詩の紹介 「夢の果て」 鈴木比佐雄
「夢の果て」 鈴木比佐雄
怖い夢を見たよ
遊園地の帰り バス停で/お父さんとお母さんが乗ると/ドアが閉まって 発車してしまうんだ/運転手さーんー 待ってよー!/と叫んだけれど/ぼくと排気ガスを残して行ちゃったんだ
怖い夢を見たよ
スーパーでお母さんと買い物をしていたんだ/ぼく おやつを探してくるよ/そう言うと
ひとりでお菓子棚へ行ったんだ/ドロップとチョコレートを持って/お母さーん はい
これと手渡すと/顔が違っているんだ/まわりの女の人の顔もお母さんじゃないんだ
怖い夢を見たよ
ぼくはどこにもいないんだ/お父さん お母さん お姉ちゃん/三人で食事をしているん
だ/ぼくがいなくても みんな楽しそうにしている/ぼくは遠くから見ている/ぼくは口
がきけない/胸につかえて何も言えないんだ/そして長い食事が終わってしまったんだ
怖い夢を見たよ
夕暮れ お父さんとマラソンに行ったんだ/沼に太陽が落ちてきて キラキラ光り/走る
たびに色を変えて行ったんだ/ぼくはお父さんを抜いて/先へ行くよ と言って全力で走
ったんだ/ぼくは沼と水鳥に見とれて/顔を横にむけて走っていた/あっ 足音がきこえ
ない ふり向くと/お父さんはどこにもいなかった
鈴木比佐雄詩選集一三三篇により 09年10月26日東京都(コールサック社)
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
愛に飢えた子供の寂しい心をよく表している。誰かいないと怖い、家族の誰かに常に目を向いてくれないと怖い。赤ん坊なら泣くことで、大人の気を引く、子供はそうはいかない。
大人に囲まれても、大人の会話の輪に入れない「みんな楽しそうにしている/ぼくは遠くから見ている/ぼくは口がきけない/胸につかえて何も言えないんだ」そして自分のことを忘れられてしまい、あたかも自分が存在しないような大人達の仲間はずれの「長い食事が終ってしまったんだ」
しかし、愛のことばの氾濫する大人の世界はどうか。子供の心の深い叫びを聞く余裕のない、大人そのものが、こども同様である。だから子供は本当の大人の不在を不安に感じる。現代の反省を喚起させられる。
| 固定リンク
コメント