文芸時評・東京新聞(6月28日・夕刊)沼野充義氏
「文献、経験で情報豊かに」/松家仁之「火山のふもとで」建築美学明晰に語る
≪対象作品≫澤井繁夫「若きマキアヴェリ」(文学界)/松家仁之「火山のふもとで」(新潮)/5編のデビュー小説(群像)・折口子尚「永劫回帰の部屋」(共作)/(同)久保田智子「息切れ」(アナウンサー)/(同)柴幸男「くしゃみ」(劇作家)/(同)光森祐樹「朝がある」(歌人)/(同)横田徹「狙撃兵」(フォトジャーナリスト)/澤西祐典「文字の消息」(すばる)。
「文献、経験で情報豊かに」/松家仁之「火山のふもとで」建築美学明晰に語る
≪対象作品≫澤井繁夫「若きマキアヴェリ」(文学界)/松家仁之「火山のふもとで」(新潮)/5編のデビュー小説(群像)・折口子尚「永劫回帰の部屋」(共作)/(同)久保田智子「息切れ」(アナウンサー)/(同)柴幸男「くしゃみ」(劇作家)/(同)光森祐樹「朝がある」(歌人)/(同)横田徹「狙撃兵」(フォトジャーナリスト)/澤西祐典「文字の消息」(すばる)。
豊田一郎氏の小説「電動人間」が「詩人回廊」で連載修了。その連作の「白い花が咲くころ」の連載に入った。
「電動人間」は、豊田一郎個人誌「孤愁」(8号)に収録されたもの。本来は次の「孤愁」(9号)があるのだが、連作としては、同10号の「白い花が咲くころ」が良いというので、連作であることを付記した。
たまたま、「季刊文科」第56号2012年5月25日発行「同人雑誌季評」の勝又浩氏の評で、『豊田一郎の個人誌「孤愁」(10号、横浜市)より「編集後記」・「白い花が咲く頃」』がとりあげられている。
個人誌「孤愁」には、毎号編集後記がある。作品よりそれが興味を惹いたというのは、それなりに強いメーッセージ力を発揮しているということでしょう。
なお、豊田氏は個人誌「孤愁」10号の在庫がまだあるという。評論された編集後記を読みたい方は、文芸同志会あてに40円切手4枚200円分を送付していただければ、転送します。前回の8号「電動人間」の分は1人いました。
8号の編集後記にも、なかなか興味深いことが書かれています。その一部を引用します。
「(前略)作品は面白くなければならない。読者に伝わらなければならにという努力を放棄してしまった。だから私の小説は面白くない。そして、また、私の作品からは癒しがえられないともいわれている。
そうだろう。私は誰かのために書いているのではない。自分の想念を纏め上げているだけである。(後略)」
つまり、これは、小説と銘打って、自己表現をしている産物であるかも知れない、と自覚しているのだ。そして、
「(前略)それは私自身への祈りであるからと言うしかなかろう。(後略)」
さて、祈りは文芸作品であり得るのであろうか? このような考えがうまれるのも、この「孤愁」というものが個人誌で、それを義理でも読むであろう同人誌仲間を持たないからであろう。
前にも述べたが、同人誌仲間というのは、自分の作品を掲載する媒体をつくるために寄り集まったのであって、その根底には、読んで欲しいのは、自分の作品のみなのである。それでも、義理で読むから、仲間の作品の良き理解者であるとは限らない。擬似読者なのである。豊田氏は自作のの作品が面白くないと評価されたとしているが、それが正しいとは限らない。
ただ、いえることは「電動人間」は、「詩人回廊」に掲載することで、「祈り」から「作品」としての足場を確保した、と私は考えたい。豊田氏は「それは我田引水すぎる」いうのであろうか。
ただし、この引用部は、わたしの発想の資料として役立つところのみですので、豊田氏の述べようとしたこととは離れるところがあるかも知れません。全文を読んで確かめたい方は、切手200円分で申し込んでみてください。
【『原発ジプシー・続「震災日記」』佐藤蓑虫】
福島県から震災、原発事故で一旦は、神奈川県厚木市で認知症の母を介護する兄の家に転がり込んだが、母は亡くなり、知人のつてで福島県いわき市にとどまり、避難民となって暮らす。避難民としての悲惨な生活と政治の大きな枠組みのなかで、それに流されて暮らすしかない民衆の無力さがあらわに描かれている。
なかで、避難民として暮らすなかで、たまたま還暦を向かえ、仕事をこなす重圧から解放されるという気軽な面もあるのだとある。年金と東電の補償金で、経済的な心配がなく、のんびりした日々にもなる。妻はふっくらと肥ってきたとある。メディアではまず、画一的な報道しかしない。真実の一面であろう。災害がなくても、日々の労苦から逃れていたわけではないのだ。同人誌文学の独自の世界である。一読をすすめる所以でもある。
【「対岸へ」石川友也】
心優しい詩的ロマンから生まれた予定調和の世界で、ほっとさせる。これも文芸の世界。
【「あるアパートにて」香村努】
都会のアパートで独り暮らしをする男の孤独な視線で周囲をながめる独白文であるが、都会人の内面をさぐる詩的な領域に足を踏み込んで、もの悲しいような、皮肉のようなイロニーに満ちて、ほとんど散文詩にちかい文学的な魅力を漂わす。
発行所=〒352ー0032新座市新堀1-13-31、竹森方、小説芸術社。
紹介者・伊藤昭一(「詩人回廊」編集人)
ギダンジャリ(87) ロビンドロナト・タゴール(訳・川名登)
あてのない希望を抱いて、わたしは部屋の隅々まで捜しまわる。あのひとはみつからない。
わたしの家は狭い。いちど消えたものは、もう二度と戻ってこない。
しかし神よ、あなたの舘は途方もなく広い。あのひとを捜して、わたしはあなたの扉にたどりつくほかはない。
あなたの夕べの空の金色のひさしの下に立ち、わたしは熱いまなざしで、あなたの顔を見あげる。
わたしは永遠のほとりにやってきた。ここから消えてしまうものはなにもないー希望も、幸福も、泣きはらした眼に映る面影も。
おお、わたしのうつろないのちを、あの大きな海に浸しておくれ、いちばん深い豊かさのなかに沈めておくれ。せめていちどくらいは、あのうしなわれたやさしい肌ざわりを、完璧な宇宙のなかに感じさせておくれ
*妻ムリナリニ・デビのこと、二男三女を出産、一九0二年十一月没。享年二十九才。
詩誌「知井」No14より、2012年5月京都市北区・発行者・名古きよえ
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
一九一三年インド詩人タゴールの英文詩集「ギダンジャリ(歌のささげもの)
」103の詩の第87篇である
若くて死んだ妻を想い歌ったもの。「あのうしなわれたやさしい肌ざわりを、完璧な宇宙のなかに感じさせておくれ」妻の面影を捜しつつ、消えても消えないものがある。失っても失わないものがある。人間と神と神の国のかかわり示し、ともに、宇宙のなかは存在の永久世界。「しかし神よ、あなたの舘は途方もなく広い。あのひとを捜して、わたしはあなたの扉にたどりつくほかはない」
宇宙の孤独を耐え得るのは愛であった。
詩誌「COLSACK」72号より特別インタビュー「小説家 早乙女勝元さんに聞く 聞き手・鈴木比佐雄」、「農民文学」297号より宇梶紀夫「赤いトマト」(第55回農民文学賞受賞作)、「季刊午前」46号よりよしのあざ丸「僕ときみ、私とあなた」、竹岡準之介「三浦哲郎と私」(「酩酊船」27集)
酒谷博之「M9・0 3・11」(「仙台文学」79号)、高木国雄「外交折衝力」(「海」85号)、中村千代子「とうがんさんの桜」(「遍路宿」193号)、桑村勝士「渓と釣りを巡る短編 隠れ沢」(「胡壷・KOKO}11号)、坂本真紀「女性と想像力」(「舟」147号)、蓬川次郎「或神経症症状事例」(「丁夘)31号)、森啓夫「上弦と下弦のお月様」(「文学街」296号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
6月15日「東京新聞」夕刊に雑誌「季刊文科」56号の松本道介氏の論評「芥川賞の末路」について書いている。そこでは、松本氏が先の「きことは」「苦役列車」を、退屈で砂を噛む思いがした、と容赦なく否定。前回の「共食い」も、生理的に受け付けないという宮本輝評のに同意し、他の選考委員らえの疑問も隠さない。」という姿勢であるのは、「意識に過度の隔たりがはないかーと疑問を呈し、「季刊文科」が優れた文芸誌であるから、余裕や幅のある姿勢をもったどうかーーという意味のことがコラムになっている。
松本道介氏は、同人雑誌評では、19世紀の近代社会私小説におけるリアリズム手法を支持する傾向がある。苦役列車などは、その私小説の部類だが、世代がちがうので、追及するテーマと題材に関心のちがいが出るのは仕方がない。
単に松本道介氏が旧い感覚の価値観だからというわけにはいかない。古典は古い価値観だが価値はある。
かつての純文学は、出版社を支える産業になりえたが、いまでは衰退産業である。ゲーム小説のほうが市場性がある。そうなると芥川賞などの受賞作品が文学のすべての傾向を反映するわけでなく、あまりむきになって否定するほどの位置にないような気がする。なにはともあれ商業流通システムに乗っているので、1000人から2000人の読者はいるであろう。それだけ目に止まれば作品といえる。
それよりも読者のいない同人誌作品をどのようにすべきかを考える時期ではないかと思う。
ここで、読者のいない同人誌というのは、同人誌の仲間を読者にいれないからだ。彼らは義理で読んでいるだけだ。書店に入った読者は、義理で本を買うであろうか。親戚ならべつだが。同人雑誌が出来上がると、同人は自分のものから読みはじめる。まず、他人が読む可能性があるものとして、じぶんの書き物はどう読めるか確認をするのであろう。だからそれまでは、書き物であって作品ではないのだ。
こういう書き物は作品としては大変、脆弱な位置にある。読者のいない書き物は作品になってないのではないか。
このサイトのコメント欄に、根保孝栄・石塚邦男 氏が「本来小説は頭を使って読むものではなく、寝転がりながら読むものであって、額に皺を寄せて気難しく読むものではないはずなのに、文芸評論家は小説をこねくり回して観念的に捉えようとし過ぎているのではないかという疑問…」としてるが、まさにつまらない同人誌の書き物を無理に読んで、作品として扱うことに疲れたためであろう。(数々のコメントいつもありがとうございます)
文芸評論とは、読者に読みどころを示し、人生を彩り豊かに過ごす手段としての文学藝術の意義と楽しみ方に道をつくることである。問題はそれを求める人がどれだけいるかである。それが少ないということは衰退藝術であるということから免れることはできない。
なぜこんな話を長々とするかというと、自分の編集する「詩人回廊」の編集精神と関係があるからだ。続きは次にしましょう。
転居したので事務所が遠くなった。荷物の整理が済んでいないので通う回数が減った。すると、「雑誌らしいものが届いてますよ」と事務所から電話があった。きっと、書き物から作品にしたい人たちからのものだと思う。
そこには、読者のいない書き物は作品ではないのではないか、と思う問題意識がある。
◆勝又浩氏「空気を描くこと」
「アンプレヤブル宣言」第2次創刊号(今治市)より林浩平の日録エッセイ、青木哲夫「曼荼羅の谷-釣人・犬塚勉画集を読む」、「たまゆら」(86号、東近江市)より谷山淳彦「ゴダールなんか知らない」・安田恵梨「遠くのほう」、波佐間義之「君はラビット」(「文学街」292号、東京都)・長月遊「小説自己紹介」、豊田一郎の個人誌「孤愁」(10号、横浜市)より「編集後記」・「白い花が咲く頃」、衣斐弘行「通天橋」(「火涼」64号、鈴鹿市)、内田謙二「エリートになりたがらなかった男」(「VIKING」734号、伊都郡高野町)、長瀬葉子「クリスティーヌ」(「とぽす」51号、茨木市)・渡辺泰子「マジシャン」
◆松本道介氏「やはり詩小説がいい」
暮安翠「不知火の露」(「九州文學」17号、福岡県中間市)・葉山こう「春の贈り物」、塚田吉昭「イラン国王大使館」(「小説図鑑」22号、横浜市)、濃野初美「夏を弔う日」(「作家」76号、豊田市)、立石富男「割れた夜」(「火山地帯」168号、鹿屋市)
●「同人誌の現場から」投稿は以下
「私の生涯大学」青木哲夫、「同人誌と芥川賞・直木賞」阿賀佐圭子(「九州文学」編集委員)、「海の遠浅に競い立つ」有森信二(「海第二期」発行責任者)、「『架橋』」磯貝治良(『架橋』主宰)、「ハローワーク通いの現場から」尾本善冶(「白鴉」同人)、「原稿は鉛筆書きにこだわる理由」酒匂八州夫、「同人雑誌 むかしの夢よ今いずこ」芹沢亮輔(「青稲」同人)、「『奇蹟』先駆者への思い」谷口弘子(「奇蹟」発行人)、「自分が書きたいことを書く」山崎文男(文芸同人誌「顔」主宰)、「『南風』三十号まで」和田信子(南風編集人)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
55号は時代に対応したものが多く充実。東日本大震災と福島原発事故を題材にしたもので、文芸的な詠嘆精神を越えて社会性を強く反映している。
【「望郷」(二)海鳴りの春」もえぎ ゆう】
同人誌というのは、読者が同人仲間という前提が意識にあるためか、三人称を使っていても一人称的効果のものが多い。しかし、ここでは、3・11以降の夫沢海岸の現場の状況をリアリズム手法で再現したためか、住民のそれぞれの多勢的な動向を的確に表現しており、優れたドキュメント風の表現力である。同人誌で意識的に群衆を描くことに心を配る人は少ないが、これはその少ない事例のような気がする。わたしはこういうところに、ここに文藝表現力の肝があると思うのだが、最近はこうした表現力をもたなくても、ライトノベルなどのプロ作家になれるようだ。
そのせいか、読む面白みが薄っぺらであるため、文章芸術のファンが減るのだ。たとえば4人の若者がデズニーシーに行ったとする。その場合、その4人の性格を表現させるのに、具体的な会話をさせ、それで読者に伝えるにはどのような工夫をするかなど…。現在はA優しい、Bは気が強い、Cは人見知りとか、直接説明して話を進める。どのようにしたかを省略してしまう。ストーリーだけになる。TV番組の事件報道バラエティのほうが、内容がないのに、話のつくりが巧い。こんな話は旧い文学老人の価値観ではあるが。
それはともかく、本作品のなかに、こうある。
『東京電力を恨む気持ちではなかった。/原子力の恐ろしさを感じていても知識力がなかった悲しみ、安全だと主張し揺るがない東電の説明、政府の意向を断れなかった悲しみだった。いや、安全という観念に負けたのだ。そしてその「安全」がいかに無能な対策でしかなかったかという、「安全」という言葉だけが魂を持っていただけだったかという事実の発見だった。
具体的な対策を確認したわけではない、共に学び検討していくという事実に向かうこともない、ただ「安全」の言霊の魔術にかかっていたのかを、今現実として剥き出しになって初めて実感させられた悲しみだった。
それは道造にとって第二次世界大戦中「日本は神の国だから勝つ」と信じ込まされてきた苦く苦しい言霊の体験と同じだった』
まさに実感のこもった独自の表現で、説得力がある。新聞テレビのメディアは、今もまた言霊の悪霊の役目を果たす。1度あることは、2度、3度あるというジンクス。原爆も広島の後、長崎にも落とされた。そのことをメディアは語らない。おそらくメディア当事者には、戦前と同じで、ものを考える頭がないのであろう。ほかにも原発事故の当事者の手記があるが、それは次に紹介したい。優れたドキュメンタリーになっているので…。
☆
発行所=〒352ー0032新座市新堀1-13-31、竹森方、小説芸術社。
編集人の竹森仁之介氏にPRした方がいいと、一時期でも当会のサイトを利用したらと進めたが、その気はないようだ。原発事故のドキュメントは同人誌的なところを越えて、被害者の心情や現状が参考になる。興味のある方にはお勧めである。
紹介者・伊藤昭一(詩人回廊・編集人)
2012年6月12日午後8時28分、ジャーナリスト・弁護士の日隅一雄氏(ひずみ・かずお)胆のうがんのため永眠。享年49。ヤメ弁と自称し自由報道協会の設立に携わった。ご葬儀は、ご遺族だけで福山(広島)で行われるという。市民メディア「NPJ」の編集長を務め、情報公開や表現の自由に関して積極的に活動。東京電力福島第1原発事故後は東電の記者会見などに出席し、病をおしてブログで情報発信を続けた。
≪参照: 「自由報道協会」での日隅一雄氏(写真上)」
「廃線」 大井康暢
寝静まった深夜/カーテンに洩れる光に誘われて/よく夢を見る/歳も八十を過ぎればいい夢ばかりではない/
昨夜も廃線の夢を見た/引き込み線に入ると土で固めた遮蔽物がある/列車の進行を食い止めているのだ/廃墟の感じがして何者かを拒んでいる
かつて輝いた美も悪も醜も/華やかな色も威圧的な鉄壁も失ったまま/石ころのように人生を無に/しようとしている
都市工場が増えた街角で/遊び疲れた場末の狭い裏通りや/野原に山積みされた大小の配管のまわりを/鬼ごっこで逃げ回った
郊外の夕暮れ時/目の前に一本の線路が伸びきて/野原の前で止まっている/引き千切ったレールの端で空に噛み付きそうだ
そんな線路の端から夕陽を浴びていると/空はアキアカネの群れで一杯だ/アキアカネが四方八方から集まり/たちまち思い思いに散ってゆく
急にあたりが暗くなり/冷たい風が吹きはじめた/アキアカネの尻尾も/一つ一つ見えなくなった
詩誌・田園151号(終刊)より(2012年6月1日 岩礁の会・三島市)
紹介者・江素瑛(「詩人回廊」) 作者の遺作の詩と思われる「廃線」。現役時代に華やかな線路にも秋風が吹くとなんとも言えない寂しさと虚しさを残し、暗示された人生の終焉を詩人は唄う。
「急にあたりが暗くなり/冷たい風が吹きはじめた/アキアカネの尻尾も/一つ一つ見えなくなった」
詩誌「田園」は151号で終刊になった。大井康暢さんー詩と詩評など著作多数、生涯一貫しての詩人です。入院4月26日、逝去は5月6日.82才(終刊付記より)
題「女子会」
渡邊弘子さん「道祖さん」(「南風」31号、福岡市)、「胡壷・KOKO」11号よりひわきゆりこさん「女子会をいたしましょう」
興膳克彦さん『稀代の軍師 黒田如水』(叢文社)、松原新一さん編著『丸山豊の声 輝く泥土の国から』(弦書房刊)
青海静雄さん「これは昔の話やけど」(「午前」91号、福岡市)、「詩と真実」755号(熊本市)は汐見純一郎さんの追悼特集、「あかね」91号は丸野久子さんと嶽崎よつ江さんの追悼記。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
題「ひとりで書いて読んで考える醍醐味」
『コブタン』第95号(コブタン文学会)より根保孝栄「同人雑誌と文学」、『ぽとり』第25号(きのかわ文芸社)より武西良和「オピニオントーク①」、『てくる』第11号(てくるの会)より竹内英海「罠にかかった狐」、『せる』第89号(グループせる)より西村郁子「歩く男」、『ふくやま文学』第24号(福山文学)より坂本遊「赤い馬」、『アミーゴ』第67号より平井辰夫「萍(うきくさ)の唄」、『鮫』(鮫の会)第129終刊号より「回顧・その軌跡」、『草束』第30号(岸和田市図書館友の会 詩の教室)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
「駱駝の瘤 通信3」3・11一周年記念号より「あなたの言葉になりたい-和合亮一『詩の礫』のゆくえ-」
小説:宇江敏勝「大瀬の太鼓踊り」(「VIKING」734号)、榎英夫「礼文島の手旗信号」(「青梅文学」27号)、森田愛作「老いの本音」(「象」72号)
単行本:李■(りー るい)著『正岡子規の写生文学とその周辺』(双文社出版)
島岡明子著『「紅炉」私記』(文治堂書店)、「座談会「3・11後」」(「八事(やごと)」28号、中京大学評論誌)、島有子「仮面の人たち」(「全作家」85号)、天川真佐子「雪のくる前に」(「札幌文学」77号)、米田和夫「俳句で見る漱石の熊本時代」(「街道」19号)、山名恭子「父の面影」(「文芸長良」24号)、北沢佑紀「ヘルパー志願」(「四国作家」44号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
・はい…15.5% ・いいえ…83.1 ・覚えていない…1.5%
【Q2】読んだ方>使用する情報端末は何ですか?(複数回答可)
・パソコン…10.8% ・スマートフォン(iPhone)…3% ・iPad…2.3% ・スマートフォン(アンドロイド)…1.5%
・SONY Reader…0.6% ・その他 わからない…3%
【Q5】今後あなたの電子書籍の利用頻度は?(カッコ内は 2011/11月調査時)
・紙の書籍しか読まないと思う …40.0%(43.3%) ・紙の書籍の方が多いと思う …38.8%(38.6%) ・どちらかといえば紙の方が多いと思う … 8.7%( 6.9%) ・紙と電子と半々くらいだと思う … 2.1%( 3.5%) ・どちらかといえば電書の方が多いと思う… 0.8%( 0.8%) ・電子書籍の方が多いと思う … 1.1%( 0.6%) ・電子書籍しか読まないと思う … 0.4%( 0.2%) ・わからない … 8.1%( 6.1%)
【Q6】紙では入手困難な講談社の作品の中で、電子書籍での復刊希望作品は?
★『火蛾』(古泉迦十)/講談社ノベルス メフィスト賞の作品は全部読もうと思っていたのに、火蛾だけはどうしても手に入らないのです。 (岡山県 N様 20代 男性)
★『プログラム学習』シリーズ/講談社サイエンティフィク 名著と言える教科書でも、需要が少なく再版が難しいのか、手に入らないものが沢山あります。しかし、それぞれに工夫を凝らされた解説は化学の理解に役立ちます。化学研究力の維持のために、是非協力いただきたい。 (京都府 M様 20代 男性)
★『地下鉄の友』(泉麻人)/講談社文庫 ずいぶん昔に読んだので詳細は覚えていないが、とにかく面白かった事だけは覚えています。 (神奈川県 O様 30代 女性)
★『最強の駒落ち』(先崎学)/講談社現代新書 駒落ちは、将棋の初心者が、身近な人と指すのに適切なハンデ戦であるが、 この本は、上手側も楽しく指せるような定跡が、載っていると聞いたので。 (兵庫県 K様 30代 男性)
★『徒然草(現代語訳つき)』(吉田兼好)/講談社文庫 高校生の頃古文の教科書に記載されていた「徒然草」の断片に飽き足らず、 書店で現代語訳つきの文庫を買って全文を読んだ記憶があります。 「自分のチカラで古典を1冊読んだ」という自信がついたためか、洋の東西を 問わず古典が好きになったという思い出があります。
いま全文を読み返したら、年齢相応の深読みができるのだろうか、それとも 高校生時代の清新な感受性には敵わないのだろうか。 (東京都 K様 40代 男性)
★『ウォーク・ドント・ラン』(村上龍・村上春樹) でも電子書籍よりは紙で復刊して欲しいですね。 (東京都 S様 50代 男性)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2012年6月1日号)
「作家はピンチの連続!?」群像新人文学賞授賞式(産経6月3日記事)
第55回群像新人文学賞(講談社主催)の授賞式で、小説部門の受賞者3人が抱負を語った。当選作は神奈川工科大准教授の岡本学さん(39)が書いた「架空列車」。空想で鉄道路線図を作っては小旅行する、という遊びにいそしむ男の話。物語の転換点に東日本大震災が置かれ、選考会でも賛否が割れたという。『3・11』を文学化するのは評価に値する」との声もあったという。岡本さんは「わたしは前回芥川賞をとった円城(塔)さん、田中(慎弥)さんと同い年。まずは何とかして2人に追いつきたい」と話した。
「泡をたたき割る人魚は」が優秀作に選ばれた明治大文学部4年の片瀬チヲルさん(21)は「文章が好きで、たまたま手に取った本の一文がきれいだったりすると、それだけで幸せな気持ちになる。小説の人物造形などをもっと勉強したい」と話した。同じく優秀作「グッバイ、こおろぎ君。」を書いた藤崎和男さんは現在74歳。「年齢の割には新米で、場違いな感じ。姪(めい)っ子には『そんな年になってもうれしいものなの?』と言われてしまいましたが…」と、会場の笑いを誘った。
住まい替えをしたので、ネットの環境の対応が不明でしたが、最低のツール1台のみ機能しております。たどたどしい日々。夫婦二人暮らしが、子どもと共同生活になる。子どもは、要介護者を介護しない、というが、私は介護をしていたつもりが、出来ていないという。どうしていいかわからず、できないことはできない、というと世代のちがいか、私が「できない」と言った、というので、大反発。論議をしているうちに、私が昔のわたしと違うと子どもが指摘。介護人を病院につれていくのだから、ついでに精神科を予約して欲しいという。
わたしは変に自己主張する気はないので、その場で予約を入れた。すると、なんと、高齢者精神科というのがきちんとあって、1週間後のには予約がとれたのだ。
行ってみると、若い医師が認知力測定セットを使って私の認知力をテストした。すると97ポイントで、マイナス3ポイント。診断結果は、精神薬の服用も今後の再診も不要。なんでも、何種類か目前に出したものを、スプーンがあったのを思いださなかったのがマイナス3。箸だろうがスプーンだろうがどうでもいいことだろうに。こういうことは、よくあることで老人が周囲から病人扱いされるのは珍しいことではないようなことを言っていた。
そこで、世代の違いで家庭内孤立の文学老人と家庭内での調整のむずかしさを相談すると、それは精神科の問題ではないので、ここでの診断とは関係ありません、という。
パソコン環境も事務所が遠くなり、仕事があれば神田の時も通っていた。仕事がないのに通うのもどうか、またどうすれば介護していることになるのか、介護される側の立場から考え、子どもには偏屈な老人と思われないようにどう対応するか、孤立していたことでどれだけ自由でいられたか、長生きすると社会的な環境問題が重要なテーマになるらしい。考えなければ……尾崎紀世彦は私の歳まで生きられなかったようだ。歌の修業は欠かさなかったのが、歌声に感じられて良い歌手だった。
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