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2012年8月31日 (金)

同人雑誌季評「季刊文科」第57号2012年08月17日発行

◆松本道介氏「充実した小説の数々」
中田重顕「安納橋」(「文宴」117号、三重県松阪市)、宮本由紀「ジョージという名の王様たち(6)」(同)、橋倉久美子〈『新明解国語辞典』の「まず」〉(同)、国府正昭「輪舞(ロンド)-幸せの隣り」(「海」85号、三重県いなべ市)、定道明「黒壁夜色」(「青磁」29号、福井市)、西向聡「白い幻影の日に」(「法螺」66号、大阪府交野市)、西野小枝子「この秋の日に」(「檣(マスト)31号、川西市)、長谷良子「柘榴」(「凱」34号、東京都)
◆勝又浩氏「同人雑誌の明日」
「文学街」(297号、東京都)特集「同人雑誌に明日はあるのか」より波佐間義之・陽羅義光、「顔」(73号、上田市)より「編集後記」
梶野吉郎「手袋」(「VIKING」737号、伊都郡高野町)、猿渡由美子「風の訪れ」(「じゆん文学」71号、名古屋市)、若草ひずる「石を叩く朝」(同)、青海静雄「これは昔の話やけど-弱兵と狂気-」(「午前」91号、福岡市)、西尾知子「苺オーレ」(同)、曽根登美子「鉄橋」(「法螺」66号、交野市)、水野晴良「柿」(「土曜文学」7号、松戸市)、坂本良介「骨の前」(同)、宇田本次郎「海辺の駅で」(「グループ桂」66号、鎌倉市)、桂城和子「山隠れ」(同)、陶山竜子「湖畔」(「孤帆」18号、川崎市)
●「同人誌の現場から」投稿は以下
「四〇〇号を目指して」青柳隼人(「北狄」同人・元編集者)、「『東濃文学』から『胞山』へ」久野浩(「胞山」同人、中部ペンクラブ理事)、「読書は心の下着です」桑原文明(吉村昭 研究会)、「同人誌『私人』の現場から」長野統(『私人』編集委員)、「プロテスタント文学集団たねの会について」成井透、「『文芸復興』の歴史」堀江朋子、「丁卯(ていぼう)便り」森岡邦彦(『丁卯』編集委員)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年8月30日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」2012年08月27日(火)朝刊・長野秀樹氏

題「個性のバランス」
内田征司さん「ミッシング・リンク」(「詩と真実」758号、熊本市)、井本元義さん「未成年・滅びの星たち」(「季刊午前」47号、福岡市)
上記「季刊午前」よりよしのあざ丸さん「ベランダからの眺め」
「海峡派」125号(北九州市)より有馬多賀子さん「別れ」・坂本悟朗さん「擒(とりこ)の記」
川村道行さん「神はまだ絶望されていない」(「周炎」49号)・同誌の岩下俊作の随筆集(五)より「原子力を迎えて」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年8月29日 (水)

同人誌時評(7月)「図書新聞」(2012年08月11日)たかとう匡子氏

題「教えられることが多くある問題提起作品」
『青磁』第29号(青磁の会)より定道明「竹行李の中-重治文庫資料のうち」、『綱手』第6号(綱手短歌会)より「戦後短歌を考える」、『イリプスⅡnd』第9号(イリプス舎)より倉橋健一「金時鐘 今思うこと二、三(3)-戦後大阪の詩風土と関連させて」
『季刊作家』第77号(季刊作家)より芳賀稔幸「ドキュメント 現地からの報告 福島第一原発事故」、『法螺』第66号(枚方文学の会)より曽根登美子「鉄橋」、『かいだん』第59号より田村加寿子「ブーゲンビリアの下から」、『復刊日曜作家』第11号終刊号より「編集後記に代えて」・深田俊祐「旅支度」、『午前』(午前社)創刊号は生前の杉山一平さんの「『午前』創刊号によせて」を掲載
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年8月28日 (火)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2012年08月10日)「」白川正芳氏

『31音浅春のこゝろ 2012』(同志社女子大学 NHK出版)、「俳句史研究」19号より辻本康博「小豆島に尾崎放哉の足跡を訪ねて 資料探訪会」
宇江敏勝「台風十二号(「VIKING」737号)、「麦笛」14号(仙台市)「それぞれの3・11」特集より井上康「大震災から学ぶこと」・関根かな「それでも人は待つ」・伊東卓「震災の周辺」・根多加良「東日本大震災九日間日記」、「KORN」創刊号より中山淳子「北山散歩 スナフキンさん」
小野田潮「文学が生まれる場所としての往復書簡」(「同時代」32号)、陶山竜子「ビル街ダイアローグ」(「婦人文芸」92号)、小楠久央「表現者の成立」(「竜舌蘭」183号)、加地慶子「福島の隣で」(「まくた」276号)、深田俊祐「回想五十年余」(「復刊日曜作家」終刊号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年8月26日 (日)

詩の紹介 「いくつかな」 勝畑耕一

海辺の小さな貝がらを/おうちの婆やに見せたいな/バスに揺られた遠足の/
貝がらの数、いくつかな

隣りの村まですすき持ち/姉さと遊んだ秋の日に/夕焼け空に飛んでいる/とんぼの数は、いくつかな

凧上げお雑煮お正月/父さんもうじきやってくる/笑顔の集ういろり端/みんなのおみやげ、いくつかな

もうすぐ妹も一年生/遠くの町の学校へ/二人で通えるその日まで/指おり数えて、いくつかな             ―童謡のためにー

勝畑耕一詩集「わが記憶と現在」より 2012年8月文治堂書店(東京都杉並区)

紹介者・江素瑛(詩人回廊) 自分の体験を伝えることは、その時間を二度生きることにつながる。孫のために3回思いだして指をさして語れば、3回生きることと同じなのではないでしょうか。
 いくつかな、貝がら、とんぼ、おみやげ、指折り、楽しい幼いころの記憶は、家ある子供や、家なき子供もだれにも与えられる天の恵みである。その純粋なこころは一生消えなく、歳を取っても、変らなく、記憶と今日も時々眼蓋によぎるものである。難しいことば、難解な詩作品が多くなる今時、ほっとさせる童謡です。

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2012年8月25日 (土)

作家・伊藤桂一氏「95歳の転居風景」を東京新聞に書く

8月23日で95歳になった作家・詩人の伊藤桂一氏が東京・練馬の自宅をたたんで、神戸のケア付きマンションに転居することになった。そのきさつを東京新聞の8月24日付け夕刊に「95歳の転居風景」というエッセイを書いている。東京新聞には親しくしている記者がいるので、寄稿されたのであろう。
 以前から、練馬の自宅の老朽化にともない、夫人の実家に近い関西に転居する手はずを整えていることはきいていた。問題は膨大な蔵書でこれを保管するのに苦労があったようだ。それが知り合いの教材会社が保管を引き受けてくれるということで、生活の拠点を神戸のケア付きマンション(老人ホーム)に移すことになった。それ以前から購入はしてあったのだが、東京の仕事が多く購入したままになって、いつ来るのかとホームから問い合わせがあったという話が出たほど先延ばしにしていた。
 同人誌「グループ桂」の先の合評会では、これまで東京で実施してきたが、今年の秋号は先生の直接指導はなくなるだろうと話していたものだ。≪参照:グループ桂のひろば≫。エッセイによると、新居に移ったら「前向きに生きて百歳まで」という表題のエッセイ集の執筆をはじめるそうだ。
 5月には農民文学の同人たちと話し合ったが、95歳で元気な伊藤桂一先生を見ると、まだまだ隠居はできないという気持ちになるという。
 なにしろたしか90歳のころだったか、自転車に乗っていて転んでしまい肋骨を2本ばかり折ったことがあった。その時には病院に行かず、そのまま自然に治るのを待って、治してしまった。これは、戦争が終わって、健康のために野口晴哉(故人)師に整体指導をうけた影響だという。ちくま文庫に野口晴哉「整体入門」という本があって、伊藤桂一氏は85歳のときにその解説を書いている。
 それとは関係ないが、私は家内が骨盤骨折を起こし、バリアフリー改造マンションに一足先に転居。わたしの人生は風来坊的なので、蔵書はほとんど捨てた。ただ、亡くなった友人の書きものを入れた段ボール箱を引き取ったものは、点検していないので、持ってきた。いま箱を開けているが、私が彼と親しくなる前にはいろいろな才気あふれるものを書いているのが、古い同人誌を読んでわかった。自伝的な書き物の一部は「グループ桂」に引用として掲載しているが、創作的な完成度の高いものもあり、どうするか考ええている。
 家内が車椅子から解放されたが、買い物はつきあって持って歩くことが続いた。知らない町で、有名スーパーのほかに、「マイバスケット」とか「ぱぱす」とか、オルタナティブな小売りチェーンが繁盛しているのには驚いた。

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2012年8月24日 (金)

季刊「農民文学」298号(朱夏号)

【「二の糸 三番」吉井惠璃子】
 吉岡村という過疎化する現状に抵抗して、伝統と地域を守ろうとする大人たちと、その子供(中学生たち)の成長物語である。これは第55回農民文学賞の最終候補作品であるが、本作品が受賞してもまったくおかしくないものがある。
 農業は都会ではできない。いわゆる田舎の産業である。高校の進学も地域の学校よりも、外の大きな学校に進学したくなる。それも無理はない。
 そうした状況の田舎村意識から、いつしか卑屈になり、自己嫌悪にとらわれていた中学生の主人公が、神社のお祭りのイベントに三味線の伝統芸を急場で身につけ披露、村に活気を呼び起こす。地域住民と自己の存在に確信に目覚めて成長する。生徒と家族の物語がライトノベル風に書きあげられている。
 ライトノベルでも、書き方が軽いだけで、文芸であるので、テーマの重みがあれば通常の文学作品と変わらないことを示している。題材はこれまでに幾度も取り上げられてきたものだが、どのように書くかで、これだけ面白く読ませるという事例でもある。
【「九月二十四日の花束」林 俊】
 平凡に結婚して、平凡な家族関係で、特に情熱をもって結ばれたとは思っていない夫についての、深い愛情を表現したもの。普通に書けば、「私はどこにでも見られるありふれた家庭の主婦です」で終わってしまう話。これを意識の流れを追うというひとひねりした手法で、ディテールが光った心温まる作品。こういうのを読むと、同人誌って手法的に面白いのが載っている、と思わざるを得ない。これもどのように書くかで読ませる作品である。
【「野良の昆虫記その(十七)初蝶」飯塚清治】
 連載しているうちに「あれは面白くていいよね」という評判が高まって耳に入るようになった隠れた人気シリーズである。作者は「1日1行の農事日記を付けているが、それにツバメやジョービタキの初見や辛夷や木犀の開花などは記してあるが、初蝶をしるした覚えがない。今年からそれを書こうと、春への期待が高まった」と記す。こちらは都会人でまったく知らない昆虫の世界を知って驚く。また、知っていれば知っているで、改めて昆虫と人間との関係を発見させるに違いない。生き物との関係の再発見を促す。農業詩人の精神とはまさにこれである。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2012年8月21日 (火)

第19回小学館ノンフィクション大賞は山口由美さん『R130-#34 封印された写真』

第19回小学館ノンフィクション大賞は、水俣病患者を撮影した写真家ユージン・スミスの晩年に迫った山口由美さん(49)の『R130-#34 封印された写真』に決まった。賞金は500万円。優秀賞(賞金100万円)は、毛沢東のゲリラ戦術がアジア各国の人々に与えた影響を追った八木沢高明さん(40)の『マオキッズ』に決定。 山口さんは昭和37年、神奈川県生まれのノンフィクションライター。八木沢さんは47年、同県生まれのフリーのカメラマン。

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2012年8月18日 (土)

詩「風の通る道」 佐藤裕 に読む日常性への疎外感

 朝起きて、顔を洗って歯を磨く。平穏無事な日常のなかで、疎外され、孤独のなかで退廃するものがある。≪参照:「詩人回廊」佐藤裕「風の通る道」
 日々の繰り返しが、どこで輝きを失い鈍い色あいになるのか。その毒を、太宰治の「家庭は諸悪の根源」「子供より親が大事」という言葉に結びつける。
 人間の生活と精神のジレンマを描く。行き詰って、生気を失うなかで、桜の花が散るイメージに美を見るが、それは孤独な観照である。
 TVも新聞もオリンピックを題材に、無理に輝くものを創り出しているように感じる時もある。
 また、竹島、尖閣、北方領土の問題、イスラエルとパレスチナも何十年前の戦争時の問題がいまに続く。戦後文学の詩世界の成果が現代とつながらない。常に歴史との断絶をおこしてしまうの、日常生活のなかでのことだ。「風の通る道」佐藤裕では、日常詩のできにくい現代を読みとることができる。同時にそれが都会人の哀愁でもある。
 なお、佐藤裕は、WEB同人誌 頌(オード)に「孤独な女神」を発表している。

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2012年8月17日 (金)

 「コボ・タッチ」や「キンドル」で進むか個人電子書籍化分野

 電子書籍の制作と販売をてがける企業や団体が増えてきている。利便性と知名度の競争段階に入った。
 とくに楽天から販売された端末「コボ・タッチ」は、安さで人気があり、設定サイトの混雑で、トラブルがでたという。
 今後は、コンテンツの拡充や使い勝手の整備などに課題を残すが、一歩前進にはなっている。ライバルであるアマゾンは、電子書籍端末「キンドル」を近く発売する予定であるという。
 こうした端末の利便性がでてきたことから、電子書籍のシステム専門サイト企業の「パブー」は、いろいろな電子書籍販売ストアへ作品を配信できるようになる、「外部ストア連携機能」を設立している。「外部ストア連携機能」は、パブー以外の電子書籍販売ストアへも作品を広く配信したいと希望するユーザーへのオプション機能。これまで個人では作品を販売することが難しかった外部の電子書籍販売ストアへ「パブー」を通じて簡単に配信でき、より多くの読者へ作品の公開・販売が可能になるという。
 また、小学館は、創業90周年記念日である8月8日、全役員・社員に対して電子書籍リーダー「コボ・タッチ」を配布。社員が新しい読書環境への理解を深め、スキル向上を図る目的だという。配布台数は777台。90周年のロゴ入りカバー付きで、同社の「のぼうの城」(上下)、「神様のカルテ」の3作がプリインストールされているという。
 こうしたサイトは他にも追従するところが出てくるはずで、ハードの端末とソフトの制作販売システムはまだまだ進化しそうである。


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2012年8月15日 (水)

同人誌「仙台文学」80年記念号(仙台市)

 本誌発行元の「仙台文学の会」(〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-2、牛島方)では、宮城県芸術祭参加「文学散歩」を9月25日~26日にかけて行うという。1泊で、栃木・茨城地方へでかける。「奥の細道」をたどる意図と、福島の中山義秀記念館や白河の関、南湖公園に寄る予定だという。一般参加歓迎とのこと。10月27日には文芸祭があり、「言葉のクロッキー」に同人の佐々木邦子氏が出場するとある。
 作品は地元の歴史を題材にした小説が多く、調べた資料をもとに、各同人が作家的な手腕を発揮している。東京にも各地域に郷土史研究家が存在するが、資料をもとに評論にしたらり、あとは童話的な郷土昔話風のものが多い。本誌は、本格長編連載小説にしているものが多くあるのがひとつの特性である。
【「『削り』の文章術」石川繁】
 珠玉の短編といわれる井伏鱒二の「山椒魚」の推敲ぶりを具体的に示し接続詞の使い方までを、工夫している研鑽ぶりを語る。っこで面白いのは、和辻哲郎の全集への推敲した散文の比較で、よくみつけたものだと、感心させられた。ここでは削ることが推敲のポイントになってるが、若いときに書いたものは、削るとたしかに引き締まるが、当時の気分が消えると話があるのは、同感である。
【「米岡西野館」近江静雄】
 70歳を過ぎて、前立腺肥大かがんに向かうのか、など年齢相応の事情を語りに射れ、登米伊達氏の祖白石宗直の歴史を調べるドライブ旅行を語る。現在進行形をもって歴史の知識が身につく。手法のひとつであるが、わかりやすく読ませる工夫がある。
【「詩序論~今を生きるゲーテの詩と言葉~ゲーテ的存在の意義」酒谷博之】
 古典的ロマン主義の代表としてゲーテの詩を対象に試論がはじまるらしい。ゲーテいわく「ポエジーの実質は自らの生命の実質である」とあるらしい。なるほど…。今後の展開が楽しみである。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2012年8月14日 (火)

70代の新人,群像新人文学賞優秀作と早稲田文学新人賞に

対照的な作風、70代の新人作家(2012年8月14日 読売新聞)
 「グッバイ、こおろぎ君。」が群像新人文学賞優秀作に選ばれた藤崎和男さんと、「abさんご」で早稲田文学新人賞となった黒田夏子さん。それぞれ74歳と75歳。(文化部 金巻有美)
 藤崎和男さんの受賞作は、団地に一人で暮らす60歳過ぎの予備校講師が、トイレに入り込んだコオロギと共生しつつ、少年時代に思いをはせる半自伝的な物語。飄々(ひょうひょう)とした人柄がにじんだ作品を、奥泉光選考委員は「上手(うま)い下手でいえば下手としかいいようがないが、魅力があった」と評価した。
  北九州市で生まれ、7歳のときに終戦。早大卒業後に入社した出版社では労組に入って解雇され、10年間の法廷闘争を経験した。その後は予備校講師などを経て今はフリーの編集者。50代で離婚し、60歳を過ぎてからは左顔面の帯状疱疹(ほうしん)で苦しんだ。、「今書かないと時間がない」と感じて書き始めたのは60歳を越えてから。70歳を過ぎてから3年間かけ、4回書き直しした作品が、賞を射止めた。
 受賞作に対しては、「自然主義小説の陳腐なルフラン(繰り返し)のオンパレード」など厳しい意見もあったが、「内からわき上がってくるものを書くだけ。今まで人に結構ひどいことも言われてきたし、74まで生きてれば亀の甲羅だって厚くなりますよ」と姿勢はぶれない。
 黒田夏子さんの作品は、フランス現代文学のような先鋭的な試みに満ちている。固有名詞やカタカナを使わない独特の文字遣いと言葉遣いでつづられた断章の連なり。しかも横書きの作品を、一人で選考にあたった評論家の蓮實重彦さんは「作品をみたしている言葉遣いと語りの呼吸にはとめどもなく心を動かされた」と高く評価した。
 5歳のとき初めて「お話」のような文章を書いて以来、70年書き続けてきた。早大卒業後、教師や事務員などの職を経てフリーの校正者として生計をたてながら、20代から30代にかけては同人誌に参加。様々な賞にも応募したが、1作に約10年をかけ、自分の作品世界を極めようと机に向かう日々の中で、文学賞からは足が遠のいていた。 70歳を過ぎて「これまで書いた作品を形にして残しておきたい、こんな作品でも合う読者はいるかもしれない」と感じていたとき、早稲田文学新人賞の募集要項が目に飛び込んできた。自由度の高い要項を見て、「この賞なら」と思い切って応募した。「一行一行手探りで、自分の世界を守りながら書いてきた。一生懸命になれるのは書くことだけだった」。しみじみ語る。
 70代の書き手が新人賞をとることにはどんな意味があるのだろうか。「群像」の阿部和重選考委員は「選考は作品内容のみを対象に評価し、常にそうあるべきだ。年齢は考慮の材料とはならない」とする

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2012年8月13日 (月)

第10回開高健ノンフィクション賞は佐々涼子さん「エンジェル フライト-国際霊柩(れいきゅう)送還士-」

 第10回開高健ノンフィクション賞(集英社主催)は、佐々涼子さん(44)の「エンジェル フライト-国際霊柩(れいきゅう)送還士-」に決まった。佐々さんは横浜市在住のフリーライター。

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2012年8月11日 (土)

杉山武子「土着と叛逆~吉野せいの文学について」(あさんてさーな)

 杉山武子「土着と叛逆~吉野せいの文学について」 (あさんてさーな)は、1章「吉野せいについて」、2章「農民詩の回路ー猪狩満直の残したもの」、3章「からすとまめー三野混沌の世界」、4章「寂寞を超えてーの生と死」が収められている。どれも作者が雑誌「農民文学」に掲載したものをまとめたという。
 共通としているのは、生活の糧は文学に得ることなく、主として農業生活を営み、その生活が求めたものが詩文であるということ。書くという作業が、農業生活で自ら自分を見つめるために欠かせないという必需的行為になっていることがよくわかる。
 私は、こうした詩人達の存在は、かすかにどこかで目にしていたが、詳しくはしらなかったので、この本でその詩や文章を知り、大変に感銘を受けた。
 しかし、そういう感想では仕方がない。まず、これらの人々の作品には、芸術的な工夫よりも、日々の自己凝視の手段として使命をもつ。そのために引き締まっていて、退廃やニヒリズムの翳がない。畑仕事が終っても、その力が文章に乗り移っているようだ。こうした文体と生活を追っている、作者の杉山氏も文体が似て、引き締まっているから不思議だ。
 農業に限らず、力仕事と文体とは関係があるのではないか、とかねてから思っていたが、やはりそうだった、と思わせところもある。そこが作者の解説文と、原作の引用文の似てきているが、微妙なちがいになってるようだ。とくに混沌は野良仕事にも手帳をもっていて、思いつくと何かを書き込んでいたという。自分がそのような境遇にあったらら、ぼんやりとした作業を毎日くりかえし、頭の空っぽな民衆として生涯を終えたろうと思い、同時にこう書き記してみると、いまもそうだと思い当たる。
 アナーキズムの時代の影が射す時代の話ではあるが、人は何故書くかという問題にひとつの答えをだしている本である。 
 

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2012年8月 9日 (木)

著者メッセージ高野史緒『カラマーゾフの妹』

   ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』の終盤、裁判のシーンで、 検事の口を借りてやや唐突にこう言っています。「作家を追い詰めるのは ディテールだ」と。壮大な全体像を追うあまりに細部をおろそかにすると、
 その細部に宿ったミスが作家の命取りになるという意味です。そう書いた 瞬間のかの文豪がどれほど意気軒昂としていたことでしょうか! そう、 後ろから殴り殺された被害者があお向けに倒れて胸元を血で染めていたのは、 決して単純なミスではなく、むしろ「読者への挑戦状」であったはず。
 『罪と罰』であれほど綿密に犯行を描写した作家が、ただのミスでそんな ことを書くわけがないのです。
  この百三十年前に突きつけられた「読者への挑戦状」を、我々は今こそ 受け取りましょう。もちろん私もドストエフスキーの縮小コピーになる つもりはないので、高野史緒ならではの「あんなこと」も「こんなこと」 もやってます(笑)。お楽しみください。 (高野史緒)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年8月1日号より)  

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2012年8月 7日 (火)

文芸時評(産経新聞)8月号 早稲田大学教授・石原千秋

啓文堂書店に行ったら、今年度の収穫ナンバーワン候補の赤坂真理『東京プリズン』がノンフィクションの棚に差してあった。これでは困るが、書店はその地域の知的レベルの鏡なのだから諦めるしかない。僕は、小説の新刊の棚にそっと面出しの状態に置いた。版元の河出書房新社『文藝』は赤坂真理特集。赤坂真理は対談の内容などもとても知的なのに、特集の作りがどことなく私小説テイストである。それに奥泉光と堀江敏幸の対談「物語ではなく、小説を」(文学界)を読んで、現在も依然として「三派鼎立(ていりつ)」の時代だと思った。
 三派鼎立とは、文芸評論家・平野謙が昭和初期の文壇を、私小説を中心とした既成文壇、新感覚派を軸としたモダニズム文学、そして新興のプロレタリア文学の三派に整理した図式である。現代はそれぞれ私小説、小説、物語に相当するだろうか。プロレタリア文学がそうであったように、物語はその時代を映す鏡である。
文芸時評8月号 早稲田大学教授・石原千秋 綿矢りさは文壇の蒼井優?

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2012年8月 6日 (月)

同人誌「奏」2012夏(静岡市)

【「小川国夫『枯木』『あじさしの洲』草稿考」勝呂奏】
 小川国夫の原稿の推敲のあとを丹念に追って、短編小説の完成度を高める手順が示されている。島尾敏雄に取り上げられて世に出る元になった私家版「アポロンの島」に収録した「枯木」の前段階の元原稿が藤枝市文学館にあるらしい。「枯木」のモチーフになっている聖書の逸話はよく知らないが、「あじさしの洲」の河岸の風景描写の根気のよい推敲の繰り返しには、感服するしかない。
 同人誌にはよく使われ、わたしもよく使用するもので、このテキストにないもの。推敲では、「そして」などの接続詞を削除し、ほとんど使わない方向にもっていく。また、「その」という代名詞的なものも使わない。それから「など」と「それもなどの」の「も」。いずれも、冗長でイメージを散漫にする。
 本編では、文章の品格のあがらないような表現を削り、格調高くするための変更などが散見できる。このへんは時代の感覚ではあるが、現在でも納得がいくところである。
 「あじさしの洲」では、結局4稿までの推敲が示されているが、ただの風景描写でなく、死にゆく者の眼がどう見るかの選択で、風景として描くものを選んでゆく。小川の亡き後、こういう作家は、まだどこかにいるのであろうか。こういうのを検証して書く人も相当の文体追求マニアだが、小説はどう書いてもいいのだ、などといわれて迷う人などには、お勧めである。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
 たまたま、新聞の記事に次のようなものがあった。
 小川恵氏(78)『銀色の月』(岩波書店)は、2008年に80歳で死去した作家の小川国夫を妻の目から追想したエッセーだ。ファクスが普及する以前、静岡県に住む作家のところへは編集者が原稿を取りに来た。作品の完成を待つ彼らのため、魚の乾物やするめ、ねぎなどを七輪で焼き、もてなしたという。昼間は眠り、夜中に執筆をする夫を気遣い、日中は息子2人を連れて散歩もした。『アポロンの島』『ハシッシ・ギャング』などの名作は、静かな月光のような妻の献身により、陰影を深めた。(2012年7月31日 読売新聞)

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2012年8月 5日 (日)

沈黙の会員 はにわ氏の「B棟二階南側の怪」について

 昔からの会員で、会報を発行しなくなっても毎年きちんと会費を払っている沈黙の会員ひとりが、はにわ氏である。それが突然、「詩人回廊」向けに原稿を送ってきた。それが「B棟二階南側の怪」である。
 ずうっと「詩人回廊」を読んでいて、拍手やコメントなども入れていたという。(そういえば時々、この人誰?というのがある)それが「最近はネットで都市伝説や怪奇談話が流行っているそうで「うそか、ほんとか結構面白いので、自分も噂話を知っているので、ひとつ夏のお楽しみ提供して面白がらせてみたい。サービス精神で書いた」という。
 そこで急遽、一挙連載にすることにした。「この噂は事実あったことで、もうその寮もなくなっているので、出してもいいでしょう」という。事実をそのまま書くと、ほんとらしくなくなり、小説はほんとらしさをを出すために嘘をいれることが多い。事実と本当らしさは異なる。それがよく現われている物語になっている。サービス精神で書く人がいるのも面白い。
 ただ、これが物語りの特徴的な文体をそなえていることにも注目したい。ここでは、夏見という若い女性の視点をとっているが、実際は町の噂を語り手が語るというスタイルになっている。
 じつは、ドストエフスキーの「カラマ-ゾフの兄弟」も同様の町の噂を誰かが語るスタイルになっていう。それが、各登場人物の心理の奥底まで、見てきたように語るので、この人は誰?と視点の移動に疑問を感じるところがかなりある。
 しかし、その全体の本当らしさに目立たないのである。ストーリーを進めるための物語的文章と、純文学的な散文との違いをみることが出来る。
 ドストエフスキーの場合、純文学的散文に「地下生活者の手記」があるが、短編である。長編になると、それと物語性を持たせた合成によって、純文学的な散文の行き詰まりを物語的なストーリー化、主人公に事件を起すということで乗り切っているように読める。

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2012年8月 4日 (土)

西日本文学展望「西日本新聞」2012年07月31日・朝刊=長野秀樹氏

題「題材」
後藤みな子さん『樹滴』(深夜叢書社刊)、藤山伸子さん「ある倒産」(「飃」90号、山口県宇部市)
「ほりわり」26号(福岡県柳川市)特集「檀一雄生誕百年に寄せて」よりかとうむつこさん「天才兄弟と謳(うた)われた『柳川の篠倉三兄弟』をモデルにした檀一雄の小説『元帥』、その家に生まれて」・牧野苓子さん「檀一雄と青木繁」・藤山和秀さん「成仏へ…-私の檀一雄-」、「KORN(コルン)」創刊号より納富泰子さん「帰郷」
「火山地帯」170号(鹿児島県鹿屋市)「特集田所喜美追悼」より遺作「天の配剤」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年8月 3日 (金)

作家・穂高健一氏狛江市で写真展『3.11を忘れない~大津波の傷あと』

穂高健一写真展『3.11を忘れない~大津波の傷あと』=8月19日(日) 常に現在我々はどう生きるかをテーマの柱にしている穂高桂一氏が取材での資料写真を狛江市で展示します。

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2012年8月 2日 (木)

詩の紹介 コップの中の砂 大塚欽一

コップの中の砂     大塚欽一

(略)・・この世は唸り回る巨大な独楽/(略)/
(略)・・独楽は回りながらさまざまな糸で愛の色を織っていく/汝の敵を愛せよ ペットを愛せよ/(略)/ダンゴムシにも心はある/およそ天地の間に生きとし生けるものは皆虫ならずや
(略)/人は皆どこかで折り合いをつける/かくて独楽はまわりつづける 震えつつ軋みつつ 存在の只中を
(略)/愛することはともに同じ方向を凝視めること/かくてこの世は色彩々の糸で編まれていく/時空を貫いて織り上げられる巨大な愛の夕ペストリ/ならばどこまで?/どのくらいと言えるような愛は卑し愛にすぎぬ/コップの水を銀のスプーンでかき混ぜてみよう/砂粒みたいな愛は近くの粒と互いにぶつかりあい/少し揺れあって沈む 真っ赤な色もたちまち薄まる/まあ ほどよく愛する それが永き愛の道
大塚欽一詩集・「明日のための寓話」より(平成24年6月水戸市・泊船堂)

紹介者・江素瑛
愛の道を探し、応えのある愛を求め、「まあ ほどよく愛する それが永き愛の道」と結論を下したのであろうか、もともと計ることのできない愛の本質はいろいろな形で表れている。うわべの愛でも深い愛であろうとも、人の見たで区別される。もともと愛は欲望であり、与える欲望と貰う欲望、そこに満足があれ、世の中は平和である。

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2012年8月 1日 (水)

文芸時評7月(2012年7月31日 読売新聞)

《対象作品》
辻原登氏 先月29日の川端康成文学賞・江國香織氏(48)受賞作「犬とハモニカ」/辻原登氏(66)「冬の旅」(すばる)/日和(ひわ)聡子氏(37)『螺法(らほう)四千年記』(幻戯書房)/舞城王太郎(まいじょうおうたろう)氏(38)「美味(おい)しいシャワーヘッド」(新潮)/白石一文氏(53)「火口のふたり」(文芸秋号)/丹下健太氏(34)「顔」(すばる)/大鋸(おおが)一正氏(48)「O介(オーすけ)」(文芸秋号)/小川恵氏(78)『銀色の月』(岩波書店)/高橋一清氏(67)『作家魂に触れた』(青志社)。(文化部 待田晋哉)(2012年7月31日 読売新聞)

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