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2012年12月12日 (水)

文芸同人誌「奏」2012冬号(静岡市)

 本誌の後記によると、編集者の勝呂奏氏は、作家・小川国夫が亡くなって本誌に連載していた「評伝 小川国夫」を刊行し、「新潮」9月号に「作家修業時代の小川国夫」を執筆したとあり多忙のようだ。
【「冬になると赤い実をつける木」安倍七家】
 文章には読む上で、スピードのあるものと速度の緩いものがあるが、これはゆっくりとした速度で読ます、いわゆる行間を味う傾向の作風であった。連載的なつながりを意識せずに部分読みでも楽しめる。今回は、イギリス生活が非日常性を感じさせる描き方がされていてそれが面白く読めた。
【「小川国夫『心臓』論」勝呂奏】
小川国夫の短編「心臓」(原稿用紙27枚)が、名作として各種のテーマ別短編文学集に収録されていという。その元となった17枚の原稿が現存しており、そこからどのように小川国夫が「心臓」という形にまとめたかの過程を検証している。
文章はそのままではただの文であるが、それをある方向性をもって、簡潔化し省略することで、多言を要さずに多くの意味を含蓄させるか、または、多くの装飾を加えることで、語る意味付けを深めるかという相反するような手法がある。
小川国夫は志賀直哉の影響をうけたらしく簡潔性を重視したようだ。ここでは、省略の仕方が極端で、そこに独自の技法が存在することがわかり、より含蓄の深まる方向に推敲してきた経過がよくわかる。これを読んだ自分の感じだが、小川国夫という人は、当初の表現の源は閃きであって漠然としか把握していなかったものを推敲しながら焦点を明確にしてゆく作風のようだ。
 わたしは伊藤桂一氏の指導のなかで、雑誌社からテーマを与えられ原稿依頼を受けた時に、下書きをつくり、それを推敲していく過程を知らされた。その時の作家としてはテーマについて格別に関心があったわけではない。下書きはテーマに必要な素材をならべた、まさに作文に毛の生えたぼんやりとした凡作であった。ところが、それを推敲しながら文芸的な含蓄のある短編に仕上げてしまった。
 それにくらべ小川国夫には、自分の書きたいことに全力を尽くす、まさに純文学作家ならではの発想が見える。
紹介者( 「詩人回廊」伊藤昭一)

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