川上未映子さんと阿部和重さん結婚
芥川賞作家の川上未映子さん(35)と阿部和重さん(43)が結婚していたことが30日、分かった。10月に婚姻届を提出した。川上さんは妊娠中で、来年初夏に出産予定。2人は2008年にシンポジウムで知り合い、今年に入ってから交際を始めたという。川上さんは「乳と卵」で08年に、阿部さんは「グランド・フィナーレ」で05年に、それぞれ芥川賞を受けている。
芥川賞作家の川上未映子さん(35)と阿部和重さん(43)が結婚していたことが30日、分かった。10月に婚姻届を提出した。川上さんは妊娠中で、来年初夏に出産予定。2人は2008年にシンポジウムで知り合い、今年に入ってから交際を始めたという。川上さんは「乳と卵」で08年に、阿部さんは「グランド・フィナーレ」で05年に、それぞれ芥川賞を受けている。
東日本大震災後の商業文芸誌や文芸同人誌には、それを題材にした詩、評論、エッセイが多く見られる。
大地震では、過去に関東大震災があり、その時期が現代詩の発生と近代文学の新興期にあたっている。
詩では日本ダダイズムが生まれ、小説家では横光利一がつぎのように記している。
関東大震災の後<大正12(1923年)9月1日(土)11時58分(日本時間)>彼はこう記す。
「私の信じた美に対する信仰は、この不幸のためにたちまちにして破壊された。新感覚派と人々が私に名つけた時期がこの時から始まった。眼にする大都会が茫々とした信ずべからざる焼け野原となって、周囲に拡がっていることを、自動車という速力の変化物が始めて世の中にうろうろし始め、直ちにラジオという聾者の奇形物が顕われ、飛行機という鳥類の模型が実用物として空中を飛び始めた」
関東大震災は、横浜の地形と開発に大きな影響を与えた。また、尾崎士郎や山本周五郎、川端康成、萩原朔太郎、北原白秋、室生犀星などが集まって住んだ馬込文士村というところも、九十九谷があるとされる丘陵地であったが、関東大震災で住むところを失った人々が、つぎつぎとやってきて住みついたという歴史がある。
今年の大災害は、それに原発事故があるので、どのように文化が変わっていくのか。
そうした動向について山川豊太郎氏が「詩人回廊」に評論を書いている。
自分は自分で、この文芸評論カテゴリーサイトで埴谷雄高の「悪霊」についての評論をのせることにした。
埴谷雄高は、レーニンの「国家と革命」で、革命のあとマルクスの「国家は死滅する」というところに触れたのを読んで啓示を受けたとしている。
トロツキーとレーニンは革命後のプロレタリアート独裁政治では「官僚を選挙で選ぶ必要がある」としていた。
実質的に官僚独裁国家である日本は、今後どのように変化をみせるか、自分はその視点をもっている。大阪維新の会の動きは、政治家を見捨てた民衆が役人に直接意志をしめす前例になるのか。
埴谷雄高の「死霊」は、近代文学(モダン)のすべてから断絶したところからの出発を目指している。そのなかで有名なのが、「自同律の不快」という感覚である。自同律は「AはAである」という同一律の原理であるが、これは生活の原理となっているものである。パンを買うときにパン屋に行くのは、そこにパンと称する約束された物があると考えるからで、パン屋に行って、パンはこれです、出されたものが靴であったら、困るのである。
このような便利な言葉と意味の原理だが、これが人間の自己同一性となると、不便なときがある。自分は自分であるが、自分がいつの時点の自分であるのか、時間が経過すると変わる。
たとえば幼児時代の自分の写真はその時点の自分と同一であって、現在の自分とは異なる。また、明日の自分は今日の自分と異なるであろう。これは何が人間のアイデンティティに成りうるのかという問題にも関係がある。
これらは日常に生活には、どうでもよい命題で、つまらない話ではあるが。
埴谷雄高はこれを小説にすることを発想した。彼は1932(昭和7)年から1933年まで、治安維持法・不敬罪に問われ豊多摩刑務所に拘束された。そこは「幅が4尺5寸、奥行きが九尺ほどの灰色の壁に囲まれた部屋」であった。
それは権力による拘禁――引きこもりの強制である。
そこでの思索と夢想が、現実としては存在感のない物語を書くことになった。思索のみで哲学的な解明が進展するかと思わせながら、遅々として展開しない難解な作品「死霊」の原点になっている。
「死霊」は明らかに小説としての魅力が不足している。それは世俗的な連続性から乖離した直感の展開であるからだ。
哲学的思索には物語としての論理展開は可能だろう。しかし市井の日常性に満ちた小説的な要素に馴染むとは限らない。
11月号 早稲田大学教授・石原千秋 「ガラ~ン」を変えるために前から気になっていたことを書いておく。これだけ文学賞が多いと、いくつかの選考委員を掛け持ちすることはやむを得ない。しかし、新人賞だけはそうであってはならないと思う。こちらではダメだったがあちらでは受賞したといった可能性が少しでも減っては困るからである。新人賞は多様な方がいい。選考委員には新人賞は1つだけという節度を求めたい。
大間まぐろで有名な下北半島の原発反対の「あさこはうすの会」が自由報道協会で記者会見を行ったので出席した。《記事:「大間原発開発の現状と問題点」》 この時に、記者の質問のなかで、原発反対活動は社会的な側面ばからりの視点で、日本経済が電力不足で大企業も中小企業も海外に移転している現状を省みないのか?とういうのがあった。
これは質問の前提が間違っている。企業の海外進出は、円高と国内市場の飽和縮小によるのので、電力不足によるものではない。海外には充分に電力があるというのは、どういう根拠かわからないが、タイでは洪水で生産ができない。中国も停電は年中あるある。夏に中小企業の社長は、「電力節約なんかしてるよ。機械が5台あるが、ずうと1台しか動かしていない。仕事がないからね。早く電力を使ってみたいよ」と語っていたものだ。
それから、中国の北京は電力不足に悩まされ、北京の駅ではLED照明が採用されているという。東京駅が節電で暗い時に、北京はLEDで省電力なので明るかったそうだ。
LEDは直流を活用できるシステムにすると、極小電力で照明できる。ところが日本は電力会社の交流転換を通すシステムなのLEDにしても効率が悪い。海外では、インフラがなければ直流式LEDの採用が簡単である。こういう国では、省エネ最新設備が早く普及し、日本は時代遅れになる可能性がある。
ほかにも、胃がん検診では、レントゲン撮影の使用を少なくする検診法を三上博士が開発したが、レントゲン装置の業界が普及を喜ばないために、普及しないで、医療設備のなおベトナムや東南アジアで最新検診システムが普及している。《参照:胃がん検診のペプシノゲン法》
日本には最先端技術が使われていると思うのは事実誤認である。
家鴨 山口敦子
「きのう 六羽生まれたわよ」
村中に 喜びの声が響いて/子どもたちが/つぎつぎに 集まってくる
地べたに へばりつくように/ヨチ ヨチ/鴨の子どもたちが 歩き始めている
「あっ 危ない」/こどもたちが 叫び合う
「いつまで見ているのよーご飯ですよー」
母親たちの 叫び声で/一目散に 家に戻り/赤々と燃える囲炉裏火に/両手を翳す 子どもたち
子鴨たちの 鳴き声が/微かに聞こえ/彼方から/虚無僧の 尺八の音が聞こえてくる
鳴きかはしてはよりそふ家鴨(山頭火)
詩集「旅路三頭火の世界へ」より 2011年 10月東京都(土曜美術社出版販売)
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
人間も動物だから、共存共栄の関係である。動物がよく登場する山頭火の俳句から詩作をされたのか、詩作してから山頭火の俳句に照応されたのか、ユウモアと愛情に満ちた作者の生の旅でもある。ささいなことでもすぐに小さな村には伝わる。生まれた子鴨は、子供には純粋な喜びであるが、大人はまた別の喜びがある。穏やかな農村に生まれた家鴨が背負った運命は、人々と同じで、おだやかなものとは決まっているとは限らない。
【「兎狩りー少年譜“秋葉の里”より」鈴木智之】
南アルプスの望める自然豊かな町の少年たちの話。他所から引っ越してき逞しい朝鮮少年に投げかけられる住民のとがった対応を、それより何年か前にこの町にきたちょっとシャイな少年の視線で描く。兎を捌く話など年配者ならなつかしい風景である。ここでは朝鮮系少年の正義感と異邦人扱いされることへの反抗心が、友人の少年に刻んだ記憶として語られている。越えてきた作者の時代の視線が生きている。
【評論「『星之歌舞伎』幻想―鏡花と雪岱試論」山本平八郎】
泉鏡花の作品「星之歌舞伎」の概要とその意味づけ解説。文語体で長いものとなると読んだことがないので、大変面白く勉強になった。日本的な耽美主義、絵画的イメージをつなげる劇場舞台向けの作風を印象づけている。
【「A DAY IN THE LIFE chater3」平田喜久夫】
腸がんの宣告をうけた女性の治療過程を描く。冒頭の腸内診断の風景を、細部にわたって独特の緊張感で描く。まるで魔窟のエイリアンを発見しそうな気分で病巣をみつめる。病巣に侵された自分の内蔵であるが、自分では無力。医師に救いを求めるしかない。そうした受身に抵抗しても結局は無力感に落ちる。それを背景にしたことで、患者の恐怖感、苛立ちをスリリングな表現に効果を上げている。創作上の工夫が見られる。これを病に勝つとか、克服するとかいうような視線では根底にある本来の人間の恐怖心を描きそこなう。
19日の「第23回コスモス忌」で佐々木幹郎氏の秋山清の話を聴きに東京・築地本願寺に行った。秋山清が1982年の「寺子屋」現代詩講座で対談を行った際の録音を聴いたりして、面白かった。《参照:詩人回廊》
本来、詩はアナーキーなものであり、ごく個人的な世界から生まれるもの。自分なども書かない詩人を標榜している。インスピーレーションは個性的すぎて普遍性が薄い。そこを普遍的な表現を工夫して橋渡しをするのが、散文詩である。いまの多くの詩が散文である。小説芸術も散文の延長とし考えないと芸術性の議論にのらない。そこで「詩人回廊」のタイトルも、三島由紀夫の言葉を借りた。自分の文章でもいいのだが、やはり手垢のついた名詞のほうが普遍性をもつ。
自分が同人誌に小説を発表したとき、手垢のついた文章ばかり、という批判があった。おそらくその人は、誰も使ったことのない言葉で小説を書いているのであろう。同人誌だからいいが、そんなの誰にも読まれない。
一般人に読んでもらうには、いかに手垢のついた言葉で、読ませるかの工夫がいる。
題「圧倒的な現実の前で書くということ」
「琅」第24号(琅の会)よりゆとろ満「着信あり、東日本異変」、「仙台文学」第78号(仙台文学の会)より近江静雄「鹿ケ城」、「この場所ici」第5号(この場所iciの会)より三田洋「鈴と小鳥とそれからの私-大震災後と金子みすゞ」、「文人」第54号(文人の会)より平出洸「与謝野晶子と関東大震災」、「孤愁」第9号より豊田一郎「屋根裏の鼠」
エッセイでは「船団」第90号(船団の会)より木村和也「美しい花を咲かせるには」、「LOTUS」第20号(LOTUSの会)より志賀康「大震災のこと」
詩では「流」第35号(宮前詩の会)より麻生直子「残骸」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
「震災の碑-宮城県発・潮音のうた-」(私家版 仙台潮音歌会発行)(仙台市青葉区)より菅野哲子「強い絆のもとで」・藤井敬子「沙羅の花」
「北奥気圏」7号「片隅の弘前」特集より太田由喜「私が知っている寺山修司さんのこと」、小原淳子「しゃらの花」(jeu4号)、「VIKING」729号より宇江敏勝「松若」「おきぐすり」、「ジャパン・ポエトリー・レヴュー」16号(日本英米詩歌学会)より高市順一郎「芭蕉の<風雅>と<奥の細道>に倣って」
「たね」40号(椎名麟三生誕一〇〇年記念)、須田知之「木歩、私の一歩」(「虚空」41)、寺田ゆう子「波」(「TEN」94号)、木村隆之「他人の顔」(「詩と真実」748号)、金沢欣也「卯月残影」(「人間像」181号)、桜井清信「鳥のことであるが」(「流氷群」54号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
作家の大沢在昌氏は、元作家という肩書きのない理由について語っている。<参照:大沢在昌氏の講演>たしかに肩書きはないが、現在、株式評論家の北浜流一郎氏は、作家から芸能人伝を書いたりしていたが、雑誌に寄稿している。わたしは同じ雑誌に海外ファンドの敵対的買収の投資情報を書いたこともある。現在は北浜式株式投資のメールマガジンなどをしている。作家業は、売れると思える作品を書けばまた作家になるので、その点では可能性の消えないものがある。
「異様な手になったワイ」 掘江光雄
庭は淋しく細ってゆく/縁側で横になったまま/庭を眺めながら/もう立ち上がれそうもない体になって/カクン・カクンと草の根から土から切れていくのが/皮膚に響いてくる
未明のころほんのり空が闇と手が切れそうな時に/手を目の先にさらしてみる偶然にも手の皺に見えていたものが細かくなって/手紋のように筋の形になって/指先にまで/壮麗な並び方をしている/一本一本がきちんと輪郭がとれていて/その薄明りの中に白と紫の線が浮きたち/そして紋の表面は白く柔らかくつつまれていて/綿草子のようにもろくてこわれやすく見える/よく見ると小さくふるえ波うっている/その手を微視的に見たこの細かなつくりに驚く/百歳人の齢の重みが紋をさらに細かく打ちくだき/その風となる体の裂け目をつくりだしている/来世にはガラスのような透明体となります/いとしい紋の色よもっと変れ/それを眺めていれば無数の罪も白く色に変えて/立派な円錐形の尖端に蒸発するのです/いくつもの罪の溝を通りぬけてきました/心が傷つく悪も薬のように飲み込んできました/おとろえた皮膚に残った皺は/昼間の明りに照らしてみせれば岩の崖であるか一日の限られた時刻の中に出現する別の世界は/光の前のほんのりとした薄明の蓮のはなびらとなり/死の前で何んの罪があろうとしても/それが乗り越えて眠りにつける/そんな声が百歳人のものではなく/別の声として聞こえてくる
庭は道のように細くなっていく/多くの虫が左右に道を渡るのが見えてくる/縁側で横になりながら/虫がサイレンをならしながら/道を消していこうとしている
「文芸中部」86号より 2011年3月1日(愛知県・文芸中部の会)
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
存在と時間の関係を形にして見えるのが老いの姿でしょう。眠りの薄暮かぼんやりとした明りが入る、手の皺を読んで広がる不思議な仏教的な世界。その一本の刻には「来世にはガラスような透明体となります」とまた不思議な予感が潜んでいる。来世透明人間になり、悪も、慾も、罪もガラスばりで隠せない、極楽のような世界に生まれ変わり、善ばかりの世界、果たしてそこにどんな幸せがあるのでしょうか。
碁を愛好する詩人たちの対決競技「第30回詩人碁会」(世話人・郷原宏氏)の見学で、一日過ごした。もっと堅苦しいものかと思ったが、お付き合い名人ばかりで楽しく過ごした。
文壇囲碁の会は有名で、文芸同人誌評の白川正芳氏は、名人位である。詩人の囲碁会があるとは知らなかった。参加のメンバーは、新井知次(5段)、一柳伸治(2段)、伊藤礼(6段)、片瓜和夫(5段)、勝畑耕一(5段)、郷原宏(6段)、坂上清(初段)、清水正吾(5段)、田口三舩(5段)、原満三寿(3段)、廣田國臣(7段)、保高一夫(2級)、松林尚志(7段)、山崎夏代(4段)の14各氏。
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題「置き去りにされた側」
月刊同人誌「詩と真実」(熊本市)750号記念号より角田真由美「見知らぬ私」、黒川嘉正「精霊流し」、西園春美「春のまなざし」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
【「三島没後四十年」羽島善行】
1970年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺をした。作者16歳の高校生だったという。三島が太宰治に批判的なことやその言動に共感があって、三島の代表作を読破したことから、改めて評論にしたものだという。傾倒するも無批判ではなく、精読して自立した視点を会得しており、文芸評論家の講演をきいても必ずしも賛同していない。
その知見からの三島論なので秀逸。学ぶところが多く、有意義に読めた。
三島は昭和34年5月の「群像」に「十八歳と三十四歳の肖像画」という寄稿があり、講談社の「美の襲撃」に収められている。そこでは自作について解説している。「仮面の告白」では、自分の気質を認め、それを敵として直面。抒情の利得、うそつきの利得、小説技術上の利得だけを引き出したのに耐えられなくなって、すべてを決算し、貸借対照表を作ろうとした、と述べている。
三島の分析的な明晰さと日本民族的傾斜は、西欧の一元論を意識したところから出ているようだ。しかし、日本人として自同律・アイディンテティの合成ぶりが作品のつながりを混沌とさせている。自分にはその根元には、太宰に対し、民族的同質性をみたがゆえに反発する感性があるように思える。
【「断絶」美倉健治】
母親が亡くなった知らせを聞いて「ついにクタバリやがったか」と、気の晴れた思いをすると語る息子の独白体。平談俗語体というか、日常用語のみで文学的表現をしようとする意欲が感じられる。
その他、3・11震災に関する重みのある作品がいくつか。同人誌に読む震災記というのも評論のテーマになるかも知れない。
発行所=〒352-0032新座市新堀1-13-31、ホワイトハイツⅢ103号、竹森方。小説藝術社。
【「虚空疾走」有森信二】
詩人的素養の強い作者であるが、小説も巧い。わが身を思えば、感心ばかりしていても仕方がないが、事実である。主人公の昭夫が人生の憂さを酒にまぎらわしているところから、はじまる。友人の余命いくばくもない病気と残されるであろう家族の心配を身にかかえていることが判る。そこに電車に飛び込み自殺をはかる女を押し留める事件があり、家に泊めて結局は関係する。しかし、病は友人だけでなく自らにも及ぶ。人生の儚さと滅亡的なイロニーを表現の軸にすえて、激しい事件を織り込み、物語性でも彩りつけている。死に向かって残された時間を意識させることでハードボイルド的な緊張感をかもし出し読ませる。作品は、一定水準を保って量産を可能にする才気に満ちている。
【「イカロスを愛した女」牧草泉】
結婚生活の円熟期にある弘子という主婦。学生時代に恋人だった男がいた。しかし、その時期には性格と将来展望の違いから、弘子は離別を決意している。その男は亡くなったが、彼の妻が、自分が弘子の代用品であったのではないか、との疑問を解きに弘子と会いたがってくる。
そのなかで、結婚という結びつきが、社会的な名誉心や富などが絡んだものであって、純粋愛というものがどれだけそこにあるか、という問題意思をも示す語り口となっている。ロマン主義の作風である。ときどき話が横にそれるような運びで、それも味わいの一部になっている。
「わが友 わが文学」(大河内昭爾著)が草場書房より刊行された。跋文を文芸評論家の秋山駿氏が寄稿している。
草場書房の草場氏は、「季刊文科」の初期の編集を担当していたので、雑誌「文学界」同人雑誌評担当の評論家とは親しいはずである。
私は「文芸研究月報」を発行し始めた時に、自主取材をかねて、藤沢のリブロ書店で松本道介氏がカルチャーセンターのような講演をしたのを聴きに行った。湘南の作家・阿部昭の評論であった。聴衆が近隣の有閑主婦層で、あまり文芸通ではなく、松本氏も話し方にとまどっていた。
そのときに運営を担当していた髭の若者が草場氏だったと後日本人からきいた。大河内昭爾氏は、小生の月報を読んで、切手などを支援していただいた記憶がある。剣道に強く、宮本武蔵の「五輪書」の解説本をだしている。本書でも五味康祐の「二人の武蔵」の解説は重厚である。武蔵伝説の概要がわかる。つい読んでしまった。
今後も時間があれば読みどころを、すこしずつ紹介していきたい。
【「昨日こそ」紺谷猛】
主人公は、兼業農家であるが、周囲の農家が農業をやっていられなくて、田畑の維持を頼まれてしまう。頼んだ方は、任せきりで、やる気がなさそう。主人公の近所付き合いの良さや、兼業にしては作業が大変な様子がわかる。自分は定年退職近くで奥さんも働きに出ている。息子は大学の工学部を出たが、親の近くに居てほしいという腹の中を読み取って近隣の中堅機械メーカーに勤める。
高齢の兼業農家の穏やかな日常が手際よく描かれていて、大変興味深い。息子は会社のベトナム進出で出かけるが、帰ってくるとベトナム人女性と結婚したいという。
文学的にどうのというより、多様化する日本社会の現状の一例をこれだけすっきり描くのは、強靭で冷静な社会的な視点がなくては出来ないであろう。そこから生まれる文章のまろやかさがある。だから同人誌を読むのは面白いのである。
本誌は、11月1日発行。到着したばかりのもの。先に到着したのが多くあるが、これは読み応えがあるので、印象の強いうちに書いて紹介する。
同人募集もしていて、作品掲載料は1ページあたり3000円で、作品掲載誌5冊の配布をうける。別に5冊以上の購入が必要。「未熟と思われる作品は不掲載にする場合があります」とある。なるほどと納得。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
【「あんたどこの子」宇津木洋】
30年以上前から残っていたマリつき歌のまくら話があって、その移り変わりをインターネットで調べて追跡する。その後は、いくらか変調して幼少時代に死別した父親の記憶につながり、味のある散文になっていく。
ここではインターネットで検索することで、誰かの記録が日本人の記憶のように活用されるという仕組みに注目したい。ネットに蓄積された記録を書き手が利用して自分の概念を展開できる。それが独自のテーマの情報提供として興味を誘って面白い。
ネットの特徴である素材事典性を活用することで、時代の流れを意識させ、自らの父親の趣味や人柄の追慕の表現の援用になっている。これが新しい試みになっているところに注目した。ネットは宇宙に浮かぶ断片的な他者の記憶を収めるもうひとつの頭脳である。それを取り込んでいるところが面白い。
その他、鄭承博文学を語るー没後10周年特集―も、作家の存在と歴史が興味深く追慕されている。コラムでは「膳夫」ネームで原発事故のいきさつを早い時期に批判的に記している。
6月発行のもので、遅くなったが、忘れることなく、記憶に残っているので紹介した。
発行所=〒656-0016兵庫県洲本市下内膳272-2、北原方「淡路島文学同人会」。
東京・秋葉原の響ルームは昨年、提携していた会社の経営者Kが亡くなってしまい、やむを得ず移転をした。K氏は文芸同人「砂」の会と「グループ桂」の同人誌をしていて、自分は彼の誘いで「砂」と「グループ桂」の同人になった。
そのいきさつは、「詩人回廊」の「文芸の友と生活」に連載中である。同人誌「グループ桂」を発行するのに「枯れ木も山のにぎわい」で彩りが欲しいというので、Kの追悼的なものを書いておくのもいいか、と想った。しかし、編集方針に適合しているかどうかわからないので、急遽「詩人回廊」《参照:文芸の友と生活》に掲示して編集者に先にチェックしてもらうことになった。K氏の自伝的な書き物に、自分との交流のいきさつを記し、回顧するという、非文芸的なところのあるものである。すると、誤字脱字や、文章のあやまりなどの指摘や話の順序の入れ替えなどの提案があり、次号の「グループ桂」65号に掲載することになった。
あくまで、彩りなので、そう長い必要はない、という話があり、適度なところまで採用し、あとは来年の発行の次号に連載しよう、とかになった。それでも400字詰め原稿用紙にすると70枚超えるそうである。
短期の連載は、体調も悪くきつかったので、そういわれると、ほっとして一息いれた状態である。Kとは事務所を借りたのは晩年になった時点だった。それまで趣味の友であっただけであったが、いざ仕事をするとなると発想が異なる相手であることがわかり、仕事の相手でなくて、趣味の交流の友でよかったと思ったものだ。
ちなみに「文芸研究月報」の発行は当初はKに頼んでいたが、その進行の手順の意見が合わず、やむを得ず他の会社に依頼したほどである。最後は事務所を共同にしたが、趣味の文芸の話相手の付き合いは続いた。
第64回野間文芸賞(野間文化財団主催)は7日、多和田葉子(たわだ・ようこ)さん(51)の「雪の練習生」(新潮社)に決定した。副賞300万円。第33回野間文芸新人賞は、本谷有希子さん(32)の「ぬるい毒」(新潮社)に決まった。副賞100万円。第49回野間児童文芸賞には、富安陽子さん(52)の「盆まねき」(偕成社)が選ばれた。副賞200万円。贈呈式は12月16日午後6時、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれる。
松田解子「敗戦日記(一九四五年五月三十日~十二月二十六日)(「民主文学」10月号)
「吉村昭研究」15号より岩佐毅「私に生きる勇気を与えてくれたこの一冊 吉村昭著『漂流』、和田宏「講演 編集者が見た吉村昭さん」
沢昌子「帰る家は十八階」(「回転木馬」21号)
豊田一郎「屋根裏の鼠」(「孤愁」9号)、森啓夫「復刊・文学街十四年の歩み」(「文学街」287号)、工藤力男「日本語雑記」(「成城文芸」214号)、久野治「やきものと加藤氏」(「胞山」24号)、桐生久「天窓のある家」(「矢作川」18号)、友枝力「夜刀の神の祭り」(「セコイア」38号)、野末明「室生犀星と高村光太郎」(「芸術至上主義文芸」36号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
第13回文学フリマに文芸同人「砂」の会の会員として山川氏と共に参加した。東京流通センターは1階と2階展示場であった。《参照:文芸同志会のひろば》10周年記念文集「これから文学フリマの話をしよう」には文芸同志会として山川豊太郎氏が感想を書いている。
参考になったのは、隣の澁澤怜さんのブースで、無料版の配布とツイッターに応答してやってきた客には、販売本を割引するというクーポン方式のようなことを実行していた。お客が次々とやってきて、あきらかに効果があった。同人誌グループだけが読む作品と、このように知り合いの中のかなりの人に作品が読まれるようなものは、あきらかに作風がちがう。(作者はライブハウスが好きだそうで、それを題材にした作品があったので、自分も買った)。予想通り感覚で読ます作風だが、自分はシャンソニエのライブは行くが、普通のライブハウスは知らないので面白く感じた。前回の蒲田のときは病院勤務者のメディカル業界の話の本を買った。これも面白かった。その前は書店員の業界のものとか、社会の現状をダイレクトに反映している。会場はゆったりとしていて、なにか文芸カルチャーの雰囲気が強くなって、感じが良かった。
「相模文芸」会員の外狩雅巳作「不況の暮れは」が「文学街」の短編小説部門に入選し、10月8日に都内出版クラブで授賞式並びにレセプションが開催された。会場には本会員が多数駆け付け、同氏の受賞を祝ったという。
外狩雅巳さんは、わたしと同年代で70歳代に手が届くか届かないかであろう。作風にはプロレタリア文学を承継した典型的なものがある。現代の閉塞感の表現法を見いだせない人ひとたちの目には、文章が荒削りだとか、荒っぽさが目立つとかいいそうだが、人間の働くことと、生きることを表現する意味で、よくエネールギー出ている。
プロレタリア文学が本来あるべきとしたの骨格に準じており、それはそれで素晴らしい個性である。
彼の文章には、都会に住む労働者たちの疎外感から脱出しようとする体臭が表現されている。働く人間のなかにも退廃はある。彼はそれを描く。しかし、それは文芸的衰退を意味しない。とくに大田区の町工場の周辺を舞台にした作品は素晴らしい。小関智弘や「下町ロケット」の池井戸潤、高村薫が「レディ・ジョーカー」で、この工場街を描いているが、それとは一味ちがう町の息遣いを外狩氏は表現している。多摩川下流域は、河原の砂が町に舞い込んで人々が悩まされている話などは、住んでいないとわからないもので、それを素材にした見事な作品もある。
題「折り返し点」
紺野夏子さん「死なない蛸(たこ)」(「南風」30号、福岡市)、田所喜美さん「患者様」(「火山地帯」167号、鹿児島県鹿屋市)
「南風」30号記念号より松本文世さん「南風三十号発刊を迎えて」、創刊号からの「総目次」、二月田笙子さん「廃墟の月」
「午前」90号(福岡市)より明石善之助さん「頭白かる翁」、青海静雄さん「土の匂い」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)
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