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2012年2月14日 (火)

埴谷雄高の「自同律の不快」を考える 

 「自同律の不快」について、埴谷雄高はこう語っている。
「『死霊』にも『不合理ゆえに吾信ず』にも出てきますが、自同律の不快ということがぼくの考えの底から離れないからです。これが、ぼくの根本問題ですね。思惟の前提がぼくにとって疑わしく、不快なので、どうしてもぼくの考え方は一種存在論的にならざるをえない。ぼくは『死霊』の解説みたいなことをせざるを得ないときは、必ず社会と存在に並べて、自身に向きあう自身、自分の中の自分といったようなことを持ち出すのですが、ぼくにとって一番問題になるのは、その自身に向きあう自身、自分の中の自分ですね。それを説明すれば、自身になろうとしてなかなかなれない、しかも、なろうとする、その間の凹所、ぼく流の言葉でいうと、跨ぎこし得ざる深淵、をどう埋めるか、飛翔するかの仕事が小説という作業になる」(現代作家入門叢書「埴谷雄高」冬樹社)。これが埴谷雄高の創作の源であった。
. 埴谷雄高の人生は、結核にかかって変化した。「結核の最大の収穫はニヒリズムです。結核が、どうしても死を考えさせるわけですね。その先は何か。少年時代は非常に簡単に結論を出してしまうんです、とにかく無ですね。何をしてもしょうがないじゃないかと思い、注射を打ちに行くといって映画を観に行ったりする。」(「埴谷雄高 生命・宇宙・人類」、角川春樹事務所)。
 『そしてスティルネルの「唯一者とその所有」に出会った。これが思想的な影響としては決定的ですね。スティネルの「エゴイスト」は普通のエゴイストと意味が全然違って、「創造的虚無」というのかな、虚無の中に浮いているエゴであって、この「唯一者」のエゴを、国家も宗教も人類も理想も、あらゆるものが支配できない。という考え方ですね。それが結核のぼくにぴったり入ってきて重なってしまった』(同書)。ニヒリズムから、スティルネル的アナーキズムへ移行したという。
 自らの学生時代をこう語る。
「そのころの学校は、60年安保時代と似ていて、非常の左翼的です。しかもぼくが入った日大は、方々の高等学校を追い出された左翼がたくさんいた。このような環境ですから、クラスの中でマルキシズムの研究会をやっているんです」(同書)
 そこで誘われてマルクス主義思想に関心をもった。
――スティルネルにとっての幽霊の最大なるものは国家で、ぼくの中にもその意識がたえずありました。ところが研究会でレーニンを読むと、アナーキストは国家そのものを即座に解体してしまうが、われわれは国家がなくなるまでの間に過渡期の国家を持つ、と言っている。で、本当に過渡期の国家というものはあり得るのかと思って、ぼくは珍しく勉強を始めた。その時に、レーニンの『国家と革命』のタイトルを引っ繰り返して『革命と国家』という論文を書きました。これはプルードンの『貧困の哲学』がマルクスの『哲学の貧困』になったのとちょっと似た関係ですけど。レーニンはうまいこと言ってるんですよ。『国家と革命』のいっとうしまいに、「あと党の大会を二回ほどやれば国家は死滅する。われわれの孫は死滅した国家をみるだろう」と言っている。その論証の仕方は非常に精密で、思索は飛躍的に奔放で、しかも説得的なんですね。――(同書)。

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