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2011年7月12日 (火)

同人誌「文芸中部」第86号(東海市)

【「電話の時空」三田村博史】
 過去の人間関係を電話でつなぐオムニバス3話。過去の思い出になりがちなところを、電話で巧くタイムトンネルを通過させて味のあるものにしている。なかに、「君」を主人公にした2人称小説もある。作者は中部ペンクラブを運営者でもあり、抽象的な詩作品しか読んだことがなかったが、詩に較べると、小説は大変わかりやすく親切である。
【「望み」安田隆吉】
 奇妙な面白さの小説は、同人雑誌に多い。こういうのを読むと、商業誌だからレベル高いとか同人誌だからどうだという性質のものでないことがわかる。発表する舞台と読者層が異なるだけで、面白さに優劣はない。
 「長期間待った揚句、やっと入った老人用施設。そこにも江戸時代の牢名主的存在の男がいる」
 という出だしで、施設の他人の気に入らない理由を説明して、同時に主人公の「私」の一癖ある性格を暗示するところは、心憎い味である。嫌いな男とやりとりも面白いが、「私」がリハビリを頑張りすぎて骨折してしまう皮肉を、「私」の言い分で真面目に描いて笑わせられる。このようにキャラクターさえしっかり描いてあれば結末はどうでも良いようなものだが、意表をつくものがあってこれも面白い。
【「ふたりのえにし」堀井清】
 若い男女の出会いから、その対話でふたりの境遇と家族関係がわかり、お互いの孤独な心情が伺えるという仕組み。話す内容は、文章の力を活かして、単調なようでメロディアスな強弱をつけ面白く読ませられる。小説の舞台が日本でなくてパリでもいいような雰囲気の流れで、洒落た味がある。内容と出来上がりのわりにタイトルが旧い。この作者は、音楽についてのエッセイもあり面白い。自分はオーディオコンポーネントのコピーを引き受けていたので、どんな装置かなと思ってしまう。遠い昔、何故か相撲取りの看板をだしていた「ナゴヤ無線」とかのオーディオルームを雑誌に紹介したことがある。アゴアシ付きであっても、新幹線のトンボ帰りはきつかったので記憶にある。
【遺稿「再婚」井上武彦】
 かつては直木賞候補になったという作品をもつ作者のもの。これは、裕という主人公の私小説的な作品。故人になられたか、という感慨が先にたつ。素質でいえばプロ作家になれるものを持っている作家であったが、おそらく、自らならなかった方であろうと思う。
 よく、創作者の話に、「プロになれる」とか、「プロになれない」という基準でものを考えて話題にするが、自分は、プロになる必要がある人がプロになり、必要のない人は才能があってもならない、という風に思える。ある時期は、原稿料欲しさにプロになりたい、と思っていても、ほかの仕事で収入があればなる必要がなくなる。売るための注文をつけられないだけ、同人誌のほうがましだ。前衛的純文学のひとが、たまたまエンターティメントの賞をとって異なる作風のプロになり、サラリーマンで高収入の人が賞をとったが、プロになるのを断った人などを知っている。年収が1千万を超えるほどのサラリーマンであったら、賞をとったという名誉だけで、作家業をやらないほうがいいのかも知れない。
 現在、毎年500人を超える文学賞受賞者が輩出しているが、その人がみんな作家業になったら、過当競争どころではないであろう。

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