菅原治子著「太宰治を探して」(かりばね書房)
俳句には桜桃忌という季語がある。これは太宰治の昭和23年(1948)6月、39歳で愛人と入水自殺した小説家、太宰治の忌日。遺体が発見された6月19日を命日とし、墓が東京都三鷹市の禅林寺にあり、法要が行われる。大勢のファンが太宰を偲ぶ。参加作品「桜桃」による命名らしい。
本書の著者は小山七々子の筆名で「婦人文芸」に参加し、本書も同誌の88号~91号にわたり菅原治子として連載したものと記憶している。早々と一冊にまとめて刊行したもの。最近では「婦人文芸」の同人構成員の欄に名がないようだ。≪参照:菅原治子著「太宰治を探して」(かりばね書房)≫
本書は、ある程度太宰治の作品を読んだ人が、その本質を理解するのに大変良い本である。わたしは、それほど読んでいるわけではないが、非常に理解が深まった。
太宰治については、心酔する姿勢の者と傍観的な読者がいるが、わたしは傍観者的に読んでいた。それでも、非常に面白く、作者の芸術味たっぷりの解説を楽しんだといえば語弊があるが、作者の言葉が信じられ同感が得られた。
太宰の引用部分がこの作者ならではのオリジナリティに満ちたもので、全体に詩情があふれて、散文詩評伝になっている。とにかく太宰のやさしさの文章の巧さが引き立つ。
解説で、白川正芳氏が指摘しているが、太宰の精神の根底にさびしさを見ているのが、全体の詩情性を生む原点になっているようだ。太宰の「やさしさ」「さびしさ」が、数々の生活の齟齬を生むとする。
だれもが「やさしく」生きたい、「さびしさ」を持たず生きたいと思う。同時に「やさしさ」ゆえにしてしまうことの怖さ、「さびしさ」から逃れるための行為の恐ろしさ、その半面教師としての示唆も含まれている。
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コメント
太宰治の魅力は、恥ずかしさ、照れ、優しさ、自虐的な姿勢であろうと思います。
あつかましくない日本的情緒でしょうか。
三島由紀夫が太宰文学を否定したのは、弱さを武器にしている太宰文学を生理的に否定したかったのでしょうか。
三島の皇国史観と強いものに憧れ、貧弱な小男の自分の肉体をボデイービルで改造して強がってみる幼児性などは、哀れに悲しく映ります。しかし、強がりもまた文学を支えるものでしょう。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2012年10月 2日 (火) 02時23分