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2012年9月30日 (日)

文芸時評(東京新聞9月27日)沼野充義氏

小説らしさ超えた価値/黒田夏子「abさんご」実験性高い詩的文章群
≪対象作品≫早稲田文学第5号「翻訳という未来」/第24回早稲田文学新人賞・黒田夏子「ab さんご」(早稲田文学)/福永信「三姉妹」(「群像」7~10月)/木村友祐「天空の絵描きたち」(文学界)/野田秀樹「エッグ」(新潮)。
黒田夏子氏に関する一部抜粋=篠山紀信による作者の写真を大々的に掲載した「早稲田文学」の編集方針は、年齢を逆手にとっての話題づくりを狙っている湯にように見える。若くて美形の新人作家を売りだして話題を作りたがる大手出版社の商業主義に対抗する戦略であろう。作者とテクストを切り離すべきだという二十世紀の文学理論の一時主流となったが、読者はそんな理論におかまいなしに作者像を知りたがるものだ。


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2012年9月29日 (土)

円居挽さん『丸太町ルヴォワール』講談社文庫

 はじめまして、円居挽です。
 『丸太町ルヴォワール』は、私の見た京都のエッセンスが凝縮された作品です。かつて京都へ進学した私が驚かされたのは、街そのものの素晴らしさもさることながら、出会う人々の面白さでした。特に大学の先輩たちときたら無茶苦茶で、それでいてとても魅力的なのです。私自身は平凡な人間でしたが、それでも彼らと過ごすことによって、夢のような学生生活を送ることができました。
  そんな楽しい学生生活の終わりが見え始めた頃、ふと彼らを自分の小説に出したらどうなるだろうと思って筆を執り、その末にこの作品が出来上がりました。
  改めて自作を読み返すと、よく知った人間が馴染みの舞台を駆け回るので、なんだか懐かしい思いが湧いてくる一方で、ありし日の彼らもきっとこんなことをしていたのではないかという気がしてきました。そんなめくるめく一冊、皆様にも楽しんでいただけると幸いです。(円居 挽)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年9月15日号より)

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2012年9月28日 (金)

詩の紹介  「いつだって」   植田文隆

「いつだって」  植田文隆

いつだって人が/消えることは/ない街だけと/一瞬だけ/静かになる/午前五時/ネオンが消えて/帰っていく人々/出かける人々/このふたつが/すれ違うんだ/でもそんなことには/誰にも気つかず/今日も朝が来る
詩誌「コールサック」73号より2012年8月(東京都板橋・コールサック社)」

紹介者・江素瑛(詩人回廊
人の消えることはない街は、夜も眠らない街。人の人間的自然法則は、日の出でから働く、日が沈んだら休むこと。それに逆らう街でもほんの吐息、午前五時に「一瞬だけ/静かになる」。
二十四時間をまるまる人が頭脳を酷使することで、心を病み、心療内科の患者も増える一方。「一瞬だけ/静かになる」の時間に思いを馳せるのは、心が自然を記憶しているから。それは、生命の法則が人間に教える警告ではないでしょうか。

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2012年9月27日 (木)

著者メッセージ: にしゃんたさん 『日本で知った「幸せ」の値段』

みなさん、はじめまして! にしゃんたです。
 スリランカ生まれのスリランカ育ちですが、テレビドラマ「おしん」に憧れ、25年前に日本に来ました。7年前に日本国籍をとりましたから、れっきとした日本人なんですよ。
 日本に来てから四半世紀。ずっと必死で生きてきました。体当たりで「幸せってなんやろ?」って追求してきました。そんな体当たりの「幸福論」を、僕が日本で払ったお金と頂いたお金、「お金」をテーマに書いてみたのが、
 この本です。日本人でも知らない、この国のいろんな顔と向き合ってきた僕やから書けたこと、沢山あると思います。
 喜怒哀楽がギュッと詰まった物語へ、テンポの良い、そして温もりのある文章で(すんません、自画自賛ですね~)、あなたをお連れ致します。僕が「日本で知った『幸せ』の値段」は? あなたにとっての「幸せとは」?
 そして「幸せの値段」って?  ――夢も持ちにくいし、先の見通しもなかなか暗い今の時代にこそ、あなたに読んで欲しい本です。
 追伸 : 筆者でありながら、また自画自賛で恥ずかしい話ですが、この本を読み返して2箇所で泣きました、僕。 (にしゃんた))(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年9月15日号より)

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2012年9月26日 (水)

著者メッセージ: 佐藤亜紀さん 『金の仔牛』

Q:どうしてバブルは必ず潰れてしまうのですか。
 A:潰れたものだけをバブルと言うからです。潰れなければただの経済成長です。
  不快なくらいに正確で、同時に曰く言い難いくらい如何わしい話だ。バブルと経済成長の間には厳密な線引きなどなく、人が額に汗して幾ら働いたところで必ずしも経済は伸びないどころか、そもそも景気が悪ければ働こ
 うにも仕事自体がない。一方、金が盛んに動き回れば、格別の勤労なしでも、勝手に好況はやって来る。そこには何か悪魔的なものがあると、人々は感じたし、今も感じ続けている。これを克服するには、所謂言語論的転回に匹敵 する大どんでんが必要だろう。
  ただしバブルそのものは最高に楽しい。一七一九年のバブル小説というのは、作家になった時には既に考えていた題材の一つだ。それがこの経済的などん底で実現したというのもひとつのめぐり合わせだろう。 (佐藤亜紀)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年9月15日号より)

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2012年9月25日 (火)

第15回「文学フリマ」11月18日東京流通センターでの会員著作本販売へ

11月18日に第十五回文学フリマが東京流通センターで開催されます。
 文芸同志会も参加し、そこでの販売本を順次「文芸同志会のひろば」で掲載していきます。現在、新刊を製作中ですが、過去の在庫や会員の在庫なども販売します。文学フリマでは、参加同人誌サークルがブースを並べ合同スペースで広くするシステムもあり現在、文芸同人誌「砂」の会とのドッキングを申請中です。主宰者の伊藤昭一が、フリーライターからビジネスフリーのライターになりました。経済団体の機関紙などやっていましたが、なんとか円満に引退できています。そこで、いままでできなかった「詩人回廊」「暮らしのノートPJ・ITO」と当サイトの連携を強めます。現在は、上野の国立西洋美術館に通って、ロダンの作品を観ています。ロダンは彫刻は言葉に出来ない芸術といっているので、では言葉では、どこまでできないのか、言葉で挑戦してみようという試みを狙っています。趣味ですから。でも、上野への電車のいき帰りには、なんとかノンフィクションもので売れるテーマをさがして思いめぐらしています。
 ただ、梅原猛氏は、人間は社会的な存在でそこからは抜け出せないとしながら、80歳を超えて隠居ができると東京新聞に書いている。わたしも座禅生活に入ることをちらりと考えたが、まあ、ロダンの作品をみると、この脂ぎった生命力はなんだ、と追求したくなる。
 

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2012年9月24日 (月)

「ことばの森から」「毎日新聞」西日本地域12年9月17日(水)朝刊小説編<9月>古閑章氏

題「夫婦とは」究極の問いを提示
『詩と眞実』第758号より内田征司「ミッシング・リンク」・蓑田正義「尾張の宮秘譚」
『火山地帯』第170号の同人・田所喜美追悼号より遺作「天の配剤」
納富泰子「ヤマカガシ」(『KORN(コルン)』第1号)、田井英祐「聖トン譚」(『詩と眞実』第757号)、渡邊眞美「穴」・河合愀三「廃墟」(いずれも『龍舌蘭』第183号)、藤山伸子「ある倒産」・西村敏通「五十年目のデート」(いずれも『飃』第90号)、矢和田高彦「小さな願い」・藤園屋弘「ひとり」(いずれも『文芸山口』第304号)、潮田征一郎「トゲの話」(『季刊午前』第47号)
石兼章「マドンナの部屋」(二)」(前出『文芸山口』)、『海峡派』第125号よりさとうゆきの「私の筑豊物語-母親編(2)-」・坂本梧朗「檎の記 連載第二回」、前出『季刊午前』より古木信子「菅山女房」、よしのあざ丸「ベランダからの眺め」
《文末抜粋》今期の作品群は、全体を通して「書くこと=読むこと」の必然性や強度が弱いという印象を受けた。同人雑誌の同人だから書いている。継続して書くことだけに意義を感じている、というマンネリズムから脱却しきれていない。書くことと読むことの相補性が今ほど求められている時期はないのではないか。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年9月20日 (木)

【エンターテイメント小説月評】亡友のSF奇跡の合作『屍者の帝国』

【エンターテイメント小説月評】亡友のSF奇跡の合作  伊藤計劃(けいかく)、円城塔両氏はSFの新人賞の最終候補にともに残ったことをきっかけに、同じ叢書(そうしょ)から2007年、一月(ひとつき)違いでデビュー。現代社会の矛盾を近未来エンターテインメントに投影した伊藤氏と、理系的諧謔(かいぎゃく)が純文学からも評価された円城氏は、ほどなくSF新世代の両雄として脚光を浴びた。伊藤氏は09年、34歳で夭逝(ようせい)する。プロローグだけ残された絶筆を、盟友の遺志を継ぎ、芥川賞作家となった円城氏が完結させた。その奇跡的な合作が『屍者(ししゃ)の帝国』(河出書房新社)だ。
 『フランケンシュタイン』が下敷きなのは明らかだが、作品自体がキメラ(ギリシャ神話の怪物)的たくらみを持つ。アシモフ、ベルヌからロシア文学まで多様な古典小説のモチーフの援用..
終わらぬことに意味がある話もある。山口雅也『謎(リドル)の謎(ミステリ)その他の謎(リドル)』(早川書房)は、結末を書かないリドル・ストーリー集。
 朝井まかて『先生のお庭番』(徳間書店)は、江戸の園芸に詳しい新鋭が、長崎・出島のオランダ商館医シーボルトと、その薬草園を任された植木職人の少年・熊吉の交流を描く。
 熊谷達也『光降る丘』(角川書店)は、2008年の岩手・宮城内陸地震がモデル。土砂災害に見舞われた山中の開拓村で、行方不明となった祖父・耕一を捜す智志(さとし)の視点と、戦後、満州(現中国東北部)から引き揚げた開拓第一世代の耕一の半生が交差する。
(文化部 佐藤憲一)

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2012年9月19日 (水)

詩の紹介 「チケットの半片」 清水省吾

「チケットの半片」  清水省吾
カウンターで/空席を捜す/―中略―/(通路F列 CとD)たて・よこ・高さ三次元の 記号の座席から/航空機も 劇場の舞台も/わが目的の 終着点へ/寝ながら 四次元の異界へ
小型ジェット機は 独から仏へ/―中略―機体が 突然の たて振れ/エタイの知れない/乱気流が 機を呑む―中略―
汗が乾き/塩分が肌にこびりつく/砂漠を横断する 馬車ならぬ駱駝の車に揺られていた/フセイン髯の操車の男が/砂漠の真ん中でわたしたち乗客に 下車を命じた/チップの要求か/―中略―/わたしは記号のない白紙のチケットを捨てる
即日に迫った チケットが手にはいり/友人の画家に声かける/彼はシンホ二―の組織を批判していた/画家の妻はわたしの亡妻と同期であった/(中略)/画家の妻は 大腸と直腸を癌に犯され/―中略―/画家の妻の 傷口に提琴の響き/画家の妻は数週間して/チケットの半片のようにちぎれ逝った/////予約ずみの わが終着点/(通路F列の C区画とD点)へ/わたしは崩れかけた石塔を目印に/いくつかの小径をまがり/四次元とおぼしき奥深い異界の ヒカリゴケを踏み/わが妻と 画家の妻の/回帰にそえる/冷水と 花を供える         (幻竜第16号より2012/09 川口市・幻竜舎)
紹介者・江素瑛(詩人回廊) 場面を次から次へ展開させることで、映画の断片のような人生の断片を観る。手に握ったチケットの半片は、「たて・よこ・高さ三次元の 記号の座席から/航空機も 劇場の舞台も/わが目的の 終着点へ/寝ながら 四次元の異界へ」人が生まれると、すでに決められている目的地がある。人生の旅のチケットは半券に切られて、妻と画家の妻、大事な女性二人はすでに彼岸に着いていた。詩人もまた迷いなく、「四次元とおぼしき奥深い異界」の夢を見ながらわが目的地、人生の終点をみつめそこに連れられてゆく。

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2012年9月15日 (土)

第21回「山本七平賞」に川田稔氏『昭和陸軍の軌跡』

 第21回「山本七平賞」(PHP研究所)は、第21回「山本七平賞」受賞作を川田稔氏『昭和陸軍の軌跡』(中公新書)に決定した。また、奨励賞には中野剛志氏『日本思想史新論』(ちくま新書)が選ばれた。
 第20回同賞は該当作なしで奨励賞に加藤康男著『謎解き「張作霖爆殺事件」』。第19回は、門田隆将氏『この命、義に捧ぐ』(集英社)であった。

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2012年9月14日 (金)

豊田一郎「白い花の咲く頃」の勝又氏評と、その読み方の考察(3・完)

 日本文学の伝統の流れに私小説というジャンルがある。これは現実に沿ってリアルに描写することで、読者はそれが事実に沿っているものとして読む。
 それに対し、西欧文学においては、創作的人物であっても「ボヴァリー夫人」を書いたフローベルのように「それは私だ」と、広い意味での創作全体を「私」の表現として発想するところがある。
 近年の純文学では、現実的リアリズムをはなれ、現実には存在しない奇矯な人物や現象を作り上げ、象徴的に現代を表現するものが増えた。
 表現の方法からするとSF小説と同じところがある。もし、これらがSF小説としたジャンル付けで店頭に並べられたら、もうすこし多くの読者を獲得するのではないか、と思われる。
 豊田一郎「白い花の咲く頃」にみられるロボットの小説もSF小説であり、私小説的である。現実の管理社会は、肉体細胞の若い者を中心とした社会から、肉体細胞が老化しただけで精神は社会性を持っているのに、社会から排除される現代の動向に反抗する意味合いがある。これは、作者の実感であろう。
 現実から離れて、空想を自由に発揮させることは、その人の「私」を描き出すことが多い。
 SF的ロボット小説の元祖とされるシェリーの「フランケンシュタイン」の人造人間は、現在はホラー映画の象徴的な存在となっている。その理由すら曖昧になっている。
 顔や身体の縫い目があるのは、それがあちらこちらの人間の死体の一部分を継ぎ接ぎして人造人間をつくたからであり、それが成功すると彼が超人的な力で作製者であるフランケンシュタイン博士に反抗するという。この異様な存在が恐怖のもとなるのである。
 この小説には、作者シェリー夫人の実人生と結びつけた作品分析の書があるらしい。巽孝之「現代SFのレトリック」(岩波書店)によると、作品はシェリー夫人の人生の反映そのものであるとし、彼女の人生をたどって分析しているようだ。まさに私小説としての扱いといえるのでは。
 「「白い花の咲く頃」(「電動人間」連作)に限らず、同人誌作品のなかにはこのような意義を前提に読めば、その評価もまた変わるものがあるのではないかと思うものである。
 最近では、あの人気作家の筒井康隆氏がライトノベルスタイルで作品を発表しているらしい。とにかく読まれたいという作家の対応力に驚嘆するしかない。(完)
<ここに論評された作品は「詩人回廊」に「「白い花の咲く頃」(「電動人間」連作)として掲載されています>

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2012年9月13日 (木)

著者メッセージ: 堀川アサコさん 『日記堂ファンタジー』

 どうにもこうにも毎日が煮詰まって、なぜなのかアスファルトの道路を歩くのがイヤだったことがあります。外出のときはなるべく公園や遊歩道を通り、土の道をさがして歩いていました。ハダシにまでならなくても、土の上を行くと不思議と心が消毒される気がしたものでした。
 何年かして、舗装道路とわたしはそれなりに和解したわけですが(笑)。
 今でも「雑木林」や「木に咲く花」など、ただ思い描くだけでも心地よく感じます。加えて、「オート三輪、中国茶、夏の始まり終わり……」と思いつくかぎり好きなものをふんだんに盛り込んで書いたのが、『日記堂ファンタジー』という小説です。日記堂というお店は、空想の雑木林に確固として建っていて、わたし自身が最初のお客でした。
 そんな自然たっぷりの理想郷で、日記堂店主にして怪淑女・猩子(しょうこ)さんの、ちょっとばかり乱暴な采配ぶりを、森林浴気分で楽しんでくださいませ。 (堀川アサコ)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年9月1日号より)

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2012年9月12日 (水)

詩の紹介 「説明のつかない幸運」関中子

説明のつかない幸運    関中子

はるかな入江のように地球は雲の往来をみつめる/地球が雲を喰う/その証明は地球に旺盛な食欲があった説明のつかない幸運を経て/人という身を立てた個人の言葉の奥にかくれたかもしれない
今は想像すら思いつかない音とその組み合わせと意味と/だれもおぼえていないが/おぼえていないという感覚を確かめてなお見上げる/ドミノ倒しのように夏が空をゆきかう/すると確かめられたという思いになってそれは地球につたわり/だれかが何かを思いだしたという啓示か/驟雨が真っ黒につきささる
おぼえていないという感覚に連続するものなのか/それでもなお思いだした何かはその端にあるのか
どこから/何をひく/雨は
雨は自由/それはまるきり疑問符につながる/地球ははるかな入江のように雲の往来を上におく/寄せ来るものを受け入れる説明のいらない終末
詩歌文芸集・「ガニメテ」55より 2012/8/1(東京・銅林社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊)数えられない宇宙星球のなか、なにより幸運な地球。その理由はただ一つ、人間はその上に存在できていること。まるで人間のために、自然があり、雲から雨、雨から海や川。地球は水をかかえ、動植物を育てる。生きとし生けるものの糧が与えられるという不思議。
「地球ははるかな入江のように雲の往来を上におく/寄せ来るものを受け入れる説明のいらない終末」を作者とともに、読者も観てしまうのです。

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2012年9月11日 (火)

コンピューターで小説創作へー星新一作品超える?. 

 「ショートショート」(掌編小説)の草分けだった星新一さん(1926~97)の作品をコンピューターに分析させて、5年以内に同等以上の内容の小説を創作させる研究が始まる。公立はこだて未来大の松原仁教授と作家の瀬名秀明さんが6日、発表した。人工知能を搭載したコンピューターによる初の本格的な小説づくりで、人工知能による作品と分からないように、ペンネームで出版社の文芸コンテストに応募して入選を目指す考えだ。
 松原教授らは、「ボッコちゃん」など1000編以上の作品を残し、起承転結が明確など分かりやすい構成や文体の星さんの作品に着目。作品中の単語や文章の長さなどをコンピューターに分析させて、星さんの独創性を見いだし、それをもとに400字詰め原稿用紙20枚以内のオリジナル作品を創作させる。瀬名さんは顧問として研究チームに助言する。(2012年9月7日 読売新聞)

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2012年9月10日 (月)

豊田一郎「白い花の咲く頃」の勝又氏評と、その読み方の考察(2)

 純文学小説のひとつの前提には芸術性と人間性の探求にこだわることが求められる。それに人間的な葛藤や苦悩の表現を加えることで面白さを創造する。その意味で、作者の豊田氏は、いくら工夫しても論理的な矛盾を含むしかない「人間的な感情をもったロボット」という、語り手を設定している。だから小説にしたのであろうとも理解できる。
 原理的にいうとこの作者の発想は、現実から遊離した詩的発想なのだ。そのため、現実にべったりくっついたリアリズムの世界を描く同人誌小説としては、面白くない話になってしまう。
 わたしがこういうと、説得力を感じない人もいであろう。そこで、詩人・西脇順三郎の詩論を次に記します。
「詩は現実に立っていなければならぬ。しかし、その現実につまらなさを感ずることが条件である」
 豊田氏の作品で、ロボットが人間が生殖行為をすると「股の間から花でも咲くのかしら」ということを語り合う場面がある。――花という生殖器の一種と人間の生殖器との結びつけた、現実には関係づけられないものを関係させた詩的表現になっている。
 現代文明においては、喜怒哀楽の感情を備えたロボットは存在しない。そこで、作品では、人間的な日常作業を自動化し、ロボット化してデーターの集積で、人間的なロボットに改造していく設定になっている。
 SF小説それ自体、詩的発想のものであり、小説は叙事詩として表現されることが多い。
 作品では、ロボットを監視要員にした管理社会になっており、主人公はそのシステム管理下に置かれ、老齢化が進むと強制的にどこかの介護施設に入居させられるような社会の姿が浮かんでくる。そこで、主人公はそれを拒否するささやかな抵抗を示している。
 じつは米国では、(たしか昨年)すでに現実に、調査会社が宣伝効果を測定するサービスを開始したという。「プロモ・オプティマイザー」サービスといって、全米6万9千人の調査対象者に「ポータル・ピープル・メーター」という携帯型の計測機を身につけてもらい、彼らがどんなテレビ・ラジオ、街頭ディスプレイ情報などとどのような接触をしたか、そのデーターを発信する。利用者はその多様なデジタル情報のうち、必要とする情報を選んで、データーとして収集できるのである。
 豊田氏の作品の予言性を、事実が追従しているとも見られる。
 SF小説の定義には「人間理性の産物が人間理性をはなれて自走することを意識した文学」(柴野拓美)だそうで、まさにこの定義に当てはまる。
<ここに論評された作品は「詩人回廊」に「白い花の咲く頃」(「電動人間」連作)として掲載されています>

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2012年9月 9日 (日)

第15回「文学フリマ」11月18日東京流通センター、来年は大阪で開催

11月18日に第十五回文学フリマが東京流通センターで開催されます。
 文芸同志会も参加します。同人雑誌の評論の世界では、その将来的衰退が論議されているようですが、同人誌そのものは、増え続けていると思います。それを商業的なところにつなげるのが難しいのだと思います。それは600サークルが参加する文学フリマでも同じだろうと思います。
 たまたま「文芸同人誌案内」の掲示板に、同人誌に作品を発表したら評論されてしまのか、という質問があり、ひわきさんが回答しています。「読んで欲しいのでであって、批評はされたくない」ということでしょう。気持ちはわかります。冗談ですが、雑誌に自己表現専門コーナーを設けて、つい批評をしてしまう人に読まれないようにしたらどうでしょう。実際は、書いて残るものにはなるべく悪くは書かないほうがいいような気がします。べつに貶したつもりがなくても、貶されたとか、酷評されたとか感じる人もいるので、貶すなといわれても、対応はむずかしいでしょう。
 話を戻すと、来年4月14日「第十六回文学フリマin大阪(仮)」が開催されます。文学フリマにとってはじめての関西進出となります。
事務局便りの望月代表によると、「過去に開催された「文学フリマinなごや」が地元有志による主催であったのに対し、今回はナンバリングタイトルのついた文学フリマを大阪で開催するという試み。そのため、2013年の春は東京での開催はありません。この決断に至るまで、かなり逡巡しました。東京で開催しないことでかなり多くの人の期待を裏切ってしまうことはもちろん理解しているつもりです。しかしいくつかの理由がこのタイミングで重なり合い、大阪開催を決定することになりました。」ということです。
 さらに、 「多くの人が地方開催を期待したり、必要性を感じていたことも事実です。ただ、「主催したい」という地方の有志はなかなか見つかりません。逆の立場になって考えればイベントの初心者がいきなり「やらせて欲しい」と名乗り出るなんてかなり難しいことですし、このまま呼びかけだけして待っているだけではいつまで経っても地方開催を担ってくれる有志が出てくることはないのではないかと思っていました。」
また、日本の第二の都市である大阪で、参加者が集まらずに失敗するような事になれば、「大阪でムリなら他の地方でもムリ」「東京以外での開催は成功しない」という結論になってしまい、他の地方へ展開していくことなど絶望的になるでしょう。」という。
 同人誌は、やはりその創作過程と本作りの過程を楽しむものというところに落ち着くのでしょう。

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2012年9月 8日 (土)

著者メッセージ: 歩祐作さん 『ティーンズライフ』

はじめまして。歩祐作です。
  この作品を書いたのは、高校三年生の初夏から秋にかけてでした。最初の 一行を書き始めたとき、僕はまだ坊主頭の野球部員。そのことを振り返ってみると、この作品がこうして本になることに、奇妙な巡り合わせと、これ以上ないくらいの幸せを感じています。
  ティーンズライフには、五人の高校生が登場します。宇宙に行くことを夢に持つ詩織、女たらしの純一、バレー部のエースでオタクな光、写真が好きで気の強い瑞穂、そして悩みながらも一歩を踏み出そうとする僕。ティーン
 ズライフは、この五人の、柔らかで暖な一年を描いた物語です。
  小説家になることは、幼い頃からの夢でした。自分の書いた作品が本になる日を、毎日毎日、どきどきしながら胸の中で描いていました。だからこそ、このメルマガで募集した読者モニターの方々に感想を頂けた時は、とても とても嬉しかったです。今、その夢は叶い、けれどまだまだ、夢の途中。それでもその初めの一歩を、このティーンズライフという作品で踏み出せ たことを、何より誇りに思います。どうぞよろしくお願いいたします!(歩祐作)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年9月1日号より)

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2012年9月 6日 (木)

詩の紹介 「声波紋」原かずみ

「声波紋」 原かずみ

「もし もどれるなら/  あの日の午後三時にもどりたい」/その十五分後の津波で/娘をさらわれた女性は言う
光の束はねじ切られている/したたるものの後ろに横たわる/白い闇
「もし」と問いはじめた時から/人は漂い出している/暗黒のかなたに/鈍く光る/時間のぬるみ/透明な石のうちに封じ込められた午後三時
無数のパーツが/呼ばれるのを待っている/拗ねた耳/知りたがり屋の踝/クラッシュする矮星の静寂/赤い火で焼かれている新しい星
「もし」と問い続ける人たちの/絹糸のように細い声が/宙に波紋を広げる/交り合い/複雑に真空を揺らしながら/今/わたしの底をさらっていく
原かずみ詩集「光曝」より  2012年8月(土曜美術社出版販売)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 娘をさらった「白い闇」。津波は午後三時に来て去る。拒否できない時間の流れを拒否しようとする人のこころ。
 望みと悔やみと諦めの心理が潜む「もし」の言葉の向こう側に、情念の重さが深く大きく広がっています。人の細い声はいかにも無力である、耳を傾け聞いてくれる神さまは、どこかにいる、きっとどこかにいると思います。

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2012年9月 5日 (水)

第48回谷崎潤一郎賞に高橋源一郎さん「さよならクリストファー・ロビン」

. 第48回谷崎潤一郎賞(中央公論新社主催)は、高橋源一郎さん(61)の「さよならクリストファー・ロビン」(新潮社)に決まった。副賞100万円。受賞作は、生きることの虚無感や喪失感、怒りなどをテーマにした作品を集めた短編集。文芸誌「新潮」の2010年1月号から11年12月号までに発表された6編を1冊の本にまとめた。選考会では、「東日本大震災を挟んで書かれた連作小説として意味がある。高橋さんの時代に対するアンテナを強く感じさせる」と評価された。(2012年8月30日 読売新聞)

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2012年9月 4日 (火)

第49回「文藝賞」に谷川直子氏「おしかくさま」

 第49回「文藝賞」(出書房新社)は 8月29日、受賞作を谷川直子氏「おしかくさま」に決めた。受賞作全文と受賞のことば、選評を10月6日発売の「文藝」冬号に掲載。


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2012年9月 3日 (月)

豊田一郎「白い花の咲く頃」の勝又氏評と解釈の視点(1)

「季刊文科」56号の同人雑誌評で豊田一郎氏の個人誌「孤愁」に触れ、次のような評をしている。
『「小説なら、自分の想いを描ける、自分を表現できると考え、小説の道を選び、それを私なりに、私のなりわいにしてきてしまった。それが、そもそも間違っていたのかも知れない。結局、小説は書けなかったのかも知れない……」とは、豊田一郎の個人誌「孤愁」(10号、横浜市)の「編集後記」の一節。
 すでに長短編小説16冊もの作品集を持つベテランの書き手の一人である。半世紀余も書き続けてきてなお、こういう自問自答から卒業できないわけだ。他人事とは思えない人も多いはずだが、言うならばもの書き人間の宿業であるだろう。この作者のこうした純情と熱情に私はいつも敬意を抱いているが、それでも、そのことと作品自体からの感想とは別なのだ。
 今号の「白い花が咲く頃」は、人間の介護専門に作られた女性仕様のロボットが主人公。一目はロボットとは見えないほど精巧に作られていて、家事全般をこなすほか、学習能力もあって会話もできる。現代なら誰もが考えそうなことだが、問題はそこから先をどう展開するかであるだろう。小説としては、彼女(?)がどんな表情どんな声で、どんな話し方をし、どんな歩き方をするのか等々、外部からの視線、描写があれば内部の奥行きも深まると思われたが、作者にそういう考えはなかったらしい。当人(?)と先輩ロボットと雇い主との会話に終始していて残念である。それは結果的に、作品全体を日記のなかの対話のような、結局は作者の想念の中に納まってしまうと見られるからである』
<作品は「詩人回廊」「「白い花の咲く頃」(「電動人間」連作)として掲載>
 作品は、たしかに、同人誌小説として読むと、それは当っている。たしかに登場人物の人間の、感受性や自己主張が見えない。
 だが、ここでは、規格統一されたロボットが語り手とする設定であり、その論理にしたがって人間的な感受性を最低限の範囲に抑えられている。つまり、自動化された社会がいかにつまらないかを描いたSF小説としての視点をもつことによって、自ら生み出した文明の人間性の自己否定的な側面に焦点を当てたものと読むことができる。(つづく)

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2012年9月 2日 (日)

伊藤桂一氏が文藝家協会「文學者之墓」の事業委員を今年で退任

 今夏で95歳なった直木賞作家・詩人の伊藤桂一氏は、「文學者之墓」の事業委員として永年墓参の役を努めてこられ、多くの文学ファンが同行してきたが、それを今年で退任する。現在は東京に住んでいるが、10月までには神戸のケアつきマンションに転居することになっている。
  日本文藝家協会(篠 弘理事長)では、富士霊園(静岡県駿東郡小山町大御神)内の文学碑公苑に「文學者之墓」を設けている。今年の「文學者之墓」墓前祭には、公苑講演会として、伊藤桂一氏が「わが作家人生」を作家・書店主の出久根達郎氏を聞き手に語る。《参照:伊藤桂一・出久根達郎両氏の「文学碑公苑 講演会」を10月5日開催

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2012年9月 1日 (土)

文芸時評(東京新聞8月30日)沼野充義氏

場所の持つ強力な力/加藤典洋「海の向こうで『現代文学』が滅びる」
≪対象作品≫
加藤典洋「海の向こうで『現代文学』が滅びる」(新潮)/すばる特集「場所の力 言葉の種」・池澤夏樹講演録「太平洋に属する自分」/すばるシンポジウム「大飯原発とニソの杜」(中沢新一他)/高橋三千綱「野良猫のニューヨーク」(すばる)/川上弘美「mundus」(新潮)/中山智幸「ピーナッツ」(文学界)/加賀乙彦「雲の都」(新潮社)/鹿島田真希の「公的な不幸」と「私的な不幸」に関する7月「文学界」掲載のエッセイ。

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