感想も聞きたいのです。合評会合は交流サロンであり論評されることで、作者としてのモチベーションを高める場でもあります。指導者を持たず全員公平な民主的な仲間組織として発足し全市民の参加を呼びかけることを建前すると、合評も知恵を絞るべきでしょう。
 文芸同志会通信・文芸思潮・文学街などに送り作品評を得る方法も有ります。以前は純文学雑誌「文学界」等も同人誌作品を批評するページがありました。
 全作品の批評を行うのも会に参加する権利です。私は関東同人雑誌交流会に未成熟と思われる作品の合評を提案しましたが取り上げられませんでした。それは賞を選出する前段の批評会なので当然でした。しかし、多くの作者は未熟さを具体的に指摘され納得したいのではないでしょうか。
 同人誌 「相模文芸」の合評会は毎月20名前後が参加します。会合進行・会費徴収・連絡周知・会場確保と運営の煩雑さには習熟が必要です。
 編集・校正・印刷などにも担当者を配置しましょう。完成したら図書館・作家・雑誌社などへの寄贈も一仕事です。
≪参照:作家・外狩雅巳のひろば

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2013年2月22日 (金)

「ゲル―プ桂」67号の合評会に伊藤先生来られず

「グループ桂」67号の合評会が秋葉原で開催された。自分は風邪をこじらせ、体調がよくなかったが、で伊藤桂一先生が神戸から出てこられるというので、重い脚を無理に持ちあげて行ったが、伊藤先生も前日だかに風邪をひかれたそうで、こられなかった。ほかにも67号の執筆者2人が風邪や親戚の事情で出られず4人だけの合評会になってしまった。
どの作品も誰でも思いつくような印象と感想をのべ合っただけに終わった。できれば伊藤先生にメモでもいいから批評をお願いしてみようということになった。やはり関西に転居されてしまったので、なか難しいことになってきたのかも知れない。
自分は初めての詩集を出そうかな、とか思って1、2編を伊藤先生に目を通してもらい、抒情性ものと、メッセージ性のものとのを混在させてもおかしくないかなど、詩集の編集のしきたりのようなものを教えてもらおうと思っていたが、思惑が外れた。その話を、その日集まった同人に話したら「伊藤先生は本格的なものなのに…」と、自分が意見を求めるなどというのは恐れ多くて、場違いのように言っていた。そうかも知れないが、折角の接する機会なので、だめでもともとである。
帰りがけに考えたが、もうすこし抒情性のものを創り増し、他方メッセージ性のつよいものは叙事詩的なものに変えたほうがいいかな、と思った。もっとも、詩集を持たない未刊行詩集詩人という存在もあるようなので、手作り詩集でいいのかもしれない。だいたい積極的に他人の詩を読もうという人が、どれだけいるのであろう。ホッチキス止めのレリース詩集という手もあるかも知れない。
  家に帰って風呂に入ったら夜中に急に苦しくなって体調が悪くなった。

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2013年2月20日 (水)

市民文芸愛好者の「文芸同人誌」の周辺(1)   外狩雅巳

  図書館は高齢者で満員です。短歌俳句の愛好会で公民館も盛況です。趣味で書いた小説を応募する人も多数います。
 十数年前に文芸同好会の結成を呼びかけて同人誌「相模文芸」が発足し続行中です。そのなかで今後の課題を考えてみましょう。≪参照:作家・外狩雅巳のひろば
①読書=書き手ではありません
 当初は読書サークルにも参加を呼びかけましたが多くの方は加入をためらいました。創作は読書より困難だと知っているのでしょう。
 加入者も雑感や詩歌作品が多い創刊号になりました。安易な呼びかけに応ずる人は少ないのです。実行すればわかります。
 作品合評もなかなか理想的なものにするのに困難があります。印象批評や読み違いと思われる意見もかなり出ます。
 批評基準を提示すれば人さまざまだと反論されます。文学には正論はないとの正論を唱える人もいます。広く文芸趣味者を参集したいとなれば同好会運営とするのが文芸読者層拡大に向け、安全運転ではないでしょうか。
 7O万人都市相模原で百人の仲間を結集するという目標ですが、その困難さも思い知りました。賽の河原の石積みの十年間、そこに今があります。
 高齢者の生き甲斐、文芸的知識率、文化都市、ロマンの創設ですが、取あえずは組織拡大に知恵を絞る必要が有ると思います。

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2013年2月19日 (火)

文芸同人誌の同人の姿勢(下)

「グループ桂」は、伊藤教室の生徒だった者だけの同人誌で、伊藤桂一氏はもう教え子をつくらない、というので、会員は高齢化で亡くなったり、執筆をやめたりして、先細りである。
最近は、文学の傾向がちがってきたので、グループ桂の方でも、微妙なところで自己の「癒し」系の作品が多くなった。また高齢化が進んで、提出作品が少なくなった。そのなかで長島公栄さんだけは意欲的で、300枚分を1挙掲載し、師の指摘の部分を推敲したりして、単行本として出版したほどだ。ただ、長島さんの作品だけでは、同人誌雑誌らしくないので、なにか埋め草に書いて欲しいというような話になった。
 そこで、同人仲間であったが亡くなった友人の話を物語風の散文にするなら意義があるであろうと、追悼的な短編にした。ここで主人公のように表現している川合清二という人は、江戸川乱歩が晩年になって認めた作風のミステリー作家で、当時の「宝石」という雑誌に2編ほど作品が掲載されたことのある同人仲間であった。知られざる側面を記そうと彼の資料を出していたら、かなりの書きためがあるのが見つかった。今後毎号埋め草は必要であろうと思うので、連載可能な読み切り短編方式にした。形式としては散文であるが、日本の風土には短編小説にも読めるようになった。そこで、短編のように読んでいくときりがないようなスタイルで、そのなかに現代の時代性を盛り込めば、いいかなと考えた。
 そういう意味で、同人仲間のために書くという社会参加型の投稿作品となった。

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2013年2月18日 (月)

文芸同人誌の同人の姿勢(上)

 こんどは「グループ桂」の話だが、67号に400字にして70枚になる散文を書いた。≪参照:グループ桂のひろば
 もともとここは伊藤桂一師に指導を仰いで、文壇に打って出ようという目的があった。自分も、講談社の伊藤教室に通っていたころは、文体勝負の世界に挑んでみようと、かなり力をいれたが、ほとんど評価されなかった。酷評でもされれば、そうかと考えてまた次の作品を書こうという手掛かりになったとは思うが、秋山駿氏には「箸にも棒にもかからないものと言うほど悪くはない」とか、伊藤先生は「話のつなぎが下手なんだよ」とかで、題材の問題なのか技術の問題なのかわからなかった。
 そのとき何となくわかったのは、純文学には「これは純文学である」ということを示すような文章力が必要だということと、意表をつくような感覚や精神が必要らしい、ということぐらいだ。
 結局、どのようなものがいいのかはわかったが、これじゃ体質が違うし、感覚が平凡すぎて自分の文章では出番がないと困って教室から足が遠のいていた。そのうちに、教室がなくなり「グループ桂」で指導を受けることになっていった。その後、ここに発表した作品のうち2作は手直ししたら商業誌に売れた。ただ、掲載するまでの打ち合わせや試作が面倒で、つづかなかった。今はその雑誌は書店で見ないからなくなったのであろう。ただ、友人が「きみの筆名と作品名が表紙にでていたね。あれまずいよ。もう新人作家じゃなくなることだよ」といわた。それでも「そう」と気にしなかった。株式や商業経営者むけの取材記事のほうが簡単でニーズがあったからだった。
 そこから同人誌には、世間の流れとは無関係に、自分だけの文学的な工夫をした文章を書く趣味の世界になった。

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2013年2月17日 (日)

文芸同人誌の同人としての詩作

 同人誌の編集はするのは面倒だが、参加するだけというのは楽だ。わたしは「グループ桂」と「砂」の同人になっている。編集にたずさわらないので、気楽に投稿している。
 このふたつの同人誌は直接的に関係がないが、同人仲間に友人が両誌の印刷をしていた。「砂」という同人誌は、もともと人生の癒しとしての精神をもとにしてきた。書くまでの過程が重要で、書いたから発表するというようなものであった。「文学界」の同人誌評があった時期は、そこにも送っていたが、それがなくなると。現在は、会員だけが読者のようだ。
 私は創設時からの縁があって、一般同人の立場で参加を続けている。そこで最近は自己の癒しを主体にした「詩」を載せている。詩というものは、だれも意見を言わないし、自分だけのイメージをもとにして書いているので、他人が理解できるとは思えない。そこで、同人雑誌という形に組み込まれた自作品を、自分で読んで楽しむ。
あとで自分で読んで、面白いと思わなかったら、どこかで気が変わったことになる。そこで、気が変わっても変わらない作品ができないか、考える。それと、もう年なのだから世俗のことに怒りや嘆きをぶっつけるメッセージ性ははぶく。枯れてディレッタント風の詠嘆がなければならない。しかし、なにいってるかわからない可能性があるので、どうも詩らしい、と思わせるためには、リズムが必要だ。日本の伝統の五七五七七の語調を取り入れる必要がある。とはいっても、我々は現代的なリズムがあるので、それを意識的に破る調子をつける。歌謡曲やお笑いの一発ギャグのリズムも現代的だ。歌謡曲でディレッタンティズムがあるのは、何といってもなかにしれいである。彼の詞は自分の理想郷だ。読んでいて涙ぐみたくなるほど切ない。そこまではむりなので、自分の文章力の範囲で追従したい。それと歴史観を盛り込む。
 「砂」121号ができた。自作を読む。4頁にわたる中編詩だ。まったく独善的に言葉を並べたつもりだが、いざ出来上がりを読み返すと、それなりに面白いが、やはり自らの不満が多い。もっと自分の内面性が出てもいいような気がする。次は、もっとわかりにくくてもいいようにしようと思う。

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2013年2月16日 (土)

雑誌「文芸思潮」第49号(2013年冬)アジア文化社から

 本号の特集「イラン文学と詩」が独自の持ち味を出している。10年以上前にわたしは大森のシネコンでたまたま少年がお使いに行って帰ってくる話の映画をみた。イラン映画の週替わり特集の日が続いたので、続けて見にいた記憶がある。台詞が少なく、イメージだけで理屈っぽくないのが大変に刺激になったのを覚えている。地に付いた感覚の世界を定着させていた。
 本誌では天才女性詩人で若くして交通事故死したという詩人の「窓」(ファルグール・ファッロフザード)なども、人間社会の生活の束縛から解放を望むような普遍性をもつ。小設「詩人の大群」(メディフィ・アハヴァーネ=サーレス)などは風刺と皮肉を効かせた散文にも読める。結局、詩や小説は、思考を経てそれをまとめるので、伝わるものに異端感はない。
 解説によるとイランは、詩が日常的に政治家や事業家に使われているそうである。何か宗教的、政治的な圧力のなかで培われた自由な精神の隠喩として発達してきたのかもしれない。
 現代日本では、ある見えないような強い力があるのが見えない。それに気付かずにいるための自分自身の相対的な姿が見えない。そういう問題意識があったので、それらを明確にできないなりに、じわじわと探し当てる小説や散文へのヒントになった。結局、問題意識がないところに、視点というのは生まれないのである。

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2013年2月15日 (金)

著者メッセージ: 大山淳子さん 『猫弁と指輪物語』

  去年の今日、『猫弁』で作家デビューした大山と申します。第一作が念願のドラマ化。いい気になったわたしは続編『猫弁と透明人間』を執筆し、刊行。(講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年2月15日号より)
 こちらもドラマ化が決定し、今まさに撮影が終わったばかり。放送は春の予定です。お楽しみに!
  主人公百瀬太郎は四十歳独身です。弁護士だけど貧乏でぼろアパート住まい。おまけに女性との交際経験無し。ところが婚約者はいる。このような妙な人物がみなさんにあたたかく受け入れられていることに、作者のわたしは驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。
  ちょうしにのって、第三弾『猫弁と指輪物語』を書きました。今度の依頼は密室猫妊娠事件。密室です! やっとミステリーっぽくなってきました。 いよいよ本格ミステリ突入か?
  いえいえ、『猫弁』は「癒ミス」です。読むとあたたかい気持ちになって、元気がでる。みなさんのビタミンみたいな存在になれたらなって思います。      (大山淳子)

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2013年2月14日 (木)

文芸同人誌評「週刊読書人」(02月01日)白川正芳氏

「文芸復興」26号、創刊七十年記念特集号より「記念インタビュー 辻井喬さんに聞く 現在の文学状況について」
鈴木今日子「あるカラスの手記」(「群獣」14号)、同誌より北川純「医事エッセイ二題」・長谷川寛「徒然なるままに」
吉田達志「物語の回復-小林秀雄『本居宣長』の世界」(「静岡近代文学」27)
豊田一郎「君が代」(「全作家」88)、和泉志のぶ「信子 五十九歳」(「まくた」278号)、久保田裕子「始原の光景」(「午前」青春への恋文 文芸誌「午前」とその周辺)、清水茂「秋の日の断想」(「同時代」33号)、石原恵子「いつか晴れた日に」(「銀座線」18号)、笹田桃子「雄弁なる耳。寡黙なる耳」(「レトリック京都Ⅱ」7号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2013年2月13日 (水)

三田文学新人賞に媛ひめるさん『塔はそこにある』

. 三田文学新人賞当選作は、媛ひめるさん(42)の小説『塔はそこにある』に。佳作は、川崎秋光さん(25)の評論『「喪失」の系譜――江藤淳の変遷と現代文学の「喪失感」』と田中和生奨励賞の間ミツルさん(25)の小説『紫陽花』に決定。受賞作は「三田文学」春季号に掲載。

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2013年2月11日 (月)

ミステリー翻訳家・詩人 鮎川信夫について

  詩人回廊サイト・「来瀬 了の庭」について石塚邦男さんがコメントしています鮎川信夫については、ネット百科事典ウィキペディアにだんだん詳しい情報が累積されています。この作品が出た時はなかった情報が追加されてます。
 南京事件については、くちをつぐむということがあっても、組織的な隠ぺい意識があったのでしょうか。組織的な隠ぺいがあると731部隊のような現象になるのでは。南京と731では騒がれ方がまったく異なりますからね。

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2013年2月10日 (日)

単行本は14万部の芥川賞作品「abさんご」、電子書籍で配信





 芥川賞作品「abさんご」(文芸春秋)が 2月9日からKindleストアで配信。同作を収録した小説集から表題作「abさんご」のみを電子化したオリジナル書籍。価格は900円(税込み)。同作は著者の黒田夏子さんが同賞最年長となる75歳で芥川賞を受賞したことから話題に。単行本は現在4刷・14万部を発行している。



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2013年2月 9日 (土)

詩の紹介 「君への手紙」 みりうせい

君への手紙   みりうせい

そこの君 つぶされるな!/つぶされるな!
君からなにかを奪う人間だけに/つぶされるな!
悔しいじゃないか
君は 誰か何と言おうと一番大切で
君の権利や自由は奪われはしない!!
だから、君は、生きるんだ!
(三人詩集「ギフト」より 平成22年12月)相模原市・二人企画

紹介者・江素瑛(詩人回廊
つぶされるか、耐えられるかはその人次第だが、お互い奪いあうこと、というより奪う側も何かをうばわれている。ほんとうは、何か与えられることで生きているのであろう。
例え母体は少しずつ血液と栄養を胎児に奪われ与えられる。それで成長していく、その成長ぶりは母になる人にまた喜びの報いをあたえられる。そんな微笑ましい自由と権利の世界が広がるといいですね。

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2013年2月 7日 (木)

 外狩雅巳氏の「我が創作とプロレタリア文学論考」の補足      

  外狩雅巳氏が「詩人回廊」に「我が創作とプロレタリア文学論考」を執筆しています。プロレタリア文学の系譜にはさまざまな歴史的な出来歩とが意味をもって語られます。そこで、編集人・伊藤昭一の方から、すこし補足させてもらいます。
 冒頭にある引用句は、マルクスは、 「世界史上の有名人物は二度現れるとヘーゲルは書いた。だが、ヘーゲルは次の言葉を付け加える事を忘れていた。一度目は悲劇として、二度目は茶番劇としてと」
 と記しているのが元のようです。フランスが第二共和政でルイ・ナポレオンが選挙で大統領に当選するが、彼はクーデターを起こして議会を解散させ、その上で皇帝(独裁者)と自称して第二帝政を始めるが、17年で幕を閉じてしまったことを皮肉で言ったとされています。
 また、『蟹工船』の小林多喜二と並び称される作家が葉山嘉樹です。断片的で構想に作品が追いつかなかったのですが、その創作思考は戦後に野間宏に受けつがれて行きました。外狩氏が現代社会の心の貧困をどう描いてきたかの解説に期待します。

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2013年2月 5日 (火)

文芸時評1月(毎日新聞1月31日付)田中和生氏

「表現の冒険」とは内容の面白さとの同居
≪対象作品≫辻原登「冬の旅」(集英社)/黒川創「暗殺者たち」(「新潮」)/12星座小説集・荻野アンナ「いいえ 私は」(「群像」)。

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2013年2月 4日 (月)

同人誌「仙台文学」第81号(仙台市)

【「後三年合戦最後の日」宇津志勇三】
 ていねいに書かれた歴史小説である。1087年ころになると源氏勢力が東北へ勢力をのばしはじめた。その手はじめが清原勢力との連携であったろう。そのなかで清原勢に溝ができる。これは源氏勢には有利な材料となる。この源氏勢への北への進出を強めたのが「後三年合戦」である。これが単なる「合戦」か、もっと大きな「役」になるのか微妙なところだが、この作品によると、先代の合戦で郎党が逃げて、他所に逃げていたのが、戻ってきたとあるので、これは武士による合戦であったらしい。地味ではあるが粘り強い筆遣いで読ませる。
【「阿武隈の風(後篇)」高橋道子】
 東日本大震災の津波と福島第一原発事故の現場を舞台に、その現実を小説化したもの。単なる詠嘆に終わらず小説化することが市民の間に広がることを歓迎したい。
【「泣き笑い年末始」安久澤連】
 正月過ぎての突然の便秘やなにやら、体調の異変に対応するさまをユーモラスに語る。読んでいて人ごとではない感じだ。身体の調子が加齢によって思わぬ変調をきたすひとには、必読の書。わたしもある日突然、思わぬ便秘と腹痛、圧迫感に苦しみ、医師に相談したところ「よくあることですよ」と笑って薬をくれたが、よくあるからと言って、自分が楽になるわけではない。腹をたてたが、この作者はわたしより先輩で、腹が据わっている。次々と医師がさし出す課題を乗り越えてしまう。尊敬するしかない。こちらは検診など受けようものなら、つぎつぎと病気状態を発見され、検査の予約で人生のスケジュールが埋まってしまうと敬遠して逃げている。それがここでは、笑いを入れて楽しくない話を楽しく読ませる。
【「芥川龍之介詩1編の謎『沙羅の花』凋落」牛島富美二】
 芥川龍之介が室生犀星宛ての手紙に詩を書いているという。これは興味深いので作品からまた引用させてもらう。
    嘆きはよしやつきずとも
    君につたへむすべもがな
    越しのやまかぜふき晴るる
    あまつそらには雲もなし
 作者はこれは森鴎外の詩「沙羅の木」の影響があるのではないかと推察している。
    褐色の根府川石に
    白き花はたと落ちたり
    ありとしも青葉がくれに
    みえざりしさらの木のはな
 牛島氏は芥川が沙羅の木に「凋落」のイメージを込めていると解説。その後、芥川が美貌の歌人で人妻の秀しげ子と不倫の恋との関連を述べている。そして女心に悩まされる現実も示す。沙羅に関する詩では、鴎外の方が冷静で出来が良い。芥川のは犀星もそれほど褒めなかったのではないか。ただ、犀星が芥川の恋の悩みを理解してれば別であるが。
【「詩本論」酒谷博之】 
 詩論というのは、誰が説いても面白いものだが、情熱のある論調で続きが楽しみ。「資本論」のように長くなるのか。もっとも資本論は経済学批判であるので、詩学批判になればさらに興味深いのでは。
発行所=〒982―7891仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方「仙台文学会」。
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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2013年2月 3日 (日)

詩の紹介 「家出したくなる時」 白糸雅樹

家出したくなる時  白糸雅樹

欠けた皿や茶碗を/もったいないから、とそのままつかう/いっそまっぶたつに割れてしまえば/いや、こなみじんになってしまえば諦めもつくだが/普段使いには支障ないから、と、貧乏性
荒れた生活そのままの/その象徴のような欠けた皿/もう見たくない/と/台所をあとにして/もう、二度と帰りたくない
皿を洗う/皿を洗う/欠けた箇所で怪我をしないように注意しながら/皿を洗う
季刊「コールサック」75号 2012年12月(東京・コールサック社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
「皿を洗う/皿を洗う」の繰り返し、生活そのもの単調さと慢性疲労感。家庭主婦や家庭主夫が、家を出たくなる時。そのようなモノトーンの生活に限界を覚える時かもしれない。
我慢すればーーといいきかせ、流れ作業のような生活が続く。脱出したい願望があっても、家出しても、また戻ってくる。
欠けた皿や茶碗に盛り上る料理の味は変らないし、完べきではない諸人はこの世を作り、つまらなさもまた生活の一部である。ロマンチックでない時間、奪われたような自分の時間、そのときにも詩が生まれるのですね。


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2013年2月 2日 (土)

芥川賞の黒田夏子さんの文章スタイリスト主張

 芥川賞作家となった黒田夏子さんが産経新聞1月.31日付にエッセイを寄稿している。
「芥川賞に決まって 黒田夏子 けっかとしてのすがた」 
「よこがき、ひらがなの多用、固有名詞や人称代名詞の消失、かっこなど記号類の不使用など、それぞれにいちおうの理由はあるが、実態それらは理論でも目的でもなく、この方向を主張したり推奨したりする気はさらさらない。」と、しているのは文章スタイリストとしての主張が見える。
純文学は資本主義の論理のなかで、断崖絶壁の端に引っ掛かっているようなものだ。どんなふうに絶壁からぶら下がっているか、読んでみようと思う。

      

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2013年2月 1日 (金)

文芸時評1月(東京新聞1月31日付)沼野充義氏

黒川創「暗殺者たち」漱石「韓満所感」を収録/大震災へのメッセージ
≪対象作品≫黒川創「暗殺者たち」(「新潮」)/いとうせいこう「想像ラジオ」(「文藝」春季号)/「12星座小説集」・原田ひ香「クラシックカー」/丹下健太「サタデーダライバー」/藤野可織「美人は気合い」。
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 このなかで、いとうせいこう「想像ラジオ」は、死者が東日本大震災・津波を実況中継する長編小説だそうである。近年、死者が死んでいることを知らなかったり、死んでも語りを続ける小説が増えてきていた。当会の「詩人回廊」山川豊太郎の「都市の屑屋」も語り手のぼくは死んでいる。
 昔は、主人公が最後に死ぬのは物語を終わらすためだった。ところが主人公が死んでも物語は終わらないという事実が、発想のなかに生まれてきて、その意識がじわじわ浸透してきた時に、それを不自然でなく受け止めるようになる。小説が現実的な事実のつながりから飛躍して、詩的世界を展開することが奇異ではなくなったということだ。
 表現もその時代の意識を知りながら話を構築することがないと、その時代の人からはどうでもいい話になってしまう可能性がある。
 ゴッホの絵は、その時代には、見ると気持ちの悪くなる絵で買い手がつかなかった。しかし、いまは気持ちの悪い絵と感じる人はいないであろう。時代は進歩前進するとは限らないが、変化はするのである。我々は変化する時代に常に遅れる。それは当然なことで、それを認めまいとするのは、事実に反することを信じたがる思い込みである。

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