文芸時評(東京新聞11月29日夕刊)沼野充義氏
活況 新しい言葉の探索/大澤信亮「新世紀新曲」批評の枠取り払う野心作
≪対象作品≫キルメン・ウリベ「ビツバオーニューヨークービルバオ」(金子奈美訳、白水社)/ミハイル・シーシキン「手紙」(名倉有里訳、新潮社)/大澤信亮「新世紀新曲」(新潮)/木村友佑「埋み火」(すばる)/崎山多美「うんじゅうが、ナサキ」(同)/橋口いくよ「かめこさま」(群像)/滝口悠生「わたしの小春日和」(新潮)/安部公房・未発表短編「天使」。
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文芸作品と文学作品とどうちがうか。ひとつには言葉の芸術性を重視して文芸というように解釈できる。それは読ませる芸であるとも読み取れる。ところが純文学というと言葉の芸術生を評価したジャンルである。文英時評という表現ですら意味が2重化しているようだ。
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