同人誌「石榴」第13号(広島市)紹介へのコメントの回答
庄野さんは、お父さんの「看護手記」を出版されたそうですね。
木戸さんの2作「全身昭和」「めくるめく一日」は、私小説風とエッセイ風だったと記憶しています。良い作品で、追及のしどころも心得があって、いい作品だと思ったものです。以前は下記が発行所でした。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀埼2-16-7、木戸方「石榴編集室」。
ただ、私は木戸さんは手記以上の表現芸術をめざしていると思い、そのままでは行き詰るのではないかな、と思ったので、不満を述べました。だいたい、私小説もエッセイも散文ですよね。そこには散文精神による芸術性をもつことで、手記としての「自己表現」から叙事詩なり叙情詩なりの作品となると私は考えています。
文章の世界は、リアリズムだけがすべてではありませんので、手記風ですと息苦しいですよね。どこかに解放感を与えるためには世界を広くとらえて、リアリズムを超えてもいいのではないでしょうか。見知らぬ他人が読んでもいいように。川端康成の「伊豆の踊子」も、踊子の現実は悲惨だったようです。それを詩情にしたわけで、そういう意味での注文づけでした。同人誌には「手記」風が多いのはたしかですが、自己表現の範囲ですから、それでもべつにいいのではないでしょうか。
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コメント
さっそくのお返事、ありがとうございました。
>手記以上の表現芸術をめざしている
そうですね。確かに手記とはいえ、単なる手記で終わりたくないとは私も思って書いていましたし、実際、私は元漫画家ですので、読者を意識せずには書けませんでした。他の手記にありがちな、途中で飽きてしまったり、個人的な人間関係の話に終始したりでは、興味を持って最後まで読んで貰えないと思ったから、構成にはかなり気を使いました。嘘は書けませんでしたが、どういうエピソードをどこに入れるか、という事には知恵を絞り、読者に必ずページをめくらせる、という思いで書いている自分を、父の死を商品にしているような気分にさせ、なかなか辛いものがあった程です。
手記か手記風小説かの違いは実名を使うかどうかかな、と考えています。実名を使う限りは虚実皮膜も使えず、縛られます。もし私が父の立場での作品を書くのなら、実名を使わないで書きたいと思います。
そうなるとこれはもう小説になるのでしょうね。
投稿: 庄野ひろ子 | 2012年11月29日 (木) 23時27分