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2011年5月 8日 (日)

詩の紹介 「錯覚」 作者・桜井尚(新・原詩人No.35)

「錯覚」    桜井尚
日々の暮らしは尊いけれど/日々の暮らしは慣れてはいけない
毎日の勤めや食事の支度に/追われて/見える現実だけが/世界のように思える時/そのような錯覚が/僕らの「生」を誤らせる。
この見えている現実は/もっととてつもない/広大無辺宇宙の/ほんの片隅に過ぎない/僕らがそれに気づかなければ/あなたの家族の/猫や犬たちも/悲しい思いをするだろう/なぜなら/かれらはそれに気づかないのだから
人間だけが気づくことのできる現実がある/人間だけが知ることのできる世界がある
でも、おおかた/「僕らは夢の中で生きている」。/「僕らは夢の中で死んでいる」。
僕らは目覚めなければならない/夢の中でも目覚めなければならない/「錯覚」を克服して/日々の暮らしの中に/宇宙をとりこまなくてはいけない/風がそのように囁いているのが/聴こえなくてはいけない
 新・原詩人(隔月刊)No.35より  2011年4月 多摩市諏訪・新・原詩人

紹介者・江素瑛(詩人回廊)数えきれない小さな世界の集まりが、浩々たる世界になる。確か人間だけは世界観をもっている。動物は思想がないように人間には思える。
個体の日常が宇宙の微々たる一部であり、世界と錯覚してはならないと、作者が「おおかた/「僕らは夢の中で生きている」。/「僕らは夢の中で死んでいる」と酔生夢死のよう一生、ある場合、人生わずか50年、夢幻のごとくあっても「夢の中でも目覚めなければならない」と、目覚めた人になることををすすめる厳しいひとこと。

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