菅総理の孤独を文学的に読むと――
菅総理の評判は悪いどころではない。あまり悪評が一致し、孤立しているようなので、もしかしたら画期的なリーダーなのかと思いたくなるが(部下の反対を押し切って実行することが多いのがリーダーシップのある経営者)、マニフェスト無視など、たしかに困ったものだ。何か抵抗勢力に対抗して孤立の存在感を味わっている心境なのであろうか。
菅総理と交代したリーダーは、さぞかしこの国難をばっさばっさと切り抜けてくれるのだろうから心強い。もし、かわらなかったら,菅さんがただの議員になって、あなたは私が総理の時期に「ペテン師」、「場当たり総理」、「独裁者」、「頭が変」と、いいましたね、と浴びせる言葉は沢山溜まっているであろう。
ルソーは、こう記している。
「私は激しく抵抗を試みたがどうにもならなかった。不器用で、技巧は知らず、人の目をくらますことはできず、思慮に乏しく、率直で、あけっぱなしで、忍耐心に欠け、激しやすい私は、もがけばなおさら身をしばられ、たえず新たな手掛かりを彼らに与え、彼らは抜け目なくそれを利用するという結果になるばかりだった。(中略)
あらゆる方法で憎悪心をとぎすましながらも、私の迫害者は、その激しい憎悪のためにかえってひとつの方法を忘れていた。それは効果をだんだんに強めていき、わたしの苦しみを不断につづけさせ、不断に新たな苦しみをかきたてることができるように、絶えず新たな攻撃を加えるということだった。もしかれらが巧妙に、いくらかでも希望の火を残しておいてくれたなら、それによって私を捕らえていたに違いない。(中略)
ところが彼らは、初めからあらゆる手段を使い果たしてしまった。私に何ひとつ残しておくまいとして、自分たちも一切することがなくなってしまったのだ。」(「孤独な散歩者の夢想」(今野一雄訳・岩波書店)
その後ルソーは、お遍路はしなかったが、散歩はよくしている。
ちなみに、国語辞書では、1.ば‐あたり【場当(た)り】=1 演劇や集会などで、その場に合わせた機転で人気を得ること。「―をねらった芸」2 物事に計画性がなく、目先の効果だけを考えたその場の思いつきで行うこと。また、そのさま。「―な(の)言動」。その場限り〈の処理法〉 おざなり〈の挨拶〉 一時的 即席〈料理〉 応急〈手当て〉 当座〈しのぎ〉 姑息(こそく)的〈な療法〉 弥縫(びほう)策 ⇒おうきゅう【応急】1 〔人気取りの〕claptrap; 〔ギャグ〕a gag 場当たりをねらっている He is playing to the gallery.2 〔その場の思いつき〕 場当たりな答弁[政策] a haphaz ...。
これによると菅総理は、場当たりもしていない。場当たりで良いからやって欲しい被災者救済。
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