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2012年7月30日 (月)

同人誌「コブタン」(NO.35)(札幌市)

【「東北王国を夢見た男」石塚邦夫】
 徳川幕藩体制が崩壊し、薩摩・長州藩主導の尊皇攘夷の流れの中で、会津、伊達藩のなかで、中央集権体制からの独立を志した人々の意気と挫折を描く。よく調べてあり、講釈師の話を聞くようで面白い。
 背景には、生産性のよさで封建制度のなのに、東北各藩が財力をつけていたことが各藩の石高比較に示されている。
 それが、時代の流れの中で中央集権体制への馴染み深さか、あるいは経済的な負担の多きい戦争を避けたいという心理なのか、徹底抗戦にもっていけず挫折する。徳川幕藩体制時代の方が、現在の都道府県より財政的に自由なものがあった様子がうかがえる。現在の中央集権制度での、税金を(自分の金でもあるがごとく)お上が与えるという体制が悪い。地方で生活のための働き場所、金欲しさに、命がけで原発を誘致させるという状況を作り出している。東北地方は徳川時代よりも現在のほうが悪政なのではないか、と考えるヒントであるかも。

【「インド逍遙(三)」須貝光男】
 副題に―デカン高原の諸院・緒窟・諸文化―とあるように、インドの風土と人間模様が詳しく、しかも系統的に語られて、以前も今回も興味深く読んだ。長いので、時間をかけて読んでいたら、紹介記事を書くのを忘れてしまったので、現在、新鮮な感動を受けたところで、紹介しておきたい。
 インドはとてつもなく多彩で奥深いと聞いてはいるが、偏向して物知らずのせいか旅行記で、これほど具体的に書かれたものを私は知らない。人生経験とインド文化への知見が深く、社会的な制度による人心の機微の観察力、宗教精神の深さを感じさる。隠居状況でインドを再訪したらしいが、これを読むと若い時代にインドに行っても、社会的な知恵が得られるか疑問である。それを具体的に示すような日本の若者の現地での事情などが的確に語られている。
 また、旅行記としてこのような形に纏め上げることのできる手腕に畏敬の念を抱かざるを得ない。社会人として相当の事業をしてきたと思われる人もまた、同人雑誌活動をしてきているのだな、と妙な感銘を受けた。今は亡き中村元氏の書の話がでるのも懐かしい。
発行所=〒001-0911札幌市北区新琴似十一条7-2-8、コブタン文学会
(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)

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2012年7月29日 (日)

総合文芸同人誌「構想」第52号(長野県東御市)

【「異形のものたち」畠山拓】
 幻想小説でありながら詩的散文でもある。東京・城南のあたり武蔵小山商店街や澁澤龍彦などの実在性を生かし、リアルなイメージと幻想的な出来ごとを巧くつなげて面白く読ませる。「生首」「金魚」「小鬼」に共通した語り手は老人で麻子が変容する。都会的センス自在にイメージをふくらませている。東西の作家がでてきて、よく知らないものもあるが、なんとなく恰好がよく感じる。

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2012年7月28日 (土)

文芸時評(東京新聞12・07・26)沼野充義氏

「児童文学的な想像力」
「川上弘美『七夜物語』子供2人が夜の世界を大冒険」
≪対象作品≫長編ファンタジー・川上弘美「七夜物語」上下(朝日新聞社版)/三浦雅士・評論「『七夜物語』は『1Q84』を超えるか?」(文学界)/最果タヒ「最終回」(新潮)/綿谷リサ「人生ゲーム」(群像)/舞城王太郎「美味しいシャワーヘッド」(新潮)/丹下健太「顔」(すばる)/早助よう子「家出」(文藝)。

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2012年7月27日 (金)

同人誌「石榴」第13号(広島市)

 暑いのは身体と頭に応える。ぼんやりしながら、つんどくになった同人誌からなるべく薄いのを選ぶと、本誌が出てきた。
【「全身昭和」木戸博子】【「めくるめく一日」同】まず、自らの入歯の話題から2作とも父親の晩年と死を描く。題材は以前の号と同じだが、角度を変えている。よく追体験できると、娘としてのこだわりに感心する。介護保険のない頃らしく、私の介護生活時代と重なるものがある。このころは、老化による感情爆発、感情失禁症状や認知症について、家族も病院関係者もよくわかっておらず、介護をめぐるトラブルは多く、そうした時代ならではの家族の感情や親への観察描写が冴えている。
 あの時代のどたばた劇は、そのものが親との貴重な交流であったことが作品に示されている。現在のような制度では、粘着度や密着度が異なるのではないか。いずれにしても、親の死を直視することは、自らの死にゆく道の風景を見つめることになるのだな、と思わせる。
 それはそれで良いのだが、書く立場からすると普遍性が不足しているのではないか。父親の娘としての立場からしか書いていない。自己表現の域である。きっと、読者は巧いとか、デテールに身につまされるとか褒めるでしょう。身につまされれば良いのか。老いて孤独で死んでゆく親と自分と民衆への俯瞰精神につながるものが欲しい。

【「懐かしのシネマ・ストーリー」高雄雄平】
 そのままで、ほんとうに懐かしい話である。日活映画なのに大作映画の思い出があり、スチーブ・マックイーン「拳銃無宿」など、短編ドラマなのに充実感。とにかく当時はなぜか時間が沢山あった。

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2012年7月26日 (木)

文芸時評(朝日新聞12・07・25)作家・詩人 松浦寿輝氏

「『部分』と出会う」「終わらなくても面白い」
≪対象作品≫
村田喜代子・新連載「屋根屋」(群像8月号)/阿部重和「クエーサーと13番目の柱」(講談社)/本谷有希子「嵐のピクニック」(同)/小川洋子「最果てのアーケード」(同)/佐飛途俊「さいあたってとりあえず寂しげ」(群像8月号)/丹下健太「顔」(すばる8月号)/苅部直「安部公房の都市」(講談社)。
(一部抜粋)――小説とは何をどう書いてもいいように、何をどう読んでも許されるジャンルのようで、実際カフカの長編など、任意の数ページを行き当たりばったりに読んでもそれはそれで非常な昂奮を呼ぶ。小説に「全体」や「始まり」や「終わり」がはたして必要なのか。
そんなことを改めて考えてみたくなったのは、「新連載」と銘打たれた村田喜代子「屋根屋」の冒頭部分の名状しがたい面白さを前にすると、もっともらしい締め括りでもって結構を整えようとやっきになっているあれやこれやの短編群が、何か小心翼々とした工芸品に見えてきてしまうからだ。――

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2012年7月25日 (水)

同人誌時評(5月)「図書新聞」(12年07月07日)志村有弘氏

題「慟哭・悲憤の言葉が重く訴え、迫ってくる」
前原忠行「闇の迷走」(佐賀文学第29号)、大西亮「片恋(加多孤悲)」(北斗第587号)、穂積耕「女房の掌」(法螺66号)、波佐間義之「老いこらす」(九州文學第540号)、佐藤睦子「鼓動」(小説家第136号)、吉田洋三「雪国異聞」(播火第83号)、前之園明良「ある無名作家の孤独」(酩酊船第27集)
「Myaku」第12号吉本隆明追悼特集より鈴木智之・比嘉加津夫
「COALSACK」第72号より鈴木比佐雄による早乙女勝元インタビュー、「クレマチス詩集」第3集より「明日さえ定まらない福島」(松棠らら)・「虚無の中を駆け巡る自分」(鈴木淑子)・「僕は一滴の涙すら自由にすることができません」(高橋重義)、「潮流詩派」第229号村田正夫『イラク早朝』より登載(麻生直子編)
田牧久穂「網手」第287号、詩誌「璞」(あらたま)創刊、「異神」112号で終刊
追悼号(含訃報):「海」第85号が一見幸次、「九州文學」第540号が各務章、「クレマチス詩集」第3集が藪内ミエ子、「詩と眞實」第755号が汐見純一郎、「潮流詩派」第229号村田正夫、「Myaku」第12号が吉本隆明
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年7月24日 (火)

文芸同人誌評「週刊読書人」(12年07月06日)白川正芳氏

第28回太宰治賞贈呈式について。受賞作は隼見果奈氏「うつぶし」。
八谷武子さん『セイフティ・ファースト-半世紀を働いてきた或る女性の自分史』(梓書院)
多治川二郎「火の女」(「別冊関学文芸」44号)。「Myaku」12号「吉本隆明追悼号」より比嘉加津夫「吉本隆明が残したもの」・岡本定勝「幸運な出会い」・今帰仁太郎「ボクは、埴谷派だった」など21編。塚田遼「強く儚き歌姫たち 九〇年代の儚き女性シンガー」(「孤帆」18号)。「コーヒータイム」10周年記念号。
葛西雇三「あの音色が生きている」(「余市文芸」37号)、坂本紀美子「ぷろむなあど」(「佐賀文学」29号)、水口道子「百万円の詫び状」(「あらら」3号)、小川未來「タダシ君からの手紙」(「北斗七星」3号)、大崎ふみ子「須山静夫先生」(「月水金」36号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年7月23日 (月)

ネット投稿小説から出版へ

 アマチュア作家がネット上で発表した小説が、書籍になってヒットする例がある。
 トーハンの週間ベストセラーで、春以降、「単行本・文芸」部門ベスト10に、新興出版社アルファポリスの発行する新人・新鋭のファンタジーやロマンス小説が頻繁にランクインしている。
 女子高生が剣と魔法の世界に生まれ変わる、如月(きさらぎ)ゆすら『リセット(4)』が5位などが好調。同社は毎月約10点の単行本を刊行。
 新人の発掘方法は、ネット上で「小説家になろう」などの投稿サイトや個人のブログで、多くのアマチュア作家が自作の小説を無料で発表している小説サイトを登録できるサイト「アルファポリス」を運営。
 1万点近い登録小説から、閲覧数が多かったり賞形式の人気投票で上位に来たりした作品を本にしている。「出版を決める前に、ネット上の評判で人気も見えやすい」と同社編集部。
 ほかには、日本最大級の投稿サイト「E★エブリスタ」では、集英社、小学館、双葉社など出版6社と共同で「E★電子書籍大賞」を実施中。6000を超す小説の応募作の中から、ホラーサスペンス、恋愛小説など部門ごとに、各出版社の編集者が自社の本として刊行する出版社賞6作などを選定済み。その6作でサイト利用者による人気投票を行い、8月に大賞を発表する。ミステリー部門の角川書店からは一般小説の編集者が参加した。
 小説のサイトと出版社の連携で。「E★エブリスタ」の前身「モバゲー」の小説コーナーで投稿が連載されたホラー小説『王様ゲーム』は、09年から双葉社が刊行し、小説5作で150万部(文庫含む)、コミックス版5巻230万部のベストセラーに育った。作者の金沢伸明さん(29)はそれまで小説とは無縁だったが、「ネット上の連載で寄せられる意見を反映させ、読者と一緒に作品を作り上げていった」と振り返る。
 新人作家ネットから発掘(2012年7月20日 読売新聞より)

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2012年7月21日 (土)

豊田一郎「白い花の咲く頃」に論評=関東文芸同人誌交流会の掲示板

 「詩人回廊」に連載中の豊田一郎「白い花の咲く頃」の作について関東文芸同人誌交流会の掲示板に論評がでている。これは、「詩人回廊」を読んだということでなく、それ以前に、豊田氏が「孤愁」という個人誌を発行し、それに載せていることから、贈られた読者が評を述べたもののようだ。書いた豊田氏は、そのことを知らないというので、プリントして送付した。
「孤愁」10号・豊田一郎(神奈川県) 投稿者:東谷貞夫
 豊田氏の作品を掲載しはじめたためかどうかはわからないが、このところ「詩人回廊」閲覧が増えている。最近はiPadタブレットを電車で読んでいるひとを見かける。
 ネットの閲覧方法は技術的進歩が激しく、ブログの発信デザインも新しく変化する。PCのブログは古くなっているジャンルかもしれない。ただ、iPadタブレットで「詩人回廊」を出すと、PCで見るようなブログ形式ではなく、作者名とタイトルだけの目次がでるので、まるで雑誌の目次を読むようだ。また連載でその続きを掲載すると、そのタイトルに赤い文字で「NEW」とつく。更新ごとに各章がアピールされることなので、、読みやすくなっていることがわかった。 これは今後いけるのではないか、という感触を得た。そこで、自分jはもっと積極的に読者獲得の努力をしてみせる必要があるのではと思い始めた。
 これまで休日散歩的なエッセイを「伊藤昭一の庭」で掲載してきた。それは、ライブドアのPJNEWS記者時代に、アクセス数に応じて報酬が決められたいたことから、アクセスランキングを連日ウォッチしていたので、この街の散歩記事は、大きく注目されないが着実に読者を獲得すると知っているからである。
 この欄はビジネス関係者が読まないので書くが、ビジネス関係の依頼は、適当な返事でほとんどやっていない。一部の経営者には、もうやる気のないことを告げてある。これからは北一郎で、娯楽風にはじまり文学的な展開がどれだけ可能か、試してみたい。何年か前に「グループ桂」に「情事のデザイン」という娯楽物を載せた。伊藤桂一氏は「短く終らせようとして、無理があるが、小説的な問題提起にたいして答えがでている」とし、形式と構成には問題はなさそうだった。さすがにいつかのように「ぼくが書けばもっと巧くかけるよ」とは、言われなかった。そこで、これを長い連載にしてみようと思う。

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2012年7月19日 (木)

電子書籍の動向と新風書房など中小出版の対応

 7月9日の「テレビ東京」ワールドサテライトで、中小出版社の電子書籍への進出事例として、新風書房の福山琢磨社長の取り組み事例を紹介している。iPad向けの電子書籍に『孫たちへの証言』の『原爆編』を英文はアマゾンで、和文はAPPストア他で配信し、大きな反響を得たという。福山社長は「紙・印刷・製本・流通・回収が不要の出版はまさに革命。著書の存在を知らしめるために苦慮してきた我々には、不特定多数のネット購入層は得がたいターゲットです。長所を活用し積極的に取り組んでいきます。電子ブックを安価で提供できるシステムを構築中」よ語る。
 新風書房では、現在は社屋の新設中だが(中小出版社なのにすごいね)、社屋に自費出版ライブラリーで、自費出版物の収集、展示を行っている。集まったなかで優れた自費出版物を全国会員に回し読みし感想を集める「本の渡り鳥」の制度を運営し、東京に来た時にお会いした。私の文学フリマ用の冊子を渡したら、きちんと読んで感想文をくれtのには、その誠実さに感銘を受けた。
 ここへきて、楽天リーダー「KOBO」というブックリーダーが販売された。7980円と安く、3万点を数年で150万点にするという。これは池袋ジュンク堂の蔵書と同じ蔵書数まで拡大するもの。ソニーの場合は5万点だが、さらに日本語コンテンツ、アマゾン・キンドルを近日中にする。《参照:暮らしのノートPJ・ITO
 有斐閣では、年額12000円で絶版文献約750点が電子書籍で読み放題というシステムを運営しはじめた。これまで、眠っていた創業150年の過去の名著が読まれ収益を産むことになれば、事業の幅がひろがることになる。
 電子書籍の実績は、コミックのほうがある。講談社では、コミックに力、20年前のコミックの電子版がもっとも売れている。ユーザ―が年齢を入れるとその当時の漫画を紹介するシステムをつくり、他に比べて3倍になった。
 ベンチャー企業で株式上場しているイーブックは5万点を扱い業績を上げている。
 電子書籍は、コミックはスキャンしたPDFでも良いが、文字はスキャンでは読むのにスクロールしないと読めない。読みやすくするためには、文字のデジタル化が必要になる。すると100文字に1字誤植が出る。
 それを直すのが人件費がかかる。1冊のデジタル化には複数の担当者が必要で、コストがかかる。青空文庫は、その校正をボランティアで行っている。そこで4月にこのコストを産業改革機構の出資する出版デジタル機構が出版社の電子化代行支援ををすることにしたのである。

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2012年7月18日 (水)

第147回芥川賞・島田真希さん、直木賞・辻村深月さん

  第147回芥川賞)と直木賞は、芥川賞は鹿島田真希(かしまだ・まき)さんの「冥土めぐり」(文芸春号)、直木賞は辻村深月(つじむら・みづき)さんの「鍵のない夢を見る」(文芸春秋)が選ばれた。
 4度目のノミネートでの受賞となった鹿島田さんは、「他の作品に比べて本当に何度も書き直して時間も労力もかかっていたので、この作品でとりたいなと思っていました」と喜んだ。
 これまでに、三島由紀夫賞と野間文芸新人賞も受賞しているが、「デビューしてから10年以上、経ってますし、苦節14年というような気持ちがある」。「受賞した時はびっくりしました。夫と一緒に受賞の電話を待っていたんですが、聞いた瞬間に夫は泣いてました」と語り、夫からは「一緒に緊張してつらかったけど良かったね」と祝福されたという。
 辻村さんは、3度目の正直で直木賞を獲得。「最初に候補になった小説も、昨年候補になった小説も、書いたときは自分の最高傑作だと思っていて、どれだけ頑張っても、もう飛距離は出せないと思って出した作品だったが、そう思った先に新しい世界が見えるという経験をへて、今回の作品だったのでとてもうれしい」、「今はまだ考えられないようなことを、自分が書けるのかもしれないなと思って、書き続けるように背中を押してもらったのかなと思っています」と笑顔。

 また、辻村さんは「今回の受賞は読書に連れてきてもらったと思っています」と語り、「これまで、自分のことが書いてあるとか、自分のために書いてもらったと幸福に勘違いさせてもらいながら、今日まで本を読んでこられた。自分の話も、そういうふうに、誰かが自分のための話だというふうに勘違いして読んでくれたら、こんなにうれしいことはない」とほおを緩め、「今回受賞できて、これからも作品を送り続けなさいということだと思うので、自分が本の世界に恩返しをしていけるような、とてもうれしい気持ちでいます」と喜びをかみしめていた。

 鹿島田さんは、1976年、東京都生まれ。白百合女子大卒業。98年の「二匹」で第35回文芸賞を受賞。05年には「六〇〇〇度の愛」で第18回三島由紀夫賞、07年には「ピカルディーの三度」で第29回野間文芸新人賞を受賞。芥川賞では、「ナンバーワン・コンストラクション」で第135回、「女の庭」で第140回、「その暁のぬるさ」で第143回の候補に選ばれていた。

 辻村さんは、1980年山梨県生まれ。千葉大教育学部卒業。04年に「冷たい校舎の時は止まる」で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。09年の「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」が第142回直木賞候補に。10年の「ツナグ」では第32回吉川英治文学新人賞を受賞。11年の「オーダーメイド殺人クラブ」でも第145回直木賞候補に挙がっていた。同じく11年の「本日は大安なり」は、優香さんが主演し1月~3月にNHKで連続ドラマ化されており、「ツナグ」も松坂桃李さん主演で映画化され10月に公開される予定。(毎日新聞デジタル)
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2012年7月17日 (火)

詩の紹介 「部屋のみどり」江口 節

部屋のみどり 江口 節

一人暮らしの部屋を引き払うとき/君は/細長いガラスの花瓶を三つ/そろり
紙袋に入れた/植物が倒れないよう/助手席の足元に置く
「なに、それ」
「竹だよ、竹」
ときどき水を入れ替えるだけなのに/枯れもせず 繁りすぎもせず/六年目に
一つがしおれ/八年目の春/残った二つが 青々と葉を伸ばしている/五年目
に君が逝ってしまったあとも
なに、それ
たけ だよ、た け

詩誌「まひる」第八号2012年6月(あきる野市 アサの会PART2)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
日々を生きるのに「君」への想いが消えることはない。生きている時の「君」との日常の断片を淡々と表現。まぎれのない簡明な言葉で消えない愛情を唄う。「枯れもせず 繁りすぎもせず」「青々と葉を伸ばしている/五年目に君が逝ってしまったあとも」生きているかぎり君への青々とした愛は消えない。

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2012年7月16日 (月)

同人誌「かいだん」第59号(小金井市)

【「私のジャン・クリストフ(前編)」大澤和代】
 ロマン・ロランの長編小説「ジャン・クリストフ」の概要をというか抄録をつくることになるらしい。そういうことをよく思いついたものだと、まず感銘をうけた。自分にとっても忘れられぬ小説である。工場に働いていて、夏になると日曜日には、独りで湘南の海水浴場に行った。社会人になって、周囲になじめず、世界文学を読み続けていて、その夏に「ジャン・クルストフ」を海水浴場にまでもってゆき、夏の間に読了した。
 ベートーベンの伝記みたいだと思いながら、自分の孤独な心に、この少年の孤独がひしひしと伝わってきた。いま、この抄録を読むと、不思議なことに小説を読んでいた頃の、忘れていた自分の過去を思い出してならない。江ノ島、逗子海岸、鵠沼海岸、油壺と毎週場所を変えていた。「ジャン・クリストフ」の何巻かを携えて。葉山ヨットハーバーでは、馴染みのメンバーのような顔をして、テラスで読書をした。
 どれだけ世界に人が居ようとも、孤独の質は、自分だけのもの、ということを教わったような気がする。とにかく、孤独なクリストフはいろいろな女性と恋をする。登場する女性の深みというか、思想性というか、そういうものに影響されてか、自分は現実の彼女をつくる遊びがばからしくなり、そこから脱け出し、会社をやめてアルバイトに切り替え大学受験をするきっかけになったのではないかーー。これを読んで、そんな自己回顧をさせられた。
 本編は次は中篇にしても、これは序の口で、相当な長さになるのではないか。
 もし、これを機に、ロマン・ロランを読もうとする人がいたら、忠告をしておきたい。彼の小説に出てくるような、深みのある女性には、平凡な人生を送る人は出会うことはないでしょう。身近にいる平凡な女性を大切にすべき。クリストフ「のような才能のある人は別でしょうけれど。
 なお、本誌の編集者の河崎紀美子さんは、84歳で肋骨を折る交通事故に見舞われ再起したという。敬意を感じます。

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2012年7月14日 (土)

同人誌「相模文芸」第24号(相模原市)

 本誌は地域色が作品に色濃く反映した作品もあり、地域文化の熟成を感じさせる。
【「ユダヤ難民二万人を救った男(四)樋口季一郎・伝」木内是壽】
 太平洋戦争と樋口参謀本部第二部長の立場がわかりやすく整理解説されている。当時の状況で、終戦になってから、ソ連スターリンが日本の弱っている状況を読んで、北海道を占領しようと「日ソ友好条約」を一方的に破棄、戦線布告するという、世界の歴史に稀な卑怯な行動をとった経緯が語れている。敗戦のなかで、必死に北海道侵略を食い止めた日本側の防衛により、ソ連は多大な損害を受け、邪心を果たさなかった。ひと昔前のアフガン侵略戦争をみてもわかる通り、口先ばかりで、もともと戦争に勝ったことがない国である。
 北方領土問題を論じるにあたって、世代によっては、この事実を知らないのではないかと思わせる。自分には、ソ連は政治的な約束を守らない。裏切りを何とも思わない無知厚顔の人々であり、契約や約束をするべき相手ではない、という認識がある。相手にしてはいけない国である。欲に目がくらんで、ロシアと商売をしても、結局は食い物にされる。これからの世代は改めてそれを知ることになるであろうと自分は予測する。メディアで働くひとたちは、国連で日本が敵国条項対象であることを知らないらしい。周囲の国から敵とされている。拉致問題が起きるのも不思議ではない。相手が敵国だとしている国には警戒心をもつべきだ。
 これは戦争に自力で勝ったことのない国は、姑息な手段をとるようになるーーという歴史的なセオリーを認識すればわかる。アジアの中で日本とベトナムは異端的な存在である。
【「同級生の縁」岡田安弘】
 ミステリー小説の部類だが、それが地域に密着して書けるのが素晴らしい。題材も、孤独死が増えて「遺品整理」業をはじめた男が主人公で、いじめ問題をからめて時流を使うのがうまい。事件に巻き込まれる。なかなか才気のある人だ。話の進め方に意外性があり面白い。相模原市は地元のミステリー作家の作品集として出版をしたら地域振興になるのではないか。陣馬山ブームが来るかもしれない。
【「偽りの日々」外狩雅巳】
 プロレタリア文学の手法を使って、相変わらず上手い。学生運動の活動から、いまだに潜伏している活動家の現在を描く。この手法がいまだに効果的なのは、リアリズム詩に近い文章の凝縮力が文学性を失わないからである。この作品では、組織人としての退廃ぶりが、描写力で表現されている。状況を描いて、理屈を述べないことが、登場人物への無言の批判になっている。
 作者がどう考えているかは問題でなく、的確な描写がすべてを物語る。
 最終章で登場人物のもつトラベルウォッチが、地に落ちて壊れる。作者が文学的効果として選んだ上手いところだが、それはすでに、彼らの精神が破壊されたものであることを暗示している。
 本当は、現代的なテーマなら、壊れた時計を拾って、再び時を刻ませるまでの困難な人生を描かねばならないのだが、作者はそこに気づいているのだろうか。
(紹介者・伊藤昭一「詩人回廊」編集人)

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2012年7月13日 (金)

山川豊太郎の散文に読む崩壊都市の世界(4)

 前に詩は言葉のダンスであり、小説は目的に向かって合理的にまっすぐ走りぬける散文であるというような概念を述べた。
 ここで「詩人回廊」山川豊太郎の「繭(コクーン)version3」を例にとってみると、崩壊都市におけるサキュパス社との雇用関係は、以前にも同じ話がでている。話が元にもどって繰り返ししている。さしずめ音楽でいえばフーガか舞踏のように同じ話が繰り返されながら、すこしずつ状況が変化していくという手法がとられている。
 作者はこうした方法が頭に浮かんだのは南米の小説手法にマジックリアリズムというものがあるそうで、無意識にその影響を受けたのかも知れないとしている。
 こういう手法というのは19世紀的な小説とはかなり距離をおいたものである。しかし、19世紀の伝統をうけつぎながら現代にふさわしい表現を求める作家は常に存在する。
 物語の構造から逸脱した詩的世界を散文のなかに見出そうとする動きは、サルトルの実存主義小説やヌーボー・ロマンというフランス文学のなかで試みられている。ビュートルの「心変わり」という作品は、ついに読者を主人公に強引にかかわらせるためか、また状況描写をかなり省略できる可能性をもつためか2人称小説を考え出した。
 ビュートルの「心変わり」では
 『きみは真鋳の溝の上に足を置き、右肩で扉をすこし押してみるがうまかう開かない。』(清水徹訳・岩波文庫)
ではじまる。ーーへえ、そうなのか、である。
 ガラス窓の向こうで起きた出来事をみるように、現実離れしたものを見るような感覚をもつことがある。水族館で深海魚やサメが泳いでいるのは現実だが、本当はそんなことは体験不可能なことを体験できる状況である。リアルでありながら現実にはない世界なのである。
 山川豊太郎の「コクーン」のおいて、ぼくという人称を「きみ」しても十分読めるのである。そこには言葉のもつ現実の再構成と架空のなかの真実性の2面を包含できる。ただ表現での弱点もあるが、それ読めばわかる。
 たとえば、なにかの文章作法で読んだ記憶から例をとると「犬が青い顔をして逃げ帰ってきた」という表現があるそうである。
 人間が青い顔をするというのは、現実にあり、常套句になっているが、犬は現実には青い顔をみることはない。しかし、その架空性のなかに、あるかもしれないという真実性をもつ。
「コクーン」は、リアリズム詩から、架空性の仕切りをつけた散文を小説として書いているのではないかと思わせる。
 「詩人回廊」の編集のなかで、豊田一郎の庭「白い花が咲く頃(電動人間・連作)」を編入したのであるが、この作品を読んで、これもまた架空性の向こう側にリアリズムを持ち込んだ散文的小説であったのには、偶然であるが、多少の驚きではあった。
 「電動人間」においては作者が自分の作品が「(観念とイメージの表現であって)小説であるかどうかわからない」としているのも、それがリアリズム的な散文であることを示している。ただ、不自然的な都市を舞台にしているのは、山川氏の作品と共通している。
 方法論的な関心をもてば、面白く読める。ただ面白がる人はそう多くはないかも知れない。

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2012年7月12日 (木)

同人誌評 「三田文學」夏季号・2012.08.01発行

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏
《今号で取り上げられた作品》
西田宣子「ゆうれいトンネル」(「季刊午前」46号、福岡市)/桜井夏実「紅白まんじゅう」(「函館文学学校」17号、函館市)/五十嵐啓悦「蛙と蛭」(「火」9号、茨城県牛久市)/喜出夏代「この町」(「森時計」10号、神戸市)/平井利果「だれもわからない」(同上)/錺雅代「三界の家」(同上)/渡邊弘子「道祖さん」(「南風」31号、福岡市)/笹田隆志「北の蛍に魅せられて」(「北狄」358号、青森市)/北原文雄「秋彼岸」(「淡路島文学」7号、兵庫県洲本市)/神盛敬一「竜舌蘭」(「飢餓祭」36号、奈良市)/紀田祥「仙台納豆」(「風嘯」32号、横浜市)/塚越淑行「二人の男の子」(「まくた」275号、横浜市)/難波田節子「斜面の町」(「遠近」46号、練馬区)/逆井三三「武士でもなく皇軍でもなく」(同上)/蔵田弓子「空に凧、凧に風」(「あるかいど」46号、大阪市)/向井幸「迂回路の風景」(同上)/高原あうち「我ら苺組・うんことり部隊」(同上)/朝岡明美「花日和」(「文芸中部」89号、愛知県東海市)/塩見佐恵子「一片の骨」(「米子文学」61号、鳥取県米子市)/塚田源秀「氏子日和」(「せる」89号、東大阪市)/関幸子「モモ組再会展」(「湧水」51号、豊島区)/飛田一歩「アンチ・アンチエイジング」(同上)/山中幸盛「告白未遂」(「北斗」3月号、名古屋市)/上山和音「三笠」(「カム」9号、西宮市)/井村恭子「閉ざされた風景」(同上)/衣斐弘行「通天橋」(「火涼」64号、鈴鹿市)/小堀文一「川」(「丁卯」31号、沼津市)
●ベスト3
勝又氏:1.西田宣子「ゆうれいトンネル」(「季刊午前」)、2.桜井夏実「紅白まんじゅう」(「函館文学学校」)、3.北原文雄「秋彼岸」(「淡路島文学」)と喜出夏代「この町」(「森時計」)
伊藤氏:1.喜出夏代「この町」、2.北原文雄「秋彼岸」、3.西田宣子「ゆうれいトンネル」と桜井夏実「紅白まんじゅう」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


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2012年7月 9日 (月)

【文芸時評】7月号 早稲田大学教授・石原千秋(産経6/24)

7月号 早稲田大学教授・石原千秋 事実を伝えるのでなく創り出す 松浦寿輝(ひさき)の東京大学最終講義「Murdering the Time-時間と近代」(新潮)に知的な刺激を得た。近代の時間概念を説明するのに、「物理的時間」を導入したダーウィンの進化論からはじめるのは常道だし、さらに社会進化論からマルクシズムへ進展したことを説くのも常道だ。映画が時間芸術なのも常識だが、写真のところへきて立ち止まった。一瞬をとらえる写真は、「時間の殺害」という「近代的な時間システム」にはあってはならない「異常事態」を引き起こしていると言うのだ。

 明治期の小説は、進化論と写真というテクノロジーに翻弄(ほんろう)され続けた。特に明治時代の小説家は、写真が映し出す「世界そのまま」を文体の躍動に変えるのに腐心した。静止画像のリアリティーでは勝ち目がないことがわかったからである。そのことに改めて気づかされた。いま書いている明治文学論を書き直さなければと思った。

 上野千鶴子「ジェンダーで世界を読み解く」(すばる)が5回目であっさり終わった。最終回は難解で知られるスピヴァクの上質な解説。こういう芸風にチェンジしたことに気づかなかった。解説として読めば、もちろんみごとだ。

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2012年7月 8日 (日)

【文芸月評】自身の境地 言葉に紡ぐ(読売新聞)

≪対象作品≫松家仁之(まさし53)長編小説「火山のふもとで」(新潮)/柴田翔氏(77)「岬」(「季刊文科」56号)/隼見(はやみ)果奈(26)の受賞作「うつぶし」(『太宰治賞2012』収録)/「木下古栗(ふるくり)(30)「人は皆一人で生まれ一人で死んでいく」(群像)/藤野可織(32)「おはなしして子ちゃん」(群像)/澤西祐典(ゆうてん(25)「文字の消息」/都甲幸治氏(42)『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)/小野正嗣氏(41)『ヒューマニティーズ 文学』(岩波書店)。(2012年7月2日 読売新聞)


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2012年7月 7日 (土)

阪神、藤川投手の故障を嘆く伊藤桂一氏

 「グループ桂」第66号の講評にやってきた直木賞作家の伊藤桂一氏だが、阪神ファン愛読の「デイリースポーツ」を持っていた。「先生、なんでスポーツ新聞を読むのですか」とたずねた。「いや、藤川が怪我をしたんだよ。これは痛いね」と阪神ファンぶりを発揮。
 たしかに、まったくこのところの阪神はふがいない。わたしもかつてのスラッガー田淵以来の気にかけている球団だが、この8月で95歳になる伊藤桂一氏を落胆させてはいけないだろう。たのむ、頑張ってくれよ阪神。
 その批評眼は鋭い。《参照:「グループ桂」のひろば」120620_012
 伊藤桂一氏の小説観には、「書き出しがこうであったらこうでなくてはならない」、「こような結末では話になっていない」、「小説は問題提起に対応する回答がなければならない」など、小説作法の原理がある。よくリアリティがあるとか、感動があるとか、それで良しとするような論評があるが、それでいいとは限らない。小学生の作文でも感動があるし、リアイリティがあるのだ。そんな論評を真に受けていていいのか、ということに疑問をもたないといけない、と思う。宇田さんは、かつて別の同人誌の合評会にでて、その論評をうけて「こんなくだらない読者の感想など聞きたくない」と、会合に出なくなったことがある。思い出すといまでも可笑しい。
 その宇田さんが、北一郎の「文芸の友と生活」を呼んで、「巧くなったな、下手するとぼくは負けそうだよ」と、いいだした。自分は、宇田さんの文章を読んで、この感受性の鋭さには勝てないと、巧さから、下手なくそな平談俗語体の文章を選んできた。宇田さんには「野暮な文章」と言われないといけないのだ。危険水域に入ったかと、警戒。ただ、伊藤桂一氏は「同人の回顧碌でいいんじゃないのか」と、軽くいなされて納得。

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2012年7月 5日 (木)

「「ことばの森から」<4~6月>小説編(毎日新聞・西日本地域版12年6月18日(月)朝刊古閑章氏

題「高齢化」
波佐間義之「老いこらす」(『九州文学』第7期第17号)、浜田麻里「雨に泳ぐ鳥」(『九州作家』第126号)
花田衛「幻影記」(上・下)」(前出『九州文学』第16、17号)、桑村勝士「隠れ沢」(『胡壷・KOKO』第11号)
『南風』第31号より渡邊弘子「道祖さん」、宮脇永子「コーヒーブレイク」、山口道子「小菊」、松本文世「よもつひらさか」
浜崎勢津子「あさがお」(『文芸山口』第302号)、牧草泉「お姉ちゃん子」(『海』第2期第7号)、和田奈良子「桜島の少年」(同前)、三東崇昇「貝少女」(同前『九州文学』)、宇田尾昇「蒼いめざめ」(同前『九州作家』)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年7月 4日 (水)

「季刊遠近」第46号(東京)

【「武士でもなく皇軍でもなく」逆井三三】
 新撰組のとくに近藤勇を中心にした物語である。時代小説及び歴史小説は、語り口が重要でこれは充分面白く読んだ。かなり長いので、時間をかけてぼちぼち読み進むのが適しているようだ。現在は時代小説に人気があるようで、かなりつまらないものまでが文庫本になっている。いわゆる暇つぶし読み物に徹していて、読者もそれでいいらしい。そういうものに比べたら、これなどは出版しても読者に不満を持たせることはないと思う。とくに、新撰組の当初に掲げた旗印が、芹沢、近藤とリダーシップの変遷が、解釈を多様化させ矛盾と解離を内包してゆく過程なかで、土方、山南などが対立してゆく事情などはよく筆が行き届いている。組織内の変質と対立は、大義を忘れさせ偏狭なものにしていく。
 組織が変質するときに、日本では組織内にそれに抵抗する人間は、空気を読まない勢力として排撃する傾向がある。そのために、悲惨な結果を招くことがある。太平洋戦争での官僚と軍部の癒着がそうだ。戦後の安保反対の過激派の日本赤軍派の愚行、オーム真理教の暴走など、組織内で空気を読まないことで排撃されるのを恐れての仲間同調の結果である。東京裁判で戦犯として糾弾された日本人軍部は、誰もが「本心は戦争に反対だった」と答えたという。告発した国連軍は驚いて「戦争に反対なのになぜ戦争したのか」と、彼らをとんでもないウソつきと軽蔑したという。
 この作品では、たまたま、新鮮組は自尊心が強く、滅びの美学を知っていたので暴走しきれず消滅したのだな、と思わせるものがある。
 世相を読み取る編集者が、時代の流れにあわせて書き増しや章建てなどを再編成すれば、売れそうな感じがする。ただ、出版社は継続してシリーズ化できるのを望むので、それに対応できるような書き方が求められるかも知れない。たまたま先月、近藤勇が大名家に資金を無心する手紙が発見されたというニュースがあった。この作品を読むと、さもあらんと思わせるものがある。
【「斜面の町」難波田節子】
 定年後も職について満足している夫、年頃を過ぎてまだ結婚しない二人の娘たち。主婦と母親の視点で世間話的な題材を扱う。家で夫に書斎を作ったら、そこで書き物をしないという話には思わず笑ってしまう。近所の家が火事なってしまう出来事をめぐる話。ありふれてはいるが、どこか傾いているような日本的な生活の在り方を淡々と描く。相変わらず巧い。こういう女性の細部の鋭い視線には。男は勝てない。問題がないような生活のなかの問題意識が顔をのぞかせている。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2012年7月 3日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」2012年06月29日(朝刊)長野秀樹氏

題「終わり」
「復刊 日曜作家」(北九州市)終刊号より深田俊祐さん「回想五十年余 編集後記に代えて」、深田俊祐さん「旅支度」、宮崎栖吾郎(せいごろう)さん「夫婦のこと」(「西九州文学」33号、長崎市)
「復刊 日曜作家」より山口政昭さん「グリーンカード」と「ナイアガラ」
古閑章さん『子供の世界-昭和四十年代記』(ジャプラン発行)
第7期「九州文学」18号(福岡県中間市)は各務章さんの追悼特集
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年7月 2日 (月)

詩の紹介 「青い空は見えない」竹久 祐


「青い空は見えない」  竹久 祐

冬晴れの空/薄く霞む空の色/山の緑も街もくすんで見える
こんなに霞んだ空も/こんなにくすんだ景色も/ただ冬のせいではない気がする/高台から見える稜線を撫で/白く連なる雲
ふと 人恋しくなった
電話番号を知っているのに/話そうと思えば いつでも声を聞けるのに/元日の0時キッカリにしか電話はかけない/決まりごとみたいに
けれど・・・電話越しのあの声を/忘れることはない
ただ風に吹かれて見上げる空/寂しいほどの静けさと疲れ
規則正しく並んだ雲の配列が/きみからのメールに似ている
ふと そう感じた
会えたらいいね/叶うあてのない約束を思いながら/我を忘れ 再び空を見上げた    
松本詩集(第13号より)平成24年3月20日(長野県松本市松本詩人会)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 冬の空の下に、なにか満たされない心がある。メールの友への思いに心が向かう。声を聞きたければ、電話すればいいのに、会いたければ、会いに行けばいいのに、踏み出す勇気のなさか、得体の知らない心理か、霞んだ時間は限られたいのちから過ぎ去っていく、遣り切れない淡い悲しさが感じられます。

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2012年7月 1日 (日)

伊藤桂一氏と穂高さんの小説・エッセイ教室の話

 同人誌「グループ桂」第66号の合評会が行われ、伊藤桂一氏の門下生仲間である穂高さんと久しぶりで、顔を合わせた。合評会のあとで、伊藤桂一師を囲んで、神田川のほとりのテラスで歓談をする。伊藤桂一師は95歳になるが、去年よりずっと体調がよさそうで、テラス喫茶でもサンドイッチを食する。量があるので残りはみんなで食べてしまった。家に帰って夫人に「今日はテラスでお茶をして面白かった」と語っていたという。
120620_016_2
 穂高さんのエッセイ教室は60回を数えるので、サイトにもそのノウハウが出ている。
穂高健一エッセイ教室
 読むとなるほど、勉強になる。いまさら勉強になってどうする?という歳だが、伊藤先生は、純文学はいつまでも勉強だというので、まあそれもゆるされるのかな、といったところだ。穂高さんにいわせると、小説は教えるのもむずかしく、エッセイのほうが楽だという。たしかに、小説は売れるかうれないかが問題とされる世界で、しかも売れたからといって良い作品だとは決められない。
 たまに同人誌の作品で、出版社に持ち込んだ方がいいのではないか、と思わせる秀作や時代性に合う作品に出合うが、持ち込みなさいとは言えない。
 今回の「グループ桂」第66号、宇田本次郎氏の作品「海辺の駅で」は、良い作品だと伊藤桂一師もほめていた。自分も同感である。しかし、それは今の時代の商業性にあわないかもしれない。このところ私自身も創作をもくろんでいるが、どう書けば出版社が相手にしてくれるか悩んでいる。こういうことをいうと周りから笑われるし、現に笑われている。穂高さんの小説教室に通ってみるかだ。
 年初から、伊藤桂一師が神戸に転居するという話が出ていて「それは、いつ頃になるのですか」ときいたら「わからない」という。こちらは、耳が遠くてわたしの言っている言葉が聴こえないのかと思い大きな声で「いつ引っ越すのですかと訊いているんです」というと、「だから、それがわからないのだよ」という返事であった。
 都内の現在の自宅には相当の蔵書があり、その置き場は神戸の出版関係者が確保してあるようだ。
 なお「グループ桂」第66号の情報は「グループ桂のひろば」で、サビの部分を順次公開していくつもち。本誌が読みたい方は文芸同志会で800円で頒布しています。前号の65号もありますが、一部文字が割れています。読むのには支障がありません。

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