埴谷雄高の「自同律の不快」を考える
埴谷雄高(一九一〇~一九九七)は、立花隆のインタビューに答えて自らの育ちをこう語っている。
『ぼくは明治四十二年の十二月に台湾の新竹(しんちく)という所で生まれました。この植民地での体験が、まず決定的ですね。親父が勤めていた製糖工場から台南へ出るトロッコに乗っている時、単線ですからトロッコを線路から下ろして、対向車が通るのを待つわけです。しかし時々坂があって危ない。そういう時に、「バカッ」とトロッコを押している台湾人を殴ったりする。子供ながら、人が人を殴っているのをみるのはいやですね。台湾人にとって日本人が横暴であるという幼い感覚です。年をとってからの反植民地理論じゃなしに、きわめて幼く、素朴なものですが、これが日本人嫌い、遠くひいては、生物嫌い、存在嫌いにまで飛躍する素地を植えつけたのですね。』(「埴谷雄高 生命・宇宙・人類」(角川春樹事務所)。
「自同律の不快」という感覚は、「AはAである」つまり「俺は俺である」という認識をするが、その先の認識が発展的にできないという意識のありかたが、「不快」であるということだ。
「自分が自分である」と規定することは自己存在の凍結であり、生命の運動の停止である。この概念は変化し続ける生命体にとって存在者の変化を拒否し抑圧する論理である。
仏教の経典である「金剛般若経」には、「過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得」という説がある。
過去のこころは過ぎ去ってしまったために把握できない。現在のこころは変化している最中であるために把握できない。未来のこころはまだやってきていないために把握できない――という意味であろう。
いわゆる「空」という概念をこのように表現しているのである。こうした仏教思想と相通じるものがあるのではないか。
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