埴谷雄高の「自同律の不快」を考える
埴谷雄高の「死霊」は、近代文学(モダン)のすべてから断絶したところからの出発を目指している。そのなかで有名なのが、「自同律の不快」という感覚である。自同律は「AはAである」という同一律の原理であるが、これは生活の原理となっているものである。パンを買うときにパン屋に行くのは、そこにパンと称する約束された物があると考えるからで、パン屋に行って、パンはこれです、出されたものが靴であったら、困るのである。
このような便利な言葉と意味の原理だが、これが人間の自己同一性となると、不便なときがある。自分は自分であるが、自分がいつの時点の自分であるのか、時間が経過すると変わる。
たとえば幼児時代の自分の写真はその時点の自分と同一であって、現在の自分とは異なる。また、明日の自分は今日の自分と異なるであろう。これは何が人間のアイデンティティに成りうるのかという問題にも関係がある。
これらは日常に生活には、どうでもよい命題で、つまらない話ではあるが。
埴谷雄高はこれを小説にすることを発想した。彼は1932(昭和7)年から1933年まで、治安維持法・不敬罪に問われ豊多摩刑務所に拘束された。そこは「幅が4尺5寸、奥行きが九尺ほどの灰色の壁に囲まれた部屋」であった。
それは権力による拘禁――引きこもりの強制である。
そこでの思索と夢想が、現実としては存在感のない物語を書くことになった。思索のみで哲学的な解明が進展するかと思わせながら、遅々として展開しない難解な作品「死霊」の原点になっている。
「死霊」は明らかに小説としての魅力が不足している。それは世俗的な連続性から乖離した直感の展開であるからだ。
哲学的思索には物語としての論理展開は可能だろう。しかし市井の日常性に満ちた小説的な要素に馴染むとは限らない。
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