埴谷雄高の「自同律の不快」を考える
埴谷雄高の「死霊」は、つぎのようにして始まる。
『最近の記録には嘗て存在しなかつたといわれるほどの激しい、不気味な暑気がつづき、そのため自然的にも社会的にも不吉な事件が相次いで起こった或る夏も終わりの或る曇った、蒸し暑い日の午前、××瘋癲病院の古風な正門を、一人の痩せぎすな長身の青年が通り過ぎた』
「或る夏のある曇った時」という設定は、昔話の様式である。それが厳密には現実に存在しないことを示している。わずかに××瘋癲病院の存在が、現実的なイメージを誘発させている。場所を瘋癲病院とした背景には、精神的な健常者の病院の存在を浮き彫りにさせている。
病院を訪ねた三輪与志が見舞うのは親友の矢場徹吾である。矢場は、ある医師の見方では、失語症などの症状はあるが、「全体としてなんらの発狂の症状はない」とされる人間である。
失語症というのが意味ありげだが、要するに正常なのである。当然のことながら、瘋癲患者が現実に瘋癲であったなら、その言動は正当性を失い、物語が成立しない。
瘋癲病院の患者が瘋癲ではないということは、瘋癲とされる入院患者が正常であって、病院外の健常者が瘋癲者であるという主張が込められた設定になっている。
この設定によって作者は、この物語の正当性を否定する読者へのバリアーを張ったことになる。「この物語をおかいしいというのは、お前がおかしいからではないのか」という認識の相対化である。
こうした発想は、それ以前に書かれた「洞窟」という小説にすでに盛り込まれている。
埴谷雄高の「洞窟」は戦前の同人誌「構想」に昭和十四年十月号と昭和十五年一月号の二回にわったって発表されたものである。ここには彼の思想小説「死霊」に登場する「自同律の不快」の原型が明確に姿を見せている。
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