詩「風の通る道」 佐藤裕 に読む日常性への疎外感
朝起きて、顔を洗って歯を磨く。平穏無事な日常のなかで、疎外され、孤独のなかで退廃するものがある。≪参照:「詩人回廊」佐藤裕「風の通る道」≫
日々の繰り返しが、どこで輝きを失い鈍い色あいになるのか。その毒を、太宰治の「家庭は諸悪の根源」「子供より親が大事」という言葉に結びつける。
人間の生活と精神のジレンマを描く。行き詰って、生気を失うなかで、桜の花が散るイメージに美を見るが、それは孤独な観照である。
TVも新聞もオリンピックを題材に、無理に輝くものを創り出しているように感じる時もある。
また、竹島、尖閣、北方領土の問題、イスラエルとパレスチナも何十年前の戦争時の問題がいまに続く。戦後文学の詩世界の成果が現代とつながらない。常に歴史との断絶をおこしてしまうの、日常生活のなかでのことだ。「風の通る道」佐藤裕では、日常詩のできにくい現代を読みとることができる。同時にそれが都会人の哀愁でもある。
なお、佐藤裕は、WEB同人誌 頌(オード)に「孤独な女神」を発表している。
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