詩の紹介 「欅」 作者・てらしせいたろう(「詩と真実」7月号)
この頃記憶力がとんと/落ちてきている僕は/欅という木の名前をよく忘れる/祖母の形見の欅のほそ長い栽縫台/衣類の入った行李が幾つもその台の上に乗っかった儘で/栽縫台の存在さえ分からなくたっている/欅は日本人が一番好む目の美しい木だと聞く
祖父は営林署に勤めていた/食卓や火鉢も欅作りで/祖母はそれが当たり前のようにして嫁としての勤めをこなしていた/祖父は三十五歳で病死/それまで奉公にやってきていたデカンやメロたちも閑をとった
祖父の父は祖母を引き留めた/だが/祖母は二人の娘を連れて実家に戻った/慣れない農作業の傍ら祖母は和裁で生計を立てた/わが家に移ってきてからも祖母は/九十歳まで針を持った/オヤジ オフクロ 姉 僕 妹の寸法を紐で計って/瞬く間に浴衣や羽織、袖なしを仕立ててくれた/その祖母が亡くなって十年
あの木は何の木だったっけ?/五十六歳の僕は/今日も思い出せない
(月刊文芸誌「詩と真実」7月号より平成22年 6月熊本市出仲町・詩と真実社)
紹介者 江素瑛(詩人回廊)
欅という木の名前は思い出せないけど、欅をみるとそこに祖父、祖母の影が棲み付いている。若いときにも夫を亡くし、娘二人を連れて、転々とした住まい、けっして穏やかではない暮らし、しかし一生和裁をつづけ、「九十歳まで針を持った」。家族に対する愛情も紐一本、針一本で通していた。家族の愛をみつける視力に、心を打たれます。明治時代と思われる女性の強い生き方。作者は欅から和裁まで祖母の一生、愛する祖母に対する思い出が実に生き生きと色濃く描かれています。
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