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2011年6月30日 (木)

詩の紹介「愛について」 作者・大坪れみ子

愛について  大坪れみ子

すでに/風はとつぜんやってくるのではなく/やわらかい木々でできた稜線を/ゆっくりなでながら/這うようにしてやってくる

風はきょうも/わたしの部屋の窓の外に到着し/いつもの顔でじっとしている

わたしは部屋のなかで/窓はあけずにいて それでいて/愛について語りあったり/時には抱きあったりもする

風は/窓の外の畑の野菜たちをゆらしたり/目をほそめ ながめたりして/そのうち/そっと 帰っていく
   詩誌・「まひる」7号より あきる野市アサの会Part 2
紹介者・江素瑛(詩人回廊)
アンダンテ調でゆっくりと流れる愛の調べ、「わたし」はその流れに浮かばせて、そのそよ風に乗って・・・。
恋心をかきたてる風の喩え。愛は風のように「突然やってくるのではなく」、すこしずつ少しずつ情念を培い、柔らかく戯れながらも、「いつもの顔でじっとしている」惚れ込む。「わたし」のところにやってくるのだが、窓内の「わたし」の夢を覚ますことなく「そっと 帰っていく」シンプルで飾りのない流麗な言葉の力がある。

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2011年6月26日 (日)

文学フリマで買った本をこれから読もうと思う。

同人誌「アピ」の田中さんの話を書きました。長年、新聞か会報のよなものを発行していて、読者層を獲得してから同人誌を発行したらしい。定年退職後、同人誌を出して、長年の夢が叶いました、という。同人誌の発行に慣れてしまってはいないのです。感動しなくては。
「文学フリマ」は、創設者の大塚イズムを離れて拡大へ(3)

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2011年6月24日 (金)

詩の紹介 「牛の生涯」 作者・小林忠明 (「新・原詩人」No36)

「牛の生涯」小林忠明
人間は勝手だ 原子力発電の安全性を強調して置きながら爆発を起こしてしまった その原因は自然災害だという 住民も発電所の町として恩恵を受けている 手前 人の災害と云えない 原発から漏れ出した放射能は五キロメートル 十キロメートル 二十キロメートル さらに三十キロメートルと拡大するばかりだ 避難命令の出た飼い主は柵を解放して遠い街に旅立った 狭い小屋の生涯から自由になったおれたちは牧草をたんまり腹に溜め込んでいる 生き物として喰わねばなんめぇ 時々 飼い主が戻り おれの腹を撫で回し 涙ぐんでいる ベコよ 放射能に塗れた草を喰わせてすまねぇな おめいたちを運ぶ暇がなかった せめて 殺されるまえにたんまり草を喰え 福島県浜通の放射能に汚染された草を腹いっぱい喰って死んでくれ 牛一頭の生命に涙ぐむのは飼い主だけだ 机の前の政治家よ 百姓の代わりに死んだおれの無垢な目玉を忘れるな 放射能塗れの野草喰うおれの無念 死んだおれは青いシートにつづまれて腐って逝くだろう 机の前の原子炉 てめぇだ
くそっ 原子炉に飛び込んで死んでやっぺぇ 
               2011 年6月 多摩市

紹介者 江素瑛 (詩人回廊)
これは、福島弁というものでの表現なのであろう。原発事故リスクを背負った代償にもらったお金。地域の密接な関係があるが、放射能被害はお金を貰っていない地域ににも及んだ。
飼い主と家畜の家族関係は破壊される。家畜は死んで自由になり、人間は家へ帰る自由を失う。そして、青いシートをかぶされる。それは死の自由である。作者は風刺的な筆法で、ぐんぐんと読者を引っ張っていく。

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2011年6月22日 (水)

著者メッセージ: 渡辺容子さん『エグゼクティブ・プロテクション』

 「あ、もしもし、スルガ警備保障ですか? 私、作家の渡辺容子と申します。 ……いえ、別に命を狙われているとか、爆弾が届いたとか、そこまでの危機 に直面しているってわけじゃないんですけど、八木さんに身辺警護をしても らいたいと思ってお電話しました、ハイ」
 勢いで打ち明けちゃいますと、作品の完成直後は、こんな電話を掛け、「八木」に身辺警護を依頼したい、と思わず本気で考えていたほどです。 そのくらい、「エグゼクティブ・プロテクション」は思い入れのある作品で
 あり、主人公の八木への愛着もひとしおです。
 八木は民間の警備会社に所属する警護員ですので、警視庁SPとは違い、拳銃は携行していません。そのかわり、民間ならではの「サービス」を武器に、依頼人を危険から守り抜こうとします。
 「あ、スルガ警備保障ですか? 八木さんに警護をお願いしたいんですけど」と、読後、電話を掛けたくなることを除けば、最後の1ページまでお楽しみ いただけるものと自負しております。 どうか皆様、八木の活躍を応援してくださいませ☆<渡辺容子>(講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年6月15日号)

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2011年6月21日 (火)

「ことばの森から」小説編「毎日新聞」西日本地域版(11年3月21日)朝刊<1~3月>松下博文氏

タイトル「正常と異常」
田井英祐「正常の倒立」(「九州文学」12月号)、河合愀三「無窮動」(「龍舌蘭」180号)、後藤みな子「高円寺へ」(「すとろんぼり」9号)
次回から梅光学院大教授の鍋島幹夫さんが担当されます。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年6月20日 (月)

文学フリマ第十三回11月3日(文化の日)受付開始

第十三回文学フリマ(東京流通センター)受け付け開始。会場も東京流通センター(TRC)に拡大! 参加サークル800スペースを募集会場が広くなったので13回も申込者全員参加できそう。

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2011年6月19日 (日)

詩の紹介 「ある家族」 作者 門林岩雄 

ある家族  作者 門林岩雄
「今年めずらしく/柿がなりました」/女は袋をさし出した
[あの子は あいかわらず/くすりのみません/たべものにくすりいれるのに/一苦労です]
「ひげは伸び放題/髪はざんばら/独り言はあいかわらずです」
「主人が亡くなって/あの子と二人暮らし/わたしが死んだら/あの子は どうなるんでしょう」
礼を言って 袋を受け取る/重い!/これをあんな遠くから

門林岩雄詩集・花の下から「現代詩のプロムナードⅫ北溟社」2011年 5月31日

紹介者・江素瑛(詩人回廊)
身体が成長しても精神的は成長しない永遠の子供。それを抱えている母親。遠くから昔にかかっていた先生に挨拶と報告に来ました。
診察室での生々しい会話が生み出す現実の厳しさ。精神科医の作者なのでしょうか。「わたしが死んだら/あの子は」作者は大きな社会問題を挙げている。暖かい人間愛を受け取ることこそ人間福祉社会の役割でしょうか。
「袋を受け取る/重い!」遠いのにやってきた母親から受取ったのは柿ではなく、延々と終わらない母親の重い負担も渡されたのでしょう。

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2011年6月18日 (土)

「文学フリマ」と大塚英志氏のことなど=このごろの活動から

 12日の文学フリマで「砂」の店番から帰って、ニコ動でしばらく市川真人と大塚英志対談を見た。大塚氏は、文学の方向として柳田國男の構築した近代社会科学的手法の継承を望んでいるらしい。大震災で大衆が精神的に「高揚」しているのをいやな感じとして受け取っている。高揚心は権力に利用されますからね。その意味でポストモダン的な社会現象も好ましくおもっていないようだ。でも、人間は高揚心があり、それを前提に祭りやイベントを行なってきた。それでニヒリズムからの脱却をはかってきた。イベントは高揚心なしに参加できない。
「文学フリマ」は、創設者の大塚イズムを離れて拡大へ(2)
 この通信サイトのコメント欄に「木曜日」グループ宛の反応がある。木曜日のHPと思ったのか。ブースに来た人のちょっとした呟きが、心を傷つけるらしい。それは、自分の活動が理解されていない、ということらしい。他人に正当に理解されていないと思うことが、不愉快になるという人間性にどう対応すべきか、考えどころですね。

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2011年6月17日 (金)

著者メッセージ: 西尾維新さん 『囮物語』

 西尾維新です。 こんにちは。 『囮物語』、おかげさまで発売することができそうです。無謀というか、無防備といったほうが正しそうなあの予告の大半が実行される形ですが…、まあ最後の二冊がどうなるのかは、現時点では(内容も含め)わかりません
 けれど。 この『囮物語』に限って言えば、これまでの『物語』とは若干毛色が違う内容となっております…まあ目先を変えるのが好きな作者なので、そもそも毛色が同じだったことがないという意味ではいつも通りの『物語』なのですが…。ただ、なんとなく棚上げになっていた『千石撫子』というキャラクターにひとつの決着がつくという意味では、やっぱり特別な『物語』なのかも しれません。 お楽しみいただければ幸いです。 それでは。       西尾維新
(講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年6月15日号)
  

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2011年6月14日 (火)

このごろの活動から=第十二回文学フリマの店番をしました。 

文芸同人「砂」の会のブースの店番をしました。「砂」は、私は最近は書かず、集まりにいかずの会員のみでいたが、けっこう立ち読みの人がいて、同人誌「砂」の名をを知っているという方がいた。会員のみなさん地道な活動しているらしい。
 となりのブースの「アピ」の田中さんは、初参加だそうで、後で紹介したいと思います。また、「相模文芸」の外狩さんも挨拶にきていただいて、恐縮でした。今回はもう71歳になるはずの野田さんがきていないかと、考えていたときなので、てっきり野田さんの友人の方と思って、勘違いして失礼しました。ぼちぼち同人雑誌活動にも力をいれられるかなと思っています。
同人誌即売会「第十二回文学フリマ」は、創設者の大塚イズムを離れて(1)
 ここにも触れましたが、大塚×市川両氏の対談は、意外にも聴衆が少なかったようです。しかも最前列が空いていたらしい。現代人は、相手も自分も傷つけあわないように、突出したことを避けますよね。大塚さんの受け取り方はずれがあるようにおもいましたね。盛んに「こうよう」という言葉がでるので、効用か、高揚かとおもいましたが、震災による高揚の意味らしい。ポストモダンの源流のニーチェ思想にたいする反発でしょうか。

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2011年6月13日 (月)

同人誌時評(5月)「図書新聞」(2011年6月4日)志村有弘氏

題「老人文学の数々に注目」
「COALSACK」第69号の震災特集より黒川純の詩「ほんとうのことに向きあわねば」、武藤ゆかりの長文詩「巨大地震遭遇記」、鈴木比佐雄の詩「薄磯の木片」、若松丈太郎のエッセイ「原発難民ノート」
前出、若松の『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』(コールサック社)
「くれない」第100号は「祈り 東日本大震災」と出して24名の短歌を掲載。玉城寛子、伊志嶺節子
寺崎孝子の詩「東北・関東巨大地震」(「詩と眞實」743号)、葉山修平の詩「美容室で」(あてのき第38号)
遠矢敏彦「薔薇の描線」(風の森第15号)、森岡久元「別荘橋のできごと」(酩酊船第26号)、川口啓史「老嬢」(文藝軌道第14号)、同文藝軌道より高橋ひとみ「夜のレクイエム」、通雅彦「母を夢みる」(北方人第15号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年6月11日 (土)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2011年6月3日)白川正芳氏

「鶴」41号の「特集 鉛筆」に29名が執筆。同誌より是佐武子(埼玉 昭和元年生)「わが道…被爆の語り部として」
寺山あきの「ゴンタとバアチャン」(「出現」2号)
「若木分冊」2011年春号(国学院大学文芸部)より田舎源氏「孤独のカタチ」
稲垣信子「野上豊一郎の文学を追う」(「双鷲」75号)、園村昌弘「劫火」(「詩と真実」5月号)、永井孝史「陰気な楽しみ」(「碑」96号)、山中幸盛「第25話怠け病」(「北斗」5月号)、みずしなさえこ「シンズルサロンは花盛り」(「文学街」283号)、野上志乃「年の瀬は」(「りりっく」22号)、岡野陽子「純真な獣」(「文芸軌道」4月号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年6月10日 (金)

PR誌「本の話」(文藝春秋)10月号で休刊へ

 文藝春秋社はPR誌「本の話」を9月20日発売の10月号で休刊することを決めた。1995年に創刊されたが、現在はウェブ上や他の冊子などでも新刊紹介の役割を十分に担っていることからする。現在「本の話」で連載している作品は10月以降、ホームページなどで引き続き掲載していく予定。また、今後の新刊の案内は月刊「文藝春秋」の一企画にするという。

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このごろの活動から=形をつくる

穂高健一ワールドとの連携で、小説の掲載企画を設定しました。課題は社会性の維持のためシステムづくりでした。それが可能かどうかはともかく、形をつくりました。
《参照:文芸同志会のひろば
 12日の文学フリマでは、当会は参加しませんが、文芸同人誌「砂」の会のブースで店番をする予定です。

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2011年6月 8日 (水)

詩の紹介 「クレー作品・学者・―――に。われなるクレーは」作者・遠山信男 (田園147 )

魑魅魍魎どもの隠れたデザインは/怪相の下地ともなって/ナチの影絵を見せてくれるのか/われなるクレーは/「ぼくはすでに生を終わった者、あるいは生をうけてないものたちの間で暮らしている」*そのたしかさとしていまを生きているのだ *(クレーの墓碑に刻まれた日記の言葉の一部)
  3011 夏 平成23年6月 三島岩礁の会

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 「クレー庭の門」と題した、 1933年・石膏・グロッシュ・35.0x26.5cm・ベルン個人蔵の美術作品を鑑賞後の作者の感想らしい。フランス語が堪能の作者は90歳過ぎて今もタップダンスをこなし、詩作、美術で人生を楽しんでいる。
「魑魅魍魎どもの隠れたデザイン」にいくつのマークM T X H ! * 卍 赤い対の鳥、蛇、枯れ木。庭のドア(Mマーク)を潜って、生きものと生を受けてないものたちたちのそこでは今もクレーは暮らしている。クレーのよき理解者で墓石に刻んだ言葉による絵画をしている。時代を越えて生きるものと、死に向かったものと、これから出現するものたち、非生命ものも、いつまでも一緒に暮らし続ける世界を読み取っている。

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2011年6月 5日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」6月2日(木)朝刊・長野秀樹氏

題「肯定する精神」
牧草泉さん「玉枝の生活」(「海」第2期5号、太宰府市)、松本文世さん「ドリームコート 五〇一号」(「南風」29号、福岡市)
「九州文学」臨時増刊号(福岡県中間市)より由比和子さん「櫛(くし)」、宮川行志さん「復活」
「照葉樹」特別号(福岡市)より水木怜さん「残照」
「南風」(前出)より紺野夏子さん「マーサの足音」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年6月 4日 (土)

文芸時評(産経新聞)5月号 早稲田大学教授・石原千秋  新人賞選評にツッコミを

《対象作品》群像新人文学賞受賞作は中納直子「美しい私の顔」/文學界新人賞受賞作・水原涼「甘露」と山内令南「癌(がん)だましい」の2作/小谷野敦『久米正雄伝』(中央公論新社)。
5月号 早稲田大学教授・石原千秋  新人賞選評にツッコミを

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2011年6月 3日 (金)

文芸時評5月(毎日新聞5月30日)田中和生氏

共通する汚れ引き受ける文学/3・11以降の新時代感じる
《対象作品》文学界新人賞・水原涼「甘露」(文学界)/評論・群像新人文学賞・彌栄浩樹「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」(群像)/村上龍「心はあたなたのもとに」(文芸春秋)/高橋源一郎「お伽草紙」(新潮)/戌井昭人「ぴんぞろ」(群像)/谷崎由依「水際の声」(文学界)

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2011年6月 1日 (水)

寸編小説紹介「そして誰もいなくなった」作者・廣野毅志

「そして誰もいなくなった」作者・廣野毅志(詩人回廊サイトより)
 アガサクリスティのミステリー小説と同名の小さな物語は、郊外に開業した医院の軒下に住みついたツバメの話。地上の田畑や花を眺め人のやってくるのを待っている日常に、ふと気がつくと空からの来訪者があった。
 頭上の巣と空を見上げることを描いているが、描いていない生活ぶりも想像させる。メスヘン調のカットも、同じで描かないことで想像力をそそる。住まいの定点から、広がりのある世界を表現している。どれを描いて、描かない部分も浮き彫りさせるか。無意識の作用を感性という。そこには含蓄が必要とされる。その意味で感性の優先した散文詩でもある。(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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