« 「「ことばの森から」<4~6月>小説編(毎日新聞・西日本地域版12年6月18日(月)朝刊古閑章氏 | トップページ | 【文芸月評】自身の境地 言葉に紡ぐ(読売新聞) »

2012年7月 7日 (土)

阪神、藤川投手の故障を嘆く伊藤桂一氏

 「グループ桂」第66号の講評にやってきた直木賞作家の伊藤桂一氏だが、阪神ファン愛読の「デイリースポーツ」を持っていた。「先生、なんでスポーツ新聞を読むのですか」とたずねた。「いや、藤川が怪我をしたんだよ。これは痛いね」と阪神ファンぶりを発揮。
 たしかに、まったくこのところの阪神はふがいない。わたしもかつてのスラッガー田淵以来の気にかけている球団だが、この8月で95歳になる伊藤桂一氏を落胆させてはいけないだろう。たのむ、頑張ってくれよ阪神。
 その批評眼は鋭い。《参照:「グループ桂」のひろば」120620_012
 伊藤桂一氏の小説観には、「書き出しがこうであったらこうでなくてはならない」、「こような結末では話になっていない」、「小説は問題提起に対応する回答がなければならない」など、小説作法の原理がある。よくリアリティがあるとか、感動があるとか、それで良しとするような論評があるが、それでいいとは限らない。小学生の作文でも感動があるし、リアイリティがあるのだ。そんな論評を真に受けていていいのか、ということに疑問をもたないといけない、と思う。宇田さんは、かつて別の同人誌の合評会にでて、その論評をうけて「こんなくだらない読者の感想など聞きたくない」と、会合に出なくなったことがある。思い出すといまでも可笑しい。
 その宇田さんが、北一郎の「文芸の友と生活」を呼んで、「巧くなったな、下手するとぼくは負けそうだよ」と、いいだした。自分は、宇田さんの文章を読んで、この感受性の鋭さには勝てないと、巧さから、下手なくそな平談俗語体の文章を選んできた。宇田さんには「野暮な文章」と言われないといけないのだ。危険水域に入ったかと、警戒。ただ、伊藤桂一氏は「同人の回顧碌でいいんじゃないのか」と、軽くいなされて納得。

|

« 「「ことばの森から」<4~6月>小説編(毎日新聞・西日本地域版12年6月18日(月)朝刊古閑章氏 | トップページ | 【文芸月評】自身の境地 言葉に紡ぐ(読売新聞) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「「ことばの森から」<4~6月>小説編(毎日新聞・西日本地域版12年6月18日(月)朝刊古閑章氏 | トップページ | 【文芸月評】自身の境地 言葉に紡ぐ(読売新聞) »