詩の紹介 異様な手になったワイ 掘江光雄(「文芸中部」86号)
「異様な手になったワイ」 掘江光雄
庭は淋しく細ってゆく/縁側で横になったまま/庭を眺めながら/もう立ち上がれそうもない体になって/カクン・カクンと草の根から土から切れていくのが/皮膚に響いてくる
未明のころほんのり空が闇と手が切れそうな時に/手を目の先にさらしてみる偶然にも手の皺に見えていたものが細かくなって/手紋のように筋の形になって/指先にまで/壮麗な並び方をしている/一本一本がきちんと輪郭がとれていて/その薄明りの中に白と紫の線が浮きたち/そして紋の表面は白く柔らかくつつまれていて/綿草子のようにもろくてこわれやすく見える/よく見ると小さくふるえ波うっている/その手を微視的に見たこの細かなつくりに驚く/百歳人の齢の重みが紋をさらに細かく打ちくだき/その風となる体の裂け目をつくりだしている/来世にはガラスのような透明体となります/いとしい紋の色よもっと変れ/それを眺めていれば無数の罪も白く色に変えて/立派な円錐形の尖端に蒸発するのです/いくつもの罪の溝を通りぬけてきました/心が傷つく悪も薬のように飲み込んできました/おとろえた皮膚に残った皺は/昼間の明りに照らしてみせれば岩の崖であるか一日の限られた時刻の中に出現する別の世界は/光の前のほんのりとした薄明の蓮のはなびらとなり/死の前で何んの罪があろうとしても/それが乗り越えて眠りにつける/そんな声が百歳人のものではなく/別の声として聞こえてくる
庭は道のように細くなっていく/多くの虫が左右に道を渡るのが見えてくる/縁側で横になりながら/虫がサイレンをならしながら/道を消していこうとしている
「文芸中部」86号より 2011年3月1日(愛知県・文芸中部の会)
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
存在と時間の関係を形にして見えるのが老いの姿でしょう。眠りの薄暮かぼんやりとした明りが入る、手の皺を読んで広がる不思議な仏教的な世界。その一本の刻には「来世にはガラスような透明体となります」とまた不思議な予感が潜んでいる。来世透明人間になり、悪も、慾も、罪もガラスばりで隠せない、極楽のような世界に生まれ変わり、善ばかりの世界、果たしてそこにどんな幸せがあるのでしょうか。
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