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2011年10月31日 (月)

文芸時評10月(毎日新聞10月27日)沼野充義氏

高橋源一郎「恋する原発」文学表現の禁忌を解体。
澤西祐典「フラミンゴの村」若手の読ませる変身譚
《対象作品》高橋源一郎「恋する原発」(群像)/すばる文学賞・澤西祐典(1986年生)「フラミンゴの村」(すばる)/小説新人賞・滝口悠生(1982年生)「楽器」(新潮)/文藝賞・今村友紀(1986年生)「クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰」(文藝)。

「このごろ日誌」
 このところ肩と腕が動かしにくくなり、最小限の書き物でセーブしている。頚椎の圧迫傾向、原因不明の血圧上昇などがあるそうだが、加齢による自然現象のひとつ考えられる。10月の頼まれごとは一段落。文学フリマ用の冊子製作にはいささか無理をした。昔はなんでもないことが、今は大仕事だ。ペースダウンは仕方がない。
 「暮らしのノート」の「ニュースのひろばカテゴリー」の会員には、この刺激からか、自らブログを作るところが増えた。そういう意味で活用法に気づくのはよい傾向だ。意欲のある人には基本的なポイントをアドバイスしている。それが成功すればこちらは撤退できる。こちらはライブドアの記事提供を開始してから、そのアクセス変化状況を5年以上観察してきたので、結構分析の成果が活かせる。ノウハウの移転をしながらすこしずつ仕事を減らしている。おかげでだいぶ日常のフリー度が増した。これが本当のフリーライターである。
 とは言っても、腕を動かさないが足は使わないと、としきりに散歩をする。カテゴリー《暮らしのノート・散歩》にその足取りを記していくつもり。

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2011年10月30日 (日)

文学フリマ(11月3日)向けに新冊子を発行

 11月3日の東京流通センターの文学フリマ用になんとか新冊子を作成した。《参照:文芸同志会のひろば
 まず、「読書塵」(山川豊太郎)は、「文芸研究月報」に不定期連載していたものと、それに加筆したものなどの小評論集。目次は、「教養小説としてのファンタジー」、「『時代』に愛されなかった《スチームボーイ》」、「《ナルニア》に子供たちはなぜ、現実世界に帰れないのか」「《ゲド戦記》を映像化してはいけない理由」、「ニヒリズム化するサブカルチャーについて」など。「その後」という後書きで「よいこの黙示録」について書いているところに、青山景氏の自死の報道があって言葉を失っている。
 「ニヒリズム化する…」には3・11前の執筆だが、つぎのようなところもある。
『最後に、宮崎駿氏の『風の谷のナウシカ』について記しておきたい。大塚氏が前掲書において指摘するように、この作品は「構造からはみ出すものを良くも悪くも抱え込んでいる」。大塚氏がアニメ版『ナウシカ』に、「武装」「非武装」という近代のアポリアを読み取るのに対し、ここではマンガ版のそれに、これまで述べてきた「偶然性」の持つ可能性のメッセージを抽出したいのである。
 この物語の中で、人々は核戦争後を彷彿とさせる世界に生きており、放射能(瘴気)の脅威に怯えながら、それでも戦いをやめようとはしない。しかし主人公ナウシカは、瘴気をもたらす「森」が、実は汚染した大地を清浄化するための機能を果たしていることを知り、これ以上人間たちが世界を傷つけてはならないと使命感にかられ、戦いに身を投じる。実はアニメとマンガのストーリーの鉾先が大きく変化するのはここからで、結論から言うと、マンガのナウシカは世界を救うことができない。なぜなら、マンガにおいてナウシカは、仮に世界が「清浄」化した時、既に汚染された空気のほうに耐性を持ってしまった人類は滅びるしかない事実を知ってしまうからである。・・』
「『死霊』の手法」については、これまで同人誌を読んで、ひとはなぜ書きたがるか、という視点を踏まえて、引きこもり人が小説を書くとどういう手法になるかを、思いついたところで書いたもの。送られてきた同人誌を考える資料としてよく読んできたものだと思う。

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2011年10月29日 (土)

文学フリマ公式サイトで、開催の歴史がわかるアーカイブ掲載

 11月3日(文化の日)に代13回文学フリマが開催される。(参照:文学フリマ公式サイト)。そのなかで、望月代表のアーカイブスが掲載されている。
•「文学フリマの軌跡2002-2003」  望月倫彦
 10年の歴史は長いので、続編から読んでもいいかも。
•「文学フリマの軌跡2004-2005」  望月倫彦

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2011年10月28日 (金)

詩の紹介 「しおれた花びら」 小宮 隆弘

「しおれた花びら」 小宮 隆弘
地獄の熱風が心臓の乱れた脈拍を/焼き焦がすかと思えた去年の夏/過ぎてみれば/よわよわしい雨蛙の歩みで生きていた
花見客が飲んで歌って楽しむ/賑やかなさくらと距離をおいた/一本の老木に見とれていると/去年の暑い季節の恐怖が襲って/いやおなしに花を散らす
散った花びらを/手のひらにそっと包み/硬いベンチでさくらの声を聴く/ 散る桜 残る桜も散る桜/テンノウヘイかバンザイ/壮烈な戦死/お母さん/ひと言も語ることなく
二人が結ばれる門出の夜は/丸型の古いちゃぶ台に/目刺しと湯豆腐と大根漬け/ラジオの 雪の降る街 を聴きながら/いとおしい唇をあわせて/ときめく肌のぬくもりを抱きしめ/やがて満ちてくる/おとことおんなの燃えさかる情愛
芽吹きはじめた性は/知ることを求められず/軍人精神で叩かれ/摘みとられた/十七歳十八歳 海軍少年電信兵/散った花びらの/語る言葉は風化してきこえず/わが思い出の断片を拾ってつなぎ/海の彼方に沈んでいった/数知れない帰らぬ友に詫び/なんとなく空虚/老いを生きている
   詩誌「騒」第97号より  2011年9月町田市本町田 騒の会

紹介者 江素瑛(詩人回廊)
 桜のシーズンに騒ぐ花見客と距離を置いて、若桜の熱血が焚き上げられて、戦場に送られ、国のために青春が途切られた、戦死した仲間をしのびながら「散る桜 残る桜も散る桜」、仲間の余生まで生きられて来た老境を嘆く。戦場の経験者のみ知る心がある。

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2011年10月27日 (木)

区立「日比谷図書文化館」となって11月4日開設

 かつての日比谷図書館が、小学館集英社プロダクションを代表企業の共同事業体、日比谷ルネッサンスグループが指定管理者となって、「千代田区立日比谷図書文化館」として11月4日開設する。グループ企業は小学館集英社プロダクション、大日本印刷、図書館流通センター、シェアード・ビジョン、大星ビル管理の5社。11月14日から開館記念として3つの講座・イベントを開催する。

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2011年10月25日 (火)

「ビブリオバトル」と「言葉の力」トークで猪瀬副知事、東浩紀氏などが、セッション

 東京都の「ビブリオバトル首都決戦2011」が10月30日開催される。《参照:猪瀬副知事会見談話
「ビブリオバトル」と「言葉の力」トークでは猪瀬副知事のほか、作家・評論家・東浩紀氏、イラストレイター・わたせせいぞう氏、谷口忠大・立命館大学教授がセッションを行う。

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2011年10月22日 (土)

詩の紹介  にぎやかな御先祖様(1)小野 進一

が 仏壇のなかにおられる/種ちがいの次女の姉は三才のまま/歳をとらない/別の種ちがいの長女になる姉は享年五十才/肢体不自由児だった/暗い女の歴史の影がおふくろにある/二人の姉に/みたらし団子を差しあげる
血縁でない位牌が三つ
一つはおふくろの育ての父親享年六十一才/口減らしのためか幼女の頃手を引かれた/第二次世界大戦まえの炭坑の頭領/坑夫百人は抱えていたらしい/愛人も五、六人抱えていたそうな/本妻も籍にいれてないので本妻と呼べないが/その本妻は享年七十八才/俺の祖母になりおふくろの継母になる女/若い頃は小股の切れ上がった女だったらしい
もう一つの血縁でない位牌は/精神薄弱の老婆 享年五十二才/(現在では老婆と呼ばないな)/当時 おふくろには婆さんに見えたのだろう/餓死寸前で炭坑へ迷いこんだ処を/ヘビースモーカーだった頭領が介護した/一度子守をさせたら赤ん坊と共に行方不明/炭坑の坑夫総出で二人を捜査したとか
種つながりのオヤジの父親は東京の旧陸軍省の印刷局に勤務していた享年六十一才
二・二六事件の「下士官兵ニ告グ」を刷ったとか 刷らないとか
(潮流詩派227 より2011年十月一日 東京都中野区 潮流出版社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
家系図をたどらないと、分からない複雑な血縁関係。食糧難の第二次世界大戦前後でしょうか、母親から聞いた家族の物語でしょうか、人物が徐々如生、悲哀を感じさせ身の引き締まる作品。当時の男女の平均寿命は六十才くらいと窺わせるが、女性は男性より長生きすることは今とは変わらない。口減らすためか「幼女の頃手を引かれた」、余裕があるとき、「愛人も五、六人抱えてたそうな」女性の生きる道は狭い。社会において軽く存在視されている。
鬼籍になるその時代の人情が温かく賑わい、位牌のなかから今の飽食時代の空虚な人間関係を眺めています。

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2011年10月16日 (日)

詩の紹介 寒い夏に 宇治川セツコ

「寒い夏に」     宇治川セツコ
七月だと言うのに/地球はひどい肺炎にかかり/太陽は結膜炎で/泣いているばかり/空はどこを見ても/死んだ魚の色/風が不安な未来へ吹いていく/私は/こんな寒すぎる夏の初めに/古い上着をはおる/なつかしいいい匂いが/数十年の時間をとおって/すがすがしく漂ってくる/色あせた模様の中に/それでも生きている呼吸が/脈打って明るく/忘れていたポケットの宝ものが/暗闇に まだかすかに光っている/しだいに あったかいものが/冷えた私の血管をひらき/そそがれる一滴の真実に/勇気は/その翼をひろげていく
いとしい尊敬の心よ/あなたを湿ったポケットの底に/閉じ込めた時から/人は欲望の牙を/むきだしにして/樹木を倒し 野原を焼き/動物を襲い そして/人が人を殺したー/こんな悲しい出来事は/あなたの信頼を/疑惑の影に立たせ/あなたの愛を/闇討ちにしたためなのだ/なのに/寂しがりやの人間は/愛している 愛していると/ありったけの飾りをつけて/文明の墓石の中から/首のないあなたを追いかける
青ざめた尊敬の心よ/蘇っておくれ/傷ついた信頼の絆よ/立ち上がっておくれ/手垢にまみれた愛の炎よ/もう一度/透きとおる光に/もえておくれ/そうしたら/人は膨れあがった欲望の贅肉を/しずかにそぐだろう/人は裏切ることを怖れ/卑屈な自尊心に躓くこともなく/どんなに 激しい所へも/勇んで進んでいくだろう/そしたら迷子になった/青いリンゴの子ども達が/みな帰ってきて/大地にころがり/はれやかに笑うだろう/夜明けにはまだ遠い夜に/祭り囃子がおどるだろう
闘いのドラは/殺すためのものじゃない/それは/自由の精神を守る為にあるのだ
*イレーヌ=アイアンクラウドさんに捧げます
新原詩人No37 転載「原詩人」27号より 多摩市馬引沢・「新原詩人」隔月刊

 

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 日本に亡命したアメリカ・インデアン系のイレーヌ=アイアンクラウド(日本名・弥永光代)の訳詩「インデアンの詩」に基づく作品でしょうか。アメリカ政府は先住民インデアン人の子供を連れてアメリカ学校で教育させ、アメリカの国民にした。統治された少数民族の哀歌である。それを反抗し、革命に身を投げた「あなた」への賛歌。命あるものをむだに殺すのではない。「自由の精神を守る為にあるのだ」ともう一度その戦いを「蘇っておくれ」と願うばかり。インデアンの悲劇は今も繰り返されている。

 

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2011年10月13日 (木)

「新 同人雑誌評」「三田文學」秋季号(2011.11.01)

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏
《今号で取り上げられた作品》
米沢朝子「暗い谷」(「高知文学」37号、高知市)/芦原瑞祥「胸の怪物」(「カム」8号、奈良県桜井市)/松本文世「ドリームコート 五〇一号」(「南風」29号、福岡市)/千田よう子「いわし雲」(「じゅん文学」68号、名古屋市)/「堀純「天保銭」(「無名群」90号、青森県弘前市)/和田信子「プロジェクト」(「南風」29号、福岡市)/石井利秋「小さな花壇」(「小説家」134号、東京都国分寺市)/園村昌弘「神隠しの夏 劫火」(「詩と眞實」743号、熊本市)/吉田真枝「田園」(「詩と眞實」745号、熊本市)/谷村紀子「路地」(「風紋」6号、富山市)/立花雪子「父の復讐」(「樹林」557号、大阪市)/八重垣カヲル「片花結び」(「江南文学」62号、千葉県流山市)/さとりあい「十九歳」(「季刊作家」74号、愛知県豊田市)/遠藤昭己「そばやまで」(「海」83号、三重県四日市市)/浅田厚美「はづかし病」(別冊 關學文藝」42号、大阪市)/十河順一郎「失せ鶏」(「木曜日」28号、新宿区)/谷澤信憙「遭難」(「風」85号、長野県岡谷市)/山下智恵子「サダと二人の女」(「遊民」3号、名古屋市)/磯崎仮名子「冴え冴えとした笛の音」(「火涼」63号、三重県鈴鹿市)/朝岡明美「景清舞う」(「中部文芸」87号、愛知県東海市)/本興寺更「板株」(「中部文芸」87号、愛知県東海市)/中田重顕「霧吹観音堂」(「文宴」115号、三重県松阪市)
●ベスト3
勝又氏:1番・米沢朝子「暗い谷」(「高知文学」)、2番・十河順一郎「失せ鶏」(「木曜日」)、3番・石井利秋「小さな花壇」(「小説家」)
伊藤氏:1番・米沢朝子「暗い谷」(「高知文学」)、2番・和田信子「プロジェクト」(「南風」)、3番・本興寺更「板株」(「中部文芸」)
●前回とあわせた最優秀作
高橋陽子「二等辺と錯覚形」(「せる」)
奨励作
佐久間慶子「訪問者」(「繋」)、塚田源秀「かばた」(「せる」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年10月11日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」9月30日朝刊/長野秀樹氏

題「『額縁』の役割」
箱嶌八郎さん「黒田藩駒曳き地蔵異聞」(第七期「九州文学」15号、福岡県中間市)、上野かおるさん「おさなごころ」(「河床」32号、福岡県八女郡)
「九州文学」よりマキ葉児さん「軍艦島が、飛んだ!」、山本友美さん「うりずん日記」(「河床」)
「すとろんぼり」10号(福岡県久留米市)より後藤みな子さん「高円寺へ」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年10月 8日 (土)

詩の紹介 「毛虫」 豊福みどり 

「毛虫」    豊福みどり
検定鋏で/枝をパチパチと切り落として行く/葉の裏に/とげとげのある/黄色い毛虫を発見/心臓がトキドキする/一瞬手が止まる/以前この虫に刺されたことがある/その鋭い痛さを皮膚が憶いだす
私は怯える/毛虫は私を察知する/私は身構える/毛虫は尖る/そこで私は一呼吸
私は鋏を持つ巨大な生き物/毛虫は所詮 毛虫/私は鋏を誇示する/毛虫の運命は/この私が握っている
青い空の下/私の尊大な気持ちが/次第に広がっていく
詩誌「コールサック」70号より 2011年8月 東京都板橋 コールサック社

紹介者・江素瑛(詩人回廊)弱小な毛虫の自衛のとげ。刺された痛みの記憶がよみがえる。
今のこの毛虫は昔のあの毛虫でなくても「以前この虫に刺されたことがある」以前のトラウマの警鐘で、尊大な気持ちが湧き、排除と殺意の源になる。
理由のある殺意と理由なき殺意。正当化かされた戦争の殺人、テロなどは、時代を遡ってでも理由をつくる。個人の幸不幸と無縁な殺意もある。一匹の毛虫でもないがしろにすることへの危険を示す。

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2011年10月 3日 (月)

同人誌の周辺からあれこれ

110917_006 わたしのところに幾つかの同人雑誌が送られてきている。未知のブロガーに読ませてみようというのも、作品紹介があるからなのであろう。このところ体調がすぐれず、読んではいるが紹介は遅れている。ところが書き手のなかには、メモがあったりする。たとえば、自分の作品は「読んでくれればよいので論評はしないで下さい」というものもあった。自分にはこの気持ちがよくわかる。同人誌の書き手には書いてみただけのものという作品も少なくない。それがあるから論評というのも難しいところがある。
人間は社会的存在であるから、ほかの人間に自己の存在を認めてもらわねば生き難さができる。それが自己顕示欲の基本になる。そこからどういう人間と過ごしたいか、認め合っていきたいか、というところで、恋愛や友情の形を作り合うのである。その形を喪失することは、自分の社会形成の崩壊であり、寂しさは極まりない。友人に見せたいために自己顕示をするという側面があるのかもしれない。
 最近、おそまきながら同人誌活動がなければ交流がなかったであろう友人K氏の一周忌にお墓参りをした。K氏の会社の元社員の方とK氏がファンであった歌手・橘妃呂子さんと一緒であった。
 追悼の意味をこめて、そうした同人誌の存在のありかたを振り返る「文芸の友と生活」を記しはじめた。腕の筋肉は痛んで衰えるのと同時に、文章力もなくなるのを実感しているが、とりあえずすすめていくつもり。年配の人でないと興味がないであろうが、WEB2論理でいえば誰か一人の目にとまればよいということになる。

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