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2013年1月15日 (火)

文体の抱える時間の量と外狩雅巳「私が殺した男と女たち」

 外狩雅巳氏が詩人回廊に「私が殺した男と女たち」で参加してくれた。この作品の読後評で高岡啓次郎氏は、次のように述べている。「わずか7枚ほどの作品だが、見事に書きあがっている。最初の虫が死ぬシーンの執拗な描写は志賀直哉の『城崎にて』を彷彿させる。週に一度バッティングセンターに出かけて憂さを晴らす中年サラリーマンの仮想殺人が、実に生々しく、劇的に描かれている。見事です。」
 それに同感する人が多いであろうことは想像に難くない。その一方、超短編の起承転結の構造に目を奪われがちであるが、それ以上に書く立場からすると中に流れる時間の質が2重に内蔵されている特殊な構造であることに注目したい。
 まず、冒頭での雨の中の蟻の描写がある。ここでは時間は、雨降りの日の情景が文章と同時進行して、ゆっくりと進む。リアルな同時進行時間の表現である。こういう部分は、次に何が起こるか、作者は何を考えているかと読者はまず集中力をもち続ける。
 しかし、この先になにか興味を引くようなことがないと読者は「だからどうしたの?」「どうでもいいじゃないか」と思い、読むのをやめるてしまうことが多い。
 ところが、この作品ではその後、異常な展開をする。文章が主人公の過去の回想と恨みの情念、破壊的な幻想という心象風景を縦横に跋扈し飛び回る。ためていたエネルギーの爆発がある。
 この二つの異質な時間を読者に体験させることで、非常に印象を強くしているのである。スタイルや構造は、リアリズムと幻想というありきたりなものであるが、この組み合わせを発明したことは独創的で、創作手法の道がまだまだ限りなく開発の余地があることを示す快作に読めた。
 なお、外狩雅巳氏は「暮らしのノートPJ・ITO」に「外狩雅巳&二人企画のひろば」を設定した。

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コメント

外狩さんのショート・ショートは確か「文学街」の文庫本に掲載されたのが最初ではなかったかと記憶してます。
そのときは読み過ごしたものでしょうか、ほかの気になる作品に眼が行ったので感想は述べなかったという記憶でした。

そうですか、良い作品ですか。読み直してみたいです。

一首献上。

 コンテストに美人ばかり目移りし本命見過ごす
 失態もあり  
        石塚邦男

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年1月27日 (日) 04時43分

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