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2012年5月19日 (土)

山川豊太郎の散文に読む崩壊都市の世界(1)

 会員の山川豊太郎氏が「詩人回廊」に「繭(コクーン)version2」を発表している。ここでは「詩人回廊」における詩と散文の関係を考えるため、山川氏の散文に視る崩壊都市のイメージの意味を考察の材料にしてみようと思う。
 小説「繭(コクーン)version2」は、作者が2004年に書いた「時計台」という作品から始まる崩壊都市を遍歴する物語の続き。10年以上にわたって書き続けてきた長編小説の一部分なのである。はじまりの「時計台」において、国内に暴動が発生し、30余名が処刑され、銀座のビル街は廃墟と化し、雑草と樹木が繁茂している情況のなか、「僕」が街を行く。処刑場となった公園には数ヶ月後に市が立つ。そこに「僕」がふらりと現れる。
 ここで細かいことを言うが、作者の30余名と言う表現は、姓名に意味がある場合の時の表現で、この作品のなかでは、その意味合いがなく人数の問題らしいので、30人余とするのがベターだと編集人は考える。
 また、荒廃してしまった「三越」にはエレベーターが動き屋上には神社の祠が残っている。そこで「僕」は、3千円でライカのカメラを売っていた老人から2700円でカメラを買う。老人は向かいにある時計台について説明をする。時計は、時間をずらして動いており、その時間のずれを人類が知らずにいるが、時計は宇宙における惑星の関係が引力法則を変えて、地球上のものが重力を失ってばらばらに霧散することを示しているという。
 この状況設定は、まさに地球の破滅の前提とする都市崩壊のなかにいると同じような現代人を、詩的に表現した散文なのである。
 作者は、人類史のなかの古代文明の歴史のイメージを当てはめた文明の滅亡を前提にしており、「繭(コクーン)version2」でも同じイメージをなぞっている。そのため、ある読者からは、編集者が同じ部分を掲載しており、間違っているという意見が寄せられたほどである。しかし、作者は意図的なもので編集者の間違いではない、としている。
 ここには現代人が、かつての歴史的な文明遺跡が示してきたような実態としての文明都市の存在感を失いつつあり、社会が幻影的になっていることが強調されている。
 そのイメージがぐるぐると回転する。19世紀的な小説のエンターテインメントの要素である目的に向って一直線に進む構造がない点で、詩的散文とみることができる。
 これを小説的にするには、主人公がある目的を持ち、その達成にむけて行動するスタイルを必要とする。
 しかし、作者は連作短編として、派生してきたイメージの表現をとりまとめているので、詩的散文の範疇に入ると読むのである。

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