埴谷雄高の「自同律の不快」を考える
埴谷雄高は、『国家と革命』理論に説得されて、革命思想にかかわった。思索の世界の論理的合理性から、現実の政治活動の現場に赴いたのである。しかし、マルクスやレーニンの国家死滅説(眠り込むともいう)というものは、いわゆる夢、ロマンとしてのユートピア説の域を出ていないのではないか、と思う。
夢はいつか叶う可能性がある。しかし、それはいつのことかはわからない。社会の変革には時間のかかるものと、早いものとの二種類がある。変革が実現しない段階でのビジョンはロマンである。宗教でいえば仏陀やキリストの思想は、当初はともかく、男女平等と階級差別を否定した。しかし、インドのカースト制やその他の国々の男女差別、人種差別はまだ存在する。それでも、そのビジョン向けた変革は続くであろう。
これと同じに、国家の死滅というビジョンは、空想社会主義的で、ロマンの段階である。そういう意味で、埴谷雄高はロマンチストであった。
国家死滅ビジョンは、もともと、羊を連れて国境を越える遊牧民の伝統を背負った思想の詩的インスピレーション反映のような気がしないでもない。
マルクス・エンゲルスの国家死滅論は、国境意識を持たない遊牧民の神ヤハウェを源流とする宗教思想と表裏一体の関係にあるのではないだろうか。厳しい自然環境の乾燥地帯特有の生きるための論理の反映である。農耕民族への侵略、略奪の正当化させるのが、父なる神による選ばれた民族という選民意識である。ニーチェのキリスト教へのルサンチマン意識を持ち出すまでもなく、プロレタリーアートという存在の正当化の根拠への論調は手薄い。
いずれにしても、人間の社会的関係のもとは、人間の自己中心的本質を制度的にどう調整するかというところにある。埴谷雄高は社会制度論よりも存在論に傾斜した。それが哲学的文学を形成した。
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