文学フリマでの売れ方その2「野上弥生子の文学とその周辺」
もうひとつの文学フリマらしい売れ方をしたのがありました。それは、評論集「野上弥生子の文学とその周辺」(草場書房)です。たまたま「詩人回廊」(伊藤誠二の庭)に投稿があったので、思い出しました。この本も第15回文学フリマで売れました。ただ並べておいただけでブースの宣伝にも、なにも書いていなかったのですが、ブースでこの本の「野上弥生子」という表紙をめざとく見つけて手に取った人が4~5人いまして、そのうち2、3人が買いました。価格は定価の半額の500円にしたと思います。いままでも文学フリマで販売してきましたが、そう見られる本ではなかった。ブースの位置がこの本が良く見えるらしく、手に取る人が多かった。
それと、野上弥生子の研究をする人がかなりいるということらしい。この本には最近亡くなった文芸評論家・浜賀知彦氏とわたし伊藤昭一も執筆しています。編著者から、原稿料として1万円出すから書いて欲しいというので、「いいよ」と1週間ぐらいで書いた。わたしは当時、ライターズバンクの登録原稿料が原稿用紙1枚4000円だったから、大サービスであるし、こんなのはささっと片付けないと効率が悪い。
書いた内容は、野上弥生子の「海神丸」という小説が事実を題材にしていることを話のタネに、事実の物語化と創作の物語のどこが違うかを論じたものです。
ここではリアリティというのは、本当らしさであって、小説はそれをもって説得力をももつが、事実は起きたことであれば、リアリティのないものでも人々は事実あったことだからと納得してしまう、ということ。
たとえば最近は、信用金庫たてこもり事件があったけど、これをそのまま起きたことを小説にしたら、おそらく読者は「リアリティ」がない、と批判するでしょう。しかし、そのニュースをテレビでみたり、新聞記事で報道しても、リアリティがない、と批判する人はいないでしょう。
この人間の感受性のずれを、権力が利用して国民をだますのだ、という論旨です。
この評論ではイラク戦争の報道についての批判をしています。現在ならば原発問題にしていたでしょう。日本の原発が絶対に安全で事故を起こさないと小説にしたら、おそらく読者は、スリーマイルやチェルノブイリで起きているのにそれは「リアリティがない」と批判したでしょう。しかし、メディアがニュースとしてそれを報じると、たぶんそうだろうと思って批判しなかったのです。「真実」と「事実」「物語」のずれにスポットを当てると評論家として書くネタには困りません。
こうした発想のヒントをくれたのが菊池寛の芸術における「真・善・美」の主張でした。菊池寛はよく「本当のことがわかのが文学だ」と言っています。真実ですね、では真実でどれが真実?事実とどうちがうの?という疑問になるのです。
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