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2012年12月31日 (月)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2012年11月30日)白川正芳氏

「火涼」65号より伊藤伸司「残日庵記」、「千尋」(せんじん)創刊号より山本逸哉「言の葉-人生 あっち こっち」、米田和夫「俳句で見る 漱石の熊本時代」
島田たろう(原作 藤林和子)戯曲「原発の空の下」(「民主文学」12月号)、棚橋鏡代「秘められた日々」(「北斗」11月号、尾関忠雄アフォリズム賞受賞記念特集)、藤本寿彦「再び、幸田文「流れる」論」(「始更」10)、橋口守人「さらば、夏の光よ」(「未定」17)、古木信子「菅山女房」(「季刊午前」47号)、森ひろお「ヨーロッパぶらり旅(「文学街」301号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年12月30日 (日)

詩の紹介 「風葬」 岡部淳太郎

風葬   岡部淳太郎

昨日のかたちで歩いてゆくと/斃たれた木が道のそばに転がっていて/腐っている/地虫が樹皮を這い/その日の糧をたくわえている/木のそばには枯葉が散り敷かれ/頭上の空は高く/かげっている/どこか遠くて揺れているものがあり/そのうごきが波のように大気に伝わると/いく人もの懐かしい顔が思い出され/いまだここに留っている身が/あふれそうになる/何かにつかまりたいと思っても/何もなく/転がっている木や/その他の斃れているもの/斃れそうなものが/浮かび上がってくる/どこまでも遠い空の/雲のすきまから/小さな風が吹いてきて/ひとつの声のように/耳元でささやく/その風が通りすぎた時やっとひとつの葬いが終わったことを知る
(季刊「詩の現代」3号 より 2012年12 群馬県・詩の現代の会Ⅱ)

紹介者・江素瑛(詩人回廊) 樹木は神聖な存在です。「根幹」があり「枝葉末節」という言葉が親しい。人生そのものを樹木に見いだします。「昨日のかたちで歩いてゆくと」なにもかも過去型の情景であると出だしが暗示しているような気がします。
しかし、小さな風が吹いてきて、その風が通りすぎて、斃れるものを撫で、静かに眠らせる同時、秘かに眠っていた新芽の目を覚ませ、ひとつの風葬が終わってひとつの新しい命が始まり、希望と期待があります。

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2012年12月29日 (土)

文芸時評(東京新聞12月27日)沼野充義氏

「新しい世紀に~」『新潮』創作特集「若手15人が短編競作」/薄まる3・11色 現実映す。
≪対象作品≫対談:高村薫&姜尚中(すばる)/『新潮』創作特集「若手15人が短編競作」・絲山秋子「NR」/(同)舞城王太郎「Good But NotSame」/(同)青山七恵「ダンス」/(同)島本理生「ドライブ」/(同)石田千「もみじ」/(同)青木淳悟「江戸鑑出世紙屑」/(同)西村賢太「感傷凌轢」/(同)日和聡子「湖畔情景」/(同)前田司郎「部屋の中で」/(同)伊坂幸太郎「人間らしく」/(同)前田司郎「部屋の中で」/(同)村田沙耶香「生命式」/(同)戌井昭人「すっぽん心中」/(同)佐藤友哉「丑寅」/津島佑子「ヤマネコ・ドーム」(群像)/鹿島田真希「暮れてゆく愛」(文学界)/谷川俊太郎「突き当たりの部屋」(文学界)。

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2012年12月28日 (金)

山崎ナオコーラさん「紙つぶて」と純文学作家の周辺

 東京新聞に作家の山崎ナオコーラさんが「紙つぶて」というコラムを連載していたが、今月27日で終わった。この半年「東京新聞のエッセイ、読んでいますよ」とさまざまな方から声をかけられ、嬉しかった、という。
作家は小説作品では、出版社の編集部と打ち合わせするだけで、本を出して売れれば、印税が来る。それが読者の反応である。その意味で、編集部の意見だけで、読者の声による反応のない環境にあるようだ。このエッセイでは、本人にブスな女流作家という人がいるそうで、それを気にしているようなことも書いていたように思う。話題づくりかも知れないが、作家に美人である必要はない。ブスの方がいかにも才女という尊敬心をもってしまう。わたしが「この女性作家はスマートで才気がある」と思う人は大抵ブスである。だいたいナオコーラという変な名前の方が、ブスっぽい。
 そこへいくと同人雑誌は書くと合評会というのがあって、必ず反応が示される。書き手にとって、それはすごいことではある。だた、見当はずれの批評があっても、少人数だから、それがおかしな批評であることを指摘するひとがいないことが多いのが欠点かもしれない。

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2012年12月26日 (水)

福島で放射能被災した子供たちを沖縄県久米島に保養させるNPO

 チェルノブイリで原発事故で、ウクライナ共和国になってから、国際的に放射能被曝災害地域になったところの子供たちは、「希望21」という保養所で国の法的な支援を受け治療している。≪参照:暮らしのノート
 この記者会見の様子を26日付けの東京新聞が記事にしている。
 現在、福島第一原発でも放射能の放出が続いている。日本で地震があると、世界jから福島原発の情勢が注目を集めている。世界にとって福島原発の放射能放出は他人事ではないのである。福島で、すでに被曝してしまった子供たちの今後は、ウクライナの事実をなぞるであろう。しかし、子供たちの移住を国は支援をしていない。
 そこで日本では沖縄県久米島に民間の寄付による「NPO法人沖縄・球美の里」ができている。文芸同志会でも少ないですが5000円を寄付しました。
 わたしは、昨年夏ごろから低線量放射能と健康に関するデータを集めを依頼され、ラジウムを放出する自然石の放射線が多く浴びるとがんになりやすいが、低線量であると治療効果あるという見解のホリミシス効果を利用している医師の事例などを取材してきました。それなりに臨床の結果がでているようです。この分野は、日本では原爆被爆地の例と、ビキニ水爆で被曝した第五福竜丸のデータが米国の管理下で明らかにされているくらいでしょう。まだまだ、未知の多い分野です。

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2012年12月25日 (火)

同人誌「R&W」第13号(長久手市)

【「迷羊(ストレイ シープ)」渡辺勝彦】
 東日本大震災のボランティアを福祉大学のゼミでやることになった小川三四郎が、関西から被災地に出かける。地道な話かと思わせておいて、現地で突然タイムスリップし、明治時代の三陸津波大災害のあった次元に行ってしまう。意外な展開でSF小説になっていく。それが面白い。半村良を思わせる。その時代のずれのなかでの物語としてのつじつま合わせが自然でよい。常に謎を残して話を意外な展開にもっていき、2弾、3弾の仕掛けもあって、面白く読んだ。調べたことがよく消化されていて、大変感心した。「匠」の手腕である。
【「最短三話(赤紙)」富士君枝】
 60歳になると召集令状がくる。何かと思うと、原発事故のメルトダウンした原子炉の始末に300年かかっているが、それで治まらず、ひと手不足で召集される話。「60歳以上の人は現場に行って欲しい」といった菅元総理の話の延長である。菅直人氏は、日本の政治家で権限で原発を稼働停止にしたただ一人の人物だが、現在は反菅勢力にけなされているようだ。
【「牢獄の魔鳥」萩田峰旭】
 夢とタロット占いのオカルトの世界を描く。小説的には明瞭さに不足があるが、感性が独自なので面白く読んだ。なにかすでにあるものをつぎはぎしたような感じがする。それも時代に合ったセンスがあるからできるので、資質を活かして、細部に磨きをかけるといいように思う。ただ、講師がおられるのに自分がこんな自己流の感想を言っていいのかしら、とも思う。
発行所=〒480-1179長久手市上井堀82-1、渡辺方。
紹介者「詩人回廊」伊藤昭一

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2012年12月24日 (月)

「創」に東谷貞夫氏がエールのコメント

 東谷氏よりコメントがありました。
「僕とは個人的なつながりのない同人誌ですが、伸びてゆくような気がします。書き手の中に「文芸中部」や「弦」などの同人がいて、底力を発揮するでしょう。朝岡明美や本興寺更は同人に安心感を与えているように思います。とにかく名古屋の力強い動きには感服しています。」   東谷
<参照:東谷氏の「創」7号評

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2012年12月23日 (日)

俳句詩 伊藤博良「城山散歩」を読む

 津久井勢 いざ出陣ぞ 夏嵐
 笹の葉を 掴む空蝉 武将塚
 古き代の 見えぬ城址は 霧の中
 柿ひとつ 城主の墓に 供えあり
 古戦場 塚より 昏れて 虫しぐれ
 逝く秋や 城山にある 落城記
 首塚や 荒野の果てに 冬日落ち
  ☆
これは同人誌「相模文芸」第25号(相模原市)にあるもの。本誌は地域風土を強く意識させる雰囲気の作品が多い。地域以内読者を意識しそれをばねに書くということは、これからの同人誌において重みを増すと思う。発行所=相模原市南区古渕4-13-1、岡田方「相模文芸クラブ」。
俳句は世界的に短詩として知られ外国人俳人も多い。ここでは、五七五のリズムをとった6行詩に読める。詩精神では、詩情とか抒情を、行を変えることで成立させている。そこにないものが、あるように感じさせるのが情感のもとで、これはうまくいっている。わたしは、今年の夏この城山に行って、散文にしている。≪参照:暮らしのノート「散策」≫これは味気ないが、文をつづけて抒情、叙事があれば散文詩になる。細かく書くよりも「城山散歩」のように、詩のほうが全体を直感的に表現できる場合が多い。
紹介者「詩人回廊」北一郎

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2012年12月22日 (土)

同人誌「創」第7号(名古屋市)

 本誌は、栄中日文化センター「小説を創る」教室編集とある。年に1回の発行だが、みっちり詰まった作品集。それぞれ自由闊達に書いてあるので、ぱらぱらと目についたものを拾い読み。このとき目が止まるものを自分は字面でよむと称している。以前は、商業読み物雑誌で人気作家の書いたものは、字面の感じでわかったものだが、最近は読者世代のちがいから、その見分けがつかなくなった。読者層が多様化したので、全体的な共通性はみつけづらいようだ。
【掌編「わら団子」本興寺更】
 「食うものはわら団子」しかなかったと苦労話をする父親に連れられ10歳で料理屋に奉公に出される。つらいからと言って家に戻っても追い返させられるだけだ。しかし、父親はその息子に影ながら支援の手をさし述べていた。短いなかで人情話にまとめているのに感心した。
【掌編「ゲームメーカー」卯月蓉】
 大学生がアルバイトでゲームのプログラムを請け負っている。そこに戦争のシミュレーションの依頼があったので、力作をものにして満足して送る。ある日、テレビのニュースを見ると、どこかの国で戦争が起きた。みると、自分の作ったシュミュレーション戦場がそこにあった。いかにもありそうで、(ありえないか)面白い。
【掌編「ゴミ屋敷」辻井まゆみ】
ゴミをためる人の性癖とそれを片づけに来る善意の隣人がいて、ゴミをめぐる話が続く。結局ゴミを片付ける人が行方不明になってみると、その人の家がゴミの山であった。人間のゴミを出す存在として描き、その矛盾した本質に迫りそうな奇妙な傑作。
【「運命と作為」伊藤良彦】
 年金生活者の夫婦の病気の話からはじまり、夫妻の病気の入院、手術の過程がだらだらと長く書いてある。このだらだらとしながら読ませるのが不思議な手法と言うか味で、こんな書き方もあったかと驚かせられる効果的表現。ヘタウマの漫画があるが、ヘタウマの文芸作品のようだ
発行所=〒458-0833名古屋市緑区青山2-71、安藤方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2012年12月20日 (木)

文芸同人誌「相模文芸」第25号(相模原市)

【「政治と文学に向き合って」外狩雅巳】
 総選挙の後で時流に合うので、目を惹いた。わたしは毎回投票に行くが、その度に結果的には、一度も当選者が出ていない。それでもすべて死に票なのかどうかは、判断が難しい。それと似たようなものが、政治と文学の関係にあるのかも知れない。外狩氏は、本誌24号に「「偽りの日々」という短編小説を書いており、それとの創作上の関連が、過去の労働運動生活にあるという。
「偽りの日々」という作品は、全学連活動かなにかの反体制運動で負傷し、身体不自由者となって地下にもぐる男の話である。それを支える愛人、道子の視点から描いたもので、思想的な芯を失った潜伏生活の破綻までを描いたものと記憶している。たまたま今年、潜伏していたオーム信者が自首する事件があったので、それと重ね合わせたタイムリーな作品という読み方もできて、よくまとまっていた。ところがこのエッセイによると、同人雑誌の印刷を依頼した会社の経営者が丹治孝子さんで、「婦人民主クラブ」の代表者であったという。そうした関係で社会運動家としての交流があった話や、女性活動家の姿をみてきたという。
 少なくとも「偽りの日々」には、体験を有効に活かしたものとはいえない。また、活かせばもっと良くなるとも思えない。そのことを自ら記して、次回作に意欲を示している。小説にはスタイルというのがあって、それにうまく沿っていることで完成度が上がっていることもある。
【「ぐうたら野郎たちの挽歌」野田栄二】
 湾岸京浜工業地帯の海岸にある自動車工場労働者の情況を描く。時期はオイルショックでトイレットペーパーがスーパーで品不足になった時期らしい。溶鉱炉の煙突、運河の廃船、クレーン、喫水の高い貨物船、強風に飛ばされる新聞紙。どれもドライハードな詩的情景に読める。そこに豊満でエネルギーに満ちた中年女性が出てくる。中味は郷愁に満ち、文学的で見事な叙事詩として読める。自由な散文精神によるこのような作品は、同人誌ではエッセイとするらしいが、詩的散文のジャンルがあっても良いような気がする。このようなものは幾つも乱発できるものではないと思う。
 発行所=相模原市南区古渕4-13-1、岡田方「相模文芸クラブ」。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2012年12月18日 (火)

文芸2012年5氏のベスト3(敬称略)(読売新聞12月17日)

文芸2012年識者5氏のベスト3(敬称略)(読売新聞)
★石原千秋(早稲田大教授) ・赤坂真理『東京プリズン』(河出書房新社) ・池澤夏樹『氷山の南』(文芸春秋)
 ・松家仁之(まさし)『火山のふもとで』(新潮社)
★絲山秋子(作家) ・田中慎弥『共喰い』(集英社) ・辻原登『父、断章』(新潮社) ・舞城王太郎『短篇五芒星(たんぺんごぼうせい)』(講談社)
★田中和生(文芸評論家) ・川上弘美『七夜物語』(朝日新聞出版) ・柴崎友香『わたしがいなかった街で』(新潮社) ・吉田修一『路(ルウ)』(文芸春秋)
★沼野充義(東京大教授) ・加賀乙彦『雲の都』(新潮社)(第4部「幸福の森」、第5部「鎮魂の海」が刊行され完結。 ・多和田葉子『雲をつかむ話』(講談社) ・小野正嗣「獅子渡り鼻」(「群像」11月号)
★松浦寿輝(作家) ・松家仁之『火山のふもとで』(新潮社) ・津村記久子『ウエストウイング』(朝日新聞出版)
 ・赤坂真理『東京プリズン』(河出書房新社)

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2012年12月16日 (日)

連歌デモ4095……  欲に目眩むと 笑われるなかれ

4095(4084「風吹けば桶屋」に返歌) 経済は 民の暮らしを 救うもの 経団連よ 人々に 感謝されるか 憎まれるのか 欲に目眩むと 笑われるなかれ
「詩空間」より

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2012年12月14日 (金)

同人雑誌季評「季刊文科」第58号2012年11月27日発行

◆勝又浩氏「小説の肉食系と草食系」
天見三郎「猫とパチンコ」(「黄色い潜水艦」56号、奈良市)、河合愀三「廃墟」(「龍舌蘭」183号、宮崎市)、松本春久「いまだ陽射しはない」(「獏のあしあと」4号、和歌山市)、高山柳「屋敷跡」(「かいだん」59号、小金井市)、本千加子「かわうそ」(「カンテラ」25号、西宮市)・矢谷澪「山の家」、林知佐子「ちゃあちゃん」(「奇蹟」66号、箕面市)、葉山弥世「かりそめの日々」(「水流」22号、広島市)、篠原ちか子「開花注意報」(「風紋」7号、魚津市)、弾栗舎「万さんの手帳」(「あべの文学」15号、大和市)、犬飼和雄「茶碗奇訳」(「CARAVAN」15号、東京都)
◆松本道介氏「夢中で書く人々」
「文芸復興」より上野アイ「日本声楽界の草分け 柳兼子」・丸山修身「五十年」・吉田真規子「『大本』亀岡本部 天恩郷を訪ねて」・西澤健義「人間国宝 川崎九淵素描(中)」、伊志嶺意佐雄「俳句賞翫」(「火山地帯」170号、鹿屋市)・田所喜美「天の配剤」、佐藤靖子「若草色の箱」(「サボテン通り」12号、函館市)・長沢とし子「・ラジャー」、亜木康子「凪」(「湧水」52号、東京都)、北村くにこ「鬼を飼う」(「人間像」北海道・北広島市)、永井達夫「最初の記憶-もしくは直木三十五の文学記念碑-」(「VIKING」740号、和歌山県高野町)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年12月13日 (木)

詩の紹介 生きる 谷岡佐江子

生きる 谷岡佐江子
蚊が耳のそばで鳴く/つかもうとすると/四月の蚊は/へなへな飛んで逃げる/また寄ってきて/耳のそばで鳴く/蚊一匹で眠れない
ネパールへ/旅したとき/ガイドの少年が/体じゅう 蚊に刺されながら/熟睡していた
生物学では/心臓が十五億回打つと寿命だという/人間では四十一歳である/いま この国の女性の平均寿命は八十六歳に
母のひとりごとを思い出す/ 「まだこうやって長生きしていようというんだから/ 困ったもんだ/ さっさと邪魔になってないで/ あれしてしまえばいいんだけど/ なかなか寿命があれしてくれない/ 小さいころから丈夫だっだから/ だめなんだね」
神様の落し物のような/母のひとりごと
蚊一匹で 眠れない/わたしの 生きる
(地下水204 より 2012,年8月 横浜市・横浜詩好会  )

紹介者・江素瑛(詩人回廊
蚊は植物の汁で生きることができますが、繁殖期のメスの蚊は動物の血を吸う、卵を作るため。夜中で耳もとにしつこく鳴くメス蚊ほど嫌なものはないでしょう。蚊一匹で眠れない夜に、なぜか母の思い出が頭に響く。母のように長寿でいることに、母の気持ちが身に沁みる作者なのです。

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2012年12月12日 (水)

文芸同人誌「奏」2012冬号(静岡市)

 本誌の後記によると、編集者の勝呂奏氏は、作家・小川国夫が亡くなって本誌に連載していた「評伝 小川国夫」を刊行し、「新潮」9月号に「作家修業時代の小川国夫」を執筆したとあり多忙のようだ。
【「冬になると赤い実をつける木」安倍七家】
 文章には読む上で、スピードのあるものと速度の緩いものがあるが、これはゆっくりとした速度で読ます、いわゆる行間を味う傾向の作風であった。連載的なつながりを意識せずに部分読みでも楽しめる。今回は、イギリス生活が非日常性を感じさせる描き方がされていてそれが面白く読めた。
【「小川国夫『心臓』論」勝呂奏】
小川国夫の短編「心臓」(原稿用紙27枚)が、名作として各種のテーマ別短編文学集に収録されていという。その元となった17枚の原稿が現存しており、そこからどのように小川国夫が「心臓」という形にまとめたかの過程を検証している。
文章はそのままではただの文であるが、それをある方向性をもって、簡潔化し省略することで、多言を要さずに多くの意味を含蓄させるか、または、多くの装飾を加えることで、語る意味付けを深めるかという相反するような手法がある。
小川国夫は志賀直哉の影響をうけたらしく簡潔性を重視したようだ。ここでは、省略の仕方が極端で、そこに独自の技法が存在することがわかり、より含蓄の深まる方向に推敲してきた経過がよくわかる。これを読んだ自分の感じだが、小川国夫という人は、当初の表現の源は閃きであって漠然としか把握していなかったものを推敲しながら焦点を明確にしてゆく作風のようだ。
 わたしは伊藤桂一氏の指導のなかで、雑誌社からテーマを与えられ原稿依頼を受けた時に、下書きをつくり、それを推敲していく過程を知らされた。その時の作家としてはテーマについて格別に関心があったわけではない。下書きはテーマに必要な素材をならべた、まさに作文に毛の生えたぼんやりとした凡作であった。ところが、それを推敲しながら文芸的な含蓄のある短編に仕上げてしまった。
 それにくらべ小川国夫には、自分の書きたいことに全力を尽くす、まさに純文学作家ならではの発想が見える。
紹介者( 「詩人回廊」伊藤昭一)

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2012年12月 9日 (日)

「文芸思潮」第47号・五十嵐勉氏アウシュビッツ訪問企画を読む

 雑誌「文芸思潮」の発行者である作家・五十嵐勉氏が47号でポーランド・アウシュビッツ国立博物館を訪ね、その関連資料と同館公式通訳・中谷剛氏へのインタビュー記事を掲載している。≪参照:文芸思潮
 本誌については東京新聞のコラムにも取り上げられている。本誌で公募している各種文芸賞の応募者数をみても、日本の文芸文化の裾野の拡大強化に貢献していて、定着していることがわかる。
「文芸思潮」=アジア文化社の五十嵐氏の姿勢は当初から、戦争とその暴力装置を生みだす人間精神の追求で一貫しているように見える。その奥に作家兼編集者としての冷徹にも見える、孤独で強靭な精神が読める気がする。その厳しい視線と同人誌というある種の自己表現の拡張への甘いロマンの両立というアンバランスがいかにも現代的な精彩を放っている。
今号では、ルドルフ・ヘスの回想録の一部、ヘンリー・スチムソン「原爆投下の決断」、カミユの原爆投下への意見などが採録され、五十嵐イズムが発揮されてて、大手出版社の文芸誌とは一線を画した企画が光る。
 たまたま亡くなった同人誌仲間の作品資料を点検整理していたら、普段の作風とは異なるえらく難解な閉塞的な作品があった。その原稿の「私」という呼称の脇に鉛筆でヘスとかルドルフという文字があり、それが幽閉された情況のヘスの心理を描いたものらしいと思いついたばかりのところ。おそらく「私」という呼称でそれがヘスのこととどこまでわかるようにするか、それとも誰ともわかない様な表現でも、わかる人はひとはわかるであろう、と考えた痕跡ではないかと感じた。戦後しばらくの間なら、それは「私」でもヘスのこととわかったであろうが、おそらく後年になって時代の変遷でヘスと明記しないと理解されないと考えたのではないか。そこへこの雑誌の記事で、感慨がひとしおであった。

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2012年12月 7日 (金)

文学フリマが「ニコニコ超会議2」の併催イベントに

 文芸同人誌の即売会文学フリマが「超文学フリマinニコニコ超会議2」の併催イベントとして2013年の4月に開催されることが決まった。 (暮らしのノート「文芸」)
 「ニコニコ超会議2」は2日間にわたる文化イベントで、前回は2か月前に突然開催を決めたものとして幕張メッセで9万人超えの動員をしたということで、メディアの話題になった。
 従来のレギュラーの文学フりマでは、客層が文学ファンという限定があったが、このイベントは「ニコ動」のネット中継が入り、お祭り騒ぎの一般人がどっと押し寄せる。ここで、文芸作品を売ることは、町のど真ん中に本の露店を置くようなものになるかも知れない。その意味で、街中で文芸本を売る感覚が味わえるかも知れない。

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2012年12月 6日 (木)

きょうの連歌デモ3894 ~凍れる海に潜りて探せ己の魂 

3894 良心を何処に捨てたか推進派凍れる海に潜りて探せ己の魂
詩空間 連歌デモ」より。

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2012年12月 5日 (水)

文芸同人誌「海」86号(三重県いなべ市)

 本誌には感想を書くための編集部宛先の私製はがきが挟んである。一つの方策ではある。同人雑誌の作者は、一人の読者が心を動かしてくれたら、それでいいというような気持で書ける場所でもある。もしかしたら自分を理解してくれる人がどこかにいるかも知れない、その人を求めて書こうという動機であれば、それはロマンである。
【「春風の人 人見幸次」国府正昭】
本誌の編集発行者であった人見幸次氏が70歳で亡くなって、友人の国府氏による作品解説と、人生のかかわり合いと回顧である。これを読むと執筆に根拠があるものを書いていて、デザイン創作など多彩に活躍した作家であったようだ。年譜もあって、後日に大変貴重な資料になるかも知れない。四日市市であるというから、作家・伊藤桂一氏とも面識があったかも知れない。ものを書く人の人生は有名であろうが、地域的な作家であろうが、その活躍の足跡には大変興味深いものがある。実生活のディテールの上に作品が重なる様子が、外側から見えるのは小説以上の感銘があるからだ。
発行所=〒511-0284いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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2012年12月 4日 (火)

阿川佐和子著『聞く力』と赤坂真理『東京プリズン』の話題

 日販とトーハンの2012年年間ベストセラーを3日に発表された。年間総合1位は、両社とも阿川佐和子著『聞く力』(文藝春秋)。7位までは同じラインナップ、2位『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)、3位『新・人間革命(24)』(聖教新聞社)、4位『体脂肪計タニタの社員食堂〈正・続〉』、5位『舟を編む』(光文社)、6位『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎)、7位『人生がときめく片づけの魔法〈1・2〉』(サンマーク出版)。以下、日販が8位『実はスゴイ!大人のラジオ体操』(講談社)、9位『美木良介のロングブレスダイエット〈シリーズ4点〉』(徳間書店)、10位『日本人の知らない日本語(3)』(メディアファクトリー)。トーハンが8位『不滅の法』(幸福の科学出版)、9位『実はスゴイ!大人のラジオ体操』、10位『50歳を超えても30代に見える生き方』(講談社)。
 一方、 マガジンハウスは、デジタルマガジンdacapoの「今年最高の本!」を発表、1位に赤坂真理『東京プリズン』(河出書房新社)が選ばれた。
「今年最高の本!」は、新聞・雑誌の書評担当者へのアンケートで2012年のBOOK OF THE YEARを選定する企画。同特集の記事は、ウェブ版dacapo、スマホ向けのアプリ「dacapo monthly review」で配信する。上位作品は次の通り。
2位=宮部みゆき『ソロモンの偽証 第1部~3部』(新潮社)、横山秀夫『64』(文藝春秋)4位=内澤旬子『飼い喰い―三匹の豚とわたし』(岩波書店)、安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)6位=松浦理英子『奇貨』(新潮社)、孫崎享『戦後史の正体』(創元社)8位=吉田豪『サブカル・スパースター鬱伝』(徳間書店)9位=伊藤計劃、円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社)、都築響一『東京右半分』(筑摩書房)、ファ( pha)『ニートの歩き方―お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(技術評論社).。
(「新文化」より)

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2012年12月 3日 (月)

詩の紹介 「君にすすきを」 問林岩雄

「君にすすきを」 問林岩雄
友よ 君にはすすきが似合う/どこにでもある/目立たぬ草だが/僕はその華やぎを知っている/いちめんの尾花が/秋風になびき/金色の夕日に輝くさまは/まさに息を飲む光景だ
きまじめに生き/実直に勤め/金や名誉に縁のなかった君には/なによりすすきがふさわしい/訪れる人の少ない/君の墓の前に/手に余るすすきを/いく列にも並べ/吹く秋風に/なびかせよう
(問林岩雄詩と文・評論「あなた」より2012年10月大阪市北区竹林館)

紹介者・江素瑛(詩人回廊)東南アジア生息する野原の雑草すすき、土のあるところ、どこにも見える弱そうでありながら強い草である。秋に咲く尾花が、秋の風情、中秋の月見にかかせないものです。
すすきは芒とも書く。微かに静かに確実に輝くもの、まさしく君のような人生である。「手に余るすすきを君の墓の前に」、友人のことをよく理解している作者の気持ちがうかがえます。

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2012年12月 2日 (日)

文芸時評(東京新聞11月29日夕刊)沼野充義氏

活況 新しい言葉の探索/大澤信亮「新世紀新曲」批評の枠取り払う野心作
≪対象作品≫キルメン・ウリベ「ビツバオーニューヨークービルバオ」(金子奈美訳、白水社)/ミハイル・シーシキン「手紙」(名倉有里訳、新潮社)/大澤信亮「新世紀新曲」(新潮)/木村友佑「埋み火」(すばる)/崎山多美「うんじゅうが、ナサキ」(同)/橋口いくよ「かめこさま」(群像)/滝口悠生「わたしの小春日和」(新潮)/安部公房・未発表短編「天使」。
            ☆
 文芸作品と文学作品とどうちがうか。ひとつには言葉の芸術性を重視して文芸というように解釈できる。それは読ませる芸であるとも読み取れる。ところが純文学というと言葉の芸術生を評価したジャンルである。文英時評という表現ですら意味が2重化しているようだ。

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2012年12月 1日 (土)

「西日本文学展望 「西日本新聞」2012/11/28朝刊・長野秀樹氏

題「日常の裂け目」
伊藤幸雄さん『メビウスの環』(エポック社刊)、青海静雄さん「川に遊ぶ男」(「午前」92号、福岡市)
古岡孝信さん「村明かり」(「二十一せいき」19号、大分市)
「詩と真実」761号(熊本市)より木下恵美子さん「パライソ」、「飃」91号(山口県宇部市)より内山博司さん「玉楠の証跡-横浜メモ・文明の足音」、「海」(第二期8号、花書院)より有森信二さん「鼠の告発」、牧草泉さんの翻訳「大きな岩の顔(その一)」(ナサニエル・ホーソン原作)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


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