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2013年1月11日 (金)

舞踏する言葉は小説になるか?都市伝説の中の「死霊」たち

 山川豊太郎の「都市の屑屋」(詩人回廊)がすこしずつ進行している。この作者にとって都市はどこかが崩壊し、廃墟化しているものらしい。それでも、ビジネス施設や主要インフラは機能しているところがイロニイになって、どこかおかしい。ここでの出だしは「リヤカーを連結した薄汚れた自転車にまたがり、アスファルトに堆積される有形無形の廃棄物を拾い集めては、それを胴元と呼ばれるコミューンの長(おさ)のもとへと運搬する。」というシステムが機能しているのである。
  昔の浮浪者や乞食という存在は、市民に物乞いをしていた。それが現代では、ホームレスであって乞食ではない。アルミ缶を拾い集め潰して、親方かリサイクル回収業者に売って現金を手にしている。わたしは一時期、ネットポータルサイトの記者をしていた頃、多摩川のホームレスの取材をした時もボスというか、仕切り屋がいた。
 このホームレスたちには住民票がない。ということは国家管理体制から離脱した自由人である。本物のアナーキストなのである。東京都では毎年国勢調査のように、国の管理の河川敷の住民を目視でその人数を割り出す係員を動員して調べている。私はそのような視点で見るが、山川氏はそうではない。
 その屑屋が、じつは都市では存在しないと思われているのではないか、という論が2回目あたりで展開される。ここまでは小説的であるか詩的散文であるか判然としない。その前に、赤ん坊のおしゃぶりが落ちてしまう。それを屑屋が拾うと途端に目的を失い意味のない物体になる。そこには物体の意味性についての思考展開の余地がある。
 良く言われるが、「小説は目的に向かって進むが、詩は言葉の舞踏で到達点はない」という定義である。そういう意味では、この作品は舞踏する文章ではある。廃墟都市のイメージそのものものが詩的イメージに彩られている。(つづく)


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