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2011年7月31日 (日)

菅総理批判もやらせなのか?新聞は憲法違反で告発するのか

玄海原発再開をめぐる九州電力の「やらせメール」問題をみていると、菅総理へのメディアの批判も、官僚とメディアのやらせなのかも知れない。
 そう考えると、菅総理があちらかと思えばこちら、こちらかと思えばあちらの発言には、官僚も対応しきれずに立ち往生させて、うまい方法とも思える。菅総理は今後もひらりひらりとやって任期を満了するのでは。
 ある筋の情報では、ついに読売新聞は、菅首相の脱原発イニシアティブを憲法違反の疑いがあるとの論。21日読売「菅首相が自ら行った『脱原発』方針表明の記者会見。閣議を経ずに会見で重大な方針変更を表明したことが憲法違反の疑いが濃い。首相に単独の権限を人事権外は与えていない。」とする。

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2011年7月30日 (土)

原点の種切れ、復刻も最終段階に

 この会の原点である「文芸研究月報」の復刻を「暮らしのノートPJ・ITO]にピックアップしてきたが、2006年8月号で休刊とし、以後このサイトに切り替えた原点である。もうじき種切れになる。この月報があったので、購読費として月400円の会費制が成立したが、なくなったので自然に会員でなくなった。とにかく100人程度の読者に向けて情報を流すことを決めたものの印刷屋さんには前払いしなければならなかった。それでも東京の情報通ということで、原稿依頼がきたり、取材依頼がきたりして、いつのにか編集者・フリーライターになってしまった。ライターズバンクの児玉さんの紹介で関西雑誌に寄稿。「原稿をいただました。それで肩書きを入れて欲しいのですが」という。「何だったらいいんでしょうか」ときくと、「経済ライターなんかどうです」というので、「ああ、それじゃそうしてください」といったのがのが始まりだった。

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2011年7月27日 (水)

第1回アガサ・クリスティー賞に森晶麿(あきまろ)さん

 第1回アガサ・クリスティー賞(早川書房など主催)は、森晶麿(あきまろ)さん(32)の「黒猫の遊歩あるいは美学講義」に決まった。本賞は新人作家の発掘・育成を目的に、ミステリ小説を対象として昨年創設。108編の応募作のなかから北上次郎氏ら3人の選考委員が、2度の選考を行なった。 森さんは浜松市生まれの作家。副賞100万円。

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2011年7月26日 (火)

「法政文芸」第7号(日本文學誌要別冊)創作力を競う場

 編集後記によると、「本誌は創作を卒業論文として提出する文芸コースが日本文学科にできたのを機縁として、優秀な卒業論文を掲載する目的で創刊されました。今号も各ゼミナールの卒業論文から力作が5編ならびました」とある。
 学生にとって卒業論文は勝負の場であり、成績評点の優劣がかかっている。そういう意味で、どれも創作への高揚心というか、モチベーションの高さが感じられる。
 特集は「ジェンダーを超える文学」で絲山秋子氏のインタビューが「とっくにジェンダーなんて越えちゃっています」。純文学作家の発想のスタイルが見えて面白いが、超えることに絶対的な意義あるわけでもないので、今回だけの面白さか。
 創作では糸永隆央「僕の照度はマックス〇・一ルクス」は、主人公が僕でなく「池田」というところで、微妙な距離感のある話の運び方に苦心したと同時に独創性を見出せる。自己探求精神が話の流れによく乗っていて面白かった。ただ、人生への結論めいた道に入ってしまうと、表現上では答えがどんと出てしまうので、伊藤孝美氏のエッセイにあるように、書くことが無くなってしまうかも。文学追求の精神とは別のところに行くのでは?と思わせる。無理にでもテーマを自分で創作的に作るのが課題になりそう。
 掌編セレクションはそれぞれゼミの成果で、荒井真梨野「箸と妹」、石井りえ「少女偽装」、岡裕也「ウィーニティ」があり、どれもやはり目を見張るものがあり、若者の文学世界はこうなのかと、しみじみ感心してしまった。
 発行所=法政大学国文学会。編集人・田中和生、法政文芸編集委員会学生編集長・狩野泰蔵。

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2011年7月24日 (日)

電子書籍・電子書籍端末の利用環境調査

大沢在昌氏の電子図書論
電子書籍・電子書籍端末の利用環境調査(日本電子書籍出版協会)
 「知っている電子書籍端末の名称」では、WEB調査では、アップル「ipad」72.2%、シャープ「GALAPAGOS」、アマゾン「kindle」の32.1%、ソニー「READER」25.5%、「ひとつもない」20.0%。
 郵送調査では、アップル「ipad」52.3%、シャープ「GALAPAGOS」27.7%、アマゾン「kindle」17.4%、ソニー「READER」13.4%、「ひとつもない」34.0%であった。(複数回答)
 端末のブランドの認知度は、とくに郵送調査対象で非常に低い。
 電子書籍・電子書籍端末の利用環境調査(日本電子書籍出版協会)
 「保有している電子書籍端末について」では、「パソコンを電子書籍として使っている」8.7%と最も多い。次いで「スマートフォンを電子書籍として使っている」5.8%、「携帯電話を電子書籍端末として使っている」3.6%、アップル「ipad」3.0%、シャープ「GALAPAGOS」0.4%、アマゾン「kindle」0.3%、ソニー「READER」0.3%、「ひとつもない」81.1%と8割以上が持っていない。
 郵送調査では、携帯端末についての設問のみであるがアップル「ipad」1.1%、シャープ「GALAPAGOS」0.2%、アマゾン「kindle」0.1%、「ひとつもあてはまらない」が61.9%で、「無回答」が36%で、普及率が低い
ことがわかる。
 「電子書籍端末を使ってみたいか?」では、WEB調査で「ぜひ利用したい」8.8%、「まあ、利用してもよい」29.3%、と「利用したい」が38.2%、「あまり利用したいとは思わない」てもよい

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2011年7月23日 (土)

【Q5】読書会に参加して良かったこと、期待はずれだったことは?

 ★色々な解釈が聞けて楽しかったが、ちゃんと本を全部読んでない人がいて悲しかった。(茨城県 T様 10代)
★自分にはない意見を聞くことができるが、対立すると着地点がみつからなくなってしまうことがある。(神奈川県 W様 20代)
★良かったことは、あぁこんな風に考える人もいるんだ、と感じられたこと。期待はずれだったのは、本音が聞けないような気がしたこと。すこし外れた(外道というか正道でないというか)意見はスルーされる?(三重県 N様 30代)
★ちゃんとした討論にならなかったり、批判を人格攻撃だと受け止める人がいたりして、うまくいかず、期待はずれに終わりやすい。(大阪府 K様 40代)
★良かった事=意見交換ができ様々な見方考え方を知ることができた。期待はずれだった事=何が目的かよくわからない人がいた。(千葉県 N様 50代)
★良かったことは、いろいろな作家の作品を読めたこと、文学好きといった仲間と意見交換できたこと。期待はずれだったこと、女性が多く、男性向けの作家がテーマ本として取り上げることが少ないこと。(福井県 I様 60代)
★やはり一冊の本を複数の角度からの意見で読み解かれていくことが愉しい。(東京都 O様 70代)
★読後の感想発表が紋切り型になりがち。特に特定の方向に集約しようとてるリーダーがいると違和感を持つ。(東京都 N様 80歳以上)
講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年7月15日号 

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2011年7月22日 (金)

伊藤桂一氏の「グループ桂」の集いで穂高氏と懇談

 先週の13日に「グループ桂」の集まりに珍しく穂高健一氏が顔を出した。その様子は、「穂高健一ワールド」に詳しい。同人の作品をばっさばっさと斬り倒していた。やはり文章教室の講師が長いので、前には気にしていなかったように思う、文章の細かいところを指摘するようになって、読みどころが変化しているように思えた。こちらは「スマートグリットで脱原発」情報を流す。このコーナーは震災の前からやっていた。
 帰りに、ふたりで居酒屋で話合う。そこで、原発と放射能被害に対する考えの違いで議論をする。原発のことは得ている情報の違いがあるので、本当はかみ合わない。ただ、原発が核兵器開発と深い係わり合いがあるのは異論はない。ホルドレン大統領補佐官と細野原発担当大臣と話し合っているので、アメリカはは菅総理の辞任にこだわっていないように見える。案外、菅内閣はつづくのかも。アメリカの意向は影響あるから、読売新聞と自民党はどうするのだろう。東電の株と社債をもっているからね。原発被害の損害賠償は税金でやるのだろうね。東電株が上がっているから。

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2011年7月21日 (木)

詩の紹介 「不機嫌」勝嶋 啓太(潮流詩派226)

不機嫌   勝嶋 啓太
最近 僕は機嫌が悪い/東北関東大地震があってからというもの/父親と母親が ずーっとテレビの報道特番を/見続けているからである/別に両親がテレビを見ているのが/悪いわけではないのだが 腹が立つのは/その内容というのが/大震災ですべてを失った善良な人々が/助け合い 支え合い 明日の希望を信じて/今 小さな一歩を踏みだそうとしています/さあ 私たちも応援しましょう/この思い 被災者に届けましょう的な/安いお涙頂戴ドラマみたいな偽善的な調子で/地獄絵図の部分は 覆い隠して 見せないで/自分たちはぬくぬくと安全圏から/がんばれー がんばれーと無責任に/声援を送っているようにしか見えないからだ/作り物のメロドラマならそれでもいいけど/現実をそのような語り口で/演出しようとしてのが腹が立つ/レポーターとかコメンテーターという人種が/ウソの涙を流しながら 発する/誰にでも言えるようなバカなコメントにも/腹が立つ/また 番組の合間に流れる/公共広告機構とかいうところが作ったCMも/クソ真面目で つまらないわりに/子供とか金子みすずの詩とか出して/媚売りまくりで 押し付けがましい/まあ 所詮 テレビだからね/わかってたことだけどね/僕は腹たちまぎれに そう言うと/母親は/「そうよ テレビは私たちが見たいドラマを見せるのが 仕事だもの/見るのが辛いものはやらなくていいのよ」/と無表情に言って、お茶をすすった/でも・・・と言いかけて 止めた/僕はその時/そんなテレビの報道特番を/問句を言いながら 両親と一緒に/さっきから もう三時間も見続けて/被災者の人々のあんまりにドラマ的のドラマに/ちょっと感動したり してしまっている/自分自身に腹を立てていたのだ/ということに気付いてしまったからである
その時 自分をごまかすために飲んだお茶の/まずいこと まずいこと

紹介者・江素瑛(詩人回廊)
日ごろ感じていることを、両親を介してさりげなく指摘している。レポーターとかコメンテーターが味つけ、切り取る。編集に追われた仕事になる。仕方がないと言えば仕方がありません。もともとテレビなどマスコミは事実の断片を知らせ、それが真実をそのままとは限らない。大衆は退屈と無気力から逃れるため、悪いニュースも気晴らしとします。気分の高揚をさせるものを求めます。意図的に高揚させられた気分は、戦争さえも肯定させかねません。お茶のまずさは、自発性でなく、どこかに感動を押し付けられて、自分が利用されていることを感じるからなのでしょう。

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2011年7月20日 (水)

菅総理の孤独を文学的に読むと――

 菅総理の評判は悪いどころではない。あまり悪評が一致し、孤立しているようなので、もしかしたら画期的なリーダーなのかと思いたくなるが(部下の反対を押し切って実行することが多いのがリーダーシップのある経営者)、マニフェスト無視など、たしかに困ったものだ。何か抵抗勢力に対抗して孤立の存在感を味わっている心境なのであろうか。
 菅総理と交代したリーダーは、さぞかしこの国難をばっさばっさと切り抜けてくれるのだろうから心強い。もし、かわらなかったら,菅さんがただの議員になって、あなたは私が総理の時期に「ペテン師」、「場当たり総理」、「独裁者」、「頭が変」と、いいましたね、と浴びせる言葉は沢山溜まっているであろう。
 ルソーは、こう記している。
「私は激しく抵抗を試みたがどうにもならなかった。不器用で、技巧は知らず、人の目をくらますことはできず、思慮に乏しく、率直で、あけっぱなしで、忍耐心に欠け、激しやすい私は、もがけばなおさら身をしばられ、たえず新たな手掛かりを彼らに与え、彼らは抜け目なくそれを利用するという結果になるばかりだった。(中略)
 あらゆる方法で憎悪心をとぎすましながらも、私の迫害者は、その激しい憎悪のためにかえってひとつの方法を忘れていた。それは効果をだんだんに強めていき、わたしの苦しみを不断につづけさせ、不断に新たな苦しみをかきたてることができるように、絶えず新たな攻撃を加えるということだった。もしかれらが巧妙に、いくらかでも希望の火を残しておいてくれたなら、それによって私を捕らえていたに違いない。(中略)
 ところが彼らは、初めからあらゆる手段を使い果たしてしまった。私に何ひとつ残しておくまいとして、自分たちも一切することがなくなってしまったのだ。」(「孤独な散歩者の夢想」(今野一雄訳・岩波書店)
 その後ルソーは、お遍路はしなかったが、散歩はよくしている。
ちなみに、国語辞書では、1.ば‐あたり【場当(た)り】=1 演劇や集会などで、その場に合わせた機転で人気を得ること。「―をねらった芸」2 物事に計画性がなく、目先の効果だけを考えたその場の思いつきで行うこと。また、そのさま。「―な(の)言動」。その場限り〈の処理法〉 おざなり〈の挨拶〉 一時的 即席〈料理〉 応急〈手当て〉 当座〈しのぎ〉 姑息(こそく)的〈な療法〉 弥縫(びほう)策 ⇒おうきゅう【応急】1 〔人気取りの〕claptrap; 〔ギャグ〕a gag 場当たりをねらっている He is playing to the gallery.2 〔その場の思いつき〕 場当たりな答弁[政策] a haphaz ...。
これによると菅総理は、場当たりもしていない。場当たりで良いからやって欲しい被災者救済。

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2011年7月19日 (火)

(時評-小説)「讀賣新聞」西日本地域版7月12日夕刊・松本常彦氏

題「他の作品との『唱和』」
見良津珠里子「コバルトブルーのインスタントタイム」(「九州文学」通巻537号)、由比和子「櫛」(「九州文学」通巻536号)、井上百合子「戯曲 雁」(「火山地帯」166号)
「龍舌蘭」(181号)「鮒田トト追悼特集号」

(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


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2011年7月18日 (月)

"原子力PA方策の考え方"に学ぶメディアの利用法(1)

 18日のテレビ朝日・モーニングバードで、日本原子力文化振興財団の原発推進のための合法的世論操作マニュアルの存在を報道していた。
 このマニュアルの効果は絶大で、日本を利権で原発大国にするのに成功している。そこで、このマニュアルの実施法を検証してみたい。
"原子力PA方策の考え方"から「原子力による電力がすでに三割を占めると言うことがわかれば、大方はもう仕方ないと思う」「電力会社や関連機関の広告に必ず三割が原子力を入れる」。
 テレビの報道では、日本の発電量のうち原発の割合を3割であるとしている。しかし、現在は15%にも満たない。それなのにテレビ・新聞が3割というのは、このマニュアルの指針に従っているからである。誰が考えてもこれだけ原発が稼動停止しているのに3割あるわけがない。しかし、堂々とウソを言えば見逃されるのである。
 本を出版した時に、自分の著書は、大好評で品切れだといえばよい。
"原子力PA方策の考え方"から=「事故時は絶好の広報の機会と捉え最大限に利用し、必要性や安全性の情報を大量に流す」「原子力がなければどんなことになるか、例をあげて説明するのがよい」
 これを実践しているのが、読売新聞である。7月16日の夕刊のトップ記事。
『見出し「関電・大飯原発1号機停止へ」「調整運転中トラブル、電力供給に影響」。関西電力は16日、調整運転中の大飯原子力発電所1号機(福井県おおい町、出力117.5万キロワット)で、緊急炉心冷却装置(ECCS)を構成する蓄圧タンクの圧力が低下するトラブルがあり、原因を調べるため、同日夜に運転を手動停止すると発表した。1号機は経済産業省原子力安全・保安院の最終検査を受けずに「調整運転」を行い電力供給を受けていた。
 今回のトラブルで、再稼動の時期は極めて不透明となり、今夏の関電の電力需要はさらに逼迫しそうだ。』
 これはまったくマニュアル通り。さらに読売新聞には、メディア戦略局の特集があり、あまりにも面白いので、「暮らしのノート・出版メディア」として取り上げてある。

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2011年7月17日 (日)

このごろの活動から/広瀬隆氏と明石昇二郎氏が原発刑事告発

 40年にわたり原発反対の著作やアジテーションをしている広瀬隆氏と明石昇二郎氏が東電幹部と関連学者たちを傷害の罪で「刑事告訴」をしたという会見に行く。その告訴状は「ルポルタージュ研究所」に出ている。明石氏はたしか「たんぽぽ舎」の人だと思っていたが、いろいろやっているらしい。広瀬氏がアジテータ後継者に考えているらしい。
 それから同人誌「グループ桂」の64号が出て合評会に参加しました。 
《参照:「グループ桂」のひろば

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2011年7月16日 (土)

気がかりをそのままにして、大飯原子力発電所1号機でトラブル

16日、福井県にある大飯原子力発電所1号機で、緊急時に原子炉に水を入れる設備の一部で トラブルが発生し、関西電力は、午後から原子炉の運転を手動停止することに。このトラブルで外部へ放射性物質が漏れるといった影響はないということ。 大飯原発1号機は、定期検査の最終段階に原子炉の状態を確認する「調整運転」中で、全国で実質的に発電している原発19基のうちの1基が止まることになる。

 やだね「きがかりをそのままに、事故を待つ」といっていたら待たずに事故だよ。

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2011年7月15日 (金)

著者メッセージ: 村山斉さん『宇宙は本当にひとつなのか』

 宇宙はわかってくればわかってくるほど、さらに大きな謎が出てきます。この本ではまず、あまりにも大きい宇宙の大きさを少しでも実感できるように、地球から少しずつ離れ、太陽系、銀河、銀河団、と大きなものを見ていきます。そこでまず出会うのが暗黒物質。これがなくては星も銀河も私たちも生まれなかったのです。さらに遠くへ、つまり過去へと遡っていくと、宇宙の膨張を加速して引き裂いている暗黒エネルギーに。これが宇宙の運命を決めています。
 この暗黒物質を説明するために真剣に議論されている異次元、そして暗黒エネルギーを説明するための多元宇宙。宇宙には目に見える3次元の空間だけでなくさらに異次元の空間があり、しかも宇宙そのものがとてつもない数、試行錯誤でできたのかもしれないというのです。
  宇宙をわかりたいと飽くなき挑戦を続ける研究者たちの最新の考え方をご紹介します。
                            (村山 斉)
 講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年7月15日号  
★ブルーバックス『宇宙は本当にひとつなのか』は7月20日発売。

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2011年7月14日 (木)

第145回直木賞は池井戸潤さんの「下町ロケット」 芥川賞は受賞者なし

 第145回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考委員会が14日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、直木賞は池井戸潤さん(48)の「下町ロケット」(小学館)に決まった。芥川賞は、平成22年1月の第142回以来の「該当作なし」だった。
 受賞作の「下町ロケット」は、横暴な大企業に振り回され、存亡の危機に陥った町工場を描いたビジネス・エンターテインメント小説。宇宙ロケットを飛ばす夢をあきらめ、実家の町工場を継いだ主人公が取得した最先端特許をめぐり、さまざまな人間模様が繰り広げられる。
 直木賞選考委員の伊集院静さんは、「(過去に候補となった池井戸さんの作品から)一貫して姿勢を変えていない。読み物としておもしろいし、読後感が爽快だ。今まで人間が書けていないといわれてきたが、今回はそういう意見が出なかった」と講評。
第145回直木賞は池井戸潤さんの「下町ロケット」 芥川賞は受賞者なし

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「新 同人雑誌評「三田文學」夏季号・2011.08.01発行

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏
《今号で取り上げられた作品》
中村徳昭「手巻きずし」(「30」創刊号、杉並区)/石田出「迷子」(「30」創刊号、杉並区)/佐久間慶子「訪問者」(「繋」5号、大阪府吹田市)/田ノ上淑子「セカンドライブ」(「原色派」65号、鹿児島市)/朝比奈敦「隠れ里」(「飃」86号、山口県宇部市)/垂水薫「二人」(「照葉樹」10号、福岡市)/水木怜「みつさんお手をどうぞ」(「照葉樹」10号、福岡市)/塚田源秀「かばた」(「せる」86号、東大阪市)/高橋陽子「二等辺と錯覚形」(「せる」86号、東大阪市)/中村桂子「足の記憶」(「朝」30号、千葉県茂原市)/朝岡明美「踏切の音」(「文芸中部」86号、愛知県東海市)/岩本俊夫「時の氷室」(「風?」31号、横浜市)/飛田一歩「張り込み」(「湧水」48号、豊島区)/石井国夫「海の神」(「火」8号、中野区)/中山茅集子「蝦蛄」(「ふくやま文学」23号、福山市)/小田切芳郎「聖夜」(「層」113号、長野県飯山市)/美馬翔「疾走するビル街をはらんだ列車」(「異土」2号、奈良県生駒市)/秋吉好「三井寺本覺坊暹好の実像(「異土」2号、奈良県生駒市)/山田緋紗野「天晴橋」(「じゅん文学」67号、名古屋市)/大森康宏「隅田・花川戸界隈」(「八月の群れ」53号、大阪府三島郡)/高橋菊子「鶯が啼く日」(「山形文学」100号、山形市)/宇江敏勝「蓑」(「VIKING」722号、和歌山県伊都郡)/野坂喜美「原因不明」(「米子文学」59号、鳥取県米子市)/寺岡洋子「女は……機械」(「AMAZON」445号、尼崎市)
●ベスト3
伊藤氏:高橋陽子「二等辺と錯覚形」(「せる」)、塚田源秀「かばた」(「せる」)、山田緋紗野「天晴橋」(「じゅん文学」)
勝又氏:高橋陽子「二等辺と錯覚形」(「せる」)、佐久間慶子「訪問者」(「繋」)、塚田源秀「かばた」(「せる」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年7月13日 (水)

同人誌「石榴」第12号(広島市)

【「海まで泳げ」木戸博子】
 かつて泳げなかった、というより水に身体を浸すことに抵抗感をもつ私が水泳競技に参加する。その不安とぎこちなさ。私には、精神の不調に陥った娘がいる。
 そうした境遇を知ることで、私が水との融和に挑戦する意味が浮き彫りにされる。巧みな構成で、水になじむことに挑戦することと娘との交流を重ねた光景。すっきりとした水彩画のような仕上げが、作者の人生を視る表現に美意識を感じさせる。
 この作者には、「クールベからの波」(石榴社)という著書があって、小説や映画に関する大変良い味わいの鑑賞記なので、雑文書きに疲れた時に自分はいまも読む。この中に、チャップリンの「伯爵夫人」についての感動的な鑑賞評がある。
 この映画の裏話をマーロン・ブランド自伝「母が教えてくれた歌」角川書店(ロバート・リンゼイ共著、内藤誠/雨海弘美・訳)で書いている。「チャップリンはたしかに喜劇の天才だった。しかし、ロンドンで晩年の仕事をした私の眼には、恐ろしく残酷な人間に見えた。『伯爵夫人』の外交官オグデン・ミアーズ役を私にオファーしたとき、チャップリンはもう77歳になろうとしていた」としている。なんでも、チャップリンの息子のシドニーが出演したが、彼の出来が気に入らず罵声を浴びせ、意地悪く何度も取り直しをした。他人には失敗を罵り、自分本位の暴君で、「伯爵夫人」は大失敗作であった、としている。もっとも、この自伝には、ほら話と思われる話題も多く、リンゼイの文章がそれを見事にまとめ上げたという印象の本である。木戸さんの作風には、こういうのもありますよ、話かけたくなるような本の世界のユートピア性をもつ。
【「サブミナル湾流」高雄祥平】
 漁港に女性の死体が上がり、その事件について語るのであるが、追求するのは人間精神の欲望、情念、哲学観念が犯人であるようになっている。これはまた、独創的な仕掛け考えた小説というか、叙事詩というか、そういう作品。非凡なものがあり、余計なことは言えないが、自分にはこれはアートではあるが、小説ではないと感想をもった。文化部の女性記者が「大理石から彫り出されたようだ」というのは、すばらしいが、そういう具象性の部分が不足しているのではないか。おそらく野暮を避けたのであろうが、あの観念的な三島由紀夫も必要とあれば野暮をやっている。ただ、私の小説野暮主義は、批判されることも多いので、感想にすぎないが。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀崎2-16-7、「石榴編集室」

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2011年7月12日 (火)

同人誌「文芸中部」第86号(東海市)

【「電話の時空」三田村博史】
 過去の人間関係を電話でつなぐオムニバス3話。過去の思い出になりがちなところを、電話で巧くタイムトンネルを通過させて味のあるものにしている。なかに、「君」を主人公にした2人称小説もある。作者は中部ペンクラブを運営者でもあり、抽象的な詩作品しか読んだことがなかったが、詩に較べると、小説は大変わかりやすく親切である。
【「望み」安田隆吉】
 奇妙な面白さの小説は、同人雑誌に多い。こういうのを読むと、商業誌だからレベル高いとか同人誌だからどうだという性質のものでないことがわかる。発表する舞台と読者層が異なるだけで、面白さに優劣はない。
 「長期間待った揚句、やっと入った老人用施設。そこにも江戸時代の牢名主的存在の男がいる」
 という出だしで、施設の他人の気に入らない理由を説明して、同時に主人公の「私」の一癖ある性格を暗示するところは、心憎い味である。嫌いな男とやりとりも面白いが、「私」がリハビリを頑張りすぎて骨折してしまう皮肉を、「私」の言い分で真面目に描いて笑わせられる。このようにキャラクターさえしっかり描いてあれば結末はどうでも良いようなものだが、意表をつくものがあってこれも面白い。
【「ふたりのえにし」堀井清】
 若い男女の出会いから、その対話でふたりの境遇と家族関係がわかり、お互いの孤独な心情が伺えるという仕組み。話す内容は、文章の力を活かして、単調なようでメロディアスな強弱をつけ面白く読ませられる。小説の舞台が日本でなくてパリでもいいような雰囲気の流れで、洒落た味がある。内容と出来上がりのわりにタイトルが旧い。この作者は、音楽についてのエッセイもあり面白い。自分はオーディオコンポーネントのコピーを引き受けていたので、どんな装置かなと思ってしまう。遠い昔、何故か相撲取りの看板をだしていた「ナゴヤ無線」とかのオーディオルームを雑誌に紹介したことがある。アゴアシ付きであっても、新幹線のトンボ帰りはきつかったので記憶にある。
【遺稿「再婚」井上武彦】
 かつては直木賞候補になったという作品をもつ作者のもの。これは、裕という主人公の私小説的な作品。故人になられたか、という感慨が先にたつ。素質でいえばプロ作家になれるものを持っている作家であったが、おそらく、自らならなかった方であろうと思う。
 よく、創作者の話に、「プロになれる」とか、「プロになれない」という基準でものを考えて話題にするが、自分は、プロになる必要がある人がプロになり、必要のない人は才能があってもならない、という風に思える。ある時期は、原稿料欲しさにプロになりたい、と思っていても、ほかの仕事で収入があればなる必要がなくなる。売るための注文をつけられないだけ、同人誌のほうがましだ。前衛的純文学のひとが、たまたまエンターティメントの賞をとって異なる作風のプロになり、サラリーマンで高収入の人が賞をとったが、プロになるのを断った人などを知っている。年収が1千万を超えるほどのサラリーマンであったら、賞をとったという名誉だけで、作家業をやらないほうがいいのかも知れない。
 現在、毎年500人を超える文学賞受賞者が輩出しているが、その人がみんな作家業になったら、過当競争どころではないであろう。

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2011年7月11日 (月)

同人誌時評(6月)「図書新聞」(2011年7月9日))たかとう匡子氏

題「拡大する恐怖と不安のなかで」
「あまだむ」第113号(あまだむ短歌研究会)より木下長宏「<失われた時>を見出すとき」、「吟遊」第50号(吟遊社)より夏石番矢の俳句「津波と原子炉」、「笛」第256号(笛の会)より井崎外枝子「放射線量予報」、「多島海」第19号より森原直子「海が見えた」・江口節「この星の、その日」・彼末れい子「なんだって」、「ココア共和国」第6号(あきは書館)より秋亜綺羅「気づくと世界的な、歴史的な大震災のまっただなか-大震災・仙台から」、「イリプスⅡnd」第7号(イリプス舎)より岩成達也と瀬尾育生「詩その他をめぐる対話」・「幻の詩集『日本風土記Ⅱ』復元に向けて」、「鹿首」創刊号は「考える・からだ」特集、同誌より小林弘明「ロゴスと類似性」・細見和之「『なまもの』としての言葉」・竹重伸一「舞踏-運動から時間へ」・川村悟「G線上の舞踏Ⅰ」・長谷川六「ダンスの構造(structure)についての試論」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年7月10日 (日)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2011年7月1日)白川正芳氏

岩手県滝沢村で発行の詩誌「船」(143号)より大坪れい子さんの「後記」・「朝陽に向かって」及川良子・同氏のエッセイ「Nの目撃」
「コブタン」34号より須貝光夫「インド逍遥」・須田茂の評伝「武隈徳三郎とその周辺」
上山和音「time goes by」(「カム」8号)
桑島まさき「マイホーム建設トラブル記」(「木曜日」28号)、河合泰子「冬の薔薇苑」(「夢類」19号)、小池多米司「西欧へのまなざし」(「半身」42号)、多治川二郎「忘れ得ぬ人たち」(「別冊関学文芸」42号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年7月 9日 (土)

このごろの活動から。玄海原発の岸本町長のお気の毒など

 暑い。バスや電車の冷房で息をつく。電力会社の謀略で電気で節電をさせられて、冷房を抑え暑いところが多い。今月は1日から忙しくあちこちに行く。8日は石川衆議院議員の会見に出向く。TBSのみのもんたの朝ズバが現金受け渡したというメディアのでっち上げ映像再現放送について、訴えようとしたら「弁護士に止められた」という。それは一生狙われるからだという。怖いですね。これから、できるだけ記事にしていきたい。《参照:ITOのポストモダン的情報
 テレビ番組を見ていたら、玄海町の岸本町長が、管総理の原発ストレステスト実施発言で、原発再稼動がダメになり、国の姿勢のいいかげんさに悩み、ストレスで、皮膚に湿疹が出来たと同情的に報じていた。こうしたイメージ報道にだまされてはいけない。
  玄海町の岸本英雄町長の金にまつわる事実を「しんぶん赤旗」日曜版が報じている。
 地元大手建設会社「岸本組」(唐津市)は、岸本町長が1995年に佐賀県議に当選するまで、専務で営業本部長をしていた。
 現在も株式7270株をもつ第2位の大株主。
 岸本組の社史によると、玄海原発1号機着工の直後の73年頃から原発工事に参入、76年に原発内に事務所を設置し、事務所棟の新築や建て替えなどを受注。
 交付金による町民会館、体育館など関連工事を引き受けてきた。
 原発再会先送りで金儲けの機会が減った。ストレステストで、ストレスがたまったのは気の毒ではある。しかし、
無配の会社から配当を受け取るという不可思議さも。《「配当所得」4,915,900円の謎
参照:企業ゼネコンから現金

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2011年7月 8日 (金)

作家・大沢在昌氏のみた電子書籍

 東京国際ブックフェアで作家・大沢在昌氏が講演。『 デジタルと紙が併走する時代~作家が考えること、できること~ 』をテーマに自らの小説をインターネットで無料公開した経験を語る。《参照:暮らしのノートPJ・ITO》(それはともかく秋篠宮殿下の髪が少しずつ若返っていた)
 電子書籍になったら、自分で書いて自分で売ることも可能だが、そんな馬鹿なことをする作家いない。良い作家は出版社の良い編集者が必要なことを知っているーーと述べた。紙の本と電子書籍との連携を巧くすることで、出版社・書店・作家の利益になる構想に実現に力を入れるべきなどを語った。

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2011年7月 6日 (水)

詩の紹介 不都合の日 作者・関中子

「不都合の日」         関中子
晴れた日の湖水のように空はきらきら波うち/もっとも美しい瞳をさがして人をうつす旅をつづける/かなわない夢がかなわないままの日をねがって物語をつづり/地上を永遠に地球にひきとめたい

スライド式の戸をあけると太陽が/木々や川や風とともに/ガラスの橋をわたる/観光バスのガラスの床をしたから見あげる/観光客の椅子は回転し/自在に停止できる/だけとあらわれるのは目に見えるばかりで/何ひとつ手にとれない絵のような姿/わかりきった行楽/手はさしだされたとびきりの朝食をたのしむ/枝々をさえずりわたる小鳥の声は特別の集音機からきこえるが/それと窓外のこの絵のような姿とは一致しているのか/このバス料金ではそれはかなり疑問/その疑問を乗車まえに思ったことをおぼえていますか

人々は休養をとおりすぎる/遠い日はとおりすぎる/すでに明日をとおりすぎたので

人々はいつもここにいない/自分のいるところにいない/遠い日に生きる/遠い日に生まれる/不都合な日だ
  関中子詩集・「愛する町」より2011年6月 東京都・思潮社 

紹介者・江素瑛(詩人回廊)
人間は未来への期待で生きる。期待されないものは不都合である。人間は、誰もが不都合の日、場所に生まれることがほとんどだ。親とか病院とか言い渡される予定日に生まれる。果たして、それが都合の良い日であるかどうか、誰で教えてくれない。成長、教育、仕事などなど、いろいろな規制を通らなくてはならない。
作者は観光バスツアーをしていたのか、時の移ろい、風景の移ろいを鋭く視て、視線はすでに遠く未来へ周遊している。

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2011年7月 5日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」6月30日朝刊長野秀樹氏

題「愛の物語」
河合愀三さん「相思花」(「竜舌蘭」181号、宮崎市)、野沢薫子(すみこ)さん「霧中に佇む」(「九州文学」第七期14号、福岡県中間市)
「竜舌蘭」鮒田トトさん追悼特集号より樋脇由利子さん「出会っていたら」、尾川裕子さん「トトさんへ」
「邪馬台」179号(大分県中津市)より和気啓太郎さん「戸惑い」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年7月 4日 (月)

著者メッセージ: 薬丸岳さん『刑事のまなざし』

 みなさん、こんにちは。薬丸岳です。6月末に『刑事のまなざし』を刊行しました。
 この作品は小説現代誌上で掲載した6本の短編に1本の書き下ろし短編を加えた連作短編集です。主人公のひとりは夏目信人という東池袋署に勤務する刑事です。夏目は、法務技官という少年鑑別所で罪を犯した者たちの心理を調査する仕事を経て刑事になった変わり種です。
 どうして夏目は罪を犯した者たちを見守る立場から、犯罪者を追う刑事になったのか。それは10年前に彼の家族の身に降りかかった不幸な事件が原因です。
 先ほど、夏目は主人公のひとりと書きましたが、この作品にはそれぞれの短編で視点となるもうひとりの主人公がいます。
 その者たちはそれぞれに、重い罪を犯していたり、必死に家族を守ろうとしていたり、家族を失った苦しみを抱え絶望の淵であえいでいたり、また、仕事を超えて大切な者に寄り添おうとしています。夏目はそれらの人々と向き合いながら、事件や謎の真相を解き明かしていきます。悲しい現実を抱えながらそれに立ち向かおうとする夏目だからこそ伝えられる思いを読者のみなさんにも感じていただけたらとても嬉しいです。   (薬丸 岳)
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年7月1日号)

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2011年7月 3日 (日)

同人誌「弦」89号(名古屋市)

 最近、同人誌に作品を書こうと思っているが、送られてくる雑誌の作品が皆さん巧いので、なにもわざわざ自分が書かなくてもいいじゃない、と思ってしまう。うまいうまいと感心しながら作品の紹介文でも書くのが性に合っているのか。
 本誌では巻末に受贈誌、受贈本のリストがある。雑誌約70誌、本10冊になる。長い活動を思わせる。
【「長い終楽章」長沼宏之】
 主人公は、40年勤めた会社から傍系会社の役員を2期勤めた。半年後に定年退職を控えて、妻が突然「家事をやめます」と宣言し、何もしなくなってしまう。
 妻の外での社交活動は変わらない。習い事や文化活動は相変わらず盛んで、家事だけ夫にさせる。ただ、社交の友人知らせで、人柄的に感情の変化激しくなったとあり、昔の同窓生の医師に相談すると、躁鬱病か何かの病気との境界線で、ストレスを与えないようにしたら、とアドバイス。
 こう、粗筋を書いていると、身にしみて頭が痛くなる。長い間に生まれた夫婦の溝がうまく表現されている。
 妻や子供に対しての無理解だった過去の主人公の行動を、妻がちくちくと刺す。主人公は感慨する。「夫婦であっても、もとをただせば他人同士だ」「なぜこの人を人生のパートナーに選んだのか。自由意志の選択と見えて、実際にはすべて外界からの照り返しに過ぎない幻想の自己を受入れ、与えられた価値感の枠の中で行動した結果に過ぎない。それがリスクの少ない道だと本能的に知っていたからだ」とある。こんなところで、なるほどそうだなあ、と頷いてしまう。
 主人公は「人の気持ちがわからない」「冷たい人」と過去の罪状を裁かれながら、妻との心の接点を探して努力する。感動的なところで終わる。まだ、子供たちから弾劾されていないのも、救いなのか。フィクションに体験を盛り込んだような、具体的なエピソードが生きている。妻の家事に感謝もせずに、同人誌活動に力を注ぐ亭主族に推奨する一編である。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3丁目4-27、中村方、「弦の会」。

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情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。
連携サイト穂高健一ワールド

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2011年7月 2日 (土)

文芸時評6月(毎日新聞6月26日)田中和生氏

「19世紀文学の続編」21世紀に入って可能に/戦前を否定する文学が無効化
《対象作品》絲山秋子「不愉快な本の続編」(新潮)/津原泰水・短編集「11eleven」(河出書房新社)/岡崎詳久「青空」(群像)/丹下健太「ぱんぱんぱん」(群像)。

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2011年7月 1日 (金)

【文芸月評】(読売新聞6月28日)「人間の芯」探る長い旅

.極限下に見る実存と嗚咽。V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)は、3か月で1万6000部増刷。
《対象作品》絲山(いとやま)秋子氏(44)「不愉快な本の続編」(新潮)/福島県郡山市出身の古川日出男氏(44)は、「馬たちよ、それでも光は無垢で」(新潮)/大道珠貴(だいどうたまき)氏(45)「命からがら」(文学界)/デビット・ゾペティ氏(49)「到着ロビー」(すばる)/丹下健太氏(32)「ぱんぱんぱん」(群像)/角田光代氏(44)「空に梯子(はしご)」(新潮)/(文化部 待田晋哉)
「戦争小説」論じた労作
 湾岸戦争が起きた1991年以降の日本の「戦争小説」を論じた陣野俊史氏(49)『戦争へ、文学へ』(集英社)は労作だ。
 阿部和重(42)、奥泉光(55)の両氏をはじめとする作品を論じる。90年代は戦争小説が少なく、女性の作品が目立ったなどの話も興味深い。今作の読解が震災で変質するとも語る著者の今後の批評が気になる。

 日本文芸家協会の短編アンソロジー『文学2011』(講談社)も刊行された。朝吹真理子氏(26)「家路」から津村節子氏(83)「異郷」まで20人の作品を掲載する。

 東京大教授の沼野充義(みつよし)氏(57)は解説で、作品傾向を「リアリズム」「幻想」「メタフィクション」の三つに分類。震災後の文学の可能性をこう述べた。<自分の無力さを半ば認めるという自己アイロニーもまたじつは小説という変幻自在でしぶとい表現形態にそなわった力なのではないか>

(2011年6月28日 読売新聞)

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