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2012年5月30日 (水)

第十四回「文学フリマ」の風景

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2012年5月29日 (火)

第十四回「文学フリマ」風景から

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2012年5月28日 (月)

第十四回「文学フリマ」風景から

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2012年5月27日 (日)

第十四回「文学フリマ」風景から

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2012年5月26日 (土)

第十四回「文学フリマ」風景から

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 このほど、住まいの改変により、しばらくパソコンまわりが不自由になります。そこで、文学フリマ風景を投稿しておきます。、

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山川豊太郎の散文に読む崩壊都市の世界(3)

 山川作品に表現された崩壊都市のイメージには現代の社会の状況への見方が反映されているように思える。それは、連作である2010年の作品「パノランマ館」の冒頭にも示されている。自然災害の洪水、テロと暴動に見舞われた都市において、崩壊の道をあゆみながらも市民の多くは日常を営んでいる。どこかが崩壊していながら、都市構造が存在し廃墟となっているわけではないということである。
 作者は中東における「アラブの春」の政治状況や東日本大震災を予見していた意識はないであろうが、彼の創作上の詩的イメージに現実があとから追従してきたような部分も見られる。
 異常事態の日常化の時代がここに表現されている。人間社会には常態として把握できる姿の期間は、思い込み以上に短いのである。
 情報化社会というのは、人間のつながりや絆の強化に役立つというのは幻想で、群集の細分化、隔絶化を促進しているのである。
 シリアをたびたび訪れているというジャーナリストでアラビア語翻訳、通訳者の重信メイ氏の情報では、革命派と旧政権との戦闘状況が世界に伝えられているが、それは部分的な地域で大部分の市民は平穏な日常生活を送っているそうである。
 しかし、山川氏の崩壊都市のイメージの先には、現在の過去に繁栄した都市が、現在は廃墟となって歴史的な資料として観光資源になっている事実への視線が存在するようである。廃墟になる前の崩壊都市の姿を昔のライカが、その時代の証言者として記録する。その記録のほとんどは断片化してゴミとなって消滅するが、作中のぼくの存在時間よりも長いものがあると、予感しているようだ。
 作品に登場する、「株式会社サキュバス」と、ぼくとの関係も、会社という存在が社員にとっていかに無機質なものであるかを示している。
 小説を構造をもったものとして読むと、意味が不明に思えるかもしれないが、詩的直観による散文として読むと、その底に作者の歴史観に対する信頼があるのがわかる。

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2012年5月22日 (火)

第23回伊藤整賞に堀江敏幸さん,川本三郎さん

 第23回伊藤整文学賞(伊藤整文学賞の会など主催)は、小説部門が堀江敏幸さん(48)の『なずな』(集英社)、評論部門が川本三郎さん(67)の『白秋望景』(新書館)に決まった。賞金は各50万円。

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2012年5月21日 (月)

山川豊太郎の散文に読む崩壊都市の世界(2)

 もちろん「繭(コクーン)」は小説として読むのであるが、それを散文とするのは「詩人回廊」編集人の文芸観による。
 現在、書かれている詩には、物事や事実をリアルに描写し、行を変えて羅列するものが大部分ある。行をわけなければただの散文である。これは詩として異端的な形式である。俳句などはそうはならない。短詩として優れたものが多くある。
 野間宏はヴァレリーの詩論において、「詩をダンスにたとえ、散文を歩行にたとえてその違いを明らかにしているが、ダンスはダンスそのものが目的であって、ダンスをしながらどこかへ到着しようなどという、ダンス以外の別の目標はもっていないのである」と説く。
 たとえば、お笑いの「駄洒落」なども詩的な言葉のダンスであろう。小説の地の文にダジャレは少ない。
 小説の文章は、何かを語るためにどのような手順が効果的かを考慮しながら書く。そのため、小説の物語性には、一定の山や平野や谷のある構造をもつ。通常はミステリー小説が謎をつくり、それを解読するというシンプルな構造によって、わかりやすく多くの読者を獲得している。純文学で広く読まれるものには、この構造をもってわかりやすい要素を持っていることが多い。
 ところで、小説を歩行にたとえるならば、歩くということについては両脚を交互に動かす動作である。それをマラソンのように走るということになると、短い距離では選手も一般人も同じに見える。しかし、長い距離を目的地まで走行すると、そのスピード、走るフォームに根本的な違いがある。文芸でも、文字表現では同じに見えても、書くための筋力やスタイルに基本的な違いがあるはずで、それを見分ける視線もつことは書く立場では重要である。
 同時に、書く筋肉は常に鍛えていないと衰弱する。そういう意味で、評論家的な立場で山川作品に冷静で冷ややかな論評をしたからといって、編集人の優位性を示すものではない。鍛えたものほど優位に立つ可能性をもつ。
 そこで言えば、「時計台」を執筆した時点の作者は、詩的イメージが強い割には散文的な筋力がそれほど強くなかった。それが徐々に筋力がついて、表現しきれなかったものが表現可能になるため、作品への姿勢が変わってきている。山川氏の「崩壊都市」シリーズは、そのために方向性が変節している過程が読める。
 筆力に応じて書き方と形式が変わってくるのである。

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2012年5月20日 (日)

小泉八雲の三陸津波に関する蔵書…焼津で展示

.三陸津波に関する小泉八雲の蔵書…焼津で展示(2012年5月18日 読売新聞)
=  静岡県焼津市にゆかりがある小説家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)の蔵書から、1896年の明治三陸地震についての英文冊子が見つかり、同市本中根の静岡福祉大付属図書館で展示されている。
 八雲は、安政南海大地震(1854年)の津波に襲われた紀州(和歌山県)で、稲束に火を放って村人に避難場所を伝えたという実話をもとに「生き神」を執筆。1896年に米国の雑誌に発表した。進藤さんは「怪談のイメージが強い八雲だが、自然災害についても関心をもっていたことも知ってほしい」と話している。
 展示は、7月31日までの平日午前9時~午後5時15分。祝日休館。入館無料。問い合わせは同館(054・623・7452)。 

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2012年5月19日 (土)

山川豊太郎の散文に読む崩壊都市の世界(1)

 会員の山川豊太郎氏が「詩人回廊」に「繭(コクーン)version2」を発表している。ここでは「詩人回廊」における詩と散文の関係を考えるため、山川氏の散文に視る崩壊都市のイメージの意味を考察の材料にしてみようと思う。
 小説「繭(コクーン)version2」は、作者が2004年に書いた「時計台」という作品から始まる崩壊都市を遍歴する物語の続き。10年以上にわたって書き続けてきた長編小説の一部分なのである。はじまりの「時計台」において、国内に暴動が発生し、30余名が処刑され、銀座のビル街は廃墟と化し、雑草と樹木が繁茂している情況のなか、「僕」が街を行く。処刑場となった公園には数ヶ月後に市が立つ。そこに「僕」がふらりと現れる。
 ここで細かいことを言うが、作者の30余名と言う表現は、姓名に意味がある場合の時の表現で、この作品のなかでは、その意味合いがなく人数の問題らしいので、30人余とするのがベターだと編集人は考える。
 また、荒廃してしまった「三越」にはエレベーターが動き屋上には神社の祠が残っている。そこで「僕」は、3千円でライカのカメラを売っていた老人から2700円でカメラを買う。老人は向かいにある時計台について説明をする。時計は、時間をずらして動いており、その時間のずれを人類が知らずにいるが、時計は宇宙における惑星の関係が引力法則を変えて、地球上のものが重力を失ってばらばらに霧散することを示しているという。
 この状況設定は、まさに地球の破滅の前提とする都市崩壊のなかにいると同じような現代人を、詩的に表現した散文なのである。
 作者は、人類史のなかの古代文明の歴史のイメージを当てはめた文明の滅亡を前提にしており、「繭(コクーン)version2」でも同じイメージをなぞっている。そのため、ある読者からは、編集者が同じ部分を掲載しており、間違っているという意見が寄せられたほどである。しかし、作者は意図的なもので編集者の間違いではない、としている。
 ここには現代人が、かつての歴史的な文明遺跡が示してきたような実態としての文明都市の存在感を失いつつあり、社会が幻影的になっていることが強調されている。
 そのイメージがぐるぐると回転する。19世紀的な小説のエンターテインメントの要素である目的に向って一直線に進む構造がない点で、詩的散文とみることができる。
 これを小説的にするには、主人公がある目的を持ち、その達成にむけて行動するスタイルを必要とする。
 しかし、作者は連作短編として、派生してきたイメージの表現をとりまとめているので、詩的散文の範疇に入ると読むのである。

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2012年5月16日 (水)

三島由紀夫賞に青木淳悟さん、山本周五郎賞に原田マハさん

 第25回三島由紀夫賞と山本周五郎賞(新潮文芸振興会主催)は、三島賞に青木淳悟さん(33)の「私のいない高校」(講談社)、山本賞は原田マハさん(49)の「楽園のカンヴァス」(新潮社)に決まった。賞金各100万円。

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2012年5月15日 (火)

第58回江戸川乱歩賞に高野史緒さんの「カラマーゾフの兄妹」

 第58回江戸川乱歩賞(日本推理作家協会主催)は14日、高野史(ふみ)緒(お)さん(45)の「カラマーゾフの兄妹」に決まった。賞金1000万円。

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2012年5月14日 (月)

文芸同人誌「海」(第二期)第7号

【「赤い陽」有森信二】
 世界の文明国による第3次世界大戦と、大自然災害という二つの破局要素の中で、日本民族らしき男と異なる国の女性の恋人を描く。3・11の自然災害とそれをめぐる世界各国の対応をイメージの基礎に置いたのかも知れない。創造力をフルに発動させようという意欲が見られて、面白く読ませる。
 世界の情勢と国の社会体制の混乱、それと人間的な家族関係に絞って破局に陥る運命を描く。同人誌作品としては長いほうだが、この類の小説としてはエッセンスを集約した短編的なものにしかならない、破局小説として完成させるには長編にしなければならないことがわかる。
 たまたま、当会員の山川豊太郎氏が、暴動などで破壊された都市を漂流する長編小説(現在のタイトルは「繭(コクーン)version2」)執筆中で、その作品解説を予定していたので、比較文学的に読んだので興味深かった。

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2012年5月13日 (日)

同人誌「群系」第28号(東京)

【「オーバーラン」外狩雅巳】
 野球が好きで打ち込みたいがそれが許されない主人公。労働者の作業拘束時間、成果の監視、生産構造のなかで、自由とロマンの希求が押しつぶされていく。ここでは職場の班長の歯車としてうまく凌がねばならない状況の軋轢を描く。掌握しきれない女工たちとの葛藤も歯車同士のかみ合いである。組織と個人の立場のちがいを野球のオーバーランの表現に集約させているのか。短編なので、描写中心で仕上げられているのが特長。そこに詩的な飛躍をもたせて結末を締めている。瞬発力のあるエネルギーが出ているが、その現代はアニメも自己感覚描写が出てきたので、その辺との兼ね合いを考えさせられる。
【「眼帯少女綺譚」海藤慶次】
 都会のジャングルを漂流する自分探しの男の話か。漂流の途上に河の中洲には女が居て、男に自分が何を欲しがっているかヒントを与えてくれるのだが、それは何か。面白く読ませられ、その過程を楽しむものらしい。文章が上手い。
【「遊郭跡」成瀬勝】
 戦中戦後の州崎パラダイスを思わせる下町の色町で、怪談とミステリーの反戦小説。話の運び組み立てが江戸川乱歩のようで、懐かしくも耽美的な味わいがする。古めかしくて、リアルであっても現在では異界に感じる世界。若者には新鮮かも。
               (紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2012年5月11日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」12年5月4日(朝刊)長野秀樹氏

題「虚実皮膜」
長井那智子さん「天の采」(「火山地帯」169号、鹿児島県鹿屋市)、加村政子さん「埋み火」(「海峡派」124号、北九州市)
「すとろんぼり」11号(福岡県久留米市)より松原新一さん「山本健吉論・序」、「火山地帯」より川崎正明さん「七十五歳と向き合う」、「海」第2期7号(福岡県太宰府市)より牧草泉さん「お姉ちゃん子」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2012年5月10日 (木)

島岡明子「『紅爐』―私記 同人誌三十年」(文治堂書店)

120507_002文治堂書店
 昭和38年頃から同人誌「紅爐」を30年にわたり運営してきた著者が、同人誌運営の経過を詳細に記録したもの。日本人の同人誌発行の精神そのものの記録として、大変興味深く面白い。
 島岡氏が同人誌にかかわったのは、昭和27年ころ、静岡の「東海人」という同人誌に加わり、その後「文芸首都」の末期に同人に参加し、中上健次などと出会う。その後「紅爐」では同人の吉田知子氏は芥川賞受賞、小川アンナ氏などが活躍したとある。
 このころ文芸首都で有料の添削システムがあったらしく、それに関連して、島岡さんの作品の批評を受けた時の添削文が掲載されている。この当時は現在とちがって、近代文学の隆盛の時期で、良い文章表現の基準らしきものがあった。(いまでもあるのだが、それが市場性と結びつかないので軽視されている)。
 そして、基礎力を会得した上で良い作品であれば、文壇に登場し作家への登竜門となった。売れるか売れないかの市場原理にそれほど左右されない時代のことから、現代文学の市場性まで――これから同人誌が運営されるなかで、必ず論じられるであろう、そのすべてが記述されている。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2012年5月 9日 (水)

詩の紹介  「そよ風」 笹原由里( 「海」第二期第7号)

「そよ風」    笹原由里

風の上を歩く
詩の足音が
窓から
そっと
耳元を掠めて
吹いてくる   

(文芸同人誌 「海」第二期第7号(2012年4月より)大宰府)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 短い言葉で、絶妙。詩のインスピレーション来訪を捉える。内なるハートと時間のハーモニイは詩人なら誰でも経験するかもしれませんが、これだけの透明感をもって表現する詩才は希少に思います。


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2012年5月 8日 (火)

第十四回文学フリマに見る同人誌最新動向

第十四回文学フリマに文芸同人「砂」の会として参加しました。新刊は「砂」誌119号で、会員の文芸同志会発行の「罠の報酬」は、ベタつき付録で販売しました。午前中は両隣が好調でしたが、見本誌コーナー経由で午後は「砂」誌をみて買いに来る人もいて、そこそこの売れ行きでした。
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 会場のフリーペーパーコーナーには、同人誌制作支援兼印刷製本業の動向が進歩していました。
 コミック本制作法を生かして低コスト小説本(文字のみだと安くなる)や、フリーソフトのWORDPRESSを活用した無料で使える出版システム{ぷりぷれ」、ネットサイト「アマゾン」に出品でききるシステムアピールする<密林社>など、だれでも本をつくれるというニーズを狙ったものがありました。
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 もうひとつの流として電子書籍化がありますが、これは現在、資本がいることから政府が補助金を出して育成する方向にあり、制作から流通まで使い勝手のよいシステムが出来てからそれを活用するノウハウの世界に移行してくようです。《参照:暮らしのノート・文芸

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2012年5月 5日 (土)

同人誌「群系」第28号(東京)

 本号では特集「震災・戦争と文学」がある。どれも読みでがあって、読み終わらない。もともと「戦争と文学」をテーマにしてきたものが、たまたま大震災があったので時代性を盛り込んだものであろう。昨年春の蒲田の「文学フリマ」で大塚英志氏が、震災が起きたからといって文学精神や役割のような問題が、どうこうということはない、と話っていた。基本的にはそうだが、それぞれの視点からの現代と絡みあわせた評論は、ふうん。そうなんだと、どれも勉強になる。高校生時代の生徒として、切り口と料理法の手腕で読ませた昔の文芸雑誌の風情を残している。
 評論を読んでいると、日本の現代文学がこのような状況を見せている前にはこのようなことがあった、と羽織の裏生地を見せるようなところがある。裏生地のほうが立派で、お洒落に見えるのは、元禄時代に似ているかも。
【『文芸誌とメディアに観る「3・11」と過去の大災害』永野悟】
 災害や核の不安について、文学では表現されていて、読まれていないだけだ、という視点と、表現の価値が小説的なものからエッセイ的なものまで拡げた説を展開させている。自分はそれらを散文として包摂する案をもっているので、なるほどそうですかと、意を強くする。
【『伊藤桂一の「黄土の記憶」』野寄勉】
 最初は、これがあるから送られてきたのかな、と思って読んだ。じつに優れた解説で勉強になった。伊藤桂一氏は今年で95歳になると思う。いくばくかの薫陶をうけてきた自分なりに、文章を書くポイントを学んできたが、そのなかに物事を「詳しく書くと面白いのだよ」ということがある。これは外の物を詳しく書く精密デッサンが芸術になるという意味に取れるが、それだけではない。心のありさまを精密に描くと言葉の芸術になるという意味もあると思う。
 本欄の紹介でも、そこがあると良い作品として紹介する基準のひとつにしている。この評論では、その心の様子を描いたところを戦場における人間観に結び付けていて、ためになった。基本には精神の最高峰を求めて登りつつも、ニヒリズムの谷間に落ちずにいる世界観というか、そういうところにあるようだ。
【「シャーキャ・ノオト(1)-原始仏教残影―」古谷恭介】
 いまどきの新書の仏教案内本の浅薄なところを見るにつけ、こういうのを読むと懐かしくほっとする。「もう生まれか変わりたくない」というニヒリズムと、道を求めるロマンチズムの融合の原点がありそうだ。
 つぎはできるなら小説3篇についても触れたい。
        (紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2012年5月 4日 (金)

第十四回「文学フリマ」東京流通センター(6日開催)で付録になる「罠の報酬」

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 第十四回「文学フリマ」が5月6日に東京流通センターで開催される。今回は身内に要介護者がでて、家のなかを大変革の必要が出て、てんやわんや。そのせいで準備不足。文芸同志会の文学フリマの参加申込みできず。そのかわり会員の山川氏が文芸同人「砂」の会の運営担当になったので、「砂」(ア11ブース)会員でもある伊藤もそこで出します。新刊は「砂」誌119号。
 これまで販売してきた第1回「文学フリマ」参加記念「罠の報酬」伊藤鶴樹・本体500円は、その付録とするつもり。本を整理していたら、もうこの本の印冊のしっかりしたものがない。薄れがあったりしたものばかりが少数。そこで、付録にして在庫を払います。
 ここに掲載の「罠の報酬」は、その当時物品のシステムセールの企業を経済ライターとしてその実態を取材、問題があるのではないかと投資雑誌に売り込んだ。すると、雑誌側は「あの会社ね」と自主規制でボツに。
 それをもとに殺人のないトリック小説化したもの。小説雑誌の編集者にも売り込んで「面白いね。ここのところは事実と判りすぎるからぼかして」かと、検討されたが、なかなか決まらないので売り込みをやめた。だいたい検討するとか保留といわれたらまずダメ。こっちも付き合っていられない。そこに大塚さんからプロ・アマ混合の文学フリマをやるというので、第1回文学フリマ参加記念出版と入れ、他に書き下ろしと、雑誌に掲載販売した作品を版権著作権を出版社から取り戻して書籍化(本当はその雑誌がうたい文句にした官能小説でなく純文学だから)。
 当時のライター人材銀行の主催者から「関係のある出版社から、検討したいと話があったのはあなたの本だけ」と、たいそう信頼され仕事を紹介してもらった。たしかに、紹介された幹部はこれを読むと、どれが事実関係かわかるよ、出来ごとを面白くかくんだね、うちも頼もうと自伝や企業成長物語などの仕事を受ける元になったもの。「砂」116号を買うと付録につきます。書き下ろしのミステリーのトリックは、困った挙句に思いつたものだが、意外性があると読んだひとには好評。
 また、「カフカもどき」《参照:作品紹介「時計台」》も販売します。

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2012年5月 2日 (水)

「農民文学」第297号に農民文学賞受賞作「赤いトマト」掲載

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 第58回日本農民文学会総会が4月29日に開催され、農民文学賞受賞の「赤いトマト」宇梶紀夫さんへの贈呈式と懇親会が行われた。《参照:「第55回農民文学賞」詳細記事
 季刊「農民文学」の表紙のクレヨン画を担当しているは小島富司氏であるが、長年わたり農民文学賞の選者をしている直木賞作家・詩人の伊藤桂一氏の肖像画を描いて、贈呈したという。伊藤桂一氏は「うまいものだね。ささっと描いてしまうのだね」と気に入っていた。そこで、記念に写真を撮らせてもらった。
 ところで、第55回農民文学賞の宇梶紀夫さんの小説「赤いトマト」に話であるが、起承転結の転の部文が3・11の大津波である。第3段階にあたる書きどころで、ぼくという一人称でありながら周囲をよく観察し、それぞれの立場の登場人物を多数を書き分けて、第3人称かドキュメンタリーのような場面展開に成功させている。こうして、終章に移行し切れ味のよい結末にしている。ここに微妙なバランスで物語を展開させる技術が発揮させている。
 ただ、こうした手法は、人間の活動を外面から大きくとらえるのに適しており、基本は大衆小説に適している。逆に言えば宇梶紀夫氏には大衆小説作家としての才気を見せたものとして注目に値する。


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2012年5月 1日 (火)

季刊「農民文学」第297号に農民文学賞受賞作「赤いトマト」掲載

124029_029第58回日本農民文学会総会が4月29日に開催され、その後、第第55回農民文学賞受賞の「赤いトマト」宇梶紀夫さんへの贈呈式を開催。その後、懇親会が行われた。《参照:「第55回農民文学賞」詳細記事
 昨年は、姿を見せなかった同人誌「淡路島文学」の北原文夫氏とも会う。同誌は10ヶ月ごとの発行の決まりがあるという。1年に1回であろう、半年ごとでは、事務的に大変なので、そうなったという。昨年は3・11の災害で書くことに専念していたという。
 農民文学会のHPを引き受けている杉山武子さんは、評論で農民文学賞を受賞した作品をベースにした評論集「土着と反逆―吉野せいの文学について」(出版企画あさんてさーな)を上梓。これから小説を書くという。なんでも、地元のもの書き仲間に、65歳の人がいてこれから小説を書くと思って、世界文学全集を読み始めたのを見て、刺激を受けたともいう。
 森厚さんとも久しぶりに会う。南雲道夫さんが亡くなってしまったので、寂しいところもある。
 今年の受賞者の宇梶さんは、農業関係の仕事の専門家だけに、トマトの栽培についてもじつに詳しく調べていている。この作品には、数々の小説的技法が展開されており、事実のフィクション化のノウハウが詰め込まれている。この手腕をもっていて宇梶さんは、小説教室にも通っていたそうで、驚きだ。しっかり学んで実践に反映させている。教えたほうが良いのではないかと思わせる。
 この作品は短編であるが、書き方は長編小説的なのである。この特徴をもってよく短編にまとめている。それは、シナリオでいう起承転結の箱書き的な手法を応用していることによって、成功させているのである。
 まず、主人公が勤める医院で結婚相手と出会うまでが、第一段階。この部分でのエピソードを語ることで、登場人物のイメージを固めている。しかし、このままで進行させると長くなりすぎる。で、主人公と奥さんのイメージとストーリー展開に必要な事柄を示すと次の展開に移る。
 それが、夫婦でサラリーマン生活に見切りをつけ、父親のトマト栽培のノウハウを身につけるところ。ぼくという一人称の便利さを活用して、農業の細部にわたる話を退屈な知識の薀蓄話から逃れさせている。これが第二段階。
 こうした手法で転結まで上手くもっていく。そのため、感動的であるが、長編小説をダイジェストで読んだような感動感がある。続きはまた。

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