豊田一郎「白い花の咲く頃」に論評=関東文芸同人誌交流会の掲示板
「詩人回廊」に連載中の豊田一郎「白い花の咲く頃」の作について関東文芸同人誌交流会の掲示板に論評がでている。これは、「詩人回廊」を読んだということでなく、それ以前に、豊田氏が「孤愁」という個人誌を発行し、それに載せていることから、贈られた読者が評を述べたもののようだ。書いた豊田氏は、そのことを知らないというので、プリントして送付した。
「孤愁」10号・豊田一郎(神奈川県) 投稿者:東谷貞夫
豊田氏の作品を掲載しはじめたためかどうかはわからないが、このところ「詩人回廊」閲覧が増えている。最近はiPadタブレットを電車で読んでいるひとを見かける。
ネットの閲覧方法は技術的進歩が激しく、ブログの発信デザインも新しく変化する。PCのブログは古くなっているジャンルかもしれない。ただ、iPadタブレットで「詩人回廊」を出すと、PCで見るようなブログ形式ではなく、作者名とタイトルだけの目次がでるので、まるで雑誌の目次を読むようだ。また連載でその続きを掲載すると、そのタイトルに赤い文字で「NEW」とつく。更新ごとに各章がアピールされることなので、、読みやすくなっていることがわかった。 これは今後いけるのではないか、という感触を得た。そこで、自分jはもっと積極的に読者獲得の努力をしてみせる必要があるのではと思い始めた。
これまで休日散歩的なエッセイを「伊藤昭一の庭」で掲載してきた。それは、ライブドアのPJNEWS記者時代に、アクセス数に応じて報酬が決められたいたことから、アクセスランキングを連日ウォッチしていたので、この街の散歩記事は、大きく注目されないが着実に読者を獲得すると知っているからである。
この欄はビジネス関係者が読まないので書くが、ビジネス関係の依頼は、適当な返事でほとんどやっていない。一部の経営者には、もうやる気のないことを告げてある。これからは北一郎で、娯楽風にはじまり文学的な展開がどれだけ可能か、試してみたい。何年か前に「グループ桂」に「情事のデザイン」という娯楽物を載せた。伊藤桂一氏は「短く終らせようとして、無理があるが、小説的な問題提起にたいして答えがでている」とし、形式と構成には問題はなさそうだった。さすがにいつかのように「ぼくが書けばもっと巧くかけるよ」とは、言われなかった。そこで、これを長い連載にしてみようと思う。
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