同人誌「群系」第28号(東京)
本号では特集「震災・戦争と文学」がある。どれも読みでがあって、読み終わらない。もともと「戦争と文学」をテーマにしてきたものが、たまたま大震災があったので時代性を盛り込んだものであろう。昨年春の蒲田の「文学フリマ」で大塚英志氏が、震災が起きたからといって文学精神や役割のような問題が、どうこうということはない、と話っていた。基本的にはそうだが、それぞれの視点からの現代と絡みあわせた評論は、ふうん。そうなんだと、どれも勉強になる。高校生時代の生徒として、切り口と料理法の手腕で読ませた昔の文芸雑誌の風情を残している。
評論を読んでいると、日本の現代文学がこのような状況を見せている前にはこのようなことがあった、と羽織の裏生地を見せるようなところがある。裏生地のほうが立派で、お洒落に見えるのは、元禄時代に似ているかも。
【『文芸誌とメディアに観る「3・11」と過去の大災害』永野悟】
災害や核の不安について、文学では表現されていて、読まれていないだけだ、という視点と、表現の価値が小説的なものからエッセイ的なものまで拡げた説を展開させている。自分はそれらを散文として包摂する案をもっているので、なるほどそうですかと、意を強くする。
【『伊藤桂一の「黄土の記憶」』野寄勉】
最初は、これがあるから送られてきたのかな、と思って読んだ。じつに優れた解説で勉強になった。伊藤桂一氏は今年で95歳になると思う。いくばくかの薫陶をうけてきた自分なりに、文章を書くポイントを学んできたが、そのなかに物事を「詳しく書くと面白いのだよ」ということがある。これは外の物を詳しく書く精密デッサンが芸術になるという意味に取れるが、それだけではない。心のありさまを精密に描くと言葉の芸術になるという意味もあると思う。
本欄の紹介でも、そこがあると良い作品として紹介する基準のひとつにしている。この評論では、その心の様子を描いたところを戦場における人間観に結び付けていて、ためになった。基本には精神の最高峰を求めて登りつつも、ニヒリズムの谷間に落ちずにいる世界観というか、そういうところにあるようだ。
【「シャーキャ・ノオト(1)-原始仏教残影―」古谷恭介】
いまどきの新書の仏教案内本の浅薄なところを見るにつけ、こういうのを読むと懐かしくほっとする。「もう生まれか変わりたくない」というニヒリズムと、道を求めるロマンチズムの融合の原点がありそうだ。
つぎはできるなら小説3篇についても触れたい。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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コメント
4年前、第29号をもって休刊した同人誌「頌」(オード)が、web版で再開しました。
http://web-aude.la.coocan.jp/
木版画作品集もあります。
ぜひ、お立ち寄りを。
投稿: 緒方真 | 2012年5月 7日 (月) 00時49分