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2011年10月30日 (日)

文学フリマ(11月3日)向けに新冊子を発行

 11月3日の東京流通センターの文学フリマ用になんとか新冊子を作成した。《参照:文芸同志会のひろば
 まず、「読書塵」(山川豊太郎)は、「文芸研究月報」に不定期連載していたものと、それに加筆したものなどの小評論集。目次は、「教養小説としてのファンタジー」、「『時代』に愛されなかった《スチームボーイ》」、「《ナルニア》に子供たちはなぜ、現実世界に帰れないのか」「《ゲド戦記》を映像化してはいけない理由」、「ニヒリズム化するサブカルチャーについて」など。「その後」という後書きで「よいこの黙示録」について書いているところに、青山景氏の自死の報道があって言葉を失っている。
 「ニヒリズム化する…」には3・11前の執筆だが、つぎのようなところもある。
『最後に、宮崎駿氏の『風の谷のナウシカ』について記しておきたい。大塚氏が前掲書において指摘するように、この作品は「構造からはみ出すものを良くも悪くも抱え込んでいる」。大塚氏がアニメ版『ナウシカ』に、「武装」「非武装」という近代のアポリアを読み取るのに対し、ここではマンガ版のそれに、これまで述べてきた「偶然性」の持つ可能性のメッセージを抽出したいのである。
 この物語の中で、人々は核戦争後を彷彿とさせる世界に生きており、放射能(瘴気)の脅威に怯えながら、それでも戦いをやめようとはしない。しかし主人公ナウシカは、瘴気をもたらす「森」が、実は汚染した大地を清浄化するための機能を果たしていることを知り、これ以上人間たちが世界を傷つけてはならないと使命感にかられ、戦いに身を投じる。実はアニメとマンガのストーリーの鉾先が大きく変化するのはここからで、結論から言うと、マンガのナウシカは世界を救うことができない。なぜなら、マンガにおいてナウシカは、仮に世界が「清浄」化した時、既に汚染された空気のほうに耐性を持ってしまった人類は滅びるしかない事実を知ってしまうからである。・・』
「『死霊』の手法」については、これまで同人誌を読んで、ひとはなぜ書きたがるか、という視点を踏まえて、引きこもり人が小説を書くとどういう手法になるかを、思いついたところで書いたもの。送られてきた同人誌を考える資料としてよく読んできたものだと思う。

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