同人誌「季刊遠近」44号(東京)
「季刊遠近」は、同人誌評やネットでも論評されることが多い。水準の安定した同人誌である。最近は本誌の常連でもある純文学作家の難波田節子さんの著書「遠来の客」が図書館の蔵書に並んでいるのを目にした。最近の図書館は、なかなか購入しないともきく。水墨画や禅僧などの絵画などで、日本には趣味を職業としない伝統もある。ひとつの作家活動の成果であろう。
【「百日紅」安西昌原】
本作品は、個人的に我が身のことに想いが浮かぶところのあった作品。父親の一番下の妹が亡くなって、埼玉県の武蔵浦和に通夜と告別式に通う。この時代の様子が語られる。どいて葬儀会館へのその道中の順序がくわしく書いてある。新宿から埼京線で段取り良く行けば、一日目のように順調で、なんということもないのだが、湘南高崎線に乗ったためにあれこれ乗換えに手間がかかり、遅刻しそうになる。自分も3、4年前に赤羽乗換えで、段取りが悪く目的地に到着するのに苦労することがあったので、やはりそうか、と感じた。最近はさらに主要各駅の乗り気改築の変化の激しさに戸惑うことが多いことに思い当った。この交通の乗換え話が丁寧に描かれていることが、寓意に近い意味を感じさせる。同時に、語り口全体で、言うにいえぬ喪失感が流れているようで、しんみりと読める。子供のころ昭という親戚の子と野球をしていて、手元が狂い、頭にボールをぶつけてしまうエピソードがある。省略した書き方に哀歓と郷愁をかきたてるものがある。この何ともいえぬものの表現は、修練による文芸力のような気がする。
【「どんどん橋」欅館弘二】
麦彦という男が学生時代に、葉子という男関係で奔放な女性との交流から始まる。葉子の身の上話の中に父親との情交を語る話になる。それがいつの間にか葉子が同人雑誌に書き残した小説を転載した話になり、定石はずしの違和感のある作品。首をかしげてしまう視点の変調がある。終りのメモに、参考文献として昭和41年~42年・同人雑誌「えぬ・あーる」2号・3号、(故)松本光代「狂気への道」とある。
ということは、松本光代という人の作品に刺激されて、この作品ができたということなのだろうか。内容そのものは、近親相姦を軸に、人間の個人愛と情欲、人間の普遍的な人間愛の芯にあるものについて心に触れるものがある。全体はわからないまま、言うにいえぬところを表現していて、文芸の雰囲気に包まれたものがあるので、印象に残った。
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