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2011年9月30日 (金)

詩の紹介 「果物よときに甘酸っぽく」 中西 衛

果物よときに甘酸っぽく   中西 衛

黄 赤 橙 濃紺/季節がうつると/豊穣な果物が食卓にならぶ/品種改良か 気候の変動か/年々果物が甘くなっている/ある夜/ふかい器のなかで/静かに熟れしていく

終戦後まもないころ 食糧不足で飢えていた 乗換駅 蒸気機関車が客車にガチャンと連結しおえると ホースを繋ぎサア出発だ。 深夜中 秋深い木曽路を列車は進路を北に向けてまっしぐらにはしる。 登山者や旅客は心地よいレールの音にぐっすりと眠りこけている 夜明け前 目的地信州に近づくに従って、窓辺に広がる リンゴ畑と、寒気に触れ真っ赤なリンゴにしばし見とれていた。りんご農家に急ぐ あれこれ国光 ゴールデンデリシャス インドリンゴ 紅玉とか あのころのリンゴには 甘いだけでない ほどよい酸っぽさがあった。買ってかえって箱に入れてしまっておき 一か月ほどして箱を開けると 完熟した甘酸っぽいほのかな匂いが部屋いっぱいに漂う 口のなかにひろがる忘れられないあの感触 もう美味しかったあの果物に出会うことはないだろう。あの時代はもうふたたびやってこない。

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 人の味覚は時代の変遷に反応する。古き味覚が捨てられる新しい時代に、新しい味覚を作り、人々に馴染ませる。インスタント食品のようにスーパから買って帰ってすぐにも食べられるようなものを作っている。作者はりんごの懐古な話を、農家から「買ってかえって箱に入れてしまっておき 一か月ほどして箱を開けると 完熟した甘酸っぽいほのかな匂いが部屋いっぱいに漂う」そんな光景はいまにはないだろう。気長く待ち、飢えに耐えて行くその時の人間の姿勢と、飽食する現代の短気な生活ぶりと対照的に映されている。
(国鉄詩人255号より 2011年秋 神奈川県厚木市・国鉄詩人連盟)

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2011年9月28日 (水)

小説編「毎日新聞」西日本地域版9月19日(月)朝刊

「ことばの森から」小説編<7~9月>古閑章氏
タイトル「なぜ書く」
西村敏通「或るカメラマンの死」(『飃』第87号)、木下恵美子「阿修羅」(『詩と眞実』第745号)、矢和田高彦「ひな人形」(『文芸山口』第298号)
桑村勝士「渓と釣りを巡る短編Ⅱホタルの導き」(『胡壷・KOKO』第10号)、ひわきゆりこ「プライド」(同)
伊藤幸雄「モンスター・ペアレント」(『海峡派』第122号)、高崎綏子「当世職人気質」(同)
よしのあざ丸「雨が雪に変わる時」(『季刊午前』第45号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


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2011年9月27日 (火)

時評-小説「讀賣新聞」西日本地域版9月13日夕刊・松本常彦氏

題「隣人への微妙な距離感」
西村敏通「或るカメラマンの死」(「飃」87号)、山田啓二「干潟の光景」(「季刊午前」45号)
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2011年9月24日 (土)

詩の紹介 「手紙」 野仲美弥子

手紙     野仲美弥子

荒れた黒い海は/白い波の手に/小さな手紙を握っている
「ママへ。生きてるといいね おげんきですか」
三月十二日 東北の大津波に/両親をさらわれた 昆愛海ちゃん(五歳)が/母親にあてた手紙だ*
返す言葉もなく/海はただ手紙をそっとなでている
海を愛した両親が/心をこめてつけたであろう名前/だから 海を愛し/海とともに大きくなった愛海ちゃん
あの日たくさんの人が死んだ/たくさんの人が帰ってこない/愛海ちゃんの両親も
無残に壊れ打ち捨てられた家・船/どこまでも続く瓦礫の山の浜辺/呆然と佇む残された人々
天の意志だった/絞り出すように海は呟く
自然を破壊し続ける人間への/警告だった
数々の狼藉の挙句/神に等しい太陽熱に逆らい/悪の権化のような原発を建てた/天に吐いた唾が頭上に落ちたのだ
海はからだを揺すってみた/足元に汚染水が滲んで来たら/素早く塩で薄めなければならない
あれから平静な日は一日とてない/苦しみが海の色をどす黒くした/体内には/数えきれない人間の魂が/いつまでも死ねない人間の魂が/重く沈んでいる
そして/胸を刺し続けることば/「ママへ。生きてるといいね おげんきですか」
答えられず/応えられず    
*読売新聞「編集手帳」(二〇一一.六.八)による
詩誌・「幻竜」第14号により 2011.9 川口市「幻竜舎」

紹介者・江素瑛( 「詩人回廊」 )
「海を愛した両親が/心をこめてつけたであろう名前」昆愛海ちゃんの母親が東日本大震災の津波に連れ去られていた。愛した海の魚になっているのだろうか。
「ママへ。生きてるといいね おげんきですか」と作者はこの無邪気な手紙に心を痛む、原発に対する怒りや諦めるや、「天の意志だった」と嘆く作者だが、「天に吐いた唾が頭上に落ちたのだ」天災より人災だ。
人間の快適さを追求するための原発。その代償を一生背負って生きなくてはならない無数の昆愛海ちゃん。
原発の電力を、その怖さも知らずに馴染んできたからだは、寒さにも暑さにも耐えられる力がなくなる。電力不足の環境に日本人は適応できるのか。これから生きるために節電と言わず古代人のように、太陽、星辰など自然のなかの生活に転換しなくてはならないだろう。

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2011年9月20日 (火)

松本清張賞(11月末)

松本清張賞
ジャンルを問わぬ長篇エンターテインメント。日本語で書かれた、自作未発表の作品に限ります。インターネット上で発表した作品や自費出版した作品は応募できません。

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2011年9月19日 (月)

詩の紹介 「渕」 たかつか与詩  

「渕」   たかつか与詩
だれだっ/底に潜んで/窺っている奴は/淀んだ鬱屈を敷いている奴/蓄積された思索を栄養にして/時間を停めている奴/覗けば眸を逸らさずに見つめ返す奴/目が合えば貪欲に吸い込もうとする奴/うずくまっている陰影/すでに龍は昇天したはずだ

古代から岩を咬み底を穿ち/あらくれた自然の営み/何者をも寄せつけない孤独/青黒い空間に群生する意思の交錯/光を拒絶する水の彷徨/近付けば/そっと影をずらして/正体を現さない/波立つ動作のひとつひとつ/眸はずっと凝視したまま/底せれぬ闇の深さ/妥協を許さない澱の層/渦巻いているのは/閉じ込められているからだ

流れはかすかに動いていて/木の葉を巻いて/しずかな山の語らいに背を向け/逆らうように小波だつ表情/激しい感情をひた隠し/ゆったりと憩うように/明日を模索する/渕
 (詩誌「田園」(岩礁改題)148号2011秋 三島市南本町 岩礁の会)


紹介者・江素瑛(詩人回廊
人間の心の奥の闇を淵の存在に託し、おのれの憂うつ、澱み、確執、停滞、反逆など動きを暗示している。明るく頑張ろうという前提には、この淵の存在がある。自然の中に何故か、淵は存在する。人間につきまとう運命のように。
「すでに龍は昇天したはずだ」と嘆いていても、いつか渕から幻龍の再現を夢見、出世の機会を。仕事がない、冷凍される状態から再出発の意気地を窺われている。

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2011年9月18日 (日)

同人誌時評(8月)「図書新聞」(2011年9月10日)志村有弘氏

題「文芸作品の見事な〈芸〉」
『命が危ない 311人詩集-いま共にふみだすために」(コールサック社)
小説-宮崎喜代美「魔法の鏡」(「九州文學」第537号)・見良津珠里子「コバルトブルーのインスタントタイム」、奥野忠昭「誰そ彼どき」(「せる」第87号)、平維茂「英霊達の怒り」(「文學街」第287号)、松本寧至「少年行」(「月光」第5号)
歴史小説-乾浩「房総の旋風-忠常蹶起す」(「槇」第34号)
時代小説-佐藤駿司「首切り人形」(「半獣神」第91号)
『全作家短編小説集』第十巻目、「文學街」より『小・掌編作品選集』[6]
エッセイ-森真沙子「元興寺と呼ばれた鬼」(「谺」第62号)、島雄「恋するひじりたち」(「飢餓祭」第35号)
詩-比暮寥「夢ひかり」(「潮流詩派」第226号)、齊藤貢「小高にて」(「歴程」第575号)
追悼号(含訃報)-「あふち」第66巻第3号が香田ゆき、「AMAZON」第448号が安西宏隆、「海鳴り」第23号が島田陽子と宗秋月、「遠近」第43号が藤野秀樹、「九州文學第537号が福島ひとみ、「新現実」第109号が稲葉有、「槇」第34号が中村靖子
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2011年9月17日 (土)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2011年9月2日)白川正芳氏

木田次郎「わが半生記」(「水晶群」61号)
「文藝11」(大阪芸術大学文芸学科)は卒業制作の優秀作掲載。矢吹尚美「百鬼夜行で会いましょう」(学科賞受賞作)・徳田光陽「不器用なことば 松本隆作詞論」(研究室賞)
「群系」27号「戦争と文学 昭和文学の水脈」特集より勝原晴希「大木惇夫『海原にありて歌へる』を考える」・野口存弥「野間宏『顔の中の赤い月』の背後に」・市原礼子「神保光太郎『南方詩集』他について」
小南武朗「花の星座」(「札幌文学」76号)、宇佐美宏子「裸身」(「中部ペン」18号)、山下啓子「思い遙かに」(「まくた」272号)、松尾升子「役作り」(「佐賀文学」28号)、藤田充伯「物語と記録高井有一掌論(「R&W」10号)、浅田高明「オリオンの星は燦めく」(「異土」3号)
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2011年9月15日 (木)

大手メディアもいろいろ

 鉢呂氏は新十津川町出身。北大農学部卒業後、今金町農協に勤務し、90年に旧衆院道3区(渡島、檜山管内。現8区)から出馬し初当選。03年から泊原発のある現4区(後志管内)に「国替え」した。今年7月には民主党道4区総支部代表として、泊原発3号機のプルサーマル発電凍結を求める要望書を北電に提出している。
鉢呂経産相辞任は陰謀?、「放射能をうつしてやる」などとした発言はフジテレビが最初に報じたのだが、同局の担当記者は現場にいなかったという。また、不思議なのは、文言が各社で少しずつ違うという点だ。
 おそらく伝聞だったのだろう。同業他社の記者、もしくは省の職員らが考えられるが、もしも経産省からの情報であれば、何らかの陰謀めいたものも感じざるを得ない。
枝野・新経産相会見 大臣官房に逃げ込んだ暴言記者「選挙で国民から選ばれた鉢呂大臣をあなたはヤクザ言葉で罵倒したんですよ。どうして自分の名前を名乗らないのです?コソコソ逃げるのですか?」。筆者はその記者に尋ねた。彼は終始無言だ。大臣官房広報室で保護してもらえないと分かると彼はエレベータに向かった。記者室に戻ると配席表で名前が割れるからだ。筆者がエレベータに一緒に乗り込むと、エレベータから降りて違うエレベータに乗り換えた。筆者も乗り換えた。同じ質問を続けた。自分の名前も名乗れない人間が政治家の進退を左右するようなことになったら、政治はガタガタになるからだ。

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2011年9月14日 (水)

文芸同人誌「彩雲」4号(浜松市)-1-

【「別乾坤」寺本親平】
 地球上の生物の多くが、海の生物から進化したものだといわれているが、この作品も人類の祖先は魚とし、腕立て伏せをする魚の話題からはじまる。そこからリュウグウノツカイを気に入った絵師の驢馬人の話に発展する。話術の巧さに気をとられ、うかうかと読んでいくと、改行なしでみっちり書き込んだ文章で、長い話がつづく。飛躍しながらイリュージョンとして面白おかしく読み終わる。すると結局、日本人は海の民族であり、原始の時代からDNAに魚の遺伝子があって、仏教的な死生観、エロスを継承しながら生き抜いてきたのだなあ、と納得させられる。古典からの唱や経文の引用が、ピリッと利いている。
 なお、作者は「彩雲」3号に「幻燈一夜」を発表している。この作品は第8回関東同人雑誌交流会で、9月18日選考される全国同人雑誌最優秀賞「まほろば賞」のノミネート7作品のひとつに選ばれている。
【「奈落」大田清美】
 まず、自死の話がまくらにあり、それから美砂は子育てを一段落させて、人生のヤマ場も超え、五十路に足を踏み入れて更年期がはじまると、妖しく優しい友の招き声を思い出す。それは死への誘いである。そしてあの世の叔母さんの招きに誘導される。しかし、死の世界への扉の前で思い直し、引き返す。白日夢の時間を描く。人間の目的意識を失った時の空虚感を軸に、死の意識を身近な主婦感覚で表現しているのが面白く、目を見張った。
 この8月で94歳になった作家・伊藤桂一氏は、死んでもいいと思うと死の世界に入ってしまうので、まだやることがあって生きるのだという気持ちでいるから生きているのだ、という話をしてくれた。うっかりしていると人は死の世界に入ってしまうのかも知れない。「奈落」は一読すると、語り口のバランスの悪いところがあるが、本来は難解な哲学的な命題を含んでおり、身近なわかりやすい物語でありながら、ただの心霊談を越えたところに意義が感じられる。 

《参照:文芸同人誌「彩雲」のひろば

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2011年9月13日 (火)

詩の紹介 「故郷の空は悲しみ色濃く」 井之川巨   

 故郷の空は悲しみ色濃く 井之川巨
僕の故郷では大きな樹に/果実ではなく人がぶら下がっている/貧しい年老いた農民が/首に紐をかけぶら下がっている
それはとても悲しい風景だった/僕の父の代、祖父の代/もっと以前から続いている/日本の農村によくある悲しい風景
女は照りつける太陽の下で/農道に佇んで泣いていた背籠の西瓜を畑から盗んだと/村人に疑われ責められて
病人がいる一軒の家/暗闇の奥から弱いしわぶきが聞こえてくる/子供たちはその家の前を通るとき/口を押さえ息をしないで駆け抜ける
あの病気は伝染病だから気ぃつけれやと/親から教師から子供たちは/いつも聞かされている、だから/その家の子供たちと誰も遊ぼうとしない
来る日も来る日も雪が降る/雪の重みで一軒の家がつぶれた/雪の下でもう一軒が焼けた/出稼ぎあとの子供だけの家、年寄りだけの家
貧しい家の少女は商店の前を通るとき/いつも祈るように親に頼んだ/「おらにもいつか買ってくれろな」/しかし少女の「いつか」は訪れてこない
ひとりの貧しい少女が/自分よりもっと貧しい少女に/そっと手渡した真新しい靴下/自分のはく靴下はつぎはぎだらけだったが
故郷を出てから何十年たったことだろう/寒さとひもじさと差別への怒りと涙の記憶だけ/わが故郷よ、お前のおかげで僕は/どんな逆風にもたじろがぬ心を育てたよ
               (03年 4 月30日 「井之川 巨詩集」土曜美術社出版販売)
紹介者 江素瑛(詩人回廊
 井之川 巨は故人。記憶の中に消えない終戦後の日本農村の現実を書く。次から次へ悲しくも、貧しい故郷の惨めさ。人情の冷たさもあれば暖かさもある。医学知識の不足による誤解。結核患者の家の娘は嫁にいけなかった。そのなかで村八分の習慣のなかでの助け合いは、人間的な自由を制限する。小さな農村であるが故の自死。いい思い出のない故郷にも懐かしく感謝の意を現れるー「わが故郷よ、お前のおかげで僕は/どんな逆風にもたじろがぬ心を育てたよ」こういう環境に育てられた作者は強い詩人になった。

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2011年9月 9日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」(8月31日(水)朝刊)長野秀樹氏

題「二つの視点」
坂本梧朗さん「財布譚」(「海峡派」122号)、ひわきゆりこさん「プライド」(「胡壷・KOKO」10号、福岡市)
桑村勝士さん「ホタルの導き」(前出「胡壷・KOKO」)、神川こづえさん「サンディと月下美人」(前出「海峡派」)
「周炎」46号(北九州市)特集「新たに発見された岩下俊作の随筆」八田昴さん編
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2011年9月 8日 (木)

第1回 新人発掘プロジェクト(文藝春秋)

 【第1回 新人発掘プロジェクト】新しく、若い才能を発掘したい。そして、その才能を育てたい。
この思いから、別册文藝春秋編集部は、「新人発掘プロジェクト」を立ち上げます。
数ある新人賞の中からどの賞に応募しようか、迷われたことはありませんか。
小誌は新しい形で、皆さんの「小説家デビューまでの道のり」をバックアップしたいと考えています。 このプロジェクトでは応募原稿を編集部員が読み、 これぞと思った方には最長2年間、担当編集がつきます。

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2011年9月 7日 (水)

同人誌時評(7月)「図書新聞」(2011年8月27日)福田信夫氏

題「同人誌の鑑となる健在ぶりの二誌」
『遊民』より伊藤幹彦「十歳の集団疎開児」、大牧富士夫「おぼえ書き・西沢あき子さんのこと」
『異土』より「ゲルツェンとマルクスにおける人間と社会の関係」・「イロニーについての覚書」・「松本清張と森鴎外」、浅田高明「オリオンの星は燦めく」
『群系』27号の特集「戦争と文学-昭和文学の水脈」より野口存彌「野間宏『顔の中の赤い月』の背後に」、澤田繁晴「現代日本に通じる戦争日記」
『文学街』286号より森啓夫「復刊・文学街の十四年の歩み(1)」、『コブタン』34号より須田茂「武隈徳三郎とその周辺(二)」、『Q文学』2号より玉井五一「Qへの独白めいた気儘な手紙」
新田次郎記念会誌『新田次郎文学賞 30年の歩み』、『吉村昭研究』14号より「私の選んだ吉村昭ベスト3」、『海鳴り』23号より庄野至「僕がパブリカで走った夜」・大塚滋「化学の錯誤(続)」・涸沢純平「二つの訃報(島田陽子と宗秋月への追悼)」
『一宮館文庫』は18号で休刊
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2011年9月 6日 (火)

詩の紹介 「凧」  陳千武 

「凧」      陳千武*
きみに繋がれたぼく だから/ぼくらの間には離れることのできない/関係が出来てしまったのだ/すべてを/  きみの主宰に/  きみの手配に まかせたぼくは/なおも高いところにゆらゆら揺らいでいる

きつくきびしく ぼくの/生命線を把握しているきみなのに/なにを憂えることがある?/固く握りすぎて/ ぼくが墜落或は自殺するのが怖いのか?/軽く弛めすぎて/ ぼくが離乳し高飛するのか怖いのか

風だけがぼくに同情を寄せる/ ぼくの向上を支持する/ぼくの高度を調節する/高ければ高いほど 見える世界が広い/それなのに きみは風のなかに/仕掛けた暗線で/ぼくを牽制している/国境を越えて/ 雲を愛してはならない/と牽制している
(「2011詩と思想 詩人集」土曜美術社出版販売より)
*別名恒夫。1922年南投県生まれ。台湾現代詩の代表詩「笠」の編集委員。
台湾現代詩協会顧問、嘗て文化センター館長。詩集、評論翻訳多数。
           
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
凧に託し、遠く高く飛ぶ儚い夢をみる。「風だけがぼくに同情を寄せる/ ぼくの向上を支持する」。世界の潮流れが絶えず変わる、風は、抑えられている小さな潮でも大きく波を立たせる。ぼくは離陸したい、ひとりで独立して旅したい。世界中を飛びまわる夢を見ているぼくだが、タコ糸に操られる。それは宿命なのか、自らの選択なのか。長い間列強の国に翻弄された小さな国の現実を見つめる視線がある。

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2011年9月 5日 (月)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2011年8月5日)白川正芳氏

「ずいひつ 遍路宿」190号より三好一彦「東日本大震災に思う」、青山詩帆「いのち」、赤松秀子「復興への道」
「Q文学」2号より玉井五一「Qへの独白めいた気儘な手紙」、「象」69号より稲垣友美「円卓」
磯部朋子他著『水の星』(私家版)、宇江敏勝「都会へ」(「VIKING」726号)、森啓夫「復刊・文学街の歩み」(「文学街」286号)、中山みどり「父の卒業論文」(「連用形」30号)、松嶋節「渡り鳥の日記」(「文宴」115号)、千田よう子「幻想の街」(「全作家」82号)
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2011年9月 4日 (日)

第21回ドゥマゴ文学賞に磯崎憲一郎さん

 第21回「Bunkamura ドゥマゴ文学賞」(主催・東急文化村)は2日、磯崎憲一郎さん(46)の「赤の他人の瓜二つ」(講談社)に決まった。 副賞100万円。今年の選考委員は作家の辻原登さん。
「赤の他人の瓜二つ」<血の繋(つな)がっていない、赤の他人が瓜(うり)二つ>
 呪文めいた一文で始まる物語は、マヤ文明以降のチョコレートと人間の歴史をつづる。恋の終止符を打つためチョコに毒を盛られたイタリア・メディチ家の侍医、角材を振り回し結婚式当日に女を略奪した日本の製菓工場の労働者。
 いつの世も人は恋し、老い、死んできた。「他人と瓜二つ」のようでありながら、掛けがえない小さな生への愛(いと)しさがわいてくる。
 「普通、自分の人生が誰かと似ているのは否定的に言われる。でも僕には、生きた時代も場所も異なる人間が似た悩みや楽しみを抱えていることが、個の限界を越えて分かり合える可能性や希望に感じられます」
 ブッダから始まる3代を描く2007年のデビュー作『肝心の子供』以来、作家は時間に関心を持つ。本作でも千年を超す人類の時間が、極端な緩急をつけて流れる。「人間が死んだ後に残すものは財産ではない。それぞれが生きた人生の時間だと思う」
 この日の取材は、午後7時から。日中は商社で働き、新卒採用などを担当する。
 「執筆と会社員との『二足のわらじ』といった感覚は年々薄れています。ビジネスも小説も大切な場面では、その人の信念や矜持(きょうじ)、生き方をさらけ出さなくてはならないから」と話す。

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2011年9月 3日 (土)

文芸時評9月号(産経新聞)早稲田大学教授・石原千秋氏

早稲田大学教授・石原千秋 場面がリアリティーを生む《対象作品》川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」(群像)/池澤夏樹へのインタビュー「ぼくの芥川賞採点表」(文学界)/上野千鶴子の最終講義「生き延びるための思想」(文学界)。


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2011年9月 2日 (金)

詩の紹介 「碁打ち」大井康暢(2011年 9月・詩集「象さんのお耳に」より)

「碁打ち」大井康暢

碁は幾重にも重なる心理戦である/愛憎の絡み合う怨讐のわなだ/引っ張り合う緊張の果て/敵の術中にはまって死を急ぐ/たわけた喜劇でもある/碁打ちは妬み深く/生死をかけ/これが実人生だったらたまらない/命はいくつあっても足りない/高段者に平身低頭しても/敗者をたたえたりはしない/そっと腰をかがめて逃げる/敗者のまわりからはひとり二人さって/ついに誰もいなくなる/強い男は黙って去る/碁は格調高く高貴な精神の勝負だ

余所者を警戒し/中々仲間をしてくれない/黙ってみていて/勝ったものの方をほめる/周りをとりまき/後ろからそっと見ている/相手をじらして/自滅に追い込む/勝ってばよい/それが碁打ち根性だ

碁よ/それでも人を碁会場に誘い出し/人間の業と欲を満喫させてくれる
                 東京都板橋区 株式会社「コールサック社」

紹介者・江素瑛(詩人回廊)
 人間は平和を好むと同時に憎しみの戦争をしたがる深い内面もある。作者はそういう内面を碁うちに喩え、人間の欲望とストレスを発散するものとして捉える。碁というものを写実的にかたり、もうひとつの意味を含ませる。確かに「紙上談兵」はいくら戦っても「人畜無害」である。人の都合で起す戦火の犠牲は、人だけでなく動植物の生きとし生けるものを焼き尽くす。碁が本物の戦争を無くす手段になると良いのだが。

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2011年9月 1日 (木)

コストさえ安ければ事故が起きてもいいというらしい。日本エネルギー研究所

 これはなんだろう。《(財)日本エネルギー研究所・有価証券報告書を用いた火力・原子力の発電コスト評価
 コストさえ安ければ事故が起きてもいいという計算書。放射能被害者のことをなんと思っているのか。こんな計算ができるのは、人間の心がない。鬼畜の計算技だ。心ない人鬼が不思議に税金で儲けている。読売新聞は1日朝刊で記事にしている。
 
読売社説、相変わらず《参照:ちきゅう座
・30日読売社説批判:今日は批判する気もでてこない。野田民主新代表誕生に際してだが、消費税、TPP、普天間移転、原発輸出推進を繰り返している。「門前の小僧、習わぬ経を読む」でお経を繰り返せば、国民はお経を唱えるとでも思っているのだろう。(08月30日 posted at 09:22:39)

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