同人誌「小説芸術」第55号(新座市)
55号は時代に対応したものが多く充実。東日本大震災と福島原発事故を題材にしたもので、文芸的な詠嘆精神を越えて社会性を強く反映している。
【「望郷」(二)海鳴りの春」もえぎ ゆう】
同人誌というのは、読者が同人仲間という前提が意識にあるためか、三人称を使っていても一人称的効果のものが多い。しかし、ここでは、3・11以降の夫沢海岸の現場の状況をリアリズム手法で再現したためか、住民のそれぞれの多勢的な動向を的確に表現しており、優れたドキュメント風の表現力である。同人誌で意識的に群衆を描くことに心を配る人は少ないが、これはその少ない事例のような気がする。わたしはこういうところに、ここに文藝表現力の肝があると思うのだが、最近はこうした表現力をもたなくても、ライトノベルなどのプロ作家になれるようだ。
そのせいか、読む面白みが薄っぺらであるため、文章芸術のファンが減るのだ。たとえば4人の若者がデズニーシーに行ったとする。その場合、その4人の性格を表現させるのに、具体的な会話をさせ、それで読者に伝えるにはどのような工夫をするかなど…。現在はA優しい、Bは気が強い、Cは人見知りとか、直接説明して話を進める。どのようにしたかを省略してしまう。ストーリーだけになる。TV番組の事件報道バラエティのほうが、内容がないのに、話のつくりが巧い。こんな話は旧い文学老人の価値観ではあるが。
それはともかく、本作品のなかに、こうある。
『東京電力を恨む気持ちではなかった。/原子力の恐ろしさを感じていても知識力がなかった悲しみ、安全だと主張し揺るがない東電の説明、政府の意向を断れなかった悲しみだった。いや、安全という観念に負けたのだ。そしてその「安全」がいかに無能な対策でしかなかったかという、「安全」という言葉だけが魂を持っていただけだったかという事実の発見だった。
具体的な対策を確認したわけではない、共に学び検討していくという事実に向かうこともない、ただ「安全」の言霊の魔術にかかっていたのかを、今現実として剥き出しになって初めて実感させられた悲しみだった。
それは道造にとって第二次世界大戦中「日本は神の国だから勝つ」と信じ込まされてきた苦く苦しい言霊の体験と同じだった』
まさに実感のこもった独自の表現で、説得力がある。新聞テレビのメディアは、今もまた言霊の悪霊の役目を果たす。1度あることは、2度、3度あるというジンクス。原爆も広島の後、長崎にも落とされた。そのことをメディアは語らない。おそらくメディア当事者には、戦前と同じで、ものを考える頭がないのであろう。ほかにも原発事故の当事者の手記があるが、それは次に紹介したい。優れたドキュメンタリーになっているので…。
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発行所=〒352ー0032新座市新堀1-13-31、竹森方、小説芸術社。
編集人の竹森仁之介氏にPRした方がいいと、一時期でも当会のサイトを利用したらと進めたが、その気はないようだ。原発事故のドキュメントは同人誌的なところを越えて、被害者の心情や現状が参考になる。興味のある方にはお勧めである。
紹介者・伊藤昭一(詩人回廊・編集人)
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コメント
初めまして。ドストエフスキーと中村真一郎と村上春樹が好きです。20世紀の小説の方法論と日本の文学の大ざっぱな流れは勉強してきました。創作物はいくらか引き出しに貯まっている状態なのですが、文学を語れる友達がいません。貴誌、貴サークルにてどのような活動をされているからか、是非いろいろ教えて頂けますようお願い致します。返信お待ちしております。
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代表・伊藤より
時代に合わせて活動は変化しますが、現在は下記の状況です。
http://blog.livedoor.jp/hbk3253/archives/51334649.html
投稿: 加藤隆 | 2013年8月 4日 (日) 01時01分