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2012年9月14日 (金)

豊田一郎「白い花の咲く頃」の勝又氏評と、その読み方の考察(3・完)

 日本文学の伝統の流れに私小説というジャンルがある。これは現実に沿ってリアルに描写することで、読者はそれが事実に沿っているものとして読む。
 それに対し、西欧文学においては、創作的人物であっても「ボヴァリー夫人」を書いたフローベルのように「それは私だ」と、広い意味での創作全体を「私」の表現として発想するところがある。
 近年の純文学では、現実的リアリズムをはなれ、現実には存在しない奇矯な人物や現象を作り上げ、象徴的に現代を表現するものが増えた。
 表現の方法からするとSF小説と同じところがある。もし、これらがSF小説としたジャンル付けで店頭に並べられたら、もうすこし多くの読者を獲得するのではないか、と思われる。
 豊田一郎「白い花の咲く頃」にみられるロボットの小説もSF小説であり、私小説的である。現実の管理社会は、肉体細胞の若い者を中心とした社会から、肉体細胞が老化しただけで精神は社会性を持っているのに、社会から排除される現代の動向に反抗する意味合いがある。これは、作者の実感であろう。
 現実から離れて、空想を自由に発揮させることは、その人の「私」を描き出すことが多い。
 SF的ロボット小説の元祖とされるシェリーの「フランケンシュタイン」の人造人間は、現在はホラー映画の象徴的な存在となっている。その理由すら曖昧になっている。
 顔や身体の縫い目があるのは、それがあちらこちらの人間の死体の一部分を継ぎ接ぎして人造人間をつくたからであり、それが成功すると彼が超人的な力で作製者であるフランケンシュタイン博士に反抗するという。この異様な存在が恐怖のもとなるのである。
 この小説には、作者シェリー夫人の実人生と結びつけた作品分析の書があるらしい。巽孝之「現代SFのレトリック」(岩波書店)によると、作品はシェリー夫人の人生の反映そのものであるとし、彼女の人生をたどって分析しているようだ。まさに私小説としての扱いといえるのでは。
 「「白い花の咲く頃」(「電動人間」連作)に限らず、同人誌作品のなかにはこのような意義を前提に読めば、その評価もまた変わるものがあるのではないかと思うものである。
 最近では、あの人気作家の筒井康隆氏がライトノベルスタイルで作品を発表しているらしい。とにかく読まれたいという作家の対応力に驚嘆するしかない。(完)
<ここに論評された作品は「詩人回廊」に「「白い花の咲く頃」(「電動人間」連作)として掲載されています>

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コメント

豊田さんの冒険をまず評価したいですね。作品は成功しているかどうかと言えば、発想だけで、新鮮味はないにしても、高齢にもかかわらず冒険した壮途を買いたいです。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2012年9月30日 (日) 05時45分

純文学、通俗小説、大衆小説などという仕分けは過去のものですが、最近の未来小説の体裁をとる作品は、かなり幅も深さもある種類のものが増えてますね。
それをどう評価の俎板に乗せられるか、文芸批評担当者の姿勢が問われてますね。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2012年9月20日 (木) 02時09分

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