沈黙の会員 はにわ氏の「B棟二階南側の怪」について
昔からの会員で、会報を発行しなくなっても毎年きちんと会費を払っている沈黙の会員ひとりが、はにわ氏である。それが突然、「詩人回廊」向けに原稿を送ってきた。それが「B棟二階南側の怪」である。
ずうっと「詩人回廊」を読んでいて、拍手やコメントなども入れていたという。(そういえば時々、この人誰?というのがある)それが「最近はネットで都市伝説や怪奇談話が流行っているそうで「うそか、ほんとか結構面白いので、自分も噂話を知っているので、ひとつ夏のお楽しみ提供して面白がらせてみたい。サービス精神で書いた」という。
そこで急遽、一挙連載にすることにした。「この噂は事実あったことで、もうその寮もなくなっているので、出してもいいでしょう」という。事実をそのまま書くと、ほんとらしくなくなり、小説はほんとらしさをを出すために嘘をいれることが多い。事実と本当らしさは異なる。それがよく現われている物語になっている。サービス精神で書く人がいるのも面白い。
ただ、これが物語りの特徴的な文体をそなえていることにも注目したい。ここでは、夏見という若い女性の視点をとっているが、実際は町の噂を語り手が語るというスタイルになっている。
じつは、ドストエフスキーの「カラマ-ゾフの兄弟」も同様の町の噂を誰かが語るスタイルになっていう。それが、各登場人物の心理の奥底まで、見てきたように語るので、この人は誰?と視点の移動に疑問を感じるところがかなりある。
しかし、その全体の本当らしさに目立たないのである。ストーリーを進めるための物語的文章と、純文学的な散文との違いをみることが出来る。
ドストエフスキーの場合、純文学的散文に「地下生活者の手記」があるが、短編である。長編になると、それと物語性を持たせた合成によって、純文学的な散文の行き詰まりを物語的なストーリー化、主人公に事件を起すということで乗り切っているように読める。
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