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2013年1月10日 (木)

詩の紹介 「森は」関中子

「森は」    関中子

森は何かをかくさなければならない/たとえば 川のはじまりを/たとえば 町の家並みを/たとえば ここの特産物を/そして/わたしたちの多くの職業を
森は何かをきらめかさなければいけない/たとえば 水とだきあう空を/たとえば 畑の土粒や野菜の艶を/たとえば わたしたちの口の機能を/すると/あなたがわたしによせる理不尽な行為がすこし理解できる
森は何かをしなければならない/たとえば 恋人たちをよびだす/たとえば 
ひとりでいる時間をあたえる/たとえば 生き残る術を披露する/いつかは/
一度も行ったことがないところへ行く森もわたしたちも
森はわたしたちを誘う/夜は手ほどきし/夜の心地よさをささやく/ここにあるもののほかはどれもあとから追いついたもの/どれを捨てても気になりはしないはずだ/わたしはほんのすこしの持ち物で森のわたしたちとなる
ふとひとこと/それは決心/森はわたしの居場所を案じることができる/
ここでうまれた言葉と文字で/木 木が集う/森は
(GANYMEDE56号 より 2012,年12月 東京都練馬区・銅林社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
あらゆる生物の生活の営みに欠かせない森。森は生物たちの共同資源であるが、人は、森をわがものにしようとするが。森は空へ空へと枝を延びて行き、地下へ地下へと根を這い歩く。奥へと、奥へと人から逃げて行く。追掛けて行くと、きっと帰り道を失ってしまうだろう。
そして、人は森のものになるだろう。「ここにあるもののほかはどれもあとから追いついたもの/どれを捨てても気になりはしないはずだ/わたしはほんのすこしの持ち物で森のわたしたちとなる」と作者が言う。
 そういえば昨年、マヤ文明の人類滅亡の予言が話題になりました。滅亡後の神殿は森の中に埋もれていましたね。

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